ⅩⅡ.恋の分岐点
昼前、めぐみは例のごとく学食に向かう。
食堂のある校舎に入る前、陽生に遭遇した。
律騎からは、先程、少し遅れそうなので先に食べて、という連絡が来ていた。陽生を探すところからと思っていたので、ちょうどよかった。
「珍しいね、それ」
「うん。今日はお腹すいてて」
めぐみが頼んだのはオムハヤシだ。
学食では高確率でうどんなので、陽生の言うよう、珍しい選択だった。
空いたテーブルを見つけて、いつものように向かい合わせに座ろうとしたら、トレイをテーブルに置いた瞬間、片方の手首を掴まれ、陽生の方へと引っ張られた。
「わっ」
その勢いで、陽生の胸に頭が軽く触れる。
「こっち座って」
陽生が目で示したのは、陽生がトレイを置いた横の席だった。
「え、でも……」
めぐみと陽生は向かい合わせに座り、陽生の隣に律騎が座るのが常だった。
どうしてわざわざいつもと違う席順にするのか、理解が及ばないで困惑していたら、陽生の視線がどこか一点に向けられていると気づく。
視線の先をたどれば、律騎がこちらを見ていた。
「あ、りつ……」
「もう来るから、めぐは俺の隣」
律騎は軽く手を振ると、視線を外し、会計に並び始めた。
「わざと、だよね……?」
「ん?」
「りつの前だから、手を掴んだり、顔を近づけたり……。わざわざしなくてもいいよね?」
「しなくてもいいけど、してもいいよな。付き合ってるんだから」
律騎がまだ来ないと確認しながら、こそこそと話す。
これもまた、律騎が見れば、どう思うだろう。
陽生が意図的にやっているようにしか見えない。
「それに、りつに俺らの仲を疑われてるとしたら効果的じゃん」
「そうかもしれないけど……」
確かに、めぐみと陽生が付き合う必要がないと、律騎には思われたかもしれない。
しかし、ここまで無理をして、付き合っているアピールをする必要性を、めぐみは感じないのだ。それは、陽生も同じはずで。
「これじゃ……りつに嫉妬させたいみたい」
言いながら、段々深く顔が俯いていく。
自意識過剰なことを言っているような気がしてきて、自信がなくなってきたのだ。
「嫉妬させてると思うの?」
陽生は、答えではなく、質問を返してきた。
「いや、こんなことで、りつが嫉妬するとは思わないんだけど、幼馴染2人が目の前でそんなことしてて、いい気分じゃなくない? それこそまた除け者扱いだって言われる」
恋愛対象にない女が彼氏とイチャイチャしていたところで、嫉妬はしないだろう。不快な気分になるとしたら、やめたい。
「言わせとけばいい。ホントに嫌なら、りつは言ってくる」
それはそうだ。
律騎は思ったことは言葉にする。
表情だって読みやすい。
めぐみの考えすぎだったかもしれない、と思い至る。
「恥ずかしいのもあるよな。面白おかしくじゃないと、めぐに触れる勇気がないって――言わせないでくれる?」
それは考えていなかった。
律騎のことばかりで、陽生の気持ちは二の次になっていた。
思わず顔を上げて陽生を見たら、目が合って、陽生の目が逃げるように泳いだ。
「それと、顔赤くしないで。余計恥ずかしいから」
「あ……うん」
ホテルで同じ部屋に泊まったとき、陽生はめぐみの頭を髪をすくように優しく撫でただけで、何もしなかった。
安眠を誘うための儀式のようなもので、振り返って考えれば、めぐみは子ども扱いされていたようにも思える。
その前のからかうようなやり取りを思い出し、あれは恥ずかしさからくるものだったと思えば、納得がいく。もちろん、素の意地悪さに起因するところはあっただろうが。
照れて目を逸らしているめぐみと陽生。
律騎はテーブルの向かいに立つや否や、「俺が来るの分かってたよな?」と、呆れた顔をして言った。
食事を終えた後、寄るところがあると言う陽生と別れ、大学に用事がなくなった律騎とめぐみはともに同じアパートへと帰っていた。特に、別れる理由もなく、何となく一緒になってしまったのだ。
「――で、何でそんなに距離取ってんの?」
「え、そう?」
「別に取って食うとかしねぇって。はるに近づくなって言われてんのか? ……ま、前科があるからな」
