ⅩⅩⅤ.くすぶる感情③
「俺と2人になって、平気?」
「え、どういう意味……?」
「……彼氏、男と2人きりで嫌がらねぇの?」
前にも聞いたことのある問いだった。
あのときは、めぐみに彼氏がいて、めぐみの一人暮らしの家に律騎が上がってきたくせにというようなことを言い返したっけ。
幼馴染を盾に、付き合っていない男女2人が、一人暮らしの部屋に2人きりになっても大丈夫だと言っていた。
今まで何もなかったからで、今は元カレでもある。
彼氏がいたなら、彼氏は嫌がるだろう。
「それと……単純にめぐが俺のこと、嫌じゃねぇのかなって思った」
律騎の言葉には勢いがなかった。
しかし、寂しさや怒りが見えるわけでもなく、ただ思っていることを言葉にしただけという感じだった。
――調子が狂う。
今までのめぐみの知っている律騎は、物静かではなく、もっとお喋りで、表情から分かりやすいほど、感情もオープンのはずだ。
律騎はめぐみの顔をじっと見つめている。
急かされないので、それに甘えて押し黙る。
「めぐ」
名前を呼ばれてそれほど経たず、腕を掴まれたかと思うと、次の瞬間には律騎の肩口が至近距離に見えた。急に引っ張られて勢いを押し殺すことができず、その肩に額がこつんと当たった。
後ろで、酔っ払った人の声が聞こえる。
どうやら酔っ払いの集団から身を守ってくれたらしい。
腕を引く力強さと胸板の大きさに、動揺する。
「……ありがと」
離れようとしたが、掴まれた腕は離れない。
「……りつ?」
律騎の顔を間近に見上げ、鼓動はどんどん早くなる。
呼吸が思ったようにできない。薄く長く呼吸を続ける。
「…………帰るか」
「……うん」
名残り惜しげにゆっくりと腕は離れた。
一緒に歩いているのだとかろうじて分かる程度の隙間を空けて、2人並んで最寄り駅まで歩く。
めぐみはただ真っ直ぐ進む道を見ていたが、横から律騎の自然を感じていた。
めぐみは、何か言葉を発しているわけでも、何か行動を起こしているわけでもないのに、だ。
バーでもずっと視線を感じていた。それは、陽生の顔を見るためかと思っていたが、バーを出てもなお続いているのだ。
さすがに違うと分かる。確実に意識的に見つめられている。
それに触れたら終わりだと思った。
理由を訊かなくても、ずっと見ていることを指摘すれば、何かが始まってしまう、危うい雰囲気があった。
駅に着けば、割と待たずに目的地行きの電車に乗れた。
電車は多少混み合っていて、つり革に掴まって立つ。
歩いているときよりも近い距離にいた。
電車が揺れる度、肩や腕がかすかに触れ合う。
たったそれだけのことなのに、触れた部分が熱を持ったように火照ってくる。
電車にしばらく揺られ、実家の最寄り駅に到着した。
ドアに近かった律騎が先に進む。
人混みに紛れ、律騎にすぐ着いていけなかった。
律騎の後頭部がどんどん遠くになる。
手に届く距離にいると、手を伸ばしたくなってしまう。
離れたのは正解だったと、よく分かった。
律騎に追いつくのをやめて、人の流れに身を任せれば、やはり距離は開く一方だった。
ふと、律騎が顔だけ振り向いた。
すぐに目が合って、見つけてくれたと、少しだけ嬉しくなる。
それと同時に、見つけないでほしいとも思った。
律騎はそれからほとんど動かずに、人が少なくなるまでめぐみを待った。
そして、めぐみの手を当たり前のように掴んだ。
――どうして手を繋ぐのか。
もうほとんど人はいなくて、離ればなれになんてならないのに。
「……泣きそうな顔するなよ」
それが手を繋いだ理由だと分かるまでに、少々時間を要した。
繋ぎ止めてほしかったのは、律騎ではなく、自分の方だったのかもしれない。
律騎の手の厚みとぬくもりが懐かしくて、胸に込み上げるものがあり、目頭が熱くなった。
駅を出てからも手を離すことはなく、実家へと近づいていく。
家に着けば別れて終わりだ。
果たしてそれでいいのか。
足取りは重い。
迷いが体に表れているだけでなく、高いヒールで歩いてきた疲れも出てきているのだろう。
「公園、寄らないか?」
「公園?」
「ちょっと、話そう」
家の近くの公園は、薄暗かった。
いくつかある灯りは橙色をしていて、草木を橙色に染めていた。
ベンチに腰掛けたものの、律騎は話そうとしない。
さすがに夜になると、コートを羽織っているものの、パーティードレスは薄く、寒さが身にしみる。
「寒い? 寒いよな」
律騎はつけていたマフラーを外そうとする。
「大丈夫だよ。これあるから」
バッグからショールを取り出し、肩にかけた。
「今日、めぐに会えてよかった。このまま、ずっと会えなくなるんじゃねぇかって、怖かった」
律騎は静かに語り始めた。
「付き合ってたとき、別れることなんて考えてなかった。だから、めぐと会わなくなる日が来る覚悟なんてできてなかったんだよ」
今思い出しても、一方的な別れの告げ方だったと思う。
しかし、ああでもしないと、自分の気持ちを振り切れなかった。
「めぐの中では終わったのかもしれない。でも、俺は終われなかったんだよ。勝手に完結させた気になって、逃げんなよ」
