ⅩⅩⅡ.2台のブランコ②


結局、めぐみは律騎とともに帰省することはなく、律騎に見送られ、先に地元へと帰った。


顔を合わせると照れもあるし、幸せを感じれば感じるほど、離れることが怖くなった。

考えあぐねると、どう接していいか分からなくなって、少し距離を置きたくなったのだ。



陽生がめぐみを訪ね、実家にやって来た。


「相変わらず仲良しね」と母に言われながら、陽生とともに近くの公園へ向かった。


公園に着くと、めぐみは懐かしいとか久しぶりとか言いながら、ブランコへと一目散に向かい、座った。


「はるも座りなよ」


陽生は仕方がないなという顔をしながら、隣のブランコに座った。座りはしたが、めぐみとは違い、軽く屈伸をするくらいの揺れ方だった。


昔、この2つのブランコを3人で取り合いをしたことを思い出す。


大抵律騎が有無を言わさず最初に座って、陽生はめぐに譲ってくれた。


小学校中学年くらいになれば、じゃんけんをして勝った人が座るようになって、陽生とめぐみが座ることが増えた。


そのうち律騎は、座れなくてすねたのもあるだろう、ブランコをダサいと言うようになって、陽生もめぐみも、争わずに並んで座るようになった。


中学生になると、さすがに自分たちより子どもに譲り出した。

高校生になったら、夜の少し遅くなった時間、部活帰り、子どもたちは帰った時間に座るようになった。


その頃、律騎はブランコに見向きもしなかった。

だから、当たり前のようにめぐみは陽生と2人で座った。部活が同じで一緒に帰るのだから、当然だと言えば当然である。


揺られていると、あの頃を思い出して、胸が切なく痛む。

ただ、あのときよりも高い建物が増えたような気がする。見える景色が違って見えた。



「何でりつと帰らなかったの? 帰ろうと思えば帰れたでしょ?」


隣から聞こえた陽生の声は、落ち着いた低い声だった。


めぐみはうっすらと笑う。

察しているだろうに、陽生は問いを続ける。


「親に付き合ってるってバレたくないから?」


驚いて陽生の方を見た。


「……りつから聞いたんだ?」


「少しな」


簡単に想像ができた。

陽生にはめぐみもすぐに話してしまうから、律騎も同じなのだ。


「でも、そういうことじゃないよ」


「ならどうして?」


陽生は問いをやめる気はないらしい。

むしろ、食い下がってくる。


「……私、怖いの」


「“怖い”?」


「りつと付き合えて、上手く気持ちの制御がきかなくて……一緒にいすぎると怖くて、距離を置きたくなる」


「分かってたじゃん、そんなの。付き合うときに、覚悟決めたんじゃなかったのか?」


優しい声で冷静に責めるようなことを言わないでほしい。


「……もっと覚悟がいったみたい」


めぐみはブランコを揺らすのを完全にやめて、俯いた。

揺れていないはずなのに、揺れている気がする。


「隣にいなくなったらどうしよう、嫌われちゃったらどうしようって、付き合えなかったときより不安が大きい。付き合う前に想像したよりずっと怖いの」


生半可な気持ちではなかったはずなのに、どうしてこんなにも怖いのだろう。


律騎がどうしてほしいか考えると、途端に身動きが取れなくなる。

間違っていたらどうしようと、足がすくむのだ。


「多分、今が幸せのピークなんだと思う」


友達に戻れるような距離感だったのに、体を重ねて、さすがにただの友達とは見られなくなって、幸せと引き換えに友達に戻る権利を完全に失ってしまった。


「片思いの期間が長すぎて、素直に幸せに浸れないの」


今まで、律騎のことが好きだから、たくさんの嫉妬も怒りも押し込めてきた。


強いネガティブな感情を抑える方が楽だったと、今なら分かる。

純粋に幸せに浸ってだけいられたらどれだけいいだろう。


「だから後は下るだけだって?」


「……うん」


陽生の声には、苛立ちのようなものがにじんでいた。


「めぐはりつのこと信じてないんだな」


「それは……」


めぐみはハッとした。

律騎の気持ちを否定しているつもりはなかったが、これでは否定しているようなものかもしれない。


「めぐはりつをずっと見てきたんだから、一番分かってるはずでしょ」


めぐみと陽生が付き合っていると知った律騎が言ったことを思い出す。


陽生と卒業したらどうなるか分からないと言っためぐみに、“そんな気持ちで付き合ってんのかよ”と言った。


それは、律騎がいかに彼女に真剣な気持ちで向き合って付き合っているのかを示している。