後頭部に手を組んで、あっけらかんと言う。
距離を取っているのは意図的だったが、そういうつもりではなかった。
「……あんなことあって、普通に接するのはむずいよな」
「……そうだよ」
距離を取った理由は、律騎の傷ついた顔を見てしまったからだ。今までと同じように接していいのか、分からなくなってしまった。
「俺のせいにするんだ?」
「そうは言ってないじゃん」
前を向いたまま、特に意味のない話をしているうちに、アパートに着いた。
アパートの前で、めぐみは「ちょっと待ってて」と律騎を引き留めた。
めぐみは階段を駆け上がり、自分の家へと入ると、ビニール袋に冷蔵庫からいくつか取り出したものを入れ、律騎の元へと走った。
ドアを開けて律騎の姿を捉えて安心はしたが、待たせていることもあり、足を緩めなかった。
律騎の前に立ち、少し上がった息を整えながら、「これ」と袋を差し出す。
「こないだ置いてったでしょ」
律騎は受け取って中身を見ると、ピンとくるものがあったようだ。
「え、もうかなり前のやつだよな?」
袋の中の1つであるロールケーキを取り出して、賞味期限を確認し始めた。
「新しく同じものを買ったの。切れたもの持ってくるわけないじゃん」
「嫌がらせかと思った」
律騎は片方の口の端を上げ、フッと笑った。
「じゃ、用事は済んだから帰るね」
めぐみは律騎に背を向けて、再び階段を上ろうと足を進める。
「こないだ、お土産、さんきゅーな」
背中に飛んできた言葉を聞いて、おもむろに足を止めた。
律騎へのお土産と言えば、陽生と旅行に行った際に、一緒に選んで陽生が渡してくれたものだ。
「一緒に食う?」
「いいよ。りつにあげたんだから」
顔だけ振り向いて答え、すぐに顔を前に戻す。
「……はると上手くやってるんだな」
律騎はめぐみに話しかけるのをやめない。
このままでは、めぐみはその場から動けない。
「あれから考えたけど、本命は、はるじゃなくて、別にいるのか?」
まさか今更その話をされるとは思わず、めぐみはひどく驚いた。律騎が覚えていることが信じがたかった。
「こないだ話した感じだと、そもそも好き合ってるから付き合ったわけじゃねぇんだろ?」
勝手に勘違いしたのはそっちなのに、何故今、責められることを言われているのだろう。
幼馴染だからと言って、何でも話さなければいけないことはないし、幼馴染に話す話でもないのだ。
「……何でそんなこと言うの?」
ぽつりと呟くように言うと、ピンと張り詰めた空気になった。
「好きだよ、はるのこと。確かに、恋愛感情じゃなかったよ? でも、そういう恋もあるじゃん。みんながりつみたいじゃないんだよ」
今まで通りでいたくて、何とか叶わない思いを押し込めて、やっと冷静でいられそうだと思ったのに、どうして律騎が陽生との仲にヒビを入れるようなことを言うのだ。
体ごと振り向くと、律騎は真っ直ぐにめぐみを見つめていた。
「好きな気持ちを伝えて付き合ってもらえる人がいるように、それと同じ数の人だけ、好きだって言われてそれで付き合う人もいる」
全員が全員、最初から同じ度合いの好きだなんて、あり得ない。そんなのは理想の押し付けだ。
「りつも昔あったでしょ?」
「……昔はな」
めぐみと律騎の頭の中には、同じ人が浮かんでいるだろう。
「じゃあさ、はるが好きって言ったのか?」
その質問の意図は、幼馴染として、上手くいくのか見極めたいからなのか。
どうしてそんなに心配そうに訊くのだろう。
お似合いだと言ったあの言葉は、嘘だったのか。
「それは、りつには話さないって言ったよね?」
「めぐじゃねぇんだろ?」
「恋愛感情ではないけど、お互い好きなのは好きだから」
「何でそんな無理に付き合うんだよ」
「無理じゃないよ。上手くいくと思ったの」
もはや言い聞かせだった。
何の試練なのだろう。ずっと何年も好きな人に対して、彼氏との関係を認めてもらおうと、必死で言葉を尽くしている。
「……泣くなよ」
律騎の言葉を聞いて、涙はとめどなく溢れ出し始めた。
「俺、別にめぐの泣き顔を見たいわけじゃねぇんだよ……」
辛そうに歪んだ顔で言うから、余計に泣けてきた。
