ⅩⅩⅡ.2台のブランコ①

たまに雪がちらつくような、凍てつく寒さの中、めぐみは音羽とホテルのビュッフェへと来ていた。


帰省するとしばらく会えなくなるので、今年最後のデートだった。

メインからデザートまで、腹いっぱい食べ終え、食後コーヒーで一息ついていた。



音羽が席を外すと、頭に思い浮かぶのは律騎のことだった。

気が緩むと、すぐに律騎のことを考えてしまう。


クリスマスの夜の律騎は、今までめぐみが見たことのない顔をしていた。

クール振りたいところがあるのに、喜怒哀楽が分かりやすいと思っていたが、普段の比でなく、感情が分かりやすかった。

嬉しそうだったり、必死だったり、苦しそうだったり。見ていて自分がどうしてあげるべきかが明らかで、全てに応えてあげたいと思った。


めぐみは自分で浮かれていると実感している。

律騎と付き合い始め、身も心も結ばれて、正真正銘の彼女になれた気がする。


あれだけ二の足を踏んでいたというのに、あっけないものだった。

こんなに幸福感に満たされるのであれば、最初から潔く踏み込めばよかった。



音羽がお手洗いから戻ってきたのにも気づかず、めぐみは窓の外を眺めていた。


「――めぐちゃん、いい顔してる」


「……え?」


音羽の存在と、自分の頬が緩みきっていたことに気づき、反射的に手を口元へと持っていく。


「上から目線だったね、ごめん」


「ううん。むしろ、気持ち悪かったでしょ?」


「そんなことないよ。今日のめぐちゃんは、ずっと幸せそう。何かいいことあった?」


真っ直ぐに問われ、めぐみも隠す必要がなくなり、苦笑した。


「……うん」


ニッと笑うと、音羽もつられるように微笑んだ。


「ずっと好きだった人と付き合うことになったの」


「え、おめでとう!」


音羽はまるで自分のことのように嬉しそうに笑うから、めぐみももっと嬉しくなる。


「ありがとう」


「私は何もしてないよ」と音羽は言うが、めぐみは音羽の経験談に背中を押してもらったのだ。


間違いなく、いい影響を受けている。

だからこそ、音羽にも何かできることはないかと思う。


「おとちゃんは最近楽しかったとか嬉しかったとか、そういう話ないの?」


「最近? 最近はねぇ……」


音羽は顎に手を添え考える仕草をしていたかと思うと、何かひらめいたのか、小さく声を上げた。


「近所の犬が懐いてくれた」


「へぇ。どんな犬種?」


「ゴールデンレトリバー。通りかかると、吠えて駆け寄ってきて、手を出したらすり寄ってくれるの」


「めっちゃ癒やされるね」


「そうなの!」


音羽はイキイキとして、これまでの経緯や飼い主との関係を話してくれた。


幸せそうな友達の姿を見るのは気分がいい。

ビュッフェの制限時間まで、2人はゆったりと過ごした。



「クリスマスは充実した日になったかしら?」


コンビニのバイトの合間、唯衣はうふふと笑って言った。


「おばさんみたいなこと訊いちゃった」


自嘲の笑みをこぼしながら口を手で覆う仕草さえ、可愛らしい。


「唯衣さんのおかげで、プレゼントも無事選べて、喜んでもらえました」


「そう。よかった」



唯衣は、めぐみが“この人だって思える人”に、“もしかしたら、もう出会ってるかもしれないしね”と言った。

あのときの悪戯な顔とウインクもあわせて思い出す。


律騎は“その人”なのだろうか――。



「年末年始は帰省するの?」


「そのつもりです」


「りつくんと一緒に?」


「タイミングが合えば」


唯衣はめぐみが律騎と付き合っていることは知らないはずなのに、律騎の名前が出てきてどきりとしてしまう。


「仲良しねぇ。帰っても3人で会ったりするんでしょ?」


「そうですね」


「やっぱり仲良しねぇ」


唯衣の言う“3人”が、めぐみの浮かべる3人と同じことが、自他ともに認める“仲良し”の証拠であろう。


「帰省したら唯衣さんのバイトのシフトも増えると思います。ご迷惑をおかけしてすみません」


眉尻を下げて頭を下げると、唯衣は「やめてよ」と言う。


「気にすることじゃないわ。学生なんだから、帰って家族に顔見せて、ゆっくりしておいで」


「ありがとうございます」


めぐみにとって、唯衣は頼れるお姉さんのようだった。



「そう言えば、はるくんってモテるのね」


「声かけられてました?」


「うん。一緒のシフトに入ったときに」


めぐみは容易に想像ができたので苦笑する。


陽生は背も高く、スタイルもよく、顔も整っている。

外見で目を引き、クールな中身で引き込んでいく。


「仲良いと大変じゃない?」


「まぁ、勘違いはよくされますね」


「りつくんも?」


「そう、ですね。りつの方が彼女に色々言われて大変でした」


「へぇ。そうなんだ」


唯衣は興味津々だった。

意外とこういう話を深く話したことはなかった気もする。めぐみが嫌がると、唯衣には思われていたのかもしれない。


