Ⅹ.彼氏の不在

陽生がいないことで、コンビニのバイトは人手が少なくなり、代わりに律騎がいつもよりシフトに入ってくれた。

律騎は居酒屋のバイトもあるから、めぐみも多少シフトを増やさなければならず、忙しかった。


陽生が帰ってきたときには、何か見返りをもらわなければならない。それを楽しみに日々頑張っていた。



久しぶりにゆっくりとできることになった日、久しぶりに自炊をしようと食材を買い込んで帰宅し、手を洗っていたときだった。

インターホンのチャイムが鳴って、嫌な予感を覚え、インターホンの画面を確認すると、ドアの向こうには律騎が立っていた。


ため息を1つ吐いて、重たい足取りで玄関のドアを開ける。


「寂しいかと思って来てやったぞ」


律騎はひらひらと手を振った。


「あのね、りつ。連絡くらいしなって、どれだけ言ったら分かるの」


「駄目だったら断ってくれたらいいだろ」


「もう……」


ゆっくりできると思ったのに、律騎が来たらゆっくりできないではないか。

律騎がいると完全にはくつろげないし、せっかくならちゃんともてなしたかった。


律騎が自分のために時間を作ってやって来てくれたのだとしたら、気にかけてくれているのだと嬉しくないことはなかったし、何より単純に律騎を拒否することができないのだ。こればかりは昔からの習慣のようなもので、困ったものである。