何で好きな人を傷つけることになっているのだろう。
こんなつもりではなかったのに。
どの選択肢から間違えたのだろう。
泣きじゃくるめぐみにどうしていいか分からないのだろう。律騎は始終おろおろとしている。
たまにキョロキョロと周囲を気にしているから、申し訳ないことをしていると思うが、涙は止められない。
自分のせいで律騎を苦しめていることが何より辛かった。
どうしたら、律騎を笑顔にして、今まで通りに接することができるだろう。
「めぐ……」
めぐみの横に移動したかと思うと、背中に律騎の手が触れた。
先程の言葉のような勢いはなく、遠慮がちで、触れていると気づくのに時間がかかったくらいだった。
めぐみが振り払わないと分かったからか、律騎の手はめぐみの背中を撫でる。
その手が温かくて、大切なものを慈しむような仕草で、めぐみはじんときた。
こんなときでなければ、素直に嬉しいと受け止められたのに。
いや、ドキドキして、嬉しいと感じられたかは怪しいかもしれない。
――はる、ごめん。もう無理かもしれない。
めぐみは何もかもから逃げ出したくなった。
*
「――目、腫れてるな」
玄関のドアが開き、対面するなり、陽生の親指がめぐみの涙袋の下をなぞるように触れた。
用事が終わったら会えないかと、めぐみが陽生に連絡したところ、陽生はすぐに電話をくれた。律騎と話して泣いてしまったことを、簡単に話すと、15分もしないうちにめぐみの家を訪ねてきたのだった。
「りつはすんなり引き下がったの?」
「うん。多分、どうしていいか分からなかったんだと思う」
めぐみは陽生を家の中へと迎え入れる。
テーブルには濡れタオルが置かれている。
先程まで、それを目に当てることで冷やしていたのだ。陽生の反応を見る限り、気休めにしかならなかったようだ。
テーブルの角を挟んで横に座る。
「りつにどこまで話した?」
「恋愛感情はなくてもお互い好意があって付き合ってるんだからって、ほとんど前と同じ話。りつが好きだからとか、そこまでは話さなかった」
「……いっそのこと、言ってしまったら?」
言い切った後、陽生の目がめぐみの目を捉えた。
「何で? 私、はると付き合ってるんだよ?」
「でも、辛いんでしょ?」
食い気味に放たれた問いに、答えないことが答えだった。
「俺らは利害が一致して付き合っただけ。りつを傷つけたくないなら、言った方がいいかもな」
陽生はもうそう言うつもりだったかのように、スラスラと喋る。
だから、めぐみは困惑した。
そんなに簡単に出せる答えではないのに。
「……じゃあ、はるは? はるは傷つかない?」
陽生は切なげに微笑んだ。
めぐみの胸がずきりと痛む。
傷つかないわけがないのに、何を訊いているのだろう。自分は馬鹿だ。
「――めぐが選んで」
「え……」
「りつと付き合いたいなら別れる。でも、りつに告白してどうにもならなかったら、俺と付き合って」
「そんなの、駄目だよ!」
反射的に否定していた。
どう考えても、めぐみ本位の提案だった。
「そんなの……ずるい女じゃん」
そんな女にはなりたくない。
陽生の気持ちを考えないような女になんて。
「俺だってずるいよ。めぐに任せるなんて」
陽生の目がめぐみの目を貫くように見つめた。
大泣きしたせいか、目を見ただけで、感情が大きく揺さぶられる。
「でも、俺にはそれが最善に思えるよ」
何もかもを見透かす表情で、語りかけてくる。
陽生が言うならそうなのかもしれない。
今まで陽生の言ったことは、大抵、的を射ている。
経験上、分かるのだ。
「よく考えてみて」
陽生はそう言って立ち上がると、茫然としているめぐみの頭をぽんぽんとする。
陽生が帰ろうとしていることに、寂しさを感じる。
傍にいてくれることが当たり前と思い、どこかで抱き締めてくれると期待していたのだ。
陽生の提案を呑まなくたって、自分はずるい女なのだ。
「律騎にはこの約束、話すなよ?」
去り際、陽生は唇に人差し指を当てて、意地悪な笑みを浮かべた。
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