#2「つまんないって?」

まどかは仕事終わりに近所のコンビニに寄った。


パンの品出しをしていた店員が、まどかに顔を向ける。


「お疲れ」


「羽衣もお疲れ」


コンビニの店員――朝永ともなが羽衣ういは、中学校までは同じ学校に通った、まどかの同級生である。


「明日、高校の同窓会だっけ?」


「うん」


羽衣がパンを並べる横で、まどかは翌朝食べるパンを選ぶ。


「初恋の元カレに会うの?」


「会わないよ。同じクラスだった人たちで集まるから」


「でも、こういうときって、違うクラスの人も混ざってたりしない?」


「……同窓会に顔出すようなタイプの人じゃないよ」


まどかは少し迷って、メロンパンを選んだ。


「またゆっくり話そう」


羽衣は純真無垢にニカッと笑った。


「同窓会行ったところで、大した話はないと思うけど……」


「他人から見ると大した話もあるよ」


他にもいくつかかごに入れた後、羽衣とともにレジに向かい、会計をしてもらった。


正直、同窓会に誘われたとき、行くかどうかは迷った。

高校2年生のクラスの同窓会で、特別思い入れがあるかと言えば、それほどなかったのだ。


しかし、参加しようと思ったのは、どこかで期待していたからかもしれない。

同窓会で再会して恋に落ちることを。


***


同窓会は居酒屋で開催された。

他のクラスの人もちらほらいて、パッと見たところ、20人弱のようだ。


「下の階も同窓会らしいよ」


店員に聞いたらしい情報を教えてくれるのは、2年生のときに席が前後になったことのある、同級生だった。

もっと物静かな印象だったのに、髪は明るく染められており、溌剌としている。


居酒屋は2階建ての建物で、まどかがいるのは2階だった。

入店したとき、同世代の人たちが楽しく騒いでいるとは思っていたが、同窓会だったのか。


お手洗いは1階にある。

途中で席を立ち、1階に降りた人たちが、階段を駆け上がってきて、「イケメンがいた!」と口々に騒ぐ。


「結婚して子どももいるのに興奮しないでよ」


「だから興奮するんでしょ!」


騒いでいるのが、1人、2人ではないので、どんなイケメンなのか気にはなったが、野次馬のように見にいくのはためらわれたので、話を静かに聞くだけに留めた。


印象の変わらない人もいるが、ガラッと変わっている人がほとんどだ。高校生のときから干支も一周しているのだ。変わっていない人の方が珍しいだろう。


傍から見れば、まどか自身も変わって見えるのだろうか。



「あたし、そろそろ帰るね」


スマホの画面を確認し、連絡があったようなふりをしたからだろう。


「彼氏が厳しいとか?」


わざとではないのかもしれないが、大げさな物言いが引っかかる。


「そんなんじゃないよ」


帰ると決めたら、即行動だ。

あまりいい印象は与えないかもしれない。


しかし、自分は場違いのような気がしているので、いなくなったところで、すぐに忘れられるだろう。

やはり、来なくてもよかったかもしれない。



参加費を幹事に渡して階段へと向かう。


降りている途中で、後ろから「送るよ」という声が飛んできた。

あと数段で1階というところで、足を止めた。

2階の声よりも、1階の声の方が耳に大きく聞こえてくる。


振り向いて見上げた顔は、誰だったか。

向かいの端の席に座っていたから、直接話していない。


「山本だよ」と名乗られて、ようやく何となく思い出せるくらいには印象が薄い。


「三戸さんともっと話したかったな」


狭い階段で、横に並んで話すほどの広さはなく、山本は数段上から話しかけてくる。


「俺、実は三戸さんのこと、好きだったんだ。神辺と付き合ってたし、俺とは釣り合わないと思ってたし、あのときは言えなかったけど」


こんなふうに告白してくるような人ではなかったはずだ。

地味な印象だったのに、30歳になるまでの経験が、自信をつけたらしい。


だからと言って、まどかがその告白に心惹かれるものがあるわけでもなかった。


「ありがとう」


ただ感謝の言葉を告げ、前を向くと、ちらりと見えた顔に目を奪われる。


「あ、三戸じゃん」


ひらひらとまどかに手を振るのは、会社の同期である中埜なかの絢斗あやとだった。


憎らしいほどに端正な顔立ちと出会い、口々に「イケメン」と言われていた正体に気づかされる。


「……知り合い?」


わざわざ話すのも嫌になるが、この場を切り抜けるには話さないわけにもいかない。


「知り合いっていうか……同じ会社で働いてる同期」


簡潔に言い切り、これ以上訊かれても答えるつもりはない。


「こんばんは」


絢斗が微笑みかければ、山本が怯む気配がした。


いくら山本が地味から脱却したとは言え、あまり身近にいないタイプなのだろう。



「明日、朝早いのに大丈夫?」


「もう帰るよ。見たら分かるでしょ」


バッグを掲げ、帰りだとアピールしながら答える。


他人の目があるので、小さい声だが、語気は強くなる。