律騎の語尾は強く、思いがひしひしと伝わり、心に重たく響く。
律騎が隣でめぐみに向き直るのが分かった。
めぐみもさすがに前を向いているのは落ち着かず、遠慮がちに律騎を見た。
「話せなかったこと、後悔してる。今、ちゃんと理由が聞きたい」
めぐみは俯き、かじかむ手をギュッと握り合う。
律騎の手とは違う薄い手に、心許なさを感じる。
「めぐ。お願い」
かすれた声には切なさが乗っていて、めぐみの口を開く手助けをした。
「……あのとき、りつは卒業してからのことばかり考えて見えた。卒業して勤務地が離れて、私と離れてしまっても、気にしないんだなって思った」
隣で律騎が息を呑んだ気配がした。
「もし、私が行かないでって言ったらどうするのかなとか、そんなこと言って邪魔したくないなとか、そう思ったら、離れてた方がいいと思った。自分が律騎に嫌われたくないから、わがままを言う前に別れることを決めたの」
口からこぼれ出る息は白く、噛んだ下唇は冷たい。
「私、りつと幸せになりたいっていうより、りつが幸せであればいいと思ってた。りつは、私と別れた方が幸せだって……」
「――それなら違う。俺は、めぐと会えなくて、不幸だよ」
食い気味に否定されて、めぐみは反射的に顔を上げて、律騎を見た。
「めぐと会いたくて、でも会えなくて、はるから近況を知るしかできなかった」
律騎の目線は真っ直ぐで、熱い。
勢いがあり、気圧され、気持ち身を引いた。
「はるからめぐのこと聞く俺の気持ちが分かるか? 他の元カレと一緒で、別れればもう会わなくなるような関係になったんだなって、自分を納得させようと思ったのに、はるから訊いてもないのに知らないめぐの話されて、はるは違うなって気づかされる俺の気持ちが分かるか? 同じ幼馴染のはずなのに、何ではるは特別なんだよ」
律騎が前のめりで喋れば喋るほど、めぐみは体を引く。
夜の静かな公園にはふさわしくない大きめの声で発される言葉は、とどまることを知らない。
「連絡取れないし、避けるし、俺、そんなに悪いことしたか? 勝手に俺の幸せ決めつけて、何で別れて、ろくに話せもしないって、そんなことあるかよ」
ある程度言い切ったらしい律騎は、はぁっと大きなため息を1つ吐いた。
「腹立ってきた。何で俺がこんなに我慢してなきゃなんねぇんだよ」
気持ちを取り繕うことなく、本音をぶちまける律騎は、めぐみの知っている律騎そのもので、怒りをぶつけられているというのに、少し嬉しく思ってしまっていた。
「めぐのこと、好きだから、めぐの気持ちを優先したいって、どうにか自分の気持ちを押し込んで、冷静になろうとした。色々言われたら嫌だろうって、せめて嫌われずに、友達としてでも会えるようにって思うようにしてたのに……何だよ。俺が幸せであればいいって」
怒りのピークは落ち着き、悲しみに沈む声色に変わった。
「俺はめぐと別れず、付き合い続けてた方が幸せだった。一緒に困難も乗り越えたかったし、楽しいことも共有したかった。もし、付き合えてなくても友達としてい続けられたら、今みたいに不幸にならなかった」
めぐみの目を見据える律騎の目は、濡れていた。
――驚くってこういうことなの、はる。
めぐみの心臓はどくどくと強く早く高鳴っていく。
今の律騎は、まるで昔の自分を見ているようだった。
律騎のことばかり考えて、自分の気持ちは押し込め、律騎の気持ちを想像して、律騎が望む自分になろうとする。
律騎は再びため息を吐き、「こんなつもりじゃなかったのに」と吐き捨て、突として立ち上がる。
帰ると言い出すのかと、見上げて様子を見ていたら、ふと視線がめぐみの方へと下りてきた。
「めぐは俺の話、はるからどこまで聞いてる?」
律騎の声は、元通り穏やかになっていた。
「どこで働いてるかとかどんな仕事してるかとか……」
「じゃ、俺が付き合ってる人の話は?」
ズキッと胸が痛んだ。
それは、5年も経てば、律騎にも彼女くらいできるであろう。
律騎が少し動くと、灯りが上手く当たらなくなり、顔に影が落ち、よく見えない。
どうせ顔も見えないし、俯いて両手を合わせてさする。
「……聞いてない。そういう話は訊かなかったし、はるも話さなかったから」
思っていたよりも、自分の声に覇気がなく、動揺が表れていて、焦った。
律騎を完全に遮断はできないが、受け入れることもできないのに、中途半端な反応をしてしまった。
「ま、そりゃそうだ。彼女いねぇからな」
「……え?」
思わず律騎の顔に視線を戻せば、憎たらしい、したり顔をしていた。
「いると思ってた? いや……いてほしいと思ってた?」
情けなく口を開けたまま、片側の口角だけ上げて笑う、律騎の特徴的な笑顔に見とれた。
心を掴まれて、答えるということを忘れていた。
「卒業して5年間、俺はずっと、めぐのこと思ってたよ」
胸がきゅうっと締めつけられるように苦しくて、膝の辺りのコートをギュッと握り締めた。
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