#3「最近、モテ期かもしれない」

ファミリー層向けの複合施設の一角。

1週間の期間限定でポップアップストアを出店している。


そこで、急遽、週末に地元インフルエンサーが来店するイベントが決まり、広報のまどかはギリギリまでバタバタと準備をすることになった。

イベントとなると集客も見込め、人手がいるので、イベント当日は営業の絢斗も駆り出されたのだった。



イベントは無事成功を収め、居酒屋での打ち上げが行われた。

打ち上げもまた、仕事の一環である。


昨夜の同窓会よりも、顔馴染みの同僚がいる今夜の方が、気楽だ。

最初はそう思っていたが、途中で昨夜の方がマシだったかもしれないと思い始めた。


同僚以外に、出店先施設の関係者や地元情報誌のライターにカメラマンもいた。

そのメンバーが嫌なわけではない。ただ1人を除いて。


その1人というのが、下条しもじょう敬章ひろあき――地元情報誌のライターで、絢斗の耳にも入っていた、まどかに言い寄ってきている当人であったのだ。


下条は当然のように、まどかの隣に座り、グラスが空いてないかを気かけたり、食べ物をお皿に取ってくれたり、甲斐甲斐しく世話をしてくれるものだから、居心地が悪い。

地元情報誌にはよく記事を載せてもらっており、無下に断ることもできないから、たちが悪い。


隣で穏やかに笑う下条を、ちらちらと横目で見やる。


下条は遊んでいるようには見えない。

多分、誠実な恋愛をしてきたのだろうと想像できる。

穏やかな付き合いは見込めるかもしれない。


仕事の話の中に、プライベートな質問も紛れていて、答えに困る。扱いが分からない。

顔に貼り付けた笑みも、剥がれてしまいそうになる。


それだけでなく、対角線上に座る絢斗が視界に入り、嫌な気分になる。

言い寄られていると絢斗にバレており、かつ、この状況を絢斗に見られているとなると、気まずいこと、この上ない。


――早く時間が過ぎればいいのに。


ビールを一気に傾けて呷る。


下条に気づかれ、「三戸さん、飲めますね」と1人で盛り上がっている。

それが、まどかにとって嬉しい対応だと思っているのだとしたら、勘違いである。


「おかわり頼みましょうか。何にしますか?」


グラスを置くか置かないかのところで、下条がドリンクのメニュー表を見せてきた。


「あー……」


文字は目に入るが、具体的にどれか選ぼうという気にならない。


「――そろそろやめるべきじゃない?」


上から声が降ってきた。


ビールを飲み切る前は、対角線上にいたはずの絢斗の顔が、ほぼ真上にあった。


腰を下ろす絢斗の顔をじっと見つめる。

その顔は、まどかを通り過ぎ、下条を見据えていた。


「この1週間、仕事が忙しくて、ちゃんと休めてないみたいなんですよ」


絢斗の手がまどかの肩に置かれる。

驚くまどかなど気にすることなく、絢斗は言葉を続ける。


「皆さんの前で倒れたらご迷惑をかけるので、失礼させてください」


下条の反応がないので、下条を見やれば、勢いに気圧されているのか、ぽかんとしていた。


「責任を持って私が送り届けますので、ご安心を!」


有無を言わせない物言いだった。

しかし、明るく振る舞うから嫌な感じも受けない。

完璧だった。


絢斗の助けのおかげて、まどかは無事に居心地の悪い打ち上げから抜け出すことができた。




「……ありがとう。助かった」


「どういたしまして」


癪ではあるが、本当に助かったので感謝の意を述べた。


「一緒に帰ってよかったの?」


「見てなかった? 絡まれて面倒だったからいいの」


「普段参加してない会だから、珍しがられてたよね」


「やっぱそう?」


絢斗は今回の打ち上げでも自然と中心になっていた。

絢斗が帰ると言ってから、名残惜しむ声が広がって、何となく打ち上げ終了の気配を匂わせた。


「三戸の方こそ。意地でも帰らないかと思った」


「だって、ポップアップ、最終日じゃないよ? 最終日もするだろうから、帰っていいって言われてたの」


「最初から確認済みだったわけだ」


「あんたが声かけてくれなかったら、帰れそうになかったけど」


「お節介じゃなくてよかった」


あの空気であれば、それほど時間が経たないうちにお開きになるだろう。気が楽だ。


「これからどうする?」


「帰るに決まってるでしょ」


ふと足を止める。


「……逆に、帰らずどこかに行くつもりなの?」


素朴な疑問を口にした後、見上げた絢斗の顔は飄々としていて、首を傾げるだけで何も言わない。

街中でただ見つめ合う男女になっている。


絢斗の顔は、憎らしいほど綺麗に整っていて、永遠と見ていられる気がした。


「結構飲んでたよね? 送るよ」


やっと絢斗から発された言葉は、質問の答えとは違った。

まどかは前を向いて、歩みを再開する。


「いいよ。ちゃんと歩けてるでしょ?」


何で結構飲んでいたかどうかが、あの遠い席から分かるのだ。

顔だけでなく、発言でも動揺させないでほしい。


「そうだねぇ」


納得しているかいないか分からない声が、遅れずついてくる。


人混みの間を抜けながら、無言で歩いていく。


人混みを抜けてから、ざわめきが遠のいてきたところで、絢斗がまどかの隣に並んだ。


「ついてってるんじゃないからね?」


「家が同じ方向だから、でしょ?」


「その通り」


絢斗は面白そうにクックッと笑った。