山本には何も心乱されなかったのに、絢斗にはもう乱されまくっている。


意味深に笑われた気がして、腹立たしかった。


顔だけ山本に振り向くと、どうやら絢斗を見つめていたようで、驚いた顔でまどかに目を合わせた。


山本もあっという間に絢斗の虜にされている。

まどかにとっては、胡散臭いだけなのだけれど、世間一般には人を翻弄するだけの魅力があることを見せつけられる。


「明日早いのは本当なの。帰るね」


急遽、仕事のイベントが決まって、バタバタ準備をした。

まさかイベントが同窓会の翌日になるとは思っていなかったので、タイミングが悪いとは思っていたが、早く帰りたくなったので、結果的によかったのかもしれない。


「分かった。残念だけど、しょうがないね」


「みんなによろしく」


絢斗に見とれるような人だ。

名残惜しいこともなく、完全に背を向けて階段を降り切った。


「俺も帰るから送ってくよ」


「いい。一人で帰れる」


絢斗が通路に立ちはだかり、それ以上進めない。


階段を降りてしまったものだから、下の階の同窓会の人たちの視線が自分にも集まるのを感じる。

絢斗はどこでも集まりの中心になってしまう人なのだ。


見極めるような鋭い視線や、面白がる視線。

日頃生活している中で感じることのないものなのに、どこか懐かしい気分になる。


面倒なことに巻き込まれるのはごめんだ。

絢斗の隙をついて進もうとしたが、絢斗はまどかの進む先と同じ方へと体を動かすから、いつまでも突破できない。苛立ちが募る。


「ちょっと! 帰らない人が邪魔しないでよ」


睨んで言い切れば、飄々としていて、それがまた腹立たしい。


不意に絢斗が耳を寄せてくる。


どこかから悲鳴のようなものが上がる。

悲鳴を上げたいのはこちらの方だ。


「俺も早く帰りたいんだよ。お願い」


切実な声色と、顔の前で両手を合わせてお願いされ、嘘とも思えず、ため息を吐いた。


「……すぐに帰るからね」


小さい声で言えば、絢斗は満面の笑みを浮かべる。


すぐにこちらを見ている人たちに、「俺帰るわ。じゃあね」とひらひらと手を振る。


その横を通り過ぎ、入口を出ると、時間を空けずに絢斗はついてきた。


名残惜しむ声はドアを閉めれば、急に遠くなった。

とは言え、まだ賑やかな声が耳に届く。


「騒ぎすぎだよな」


このときばかりは、まどかも絢斗の意見に同感だった。



早足で歩くまどかの後ろを絢斗は、少ない歩数でついてくる。


「出られたんだからもういいでしょ。何でついて来るの?」


「家、同じ方向じゃん」


事実であるから、何も言えなくなる。


早く撒いてしまうか、どこか寄り道をするか。

どうしようか考えていると、絢斗が隣に並んだ。


「三戸も同窓会だったの?」


「……そうね」


「つまんなかった? 飲み放題の時間よりもだいぶ早いじゃん」


「それはあんたもじゃない」


「俺の場合は遅れて来たからね。滞在時間1時間もないかな」


「あたしよりひどいじゃない」


何で同窓会に参加したのか、疑問に思ったら、その答えは訊かずとも教えてくれた。


「行きたくないのに、無理やり呼ばれたから、顔出しただけなんだよ。むしろ、顔出すだけのつもりが長居しちゃったんだよね」


「人気者は大変ね」


棒読みで答えれば、「そうなんだよねぇ」と満更でもない様子である。


「……皮肉だっての」


「そうなの?」


別に皮肉でも気にしていなさそうである。


絢斗と話すつもりもなかったのに、ぽんぽんとやり取りしてしまっている事実も、まどかをもやもやさせる。


「めっちゃ誘われてたじゃん。階段で。それなのに、そんなに嬉しくなさそう。むしろ、面倒くさそうだったね?」


「……盗み聞き?」


「聞こえたんじゃん」


何であんなにうるさい場所で聞こえるのだ。

階段の下にずっといたに違いない。


そう考えると、早く帰れるように入口の近い場所にいたということの整合性が取れて、同情してしまった。


「そんなにいい男と付き合ってたの? イケメン?」


山本との会話をしっかり聞いていたらしい。

さっき浮かんだ同情は、あっという間に散っていった。


「俺とどっちがイケメン?」


「……面倒くさいこと言わないで」


「即答しないんだ?」


まどかの顔を覗き込む絢斗は、にやにやして面白そうである。


「……まぁ、顔だけはいいと認める」


悔しいけれど、これほど顔の整った人は、今まで数えるほどしか会ったことがない。


「やった。認められた」


絢斗は小さくガッツポーズを作って、小躍りする。


「何それ」 思わず、笑いがこぼれた。

いつでもふざけた人である。


「付き合ってる人がいるから断ったわけじゃないよね?」


いつまでこの話をするつもりだろう。

これ以上、深い話をするつもりは、まどかにはない。


「ね、聞こえてる?」


急に絢斗の顔が面前に現れて、ギョッとする。

