ⅩⅧ.好きの再確認①
めぐみは、長い片思いの末、律騎と付き合うことになった。
思い出しては照れることを繰り返しているうちに、時間が過ぎていく。
律騎の彼女になった実感は、ふとしたときに身に染みる。
例えば、今のように、律騎から急に電話がかかってきたときだ。
何か用事かと思って出れば、律騎は『声、聞きたかっただけ』と言う。
普段、意味もなく電話をしてくることはないから、戸惑った。
幼馴染から彼女になったことを、明確に理解する。
何と答えればいいのか分からないでいると、律騎は『話してくれねぇと、電話の意味なくなる』と言って、電話越しに笑ったのが分かった。
『バイトが終わったら会いにいく』
「……うん」
律騎はマメなタイプらしい。
彼女の元へと駆けつけたり、電話をしていたりする様子を、傍で見ていた。その頃から、マメだとは窺えていたが、話を訊くのと、実際に彼女の立場で受けるのとでは、全く違う。
「……ごはん作って待ってる」
『マジ? やった。楽しみにしてる』
律騎の声は弾んでいた。
*
めぐみは、大学内のいつものベンチに陽生と並んで座っていた。
風が冷たい。本格的な冬の到来の気配がする。
ホットドリンクのカップを包み込むように持ち、手を温める。
「――おめでとう」
付き合うことになったことを知った陽生は、めぐみに祝福の言葉をかけてくれた。
陽生は屈託のない笑みを向けている。
申し訳ないと思う方が悪いような気になってくる。
陽生は大人で、いつも助けられていると、改めて感じる。
「……なんか、恥ずかしい」
「収まるところに収まっただけだろ」
「あんなに付き合いたいわけじゃないって言ってたのに?」
「好きな人に迫られたんだ。そりゃあ、好きな人の望みは叶えたいと思うのが本能だろ。別に軽蔑なんてしない」
陽生の声は穏やかで、包み込むように優しかった。
きっと陽生はめぐみの味方でいてくれるのだろう。
そう確信できた。
「はる、ホントにありがとね」
「しっかり踏み台にしてくれたもんな」
「ゔぅ……そんな意地悪な言い方しないでよ」
めぐみは強く言い返せなくて、それ以上は黙るしかない。
陽生はおかしそうにクックッと笑った。
*
隣り合い、歩いていると、小指が触れる。
それを何度か繰り返していたら、あるとき手繰り寄せられて手を繋がれた。
「冷てぇな」
律騎の手は温かかった。少しずつぬくもりを分け与えてくれ、めぐみの手もじんわりと熱を持っていく。
昨夜、律騎はバイト終わりにめぐみの家を訪ねて、めぐみの手料理をおいしそうに食べた。
そのときに、明日デートしようと提案され、今に至る。
手を繋いで、映画館に向かっている。
すれ違うカップルを見て、自分たちも同じように見えているのかと思うと、小恥ずかしく思った。
実は、昨夜、映画を観ると決めてから、どの映画を観るかで多少揉めた。
新作ラインナップを見て、うーんと唸りながら悩んだ。話題作はどれも面白そうで、1つを選ぶのは難しかったのだ。
あえて言うなら、このアクション映画は律騎が観たそうだと思い、めぐみは律騎に提案することにした。
「これとかどう? りつも好きじゃない?」
スマホの画面を律騎に向けて、見せる。
「そうだよな。それ面白そうだよな。めぐはどれがいい?」
「これか……これ? これもありかな」
スマホの中に並ぶフライヤーの一覧を見ながら、いくつか指差しをする。
「でも、最初のが観たいな」
律騎は自分のスマホの画面に視線を落として、じっとしている。
顔が見えなくて、不安が募る。
律騎の好きそうな映画と思ったが、当てが外れたのだろうか。
「……なぁ」
おもむろに顔が上がって、律騎と目が合った。
「……何?」
「俺の好み、優先してねぇ?」
どうやら、当ては外れていなかったようだ。
ただ、律騎が不満を抱く点は、そこではなかったらしい。
「そんなことないよ」
「俺は頼んでねぇからな。勝手に先回りするなよ」
「りつの好みを全く考えてないとは言えないけど、私も面白そうって思ったの」
律騎は何を言っても、咎めるような視線を投げ続けられる。