結局、昨夜と同じで、絢斗は途中でさよならを告げて、夜の闇に消えていった。


***


仕事終わりのまどかは、しばらく忙しくて通えていなかったジムに来ていた。


ランニングマシーンで20分ほど走った頃、ちらりと見え隠れする影があった。


ボタンを押してスピードを落とす。

歩きながらクールダウンし始めたら、その影が近づいてきた。


「久しぶりだね」


「仕事が忙しくて、なかなか時間が作れなくて」


「お疲れ様」


優しい笑みを浮かべて声をかけてきたのは、インストラクターの宇栄原うえはらあゆむだ。


「元気にしてた?」


「うん」


歩は、まどかの高校の同級生で、元カレである理久の友達でもある。

高校を卒業してからは、特に連絡を取るような仲ではなかったが、社会人になり、このジムでたまたま再会し、また連絡を取るようになった。


「――話、聞こうか?」


そんなに不安そうな顔で声をかけられるほど、浮かない表情をしていただろうか。

まどかは苦笑した。


高校生のとき、歩はいつも話を聞いてくれていた。きっかけは理久であったが、下手したら別れる直前は理久よりも話していて、周囲は歩と付き合っていると勘違いした人もいたかもしれない。


社会人になって再会してからも、もやもやしたときは、必ずといっていいほど、話を聞いてくれた。

30歳になるというのに、これほど甘えてしまっていいのだろうか。


「そろそろ上がりの時間だから、よかったら一緒に帰らない?」


「……うん」


「じゃあ、もうちょっと頑張ってね」


歩はまどかの見えない方へと歩いていった。




歩の仕事が終わってから、2人にはお馴染みの回転寿司にやって来た。

来店のピークを過ぎたようで、待たずに席につくことができた。


タッチパネルである程度注文してから、改めて歩と向き直る。


「あのね……最近、モテ期かもしれない」


「何を言い出すかと思ったら……」


歩は呆気に取られた顔をする。

想定外の悩みだったのが、手に取るように分かる。


「本気で悩んでるんだってば」


「疑ってはないよ」


「言い寄られても、この人って思える人じゃないから、断るのに労力だけ割かれて、疲れるだけ」


「なるほどね……」


まどかが湯呑みに粉末茶を入れ、歩はお湯を入れる。


「この人って思える人は、現れてない?」


「ない」


まどかは迷わず即答した。


「この人って思う人がいたら、何も困らないのに……」


歩から自分の分の湯呑みを受け取り、両手で包み込むように触れる。熱いくらいに温かい。


「最近、顔だけでもいいなって思う人はいないの?」


顔で思い浮かんだのが同期の顔で、頭を思い切り横に振る。


「誰か思い浮かんだ?」


思い浮かんでいないと否定するのもおかしな話だ。

仕事の同僚の話もしたことがあるので、今更隠す意味も感じない。


「……前も言ったでしょ? 顔だけはいい同期がいるって」


「うん」


「軽薄で、全然掴めないし、からかわれてる感じがして、憎らしいのよ」


湯呑みの中を覗きながら、湯呑みを回すように揺する。沈む粉末茶が浮き上がり、色濃くなる。


「……そいつにね、結婚するなら、チャラついてないで、寡黙で、落ち着いてる人がいいって言ったら、そんな人はつまんないでしょって言われた」


歩に話すほど、絢斗の言葉が引っかかっていたのだ。


「それに、今はあたしが保守的で、あたしがつまんなく思ってるんじゃないかとも言われた」


まどかは自嘲の笑みを浮かべる。


「……その通りだと思って、何も言えなくなった」


見ないようにしていたことを、さらりと口にされ、油断した心の隙間からぐさりと刺さった。

言葉は刺さったまま、抜けないでいて、痛みをもたらし続けている。


湯呑みを口に運び、ごくごくと数口飲む。

目線を上げたら、歩と目が合い、どきりとした。


「その同期の人、まどかのこと、よく見てるね」


「え、そう?」


思いの外、湯呑みの高台がテーブルに強く当たった気がした。


「わざわざ嫌がられるようなこと言わなくてもいいのに、わざわざ言って、まどかに幸せになってほしいってことじゃない?」


「そんな、まさか! そんな深い意味はないよ」


そもそも、わざわざ嫌がられる言い方をする必要はないではないか。

それなら優しく言ってほしいものだ。


……いや、それはそれで気持ち悪いな。


「でも、僕もその人と同じ気持ちかも」


「え……」


歩はテーブルの上に手を置いて指を組む。

それから少し前のめりになるから、まどかは腰が引けた。


「つまんないって言われてその通りだって思うなら、つまんなくない道、選んでみたら?」


「そんな簡単に選べるようなものじゃ……」


「昔はそういう道、選んでたでしょ? 今のまどかになら、乗り越えられる道かもしれないよ?」


歩はこれほどはっきりと言葉にしたことはなかった。


今までは気を遣って言わなかっただけなのかもしれない。

今が好機だと判断するに足り得る条件が揃っていたということなのか。


「いいタイミングと思うのも、ありじゃないかな?」


歩はあくまで提案という体をとっていて、強制はしていなかった。


その後、タッチパネルで頼んだお寿司がぞくぞくと到着し始め、再びその話に戻ることはなかった。

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