心臓が止まるかと思った。


「……何であんたにそんなこと言わなきゃなんないのよ。聞いてどうするの」


「聞きたいんだよ。面白そうだから」


「尚更話したくないわっ」


絢斗はクックッと笑って、話を聞かずともすでに面白そうである。



「そろそろ結婚、考えないの?」


こんな話を絢斗にしたくはないが、また顔を近づけ、答えを迫られたらたまらない。


「……考えても相手がいないからね」


「したいのはしたい?」


「……いずれはね」


絢斗は「ふーん」と言いながら、歩いている。


聞いたくせに、それほど興味がなさそうだ。

やはりまともに答えなければよかった。


「どんな人と結婚したいの? 俺みたいな人?」


「真逆だわ」


「えぇ?」


「チャラついてないで、寡黙で、落ち着いてる人がいい」


できるだけ絢斗と反対のタイプを言おうとしていることに途中で気づいたが、最後まで言い切った。


絢斗はすぐに反応を示すだろうと思っていたのに、黙っているから、つい絢斗の方へ目を向けた。

絢斗がおもむろにまどかの方を向いて、目がばっちり合った。


「つまんないでしょ。そんな人」


まどかは息を呑んだ。

あれほど軽薄な表情と口調を浮かべていた男が、急に真顔で言うものだから。


せめて顔を合わせていなければ、こんなにも食らわなかった。

いや、そもそも目が合うのを、絢斗は待っていた。逃れようがなかったのだ。


「……結婚はそういうもんでしょ」


目を逸らして、上の方を見る。

夜だから空は真っ暗で、特に目につくものもなく、目を泳がせることになった。


「最近は何もないの?」


まだ言うか。

やはり撒くしかないかもしれない。


「あ、そう言えば、小耳に挟んだけど、地元情報誌のライターさんに言い寄られてるらしいじゃん」


「……は?」


思わず足の歩みを緩める。


「扱い困るね、仕事関わるから。……あ、それとも、好みだから悪い気はしてない?」


暗い声色で同情を示したと思うと、にやにやして軽い調子に戻る。


「困ってるわっ。……っていうか、何で知ってんの? 怖いんだけど」


軽蔑の目を向けても、全く気にした様子はない。

むしろ、「俺が三戸のことで知らないことがあるわけないじゃん」と鼻高々で、気持ち悪いくらいだった。


「あの人、仕事柄か寡黙ではないけど、年齢的にもチャラついてなくて落ち着いてる気がするよ? それでも駄目? 顔がタイプじゃない?」


「あんた、さっきから顔ばっかりね。あたしが顔でしか人を見てないみたいに言わないでくれる?」


「そうじゃないの?」


「……そうじゃないっての」


間があったが、絢斗はつっこんでこなかった。


「顔がいくらよくたって、中身もいいとは限らないでしょ。直感が当たらないなら、顔以外も見て見極めるべきよ」


「裏を返せば、顔がよくて中身もいい場合もあるってことじゃん。直感を信じて何が悪いの?」


正論だと思う。

実際、昔のまどかもそう思っていたのだから。


今は、失敗が怖いのだ。

違うと気づいて戻る時間が、自分にはあるのかと考えたら、失敗できない。


「三戸って、どんどん保守的になっていくな。入社したときはもっと……まだ、進歩的、革新的なところがあったのにな」


「――つまんないって?」


まどかは完全に足を止めた。


絢斗は数歩前で足を止めて、くるりとまどかの方を振り向いた。


「三戸自身がじゃなくて、三戸がつまんないって思わないのかってこと」


この短時間で、絢斗はまどかの芯を何度ついてくるつもりだろう。

その通りで何も言えない。


「……それ、仕事の話じゃないよね?」


恋愛だけならまだいい。仕事でもそう思われていたら、心外だ。


絢斗は一瞬きょとんとした顔を見せたかと思うと、すぐに声を上げて笑い始めた。


「仕事だったら悔しいんだ? 三戸らしいね」


そんなに笑われることでもないと思うんだけど。

しかも、恋愛の話だとしても、いい気はしない。


不服に思いながら、再び歩き出す。


こじらせている自覚はある。

好きでもない、顔だって好みでない人と付き合って、やはり完全に好きにはなれないのを繰り返している。

それなら、顔だけでも好きで、少しでも惹かれる人と付き合って、つまらなくない恋愛をすればいいのに。


「明日、よろしくね」


明日の朝からのイベントは、絢斗も顔を出すことになっていた。

また明日も会うのかと思うと、気が滅入る。


あんなにしつこくついてきていたのに、絢斗はくるりと体の向きを変えて、どこかに行ってしまった。


胸がざわざわして落ち着かない。

絢斗といると、どうしても感情を乱されてしまい、平常心でいられない。いなくなった今も落ち着けないでいる。


仕事に私情は持ち込まない人だと分かってはいるが、会うのは気まずい。

まどかは小さくため息を吐いた。

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