ⅩⅦ.一世一代の告白②

音羽を見送って、部屋の中へと戻ると、律騎はテーブルに置かれたままの卒業アルバムを眺めていた。


「懐かしいもの見てたんだな」


めぐみが戻ってきたことに気づくと、顔を上げてニッと笑った。


「りつが見たいっていうから持ってきたのに、全然見てないよね。見たいって言ったの、忘れてたでしょ?」


「今これ見るまで忘れてた」


「やっぱり」


アルバムに夢中になっている律騎の隣に膝立ちして、アルバムを覗き込む。

中学生のときのアルバムだった。


好きだと自覚した頃の律騎の写真が、一番胸が苦しくなる。


茶髪ではなく、黒髪で、今より短髪だ。

当時はめぐみと身長が同じくらいだった。陽生は高校で一気に背が伸びたから、中学の頃はめぐみより目線が少し上くらいで、違和感がある。


隣に当の本人がいるなんて、妙な気分だ。

思いが溢れないよに、写真に集中する。



「この頃は楽しかったな」


ずっと3人一緒にいられると信じていた――というより疑わなかったという方が正確だ。

一緒にいたいと、ちゃんと口にもしていた。


写真の向こうにある思い出を思い出し、感慨に浸る。



「……今は?」


「え?」


腰をぐいっと引っ張られ、律騎の胸へと倒れ込む。


「今の俺といても楽しくねぇか? はるとだったら楽しいのか?」


律騎の声が低く、耳元で響いて、どきりとする。


体を離そうとしたが、律騎の手はめぐみの腰を掴んだままだ。


「今が楽しくないっていう意味言ったんじゃないよ。この頃の方が今よりずっと3人一緒にいられたなぁって懐かしかっただけ」


ドキドキするのをどうにか抑えるために、真顔になる。律騎を近くに感じるから、声も張れなくて、ボソボソと喋った。


「はると2人でいても、いつも3人の思い出ばっかり話してたくらい」


「例えば?」


「テーマパークに行ったときは、ジェットコースターとか絶叫系によく乗ってたなとか、りつは気に入ったの何度も乗りたがるから、はるが付き合ってあげてたなとか」


メリーゴーランドに乗ってした会話を思い出し、うっすらと笑みが浮かぶ。


「楽しそうだな」


悪いことをしたような気になって、途端に笑みを引っ込めた。


「めぐは今の俺には笑ってくれねぇのな」


「え……?」


「俺の昔の写真見て笑って、昔話して笑って。でも。最近、俺に向かって笑ってくれること、あったか?」


「ないことないと思うんだけど……」


確かに、最近は自分を守るために律騎を警戒しすぎて、顔は強張っていたし、言動も一線を引いていて冷たく感じるようなこともあったかもしれない。


律騎は大仰なため息を吐く。


「はるははるとして、過去の自分に嫉妬するとは思わなかったわ」


とくんと心臓が跳ねる。


律騎の手がめぐみの顔に伸び、顎に触れ、顔が近づいてくる。

さすがに何度も繰り返しているから、この後何が起こるか、気づかないはずがなかった。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


