ⅩⅧ.好きの再確認①

めぐみは、長い片思いの末、律騎と付き合うことになった。


思い出しては照れることを繰り返しているうちに、時間が過ぎていく。


律騎の彼女になった実感は、ふとしたときに身に染みる。

例えば、今のように、律騎から急に電話がかかってきたときだ。


何か用事かと思って出れば、律騎は『声、聞きたかっただけ』と言う。


普段、意味もなく電話をしてくることはないから、戸惑った。

幼馴染から彼女になったことを、明確に理解する。


何と答えればいいのか分からないでいると、律騎は『話してくれねぇと、電話の意味なくなる』と言って、電話越しに笑ったのが分かった。


『バイトが終わったら会いにいく』


「……うん」


律騎はマメなタイプらしい。

彼女の元へと駆けつけたり、電話をしていたりする様子を、傍で見ていた。その頃から、マメだとは窺えていたが、話を訊くのと、実際に彼女の立場で受けるのとでは、全く違う。


「……ごはん作って待ってる」


『マジ? やった。楽しみにしてる』


律騎の声は弾んでいた。



めぐみは、大学内のいつものベンチに陽生と並んで座っていた。


風が冷たい。本格的な冬の到来の気配がする。


ホットドリンクのカップを包み込むように持ち、手を温める。


「――おめでとう」


付き合うことになったことを知った陽生は、めぐみに祝福の言葉をかけてくれた。


陽生は屈託のない笑みを向けている。

申し訳ないと思う方が悪いような気になってくる。


陽生は大人で、いつも助けられていると、改めて感じる。


「……なんか、恥ずかしい」


「収まるところに収まっただけだろ」


「あんなに付き合いたいわけじゃないって言ってたのに?」


「好きな人に迫られたんだ。そりゃあ、好きな人の望みは叶えたいと思うのが本能だろ。別に軽蔑なんてしない」


陽生の声は穏やかで、包み込むように優しかった。

きっと陽生はめぐみの味方でいてくれるのだろう。

そう確信できた。


「はる、ホントにありがとね」


「しっかり踏み台にしてくれたもんな」


「ゔぅ……そんな意地悪な言い方しないでよ」


めぐみは強く言い返せなくて、それ以上は黙るしかない。


陽生はおかしそうにクックッと笑った。



隣り合い、歩いていると、小指が触れる。

それを何度か繰り返していたら、あるとき手繰り寄せられて手を繋がれた。


「冷てぇな」


律騎の手は温かかった。少しずつぬくもりを分け与えてくれ、めぐみの手もじんわりと熱を持っていく。


昨夜、律騎はバイト終わりにめぐみの家を訪ねて、めぐみの手料理をおいしそうに食べた。

そのときに、明日デートしようと提案され、今に至る。


手を繋いで、映画館に向かっている。

すれ違うカップルを見て、自分たちも同じように見えているのかと思うと、小恥ずかしく思った。


実は、昨夜、映画を観ると決めてから、どの映画を観るかで多少揉めた。


新作ラインナップを見て、うーんと唸りながら悩んだ。話題作はどれも面白そうで、1つを選ぶのは難しかったのだ。


あえて言うなら、このアクション映画は律騎が観たそうだと思い、めぐみは律騎に提案することにした。


「これとかどう? りつも好きじゃない?」


スマホの画面を律騎に向けて、見せる。


「そうだよな。それ面白そうだよな。めぐはどれがいい?」


「これか……これ? これもありかな」


スマホの中に並ぶフライヤーの一覧を見ながら、いくつか指差しをする。


「でも、最初のが観たいな」


律騎は自分のスマホの画面に視線を落として、じっとしている。


顔が見えなくて、不安が募る。

律騎の好きそうな映画と思ったが、当てが外れたのだろうか。


「……なぁ」


おもむろに顔が上がって、律騎と目が合った。


「……何?」


「俺の好み、優先してねぇ?」


どうやら、当ては外れていなかったようだ。

ただ、律騎が不満を抱く点は、そこではなかったらしい。


「そんなことないよ」


「俺は頼んでねぇからな。勝手に先回りするなよ」


