ⅩⅩⅥ.元カレの来襲①
思わぬ告白を受けてから、逃げるように実家に帰った。
“思わぬ”なんかではない。
熱視線からも薄々気づいていた。
それなのに、告白されるまで律騎と一緒にいて話すことを選んだ。
付き合う気も、会う気もないと思いながら、それを望んでいたのではないか。
実家の自室に入り、ベッドに腰掛け、何もする気が置きない。
そんなとき、タイミングよくスマホに着信があった。
出る気にならなくて、ちらりと画面を見るだけにしようと思ったのに、表示された名前が陽生だったので、すぐに出た。
『まだりつといる?』
「ううん。さっき家帰ってきた」
律騎といたのなら、律騎との場を繋いでくれようとしたのかもしれない。
『ちゃんと話せた?』
「はる……驚くってそういうこと?」
『驚いたんだ?』
「何でりつがあんなに私のこと……」
『好きで好きで忘れられなかったって言われた?』
言葉だけ聞くと、からかわれているようだが、陽生の声色は至って真面目だった。
「言われてない……けど、それっぽいことは言われた」
完全に否定するほど違わなかったと、答えながら方向転換する。
『よかったじゃん』
「よくないよ。どうするの」
『何か応えてないの?』
「何も言えなかったよ……」
テンポよく進んでいた会話が止まる。
本当は陽生に文句でも言ってやろうと思っていた。
陽生は全て分かった上で、律騎と話す場を設けていたのだ。
せめてめぐみの許可を得る――いや、事前に話してくれてもよかったではないか。
そうすれば、少しは心の準備もできたはずだ。
それを言えなかったのは、色々と思うことはあっても、それが全て自分勝手な意見だと分かっていたからだ。
陽生が律騎の思いを勝手にめぐみに話すのをよしとするわけがない。
『今更よりを戻すなんてとか、今更昔通り普通に接するなんてとか、思ってない?』
沈黙を破ったのは、陽生だった。
その通りで、めぐみは何も言い返せない。
『完全にりつのことを思い出さないなんて、俺と関わる限りあり得ない。だったら、2人が納得するかたちの関係に、今度はしなきゃだろ』
別れはめぐみだけで決めたようなものだった。
今回は何を選ぶにも、律騎と決めるべきだ。
でなければ、律騎が苦しむことになる。
『彼氏いないこと、りつには話してる?』
「話してないよ」
『……え、その話の流れで話さなかったの?』
「りつが彼女いないのは聞いたけど……」
訊かれなかったからと答えようとして、訊かれて答えなかったことを思い出す。
『それ、りつ、めぐが彼氏いると思ってない?』
「……そうかも」
『まずは誤解、解いてあげなよ』
「急にわざわざ彼氏いないなんて言ったら、変でしょ」
『変じゃないよ。付き合ってもいいって思ってるっていう返事でしょ』
「だからそういうのを避けたいんだけど……」
語尾はもごもごと小さくなった。
勢いで話し始めはしたが、自分の感情が定まらず、言い切れなかったのだ。
『嫌なの、より戻すの?』
「……分かんない。戻したところで、同じ末路になりそうだし……怖いよ」
『会えなかった間も、りつはめぐのこと好きだったなら、多少何かあっても、嫌いになったり、別れようと思ったり、しないと思うよ?』
もし付き合い続けたとして、嫌なところが見えてきたり、お互いが変わってしまって、嫌いになったり別れたくなったりはあるだろう。
それなら、やはり最初から付き合わない方がいい気がしてしまうのだ。
『極端に考えるから迷うんだよ。会わないか付き合うかって、どっちかにする必要ないんだから』
「それはそうだけど……」
会うようになったら、また律騎のことを好きだと思って、友達ではいられなくなる未来が見える。
やはり簡単に結論は出せない。
『俺は久しぶりに3人で飲めて嬉しかったよ。また3人で会いたいと思ってる』
友達と会う陽生の機会を奪っていることを、改めて思い知らされる。
『いつになっても手のかかる幼馴染なんだから』
最後の呟きに、めぐみは苦笑するしかなかった。
*
律騎に告白をされた。
しかし、付き合ってほしいなどと、答えを求めるようなものでもなかったので、それをいいことに、ただ黙って受け入れただけだった。
帰ると言って背を向けためぐみを、律騎は引き留めることもなく、家までは歩いて数分しかないのに、「気をつけて帰れよ」とめぐみを気遣った。
あっという間に時間は経ち、それから1週間。
ここまで律騎のことを考えた1週間は、久しぶりだった。