幸せで潤されているはずなのに、めぐみには渇望感がずっとあった。

どこか満たされなくて、もしこの気持ちを満たそうとしたら、律騎の望むような態度は取れないだろう。

それで律騎に嫌われてしまったら、絶対に後悔する。


だからと言って、めぐみが怖がって気持ちをセーブすることを、律騎は果たして望んでいるのだろうか。


――いや、望んでいないのだ。



気づけば、陽生が前のめりにめぐみの顔を覗き込むようにしていた。


「深く考えることない。今まで思っていただけでできなかったことを表に出せばいいだけ」


陽生は簡単そうに言う。

それが難しいというのに。



「――あ、来たぞ。あれはまた……」


「え?」


陽生の視線がめぐみから離れ、苦笑を浮かべる。


「ん」と陽生の顎で指し示されたのは、公園の入り口の方だった。


「デジャヴかな」


ふざけた様子で言う陽生の声を聞いて振り向き、ずかずかと向かって来る律騎の顔を見て、目を見開いた。

あからさまに不機嫌だと全身で表現している。


あっという間に律騎はめぐみの傍に立ち、仁王立ちをしていた。

むすっとした顔で見下され、わけが分からず、困惑する。


「……何、2人でこそこそ話してんの?」


「え、こそこそ話して……?」


そんなつもりはなかったので、ピンと来なかった。

言われてみれば、確かに距離は近かったかもしれないと、やや考えて思い至る。


「無自覚かよ。何の話、してたんだよ?」


「何って……」


即答しないめぐみに、律騎はますます不機嫌になる。


まずいと思ったときに、陽生が「りつの話だよ」と助け舟を出してくれる。


めぐみは陽生を一瞥して、確認の視線をめぐみに向けてくる。

めぐみは慌ててこくりと頷いた。


律騎は複雑な表情をして視線を逸らしたかと思うと、一言「置いてくぞ」と言い、背を向ける。


「来るの遅かったやつが偉そうにするなよ」


陽生はめぐみより先に立ち上がり、律騎の背中を追った。


めぐみはすぐに陽生に続けず、2人を見つめる。


昔より頼りがいのある大きな背中が並んでいる。

昔には戻れないことを実感して、何だか胸がきゅっと苦しくなった。


軽く俯いて目頭に指を添え、数秒後顔を上げれば、ほぼ同じタイミングで、2人が振り向いた。


「めぐ」


律騎が名前を呼んだ。


「早くおいで」


陽生が優しく誘う。


2人はめぐみの方を向いて、めぐみが来るのを待っている。


「……うん」


めぐみはブランコから立ち上がり、2人の間へと駆ける。

2人は当たり前のようにめぐみを受け入れ、当たり前のように3人並んで歩き出した。



律騎と陽生の2人と別れ、約束をしていた友達と会っためぐみは、日も暮れた時間に帰路についていた。


久しぶりに会う同級生と、話が弾み、ついつい遅い時間になってしまった。

楽しかった時間を思い出しながらの帰宅だ。


足取りは軽い。

あっという間に家は近づき、小さな灯りのついた家の前で誰かがうろうろしているのが目に入る。


誰か分かる前にこちらに気づいた男は、「おかえり」と呑気な声でめぐみを迎えた。


めぐみはギョッとした。

慌てて、彼――律騎の元へと駆けつけた。


「いつからいたの? 寒いのに!」


「じゃ、入れて」


いつからいたかは答えなかったが、来たのはついさっきというわけではなさそうだ。


「う、うん」


めぐみは戸惑いながらも、律騎を家の中へと受け入れた。

めぐみの帰宅に気づいた母親が玄関に顔を出した。


「あら、りつくんじゃない」


「お邪魔します。用事が済んだらすぐに帰るので」


「ゆっくりしていっていいのよ」


「ありがとうございます」


母親はすぐにリビングへと戻っていってしまった。


娘が男と自室で2人きりになると、母親なら何か思うところがありそうなものだが、昔から当たり前のことで、今更律騎が来ても何とも思わないのだ。

律騎も慣れた様子で、めぐみのすぐ後ろについて、2階のめぐみの自室へと向かった。


律騎と自室に2人きり。

もちろん、お互いの一人暮らしの家では2人きりになることは多々あった。


しかし、ここは実家だ。

1階のリビングには家族がいる。


耳を澄ませば、テレビの音やレンジの音など、生活音が聞こえる気がする。

何だか、後ろめたいような気になる。


しかも、違和感も大きい。

律騎を彼氏として自室に招くことになる日が来るとは、ゆめゆめ考えもしなかった。


律騎はまるで主かのように、めぐみのベッドに腰掛ける。