めぐみは律騎の胸を押し、顔を背ける。


「……前に言ってたな。はるは俺みたいに急にキスしようとしねぇって。はると、キスはしたんだな」


「そ、そりゃあ、付き合ってたんだもん……」


陽生とのキスは一度きりだった。

しかも、律騎のキスの上書きのようなものだった。

その後は、キスしようと思ったことがなかった。


律騎はめぐみの腰を掴む手も、めぐみの顔へと持ち上げて、両手でめぐみの顔を挟む。


「ちょっと待ってって! キスって怒ってするものじゃないでしょ」


律騎の顔は眉間にシワが寄って、怖いくらいだった。


睨むように見返していたら、律騎も冷静になったのか、手をめぐみの顔から下ろした。

それと同時に、めぐみの体の力は抜けた。


「……ごめん。そんな顔させたかったわけじゃないの」


苦しそうに歪む律騎の顔を見ていると、つい謝っていた。


――駄目だ。

律騎を避けることはできない。


本音を話すしか、道はないのだろうか。


「…………私、律騎とキスしたら、自分がどうなるか、怖いの」


ついに言ってしまった。もう戻れない。

律騎の目は逃がしてくれそうにない。


「何で? 俺ら、もうキスしたよな?」


「キスしたって、私が体調の悪いときでしょ」


めぐみは失笑する。

その前は、めぐみが酔っているときで、めぐみが律騎の唇に噛み付くことで、ある意味未遂に終わった。


「付き合ってねぇのに、許可も得ずにしたのは悪かった」


めぐみは首を横に振る。


「……違うの。それが嫌だったんじゃないの」


付き合っていないとかいるとか、もうそれは関係なかった。

好きな人のキスを拒むなんて贅沢を何度も繰り返して、好きな人に辛そうな顔をさせている。その方が、めぐみにとって問題だった。


「ごめんね。ずっとりつと向き合う勇気が持てなくて」


おろおろと惑う律騎に配慮している余裕がなかった。


感情が高ぶり、胸の奥、目の奥が熱い。

自覚するとまずい。涙が溢れそうだった。


「りつとのキスが嫌なんじゃなくて、ちゃんと覚えてないのが嫌なの。記憶が曖昧なら、してないのと同じだから」


感情が溢れ出したら止まらなかった。

律騎の顔を見ず、言葉を紡ぐのを止められない。


「でも、ちゃんと覚えていられるときは、りつとキスする勇気が出なかった。りつとキスしたら、絶対に、もう気持ちを抑えられなくなるから」


律騎に視線を注がれ、そわそわとしてきた。

心の中の奥深くに眠らせていた感情を、律騎にとうとう吐露してしまった。


「それってつまり……キス、したかったってことなのか?」


律騎の声は震えているように聞こえた。

額面通りには受け取れず、確認をしたがっている。


目も潤み、顔も真っ赤になっているに違いない。

もうバレバレのはずだ。


もう戻れないと分かるのに、はっきりと即答できない自分は、往生際が悪いと思う。


律騎の手が遠慮がちにめぐみの手に触れた。

触れる手を見て、また一段と心臓の鼓動が速くなる。


「めぐは、俺のこと、好きなのか? それとも、キスしたいだけで、好きなのとは違うのか?」


めぐみは俯いたまま、律騎の言葉を聞く。


ずっと言えなかった、言わなかった言葉を、ここで言うのかと思うと、上手く息ができなくなり、言葉に詰まる。


「ちゃんと聞くまで、離さないからな」


めぐみの手を握る律騎の手に力が入る。


まるで頭の奥で心臓の鼓動が鳴っているかのように、ドクドクとうるさい。

浅くしか息ができなくて、呼吸をする度に肩が上下する。


「……好きでもない人とキスなんてしようと思わないよ」


曖昧な言葉で小さな声だったが、律騎にはしっかりと伝わったらしい。息を呑む気配がした。


律騎の反応が怖い。

暗に、律騎のことが好きだと伝えたが、律騎はどう思うだろう。

好きと言われて、嫌だとか、違うとか、ネガティブな気持ちを抱いていたら、どうしよう。


律騎はややあって、すぅっと息を吸い、口を開いた


「俺の言動で、顔を赤くしたり、傷ついた顔をしたりして見えるのは、俺の願望かと思ってた。実際、近づこうとすればするほど、めぐは距離を取ろうしたろ?」


「……りつと近づきすぎるのが怖かったからだよ」


にわかに信じがたいらしく、律騎は珍しく言葉を選びながら会話を進めようとしていた。