1週間、毎日のように会えるのは、学生の特権だった。
今は、同じ職場で働いている人が、昔のめぐみのように律騎を毎日間近に見ることができるのだと思うと、もやもやとする。
意図的に会わずにいたこの5年間の律騎を知らない。
めぐみのことをずっと好きだったと言ってはくれたが、誰かと付き合っているかいないかは、それと話は別だろう。
スーパーに買い物でも行こうかと準備をしていたら、ふとインターホンのチャイムが鳴った。
宅配便の来る予定はなかったはずだ。
ドアスコープを覗けば、今まさに頭に浮かんでいた顔が目に入った。
「いるんだろ?」という声がドア越しに聞こえる。
幻聴かと思い、頬をつねってみるが、聞こえるのはまさしく律騎の声だ。
「何で来たの?」
ドア越しに声を張って返事をしてみた。
「やっぱりいた。開けて」
分かりやすく明るくなった声色が、また可愛く思えて、その考えを振り切るために頭を振る。
ここで開けてしまったら、家の中へと招き入れることになる。
その覚悟が今のめぐみにはなく、素直にドアを開けるか悩む。
「そんなに警戒しなくても、家には上がらねぇよ」
その言葉を聞き、ホッとしたような、寂しいような、複雑な気持ちになりながら、ゆっくりとドアを開けた。
「……相変わらず連絡なしで来るんだから」
嬉しそうな表情を見ていると、何でも言うことを聞いてしまいそうになるから、目を伏せた。
「会いたいと思ったら、ここに来ずにはいられなかった」
どくんと胸が跳ねた。
表情など見なくても、言葉でも簡単に揺さぶられた。
視覚や聴覚だけでなく、研ぎ澄まされた全身の感覚で、律騎を感じようとしている。これは本能だ。
「じゃ、コンビニ行くか」
「え?」
「唯衣さんに会いに行こう」
突拍子もない提案だと思ったが、話を聞けば納得だった。
律騎は一緒に働いていた唯衣とは会っておらず、陽生からたまに話を聞くだけだったようで、先週、結婚式で戻ってきたときに会いに行きたいと思ったらしい。
忘れられているとは思いたくないが、律騎だと分かってもらえなかったら寂しいため、よくコンビニに寄っているというめぐみについてきてほしいと言った。
唯衣がシフトに入っていることは、ちゃんと確認していたから、後は訪ねるだけだった。
コンビニまでは歩いてそれほどかからない。
2人で歩いて向かう。
「唯衣さんとはどれくらい会ってんの?」
「数週間に1回くらいかな。基本平日の午前中から昼過ぎにシフト入ってるから、なかなかタイミングが合わないんだけど、たまに土曜日にも入ってるから、そのときは顔を出して会うって感じ」
「へぇ」
「それ以外で会ったりもしててね、はるから聞いてるかもしれないんだけど、唯衣さん、子どもが生まれてて、もう3歳になるんだよ。すっごく可愛くて」
唯衣の子どもの可愛らしさといったら、筆舌に尽くしがたい。想像するだけで、頬が緩む。
「そっか」
隣の律騎の反応が薄く、気になって横を見れば、律騎は口元に手をやり、口角を上げていた。
「……何?」
「急に饒舌になるから」
きまりが悪くて、律騎から目を逸らす。
「めぐがそんな顔するくらい、相当可愛いんだな」
柔和な声色に、心が凪ぐ。
意外と普通に話せるではないか。
「びっくりだよね。子どもが生まれて、しかも3歳だよ? 卒業してからそれだけ時間が経ったんだよね」
「そうだな」
しんみりとした気持ちにつられ、自然と足取りも緩やかになるような気がする。
微妙な関係ではあるが、この距離をキープすれば、2人きりの時間も悪くない。そう思えてきた。
「それはそうと……」
「ん?」
「――何でこんなに距離置いてんの?」
律騎の視線は、律騎とめぐの間に空いた距離を測るように動いた。
「はるとはあんなにくっついてたのに」
律騎が言っているのは、結婚式の会場で、めぐみが陽生の背中に隠れようとしていたときのことだろう。
あれは、元はと言えば律騎のせいだ。
そう言いたいが、一緒にいたのが陽生でなければ、くっついたりはしなかっただろうと思い至り、口をつぐんだ。
律騎は不服そうな表情を隠しもしていない。
表情から感情が見えないと思っていたが、全くそんなことはなかった。
ふとしたときに、昔と変わらない面が垣間見える。
この感覚は久しぶりだ。
陽生への嫉妬心を見せる律騎なんて、愛おしいに決まっている。
「着いたよ。行こう」
めぐみはくすぶる感情を押し込んで、目と鼻の先のコンビニへと、律騎よりも先に駆け出した。