怖さもあるが、律騎の感情が自分だけに向けられていることに、嬉しさを感じるのだから、重症である。
「りつと観るんだったらこれがいいと思ったの。他のも観てみたいけど、一人で行ってもいいし、友達と行ってもいいから」
律騎の強張った顔がフッと緩む。
「……分かった。俺の気にしすぎか」
あぐらをかいていたが、膝を立たせ、その膝に顎を乗せ、目を伏せる。
ふてくされたようなその表情が、可愛く見える。
「私が無理してないか、気にしてくれたんだよね。ありがとね。でも、私はりつの傍にいられたら、それだけでいいんだよ」
話しながら、笑みがこぼれる。
彼女として傍にいられることになるとは、一世一代の告白の瞬間まで、考えもしなかった。
「よく考えてよ。私が、りつのこと、何年好きだか忘れた? 傍にいるためなら、何でもしてきたんだから」
言い切った後、律騎と目が合って、しまったと思った。
律騎の目はめぐみの目を捉えて離してくれなかった。
目だけではなく、心臓も掴まれたようで、途端に息が苦しくなってくる。
「……そうだったな」
律騎は柔らかく微笑んだ。
一悶着はあったが、観る映画も決まり、チケットも予約していたので、映画館につけば、チケットの発券をするのみだった。
フードカウンターの列に並び、メニューを見上げる。
「何飲む?」
「俺?」
「あ、訊くまでもなかったね」
「もちろんコーラ」
律騎がニッと笑うとほぼ同時に、めぐみも同じように笑った。
「私も炭酸にしようかな。ジンジャーエールにする」
「了解。ポップコーンは食べる?」
「んー……映画の後、何か食べるよね?」
「そうだな。やめとくか」
律騎は注文の順番が回ってくると、めぐみの飲み物も頼んでくれた。
席に座ると、思っていたより座席の距離が近く感じる。律騎を意識しすぎているせいだ。
真横に座って話すことなど、なかなかない。
映画が始まるまで緊張していたが、上映とともに、スクリーンに集中できた。たまに、肘が触れ合って、意識してしまうこともあったけれど。
映画を見終え、少し早い夕食は、焼肉食べ放題だった。
初デートで焼肉を嫌がる人は多いかもしれないが、めぐみと律騎にとってはいつもの食事で、特に何とも思わなかった。ただ、大体はいるはずの、陽生の姿がないことには、違和感を覚えた。
つい「はる暇かな? 呼ぶ?」なんて言ったら、「デートなのに?」と眉間にシワを寄せて言われてしまった。
「もっと食べな」
律騎はどんどん肉を網に載せて気忙しい。
焼けた肉はめぐみのお皿に載せてくれる。
「自分で取るから、りつもちゃんと食べてよ」
「食べる食べる」
めぐみは、律騎の前では少食に見せかけようとはしない。
よく食べる子が好きというのを知っているから、むしろ、食べたいだけ食べる。ただ、綺麗に食べようということだけは心がける。
律騎が次々に肉を口を運び始めたら、次はめぐみがトングを持ち、頃合いを見て裏返す。
彼女になったらじろじろ見放題なのだな、と改めてしみじみと感じ入る。
「そんなに見て、楽しいか?」
律騎は食べている途中にさらりと言うから、一瞬、自分に向けられた問いと気づかなかった。
「……嫌、だよね?」
「いや。嫌じゃねぇよ」
どきりとして一度は固まったが、ホッとしてウーロン茶を飲んだ。
「ただ、彼氏になったら、急にそんなふうになるもん?」
「今まで、ガン見しすぎたらいけないと思って遠慮してたから」
律騎が遠くにいるときは遠慮なく見つめ続けていたが、さすがに真正面の近距離では不自然だから、意識的に見ないようにしていた。
今まで律騎がめぐみの視線を気にしたことがないということは、めぐみの思い通りに振る舞えていたということだ。そもそも、もし視線に気づいていて、嫌であれば、律騎は早くに、今のように言っていただろう。
「……マジで好きなんだな、俺のこと」
「だからそう言ってるじゃん」
「ま、そうなんだけど」
律騎は唇に指を添えて、黙った。
その仕草は、色気があって惚れ惚れする。
嫌ではないと言われたので、思う存分見つめられる。
めぐみはほくそ笑んだ。