「高校受験が終わった頃、時間があったから、陽生の家でよくゲームしてたよな」


「うん」


「俺は先に陽生の家に着いてて、めぐに飲み物買ってきてもらうの、頼んだことがあった。覚えてるか?」


「……うん」


「あのとき、めぐは俺の好きなメーカーのコーラ、買ってきてくれて、俺、めぐに“どんだけ俺のことが好きなんだよ”って言った」


「……よく覚えてるね」


「そのときのめぐの顔、真っ赤で、びっくりした」


律騎が鮮明に覚えていることに、めぐみは驚いていた。

当時の律騎にとって、めぐみはただの幼馴染にすぎなかったはずなのだ。それなのに、今でも覚えているほど印象に残る出来事だったのかと思うと、恥ずかしい。


「そのときは、俺のことが好きなのかと思ったけど、すぐに勘違いだと思い直した。でも……あの頃から好きだったのか?」


めぐみはゆっくりと首を横に振る。


「さすがに勘違いか」


律騎はあっさりと考えを撤回し、視線を外し、首筋を掻いた。


「……もうちょっと前からだよ。中2のときからずっとりつのことが好きだった」


ついに好きになった時期まで明言してしまった。


めぐみとしては、かなりの勇気がいる発言だったのだが、律騎はにわかに信用できないと言わんばかりの顔をしていた。


「“ずっと”? 中2から今まで? 彼氏いたのに?」


「だって、りつはずっと彼女がいたし、私のこと、恋愛対象じゃなかったじゃん」


「待てよ……。じゃ、俺が本命だったってこと?」


めぐみは小さく頷いて答えた。


「マジか……」


律騎は天を仰ぎ、呟く。

ほぼ放心状態で、少しずつこの状況が面白くもなってきた。

何より律騎の反応が面白い。くるくると変わる表情は見ていて飽きそうになかった。


「めぐに本命は誰か訊いて……俺、無神経すぎねぇ?」


「今更気づいた?」


「マジかよ……自分に嫉妬してたのかよ……」


律騎とやり取りをしているうちに、いつも通りに振る舞ってもいいような気がしてきて、少しすつ心が凪いでいく。


「りつとはると3人でいる時間が好きだった。幼馴染だったらずっと近くにいられる。だから、幼馴染のままでいたかった」


「それなら、何ではると付き合った?」


「はるは私がりつのことを好きだって、ずっと知ってたの」


「は? 好きだって知って付き合ったのか?」


「うん」


純粋で真っ直ぐな律騎には分からない感情なのだろう。奇妙そうにめぐみの答えを聞き、次から次へと疑問が口をついて出てくる。


「はるとは付き合ってよかったのかよ?」


「はると付き合っても変わらないでいられる気がしたの。そういうの、全部知ってて付き合ってくれたし」


律騎の言う通り、そんなつもりはなかった。

正直、陽生に提案されるまでは、陽生と付き合うなんて考えたこともなかったのだ。

しかし、考えてみれば、案外しっくりときて、何だかんだで上手くいっていたのだから、面白い。


「じゃ、俺でもよくなかったか? 俺と付き合いたい素振りなんて、一度も見せなかっただろ?」


「付き合おうとしてなかったから、当たり前だよ。りつのことは好きだけど、付き合いたいわけじゃなかったもん」


「……なぁ。好きなのに付き合おうとしないってどういうこと? 意味分かんねぇ」


律騎はさっぱり分からないという顔をしている。

むしゃくしゃしているのが、声色からも窺える。


「……好きだからだよ。自分の気持ちを押し付けたくなかった。困らせたくなかった」


いや、一番の理由はそれではない。


「……ただ、怖かった。気持ちを伝えることで、りつの傍にいられなくなることが、怖かったの」


付き合えるとは思えなかったけれど、付き合えたとしても、律騎の歴代の彼女のように別れが来るのも嫌だった。

それなら、幼馴染としてずっと一緒にいられる道を選びたかった。


実際、大学生になっても、律騎の傍にいられた。

最善の選択をしたと思う。


「じゃ、好きな……」


「――待って。これ以上何訊くの?」


「訊くこといっぱいあるだろ」


「ね、ちょっと、腹立ってくるんだけど。こんなに好きだって言ってるのに疑って……。否定しないでよ、私の気持ち」


むっとして言ったが、目の前の律騎の反応が意外で、毒気を抜かれる。


「りつ……」


律騎は頬を真っ赤に染めて、俯いている。

