ⅩⅩ.印の余波②
*
「――唯衣さんはクリスマス、旦那さんと予定がありますか?」
コンビニのバイト中、来店が途切れたタイミングで、めぐみは唯衣に問いかけた。
「クリスマスディナーの予定」
「いいですね!」
唯衣はめぐみに微笑むと、くるりと後ろを向いた。
「予定にならなければいいんだけど」
「え?」
「去年は、急に仕事が入って、ディナーの途中で独りにされちゃったの」
顔だけ振り向いた唯衣は笑っていた。
「えぇ?」
「最悪でしょう?」
「はい! ……あ、えっと、仕事熱心な方なんですね」
即答してから、唯衣の夫を間接的に“最悪”と言ってしまったと気づき、焦った。
「気を遣ってくれなくていいのよ」
唯衣はうふふと笑っていた。
そのまま、バックヤードに入り、掃除道具を持って戻ってくると、レジのある台を拭き始めた。
めぐみはカウンターの外へと回り、会計時に客が触れるモニターの拭き掃除をする。
「プレゼントは準備するんですか?」
「もう準備しなくなっちゃったね。ワインを買ってきてくれて、一緒に飲むことはするけど」
「それ、素敵ですね」
「そう? 日常みたいで特別感なくない?」
当たり前になると、特別だと分からなくなるのだろう。
めぐみからしたら、唯衣の毎年の習慣は尊くて、眩しい。
「結婚する前は何あげてたんですか?」
「彼、こだわりがあるから、消耗品をあげてたよ」
「どんなものですか?」
「お肉とかお酒とか」
「へぇ……」
「消耗品なの、って思ったよね」
「いや……」
唯衣の言ったことは事実だったので、めぐみは返す言葉がない。
気まずくて唯衣を見られないでいると、唯衣がうふふと笑ってまた話し出す。
「向こうからはジュエリーとか、高価なものをもらうから申し訳なくて、一緒に選ぼうって言ったんだけど、遠慮して高いものは選ばなくてね。そのうち同じブランドのハンカチをあげるのが恒例になった」
「ハンカチですか?」
「うん。毎年あげるから、彼も自分で買うことはなくなったよね」
「いいですね、毎年の決まりがあるって」
「今はもうしてないんだよ?」
「もうたくさんハンカチありますもんね」
「それはそう」
唯衣がつまらない話のように話すが、めぐみにとっては全て素敵に思える。
社会人になって出会って、付き合ってから、約10回の春夏秋冬を、カップルとしてともに過ごしているのだ。めぐみには考えられない世界だ。
律騎とは10年以上近くで過ごしているが、友達としてとカップルとしてでは、距離感も共有していることの数も質も違うのだ。
「めぐちゃんは? 予定あるの?」
「えっ。えっと……」
律騎の顔が頭に浮かぶ。
唯衣も律騎のことを知っているだけに、口を滑らせる危険性を考えると、話すことを迷ってしまう。
「めぐちゃんは、彼氏にあげるクリスマスプレゼントを迷ってるかと思ったけど、違った?」
「あ……はい」
全くもってその通りで、頷くほかなかった。
唯衣に彼氏の話などしたことがなかったので、気恥ずかしかった。
「そっかぁ。年齢は年上?」
「いえ。同い年です」
「じゃあ、来年は就職?」
「はい」
「それなら仕事で使えるものとかどうかな? 相手のこと知らないから、全然見当外れかもしれないけど、仕事で使えるものなら、必ず使うだろうし、見る度にめぐちゃんのこと、思い出してもらえるかもね。どんなに忙しくても」
まさか具体的にアドバイスがもらえるとは思ってもいなかったので、すぐにはアドバイスされていると気づかなかったくらいだ。
しかも、唯衣の夫が仕事優先な話をしたことを踏まえて言ってくれている。
めぐみは途中で掃除の手を止めて、背筋を伸ばして聞いた。
「ありがとうございます。参考にします」
唯衣は「青春だなぁ」と言いながら、またうふふと笑った。