デザートの杏仁豆腐を食べ終え、めぐみは、いつもより大きく存在感のあるお腹をさすった。
「もう食べられない」
「そろそろ会計するか」
「そうだね」
スマホの画面をつけ、着信がないことと時間を確認する。
「ね。折半じゃ面白くないから、じゃんけんしよう」
めぐみが提案すると、律騎は呆気に取られた顔をしたが、すぐにフッと笑った。
「いいな。そうするか」
握りこぶしを前に出し、じゃんけんの構えをする。
睨むように見つめ合い、掛け声を唱え、手のかたちを変えて出す。
その瞬間、間違えたことに気づいた。
宣言してからじゃんけんしたら、律騎はいつものようにグーを出さないではないか、と。
習慣でパーを出したら、チョキに負けてしまった。
「よっしゃ、勝った!」
律騎はガッツポーズをして、喜びを最大限に表している。
めぐみは悔しくなって、「あ、負けた方が出すとは言ってなかった」と棒読みで言った。
「いやいや! 俺らはいつも負けたやつが出すルールだろ」
「バレたか」
律騎は「ごちそうさん」と言いながら、めぐみより先に立ち上がった。
それを追って、レジへと向かうと、男女が会計を済ませるところだった。
「私も出しますよ」
「いいよ。俺が誘ったから今回は出す」
「本当ですか? じゃあ、お言葉に甘えて」
彼女はバッグから出しかけた財布を元に戻した。
「自分が全部出すっていう選択肢はないのかな?」
自動ドアの向こうに消えていく後ろ姿を見つめながら、ぽつりとこぼした。
「めぐは今から奢ってくれるのにね」
「それと、奢ってもらうときに財布を出すふりだけするのって、何の意味があるんだろうね」
「奢ってもらうのは当たり前と思ってねぇぞって意味だろ」
「レジでする必要ある? 店員へのかっこつけ?」
「知らねぇよ」
律騎はフッと笑う。
「めぐのそういうとこ、好きだよ」
「え?」
予想外の言葉に挙動不審になる。
律騎から向けられる好意は慣れない。
じわじわと実感が湧いてきて、顔が火照ってくる。
「……ど、どういうとこ……?」
「ほら。待たせんな」
律騎は背中をぽんと押して、レジで待つ店員へとめぐみを向かわせた。
会計を終えて、店を出ると、すっかり夜が来ていた。息を吸うと喉が冷たい。
“めぐのそういうとこ、好きだよ”
律騎から発された言葉が、頭の中にリフレインしている。
続きを聞けたら、律騎は何と言っていただろう。
すっきりとしない気分になりながらも、律騎と並んで街中を歩いていく。
「――友達みたいな感じっていいな」
「……へ?」
不意に律騎が言った言葉は、聞き流しそうになるほど、抑えた声だった。
「奢る奢らないとか、そういう次元じゃなくて、対等な感じがして、めっちゃいい」
その言葉でさっきの会話の続きだったと分かる。
律騎のタイプを見誤っただろうか。
自分の思ったことを言うだけ言って満足して、油断していた。
「……奢りたいタイプだった?」
「違う。ただ、彼女に会計前にじゃんけんする提案されたのは初めてだわ」
不安は即答で解消されたが、別の不安がもたげてくる。
「初めては嬉しいけど……彼女っぽくないよね」
友達の延長線上で、友達のままのようだ。
恋人に切り替わるときが、いつか来るのだろうか。
「彼女っぽくないとか、そういうのはいい。めぐはめぐのまま、傍にいてくれたらいい」
とくんと心臓が跳ねた。
静かな口調に、律騎の見慣れないことのない一面を感じる。
律騎はめぐみの手を取り、温度を確かめるように触れた。
「もう冷たくなってんの?」
低い声に細めた目が、たやすくめぐみの鼓動を速める。
律騎の手が温かいから、自分の手が冷たいことへの自覚も早かった。
「不安そうにするなよ。普通、友達の手、こんなふうに触らねぇだろ」
安心しろと言わんばかりの強気な表情で、めぐみの不安を消し去る安心感があった。
「寒いだろ。早く帰るぞ」
律騎はそのままめぐみの手を優しく包み込むように握り、強く手を引いた。
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