「りつの好みを全く考えてないとは言えないけど、私も面白そうって思ったの」


律騎は何を言っても、咎めるような視線を投げ続けられる。


怖さもあるが、律騎の感情が自分だけに向けられていることに、嬉しさを感じるのだから、重症である。


「りつと観るんだったらこれがいいと思ったの。他のも観てみたいけど、一人で行ってもいいし、友達と行ってもいいから」


律騎の強張った顔がフッと緩む。


「……分かった。俺の気にしすぎか」


あぐらをかいていたが、膝を立たせ、その膝に顎を乗せ、目を伏せる。

ふてくされたようなその表情が、可愛く見える。


「私が無理してないか、気にしてくれたんだよね。ありがとね。でも、私はりつの傍にいられたら、それだけでいいんだよ」


話しながら、笑みがこぼれる。

彼女として傍にいられることになるとは、一世一代の告白の瞬間まで、考えもしなかった。


「よく考えてよ。私が、りつのこと、何年好きだか忘れた? 傍にいるためなら、何でもしてきたんだから」


言い切った後、律騎と目が合って、しまったと思った。


律騎の目はめぐみの目を捉えて離してくれなかった。

目だけではなく、心臓も掴まれたようで、途端に息が苦しくなってくる。


「……そうだったな」


律騎は柔らかく微笑んだ。



一悶着はあったが、観る映画も決まり、チケットも予約していたので、映画館につけば、チケットの発券をするのみだった。


フードカウンターの列に並び、メニューを見上げる。


「何飲む?」


「俺?」


「あ、訊くまでもなかったね」


「もちろんコーラ」


律騎がニッと笑うとほぼ同時に、めぐみも同じように笑った。


「私も炭酸にしようかな。ジンジャーエールにする」


「了解。ポップコーンは食べる?」


「んー……映画の後、何か食べるよね?」


「そうだな。やめとくか」


律騎は注文の順番が回ってくると、めぐみの飲み物も頼んでくれた。

席に座ると、思っていたより座席の距離が近く感じる。律騎を意識しすぎているせいだ。


真横に座って話すことなど、なかなかない。

映画が始まるまで緊張していたが、上映とともに、スクリーンに集中できた。たまに、肘が触れ合って、意識してしまうこともあったけれど。



映画を見終え、少し早い夕食は、焼肉食べ放題だった。

初デートで焼肉を嫌がる人は多いかもしれないが、めぐみと律騎にとってはいつもの食事で、特に何とも思わなかった。ただ、大体はいるはずの、陽生の姿がないことには、違和感を覚えた。


つい「はる暇かな? 呼ぶ?」なんて言ったら、「デートなのに?」と眉間にシワを寄せて言われてしまった。


「もっと食べな」


律騎はどんどん肉を網に載せて気忙しい。

焼けた肉はめぐみのお皿に載せてくれる。


「自分で取るから、りつもちゃんと食べてよ」


「食べる食べる」


めぐみは、律騎の前では少食に見せかけようとはしない。

よく食べる子が好きというのを知っているから、むしろ、食べたいだけ食べる。ただ、綺麗に食べようということだけは心がける。


律騎が次々に肉を口を運び始めたら、次はめぐみがトングを持ち、頃合いを見て裏返す。

彼女になったらじろじろ見放題なのだな、と改めてしみじみと感じ入る。


「そんなに見て、楽しいか?」


律騎は食べている途中にさらりと言うから、一瞬、自分に向けられた問いと気づかなかった。


「……嫌、だよね?」


「いや。嫌じゃねぇよ」


どきりとして一度は固まったが、ホッとしてウーロン茶を飲んだ。


「ただ、彼氏になったら、急にそんなふうになるもん?」


「今まで、ガン見しすぎたらいけないと思って遠慮してたから」


律騎が遠くにいるときは遠慮なく見つめ続けていたが、さすがに真正面の近距離では不自然だから、意識的に見ないようにしていた。


今まで律騎がめぐみの視線を気にしたことがないということは、めぐみの思い通りに振る舞えていたということだ。そもそも、もし視線に気づいていて、嫌であれば、律騎は早くに、今のように言っていただろう。