*
来年になってすぐ、卒論の提出期限を迎える。
クリスマスのことばかり考えてはいられない。
クリスマスまでには卒論完成の見通しを立てておきたい。
気持ちは前を向いているが、実際はどうかと言えば……。
めぐみはノートパソコンを閉じて、その上に突っ伏した。
「――駄目だ。絶望的に進まない……」
テーブルを挟んで向かいに座っている陽生の反応はない。
目だけ腕から覗かせて見れば、頬杖をついてスマホを触っていた。
「はるは卒論ないんだもんね。羨ましい」
卒論のない法学部は呑気なものだ。
「卒論ないけど、試験は大変なんだからな」
陽生はスマホをテーブルの上に置いて、腕を組む。
「絶望してても卒論は終わらないよ。とにかく頑張れ」
「頭では分かってるんだけどねぇ……」
めぐみはゆっくりと体を起こし、椅子の背もたれに背中を預けて、脱力した。
どうにか進めようとすればするほど、文章がまとまらず、打っては消し、打っては消しを繰り返し、たった今、一旦離脱することにしたのだった。
陽生は何も言わず、めぐみをじっと見ている。
居心地が悪いこと、この上ない。言わなくても分かってるだろうと言わんばかりの圧が、今のめぐみには重い。
「……そんな目しないでよ。自分が一番、駄目だって分かってるんだから」
陽生はそう言っても何も言い返してこない。
ただただ見つめてくる。まるで品定めされているようで、ドキドキしてくる。
「……ねぇ、何か言ってよ。怖いんだけど……?」
陽生の視線がある一点を見つめているような気がしてくる。顔ではなく、それより下の首筋のような気が――。
「……嘘。え、もしかして、まだついて、る……」
焦って手で鎖骨の辺りに触れて隠し、視線を首筋に落として、確認する。
「――あ……」
自分の過ちに気づいて、おもむろに顔を上げると、呆気に取られた陽生と目が合った。
「あー、そういう……」
陽生は全て悟ってしまったようで、苦笑しながら視線を逸す。
――気まずい。気まずすぎる。
顔が一気に熱くなり、挙動不審になる。
「独占欲の強い彼氏だなぁ」
陽生の言葉は棒読みで、気を遣われていると思ったら、余計に恥ずかしかった。
「そ、そういうんじゃなくて……」
「なら何?」
「あ、いや……」
何か行為があったわけでなく、ただキスマークをつけられただけだと説明するのも変だ。
そもそも、付き合っている男女にとって、やましいことではないはずだ。それなのに、どうして言い訳のようなことを言いたくなるのだ。
頭の中を返答の案がぐるぐると巡る。
どうするのが正解なのか、全く分からない。
パニックもピークに達した頃、急に視界へ手が飛び込んできて、肩から鎖骨を撫でるように触れ、もう片方の肩を掴んだ。後ろから抱き締められたようだ。
「えっ」
とっさには抵抗できず、驚いて体を縮めるだけだ。
「俺の彼女なんだけど? 困らせていいのは俺だけだぞ」
耳元で発された低い声は聞き慣れた声だった。
視界に入った手も、見慣れた厚みのあるものだ。
陽生にはもちろん、周囲の人にも見られている。
普段だったら耐えられない羞恥心を覚えているだろうに、背中に感じる律騎のぬくもりに気持ちが持っていかれている。
「別に困らせてないし、ちゃんと分かってるよ」
確かに、困らせられたわけではなく、めぐみが勝手に困っただけだ。巻き込まれた陽生には申し訳ない気持ちが込み上げてくる。
目の前の陽生はわざとらしくため息を吐く。
「やっぱり独占欲の強い彼氏だわ」
陽生は呆れたような、見守る兄のような、どこか達観した表情で、呟くように言った。
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