好意をストレートに向けられると、律騎は照れるらしい。なんて可愛いのか。


「そんなに好きだったのか……」


「そう改めて言われると……」


お互いに赤くなって俯く。

自然と繋がれた手が目に入り、余計に照れてしまい、顔がより熱くなる。



「めぐ」


「……何?」


「俺は……好きな女が他の男と付き合うのは、耐えられねぇし、好きな気持ちを隠してはおけねぇ」


「……うん」


――そうだろうな。りつらしい。

めぐみは心から納得した。


「俺、めぐがはると別れて喜んでる自分が、心底嫌だった。それが俺の素直な気持ちだ」


律騎の顔と間近で向き合う。


緊張で、手に汗がじわりと滲む。

手を繋いでいるのに、どうして汗をかくのかと、焦れば焦るほど、汗は滲む。


しかし、気づけば律騎の真剣な眼差しの方に心を奪われ、考えるのをやめていた。


「俺はめぐのことが好きだ。だから、めぐが俺のことを好きだと言っても気持ちの押し付けにはならねぇし、離れたりしねぇ」


めぐみが答えた、好きなのに付き合おうとしない理由をなぞって話す。


「俺のことが好きなら、俺と付き合えよ」


現状は、望んでいた未来ではなかった。

しかし、ずっと大好きな人から求められる幸せを、ひしひしと感じ、どうして今まで望まなかったのかと思うほどだった。


律騎はめぐみの答えを待つ間も、目が揺らぐことはない。


自分を好きだと分かった途端、余計に自信を増している。この強い自信が、自分にはなくて、憧れていた。


「めぐ」


答えを急かすように名前を呼ばれ、胸がキュッと苦しくなる。

あんなに抵抗していたのに、気持ちに応えたいと思っている。


律騎の目をじっと見て、こくりと頷いた。


「……マジで? やっぱりなしとかはなしだからな?」


望んでいた答えが返ってきたはずなのに、律騎は信じられないものを見るようにめぐみを見返してきて、食い気味に問うてくる。


「何それ。そんなこと言うなら取り消すよ?」


「駄目だって! 二言はなし! 自分の言葉には責任持たねぇと駄目だろ」


律騎の必死さに、思わず笑みがこぼれてしまう。


「馬鹿じゃないの」


笑い出すと止まらなくて、声を上げてアハハと笑った。


律騎は「馬鹿じゃねぇよ。真剣なんだよ」とバツが悪そうにぶつぶつと言った。


それもまた律騎らしい発言で面白くて、めぐみの笑いに拍車をかけた。


「いつまで笑ってんだよ」


さすがに律騎の機嫌が悪くなってもよくないと、めぐみは目を伏せて唇をキュッと結ぶが、その行為がますます笑いを誘うから困る。


ふと目を上げて、律騎を見ると、機嫌が悪くなるどころか、穏やかに微笑んでいた。


「その顔が見たかった」


律騎の親指がめぐみの頬に触れる。

えくぼをなぞっているようだ。


「めぐ」


吐息混じりに名前を呼ばれ、笑う雰囲気ではないと、さすがのめぐみも感じ取る。

気持ちを伝えた今、拒否する理由がなかった。


「りつ」


めぐみが名前を呼ぶ声が合図となった。


律騎の顔が近づき、唇が触れる。

初めてではないけれど、初めてのようなものだった。


律騎の唇の柔らかさに驚く。

律騎のキスはもっと強引なものだと、何となく思っていたから、拍子抜けした。


しかし、最初は遠慮していたのだと、すぐに分かった。

めぐみが抵抗しないと分かると、キスはより深くなった。熱を移すようなキスが、めぐみの理性を奪っていく。


息を吸うために開いた唇から舌が入り込んできて、ぴくりと肩を揺らす。

律騎はめぐみを逃がすつもりはなく、後頭部と腰にそれぞれ手を添えて、めぐみを強く縛るように抱き込んだ。


とにかく無我夢中で唇を求め合った。

唇が離れ、色気が溢れて魅惑的な表情の律騎と目が合い、胸が締め付けられる。


めぐみ自身が、この表情を引き出したのかと思うと、嬉しい。

今まで見ずにここまで来たことへの後悔と、今まで見ていたであろう元カノへの嫉妬もよぎる。


――駄目だ。

すでに全て独り占めにしたくなっている。



律騎はめぐみの背中に腕を回して、めぐみを抱き締めた。

腕の中に閉じ込められ、律騎の体温や匂い、鼓動を感じる。


何も言わなくても、今この瞬間は通じ合っている気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る