「はるくんは女の子の扱いが上手そうだもんね。あ、りつくんが駄目ってわけじゃないんだけど」


めぐみは声を上げて笑ってしまった。


「いや、分かりますよ。実際そうだと思います」


彼女への接し方を垣間見てきていることはもちろん、めぐみに対する接し方からも感じるものはある。


ただ、今は律騎との関係が変わり、最近は陽生と律騎を上手く対比できない。

そもそも人同士を比べるものではないのだが、見比べることでお互いのよさが分かったりする。



「なんか……2人のこと話してるめぐちゃんは、幸せそうだね」


「そうですか?」


「うん。卒業したらなかなか会えなくなるかもしれないけど、3人にはずっと仲良くしてほしいな」


――ずっと仲良く、できるのだろうか。


元々、大学卒業を機に離れてしまうことを考え、3人の関係は変わっていった。


――そう。もう変わってしまったのだ。


「――なんて。私の願望。そういう幼馴染が私にはいないから、羨ましい」


唯衣は心から羨ましそうに悪戯な笑みを浮かべると、くるりと背を向けて、雑誌コーナーへとスタスタと歩いていった。


関係を変えずに、3人で仲良くし続ける方法を模索するべきだったのだろうか。


いや、今になったら、律騎と付き合わない選択肢はないと言い切れる。


それなら、律騎との幸せも、陽生との幼馴染の関係も継続していくことに、全力を注ぐべきだ。

この幸せを手放したくない。


ただ、その一方で、幸せのピークにたどり着いてしまったような気もして、これからは下るだけなのかと、無気力感も生まれていた。考えすぎの私の悪いところだ。



陽生が声をかけられていると、唯衣は言ったが、律騎も同じような場面があるかもしれない。


彼女がいるのに何かあるとは考えにくいが、もし自分が同じシフトに入っていて、その場面を見かけでもしたら、落ち着いてはいられず、嫉妬に狂いそうだ。


思いが報われれば、少しはマシになると思っていたのに、律騎の執着は以前よりも増している。

誰といるのか気になり、どう思われているのか気になる。

今までと一緒だが、誰といるかを気にする権利も得て、いつでも見られる場所にいる関係になったから、余計に気になるのだ。


律騎が喜んでくれて、自分も幸せになる一方で、苦しい思いをすることだって、分かっていたはずなのに、上手い折り合いのつけ方が、まだ見出せそうになかった。



律騎は、コンビニのバイトを終え、バックヤードで帰り支度をしていたところだった。

店長の計らいで、次のシフトに入る陽生が、まだ時間があるからと、再びバックヤードに戻って来て、2人で話す時間ができた。


「めぐがあんなに可愛いとは思わなかったわ」


律騎が思い出し笑いを噛み殺しながら、口元に指を添えて言えば、陽生は冷ややかな目で見つめてきた。


「友達のそういう話、できれば聞きたくないんだけど?」


「あ、ごめん」


「悪いと思ってないだろ」


牽制のつもりだったのは、簡単に見破られているらしい。


それならこれ以上、謝ることはないだろう。

むしろ、あまり言いすぎると、陽生に想像させてしまってよくない。


律騎は陽生を前にしているというのに、ベッドの上でのめぐみが頭に浮かぶ。


表情も声色も肌の質感も、すぐに思い出せる。

上気して染まる頬に、好きという感情がもろに伝わってくる目、薄く開いた扇情的な唇。

全ての表情が悩ましく、制御がきかなくなった。


あのときのことを思い出すと、体は一瞬で熱を持つ。



「――あ、そうだ。年末年始、実家帰るのか?」


陽生の声が遠くに聞こえて、現実に引き戻される。


「……ちょっとは帰るつもり」


「めぐと?」


「あぁ……」


律騎はめぐみと行ったやり取りを思い出し、歯切れが悪くなる。

ここは親友に1つ話してみるのがいいかもしれない。


「……はる」


律騎は親友の名前を呼んだ。


「ん?」


「親に、付き合ってる人のこと、バレるのって嫌なもん?」


「めぐに、付き合ってること、親に話すなって言われたの?」


「……まぁ、そんなとこ」


さすが律騎は話が早い。

多くを語らずとも悟ってくれる。

律騎のことだけでなく、めぐみのことも知っているので、アドバイスも期待ができる。


「幼馴染だからじゃない? ずっと知ってる人が彼氏って言うの、恥ずかしいのかもな」


唸りながら聞いていたら、陽生はまた口を開く。


「そもそも、付き合ったばっかりで親に挨拶とか行くか? 挨拶って言ったら結婚のときが初めてって人の方が多いんじゃないの?」


「……それもそうか」


胸を張って彼氏だと言えないのかもしれないし、もしかしたら別れる可能性を考えて、今は言いたくないのかもしれない。

そう、どこかで引っかかっていたが、陽生に言われたらそうだと思えた。


それに、幸せな毎日の前には、ネガティブな考えは、都合よく忘却の彼方へと消えてしまった。

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