めぐみは荷物を机の上に置き、所在なげに立ち尽くしていたら、律騎に「立ってないで座れよ」と言われ、言われるがままに、律騎の隣に座った。


げんこつ数個分は空けて座ったはずなのに、律騎はそれを許さず、座り直して間を詰めるから、体は密着する。


「……なんか、近くない?」


「ブランコもこれくらい近かった」


「え?」


「はるとはすぐにこれくらいの距離になるだろ」


昼間の話を根に持っていたらしい。


「そんなに近くなかったよ」


「友達の距離じゃなかった」


何と言っても食い気味に否定されそうで、どうしていいか分からなり、口をパクパクさせるだけで、声にならない。


律騎はめぐみから目を逸らし、肩を落とす。


「……ごめん。面倒で」


めぐみは律騎の反応が予想外で、驚いた。

少々のことでは謝らない律騎が謝罪の言葉を口にし、落ち込んでいるのだ。


「めぐが無頓着なのは、はるのこと、友達としか思ってないからと思うことにした。けど、やっぱ距離が近くて嫌だ」


ぼそぼそとカタコトに喋る。

それがまるで子どもが駄々をこねているかのようで、愛らしかった。


「子どもみたいなこと言ってかっこ悪いな」


――か、可愛すぎる……!


陽生には、律騎のことを信じていないと言われたが、信じていないわけではない。

思ったことをそのまま口にしたら、多分ふてくされてしまうから、可愛いと思ったことは、今は隠すことにした。



「あのね、私、考えてみたんだ」


「何を?」


「もし、はるが女の子で、りつがはると仲良くしてたら、嫌だったかもって」


今までの律騎の彼女たちの気持ちが、今更ながらに分かる気がしていた。

幼馴染が特別だと分かっているからこそ、余計に嫌だった。


気づけば、律騎の顔は上がっていて、片方の口角を上げた。


「少しは俺の気持ちが分かった?」


いつもの調子が少し戻ってきたようだ。


「でも、はるに冷たくなんてできないよ」


「それも分かってる。そうしてほしいわけでもない」


律騎は神妙な面持ちで、めぐみを見つめていた。

ちゃんと向き合わなければいけないと思っためぐみは、体ごと律騎の方へと向けた。


「だから、はるへの態度はそのままでいい。その代わり、俺への気持ちをちゃんと示してほしい。嫉妬するのが馬鹿みたいなくらい」


律騎の目がめぐみの目を射抜くように見つめている。

心臓が掴まれたように苦しくなり、身動きが取れない。


律騎はめぐみの気持ちを受け入れる体勢を、すでに万全に整えているのだ。

それをまざまざと見せつけられたようで、めぐみは緊張してくる。



「……引かない?」


「引くほど好きって言ってくれんの?」


「いや、“引くほど”って……」


めぐみが目を泳がせているうちも、律騎はめぐみを見続けている。


「そっちの方がいい」


力強い返しに、めぐみの心は揺れた。


律騎への気持ちを全てさらけ出したなら、律騎の理想の彼女像を維持できなくなるだろう。それでもいいと言うのか。


律騎はめぐみの腰に手を回す。

反射的に腰が引けてしまったが、掴まれて動けない。


そのまま、頬にキスされた。


鼻が触れ合うほどの距離で見つめ合う。

熱い視線に、ますます鼓動が早くなる。


これでは律騎からめぐみが愛情を受けるだけで、今までと変わらない。

何か行動を起こさねばと思うが、同じ家に家族がいるという事実で、自制心が働く。



「……そう言えば、何しに来たの?」


「めぐに会いたかったから来た」


律騎は揺るぎなく即答する。


――なんて愛おしいのだろう。

これほどまでに直接気持ちを伝えてくれるというのに、自分がこれでいいのか。


めぐみは律騎の背中に手を回し、強く抱き締めた。


「……会うだけ?」


「え?」


律騎の腕の中で顔を上げれば、小さく目を見張る律騎の顔があった。


「会うだけでいいの?」


思っていたよりも、色欲に濡れた声が出て、調子が上がった。


めぐみは律騎の顔に自分の顔を傾けて近づけ、唇を重ねる。

律騎が驚く気配がしたが、抵抗の気配はないので、無視してキスを続ける。


粘膜の触れ合う音と衣擦れの音が部屋に響く。

ねっとりとしたキスに、何が何だか分からなくなったとき、母親が階段の下から呼ぶ声がして、慌てて体を離した。


平然と取り繕って返事をした後、律騎と顔を見合わせて笑い合った。

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