コンビニに入店すれば、会計を終えたばかりの客とすれ違った。
会いたかった唯衣の視線が、ちょうど自動ドアに向いていて、目が合うなり、唯衣は目を輝かせた。
後ろからついて来た律騎に視線を飛ばし、再びめぐみに視線が戻る。
「わぁ! 珍しい組み合わせ!」
唯衣は飛び上がらんばかりに喜んで迎えてくれた。
唯衣は子どもを幼稚園に預けていて、今日は夫と親が面倒をみているらしい。
「りつくんも元気そうでよかった。顔つきが男らしくなったね」
「ありがとうございます」
当然のごとく来客が全くないわけではなく、近況を話しているところで来店があった。めぐみと律騎は店内を回る。何も買わないで出るつもりもなく、めぐみはペットボトルを手に取った。
長居するのも悪いからと、客が退店した後に、レジで会計をしてもらう。
「これ、お土産です」
「ありがとう」
律騎は唯衣のために手土産を用意していた。
唯衣は紙袋から箱を取り出して見た。
「今はここの辺りに住んでるの?」
「そうです」
人気の銘菓なので、どこで買ったか、すぐに分かったようだ。どこに住んでいるかも、唯衣に伝わった。
「ここまで来るの、大変だったでしょ?」
「新幹線に乗ったらすぐですよ」
律騎が来た事実に驚き、動揺し、どこから来たのかを考えていてなかった。
新幹線に乗ったらすぐとは言え、新幹線に乗ってくる距離なのだ。
唯衣に会うために来たと思うと、複雑な気持ちになる。
今まで全くめぐみのために足を運ばなかった律騎が、唯衣に会いたくなって即座に行動を起こしたことに、それから、この短時間のために何倍もの時間をかけてやって来たことに、敗北感のようなものを覚える。
帰ろうとしたところ、唯衣に呼び止められた。
「少しだけど、新作のスイーツ。一緒にどうぞ」
感謝の言葉を述べて、めぐみはそれを受け取ると、律騎とともにコンビニを後にした。
「唯衣さん、変わらないな」
「うん。いつも明るくて優しい」
「妊娠中って知ってたの?」
「知らなかった。お腹大きくなかったから全然気づかなかったよ。りつと一緒にびっくりしちゃった」
唯衣から報告された妊娠報告は、予期せぬもので、かなり驚いた。
大好きな人のめでたい知らせはとても嬉しかった。
体調はどうなのかとか、いつまで働くのかとか、律騎は唯衣の体を気遣い言葉を繰り返していて、それもまた驚いた。
めぐみがシフトに入るとき、唯衣と律騎が一緒にいることはまずなく、唯衣と律騎が話している場面を見たことはそれほど多くなかった。
だから、あまり知らなかっただけで、思っていたよりもずっと近い距離感だったらしい。
知らない律騎を見たような気がして、そわそわしてしまった。
「そのうち、コンビニのシフトにも入らなくなるだろうし、気軽に会えないな」
「そうなるね」
唯衣のことも考え、律騎との会話も成立はしているが、完全に集中できていなかった。
それというのも、めぐみの手に提げられたビニール袋の中身が、今、めぐみが一番気になることだったからだ。
袋には、唯衣がくれたケーキが入っている。
中身をちらりと確認したら、2ピースのケーキが箱に収められていて、1個ずつそれぞれが持ち帰るのが難しいと気づいていたのだ。
思い切って分けずに律騎に持って帰ってもらうか。
いや、律騎が受け入れるとは思えない。
むしろ、めぐみに譲ってくる可能性さえある。
そもそも、唯衣がせっかく2人にくれたというのに、片方しか受け取らないのは、礼儀に反する。
そうなると、選択肢は1つしかない。
それを言うか言わないか、めぐみは考えあぐねていた。
「……めぐ?」
ケーキに意識が集中してしまい、会話をとぎれさせてしまったらしい。
律騎がめぐみの顔を覗き込んできていた。
めぐみは律騎と目が合い、ぴくりと肩を揺らし、身を縮めた。
「どした?」
心配そうな顔に、何か言わなければと思う。
どうもしていないと答えるか、それとも、今、考えていることを言うべきだろうか。
めぐみは歩を緩め、律騎の目を真っ直ぐに見返した。
「唯衣さんからもらったケーキなんだけど、持って帰る?」
律騎は袋の中身を気にしたので、足を止めて、律騎に袋の中身を見せる。
律騎は中身を見て、反応に困っているようで、すぐに返事がなかった。
だから、めぐみは意を決して、口を開いた。
「……うちで食べてく?」
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