「……マジで好きなんだな、俺のこと」


「だからそう言ってるじゃん」


「ま、そうなんだけど」


律騎は唇に指を添えて、黙った。


その仕草は、色気があって惚れ惚れする。

嫌ではないと言われたので、思う存分見つめられる。


めぐみはほくそ笑んだ。



デザートの杏仁豆腐を食べ終え、めぐみは、いつもより大きく存在感のあるお腹をさすった。


「もう食べられない」


「そろそろ会計するか」


「そうだね」


スマホの画面をつけ、着信がないことと時間を確認する。


「ね。折半じゃ面白くないから、じゃんけんしよう」


めぐみが提案すると、律騎は呆気に取られた顔をしたが、すぐにフッと笑った。


「いいな。そうするか」


握りこぶしを前に出し、じゃんけんの構えをする。


睨むように見つめ合い、掛け声を唱え、手のかたちを変えて出す。


その瞬間、間違えたことに気づいた。

宣言してからじゃんけんしたら、律騎はいつものようにグーを出さないではないか、と。


習慣でパーを出したら、チョキに負けてしまった。


「よっしゃ、勝った!」


律騎はガッツポーズをして、喜びを最大限に表している。


めぐみは悔しくなって、「あ、負けた方が出すとは言ってなかった」と棒読みで言った。


「いやいや! 俺らはいつも負けたやつが出すルールだろ」


「バレたか」


律騎は「ごちそうさん」と言いながら、めぐみより先に立ち上がった。


それを追って、レジへと向かうと、男女が会計を済ませるところだった。


「私も出しますよ」


「いいよ。俺が誘ったから今回は出す」


「本当ですか? じゃあ、お言葉に甘えて」


彼女はバッグから出しかけた財布を元に戻した。


「自分が全部出すっていう選択肢はないのかな?」


自動ドアの向こうに消えていく後ろ姿を見つめながら、ぽつりとこぼした。


「めぐは今から奢ってくれるのにね」


「それと、奢ってもらうときに財布を出すふりだけするのって、何の意味があるんだろうね」


「奢ってもらうのは当たり前と思ってねぇぞって意味だろ」


「レジでする必要ある? 店員へのかっこつけ?」


「知らねぇよ」


律騎はフッと笑う。


「めぐのそういうとこ、好きだよ」


「え?」


予想外の言葉に挙動不審になる。

律騎から向けられる好意は慣れない。

じわじわと実感が湧いてきて、顔が火照ってくる。


「……ど、どういうとこ……?」


「ほら。待たせんな」


律騎は背中をぽんと押して、レジで待つ店員へとめぐみを向かわせた。



会計を終えて、店を出ると、すっかり夜が来ていた。息を吸うと喉が冷たい。


“めぐのそういうとこ、好きだよ”


律騎から発された言葉が、頭の中にリフレインしている。


続きを聞けたら、律騎は何と言っていただろう。

すっきりとしない気分になりながらも、律騎と並んで街中を歩いていく。


「――友達みたいな感じっていいな」


「……へ?」


不意に律騎が言った言葉は、聞き流しそうになるほど、抑えた声だった。


「奢る奢らないとか、そういう次元じゃなくて、対等な感じがして、めっちゃいい」


その言葉でさっきの会話の続きだったと分かる。


律騎のタイプを見誤っただろうか。

自分の思ったことを言うだけ言って満足して、油断していた。


「……奢りたいタイプだった?」


「違う。ただ、彼女に会計前にじゃんけんする提案されたのは初めてだわ」


不安は即答で解消されたが、別の不安がもたげてくる。


「初めては嬉しいけど……彼女っぽくないよね」


友達の延長線上で、友達のままのようだ。

恋人に切り替わるときが、いつか来るのだろうか。


「彼女っぽくないとか、そういうのはいい。めぐはめぐのまま、傍にいてくれたらいい」


とくんと心臓が跳ねた。

静かな口調に、律騎の見慣れないことのない一面を感じる。


律騎はめぐみの手を取り、温度を確かめるように触れた。


「もう冷たくなってんの?」


低い声に細めた目が、たやすくめぐみの鼓動を速める。

律騎の手が温かいから、自分の手が冷たいことへの自覚も早かった。


「不安そうにするなよ。普通、友達の手、こんなふうに触らねぇだろ」


安心しろと言わんばかりの強気な表情で、めぐみの不安を消し去る安心感があった。


「寒いだろ。早く帰るぞ」


律騎はそのままめぐみの手を優しく包み込むように握り、強く手を引いた。

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