「もう食べた?」


「今から作って食べる」


「じゃ、2人分よろしく」


「ちょっと、まさか対価なしじゃないよね?」


「じゃねぇよ。ほら」


律騎は後ろにあった手を前に出した。ビニール袋が提げられており、カサカサと袋の中に手を入れると、コンビニスイーツが出てきた。


めぐみはにこやかに微笑み、入室を許可した。



「今日は何?」


「生姜焼きにするつもりだった。いい?」


「何でもいい。めぐの料理は何でもうまいから」


律騎のめぐみの手作り料理への評価は変わらず高い。

嬉しくもあるが、期待が大きいと緊張してしまうから、まともに受け止めず聞き流すことにした。



めぐみがキッチンに立つ間、律騎はだらだらしているかと思ったが、悪いと思ったのか、あぐらをかいてのんびりとしながらも、たまに話しかけてきた。


「生姜焼きははるに作ったことある?」


「何それ。聞いてどうするの」


「特に意味はない」


「無理して話さなくていいよ」


生姜焼きに添えるキャベツを千切りしていく。

まな板を小刻みに叩く音が小気味よい。自己陶酔だ。


律騎に目をやれば、回答を待っているようだったので、仕方なく口を開く。


「はるはりつみたいに作れとは言わないから、意外とそんなに作ってないかも」


「へぇ」


興味があるのだかないのだか分からない返事だ。


やはりまともに受け止めなくてよさそうだ。

なるべく頭を空っぽにして、会話を続けた。



作り終えて、同じテーブルを2人で囲む。


「久しぶりにめぐの料理食った」


「そうだよね? 最近来なかったもんね」


めぐみも律騎と向い合せに座ってから、久しぶりの光景だと実感していた。


「そりゃあ、来ねぇだろ。りつとイチャイチャしてるときに来て気まずい思いをするほど馬鹿じゃねぇし、それが分かんねぇ子どもでもねぇからな」


律騎は大きな口を開けて豪快にごはんを食べる。

作った身としては、気分がよかった。


「“イチャイチャ”って……ちゃんと遠慮してたんだね?」


「俺を何だと思ってんだよ」


陽生と付き合ったら、ごはんを食べさせてくれる人がいなくなると、少なからず思っていそうだ。

その視点は今までなかった。


「別に、遠慮することないよ。りつになら言ってくれさえすれば、分けてあげるから」


「マジで?」


律騎は手を止めて、めぐみを見た。

どれだけ食べたいのを我慢していたのかが、垣間見ることができた。


「うん。大学卒業したら、こういうふうに会えなくなるだろうから」


大学への通学には便利だが、通勤には不便で、引っ越すことになれば、同じアパートに住むことはないだろう。


「俺とは会わないつもりなの?」


「そういうわけじゃないけど……物理的に会えなくなるかもって話」


「まぁ、そうかもな」


幼馴染であれば、そう頻繁には会わないかもしれない。恋人ほど、会わなければいけないという拘束力がないから。それに、会わなくても許してもらえるから。


大学卒業時に、律騎とどんな関係になっているのかは分からない。


しかし、この距離感ならいいかもしれない。

めぐみは律騎と今まで通りに会話できていることが、嬉しかった。



冷蔵庫に入れていたコンビニスイーツを律騎は取り出してきて、テーブルに並べて置いて、めぐみの隣に座る。


「選んでいいぞ」


「やった」


めぐみは嬉々として、並んだスイーツを見る。

プリン、どらやき、チョコレートムースケーキ、シュークリーム、ロールケーキ。どれもおいしそうだった。


「りつはシュークリーム?」


「おい。そうやってすぐに俺の食べたいものを当てるな」


「当たりだね」


どうしてもこの癖が抜けない。

律騎は基本同じものを食べるから、大体当たる。


「じゃあ、私はこれ」


めぐみが選んだのは、チョコレートムースケーキだった。上には白いホイップクリームが綺麗に載っている。


「ちゃんと選んだのか?」


「選んだよ。チョコが食べたい気分だったの」


「……ならいい」


律騎からコンビニでもらったスプーンを差し出され、めぐみは受け取る。


「何か言いたそうだけど?」


今すぐに食べないスイーツは冷蔵庫に戻した方がいいだろうか。少しくらいは置いていてもいいか。


「……はるにもそうなのか?」


「へ?」


陽生の名前が出るとは思わず、プラスチックのスプーンを袋から出して、固まった。


「はるにも、そうやってはるが食べたいもの、優先して譲るのか?」


「何で? 別に譲らないよ」


「俺にはそうしてる」


「譲ってはないでしょ。食べたいものを当てただけじゃん」


陽生が食べたいものも、多分当てられると思う。

しかし、伝えることはないだろう。


律騎は誰が何かを食べるか気にしない人だ。

その一方で、陽生もめぐみと同じ、気にする人だ。


陽生はめぐみの食べたいものが分かっている。

もし気分によって食べたいものが被ったとして、陽生となら半分こにするだろう。

だから、陽生には伝えなかったとして、特段問題はないのだ。


「こういうとき、食べたいもの、3人とも被らないでしょ? だから、いつも譲ってないよ」


律騎の気持ちを優先しようとしているのは、律騎の言うように正しい。だから、そこは否定しなかった。


「ね、早く食べようよ」


「あぁ……そうだな」


律騎は一瞬だけ口角を上げて、シュークリームを手に取った。


チョコレートムースは程よい甘さで、口の中で解けた。スイーツは幸せな気分にさせてくれる。決して裏切らない。



「りつははるの元カノのこと、どれくらい知ってる?」


陽生の名前が出たので、その延長で訊いてみることにした。


「知りたいなら、俺に訊かず本人に訊けよ」


「まぁ、そうなんだけど……」


「りつにはどれくらい話してたのかなって思って」


「あー……はるは自分から話すタイプでもねぇし、俺もはるの彼女の話をそこまでして聞こうとはしねぇからな……」


「……そんなもんか」


陽生は、よくも悪くも、めぐみと律騎に平等だったらしい。


「何だよ、気になることでもあった? はるの元カノにいじめられたとか」


めぐみの表情が暗く見えたのか、律騎は気遣う視線を飛ばしてくる。


「ないよ。りつじゃあるまいし」


「それは最近なかったろ。そもそも俺のせいか?」


「そうでしょ。りつがちゃんと手綱を握ってたら、不安になって、私に攻撃なんてしてこなかったはずだよ」


律騎の言葉が返ってこず、不安になる。

いつもはここまで言い過ぎることなどないのに、何で言ってしまったのだろう。


「あ……いや、それだけじゃないか。りつの見る目がない……それも違うか」


うろたえて、変なことばかり口走っている気がする。

変なことではなく、本音ではあるのだが、今言うべきことでないことは確かだ。


持っていたカップにスプーンを入れて、テーブルに置いた。


「……それはどうかな」


律騎は蚊の鳴くような声で言った。


「俺にとってめぐは特別だったし、どうしたって、彼女には不安な思い、させてたと思う」


律騎の目がぎらりと光ったような気がした。

真っ直ぐ受け止められる気がしなくて、目を伏せる。


「……正当化しないでよ」


「悪かったとは思ってるよ。そういうやつとは別れてただろ」


「すぐに別れられるくらいの……気持ちはその程度だったってこと?」


「めぐより大切じゃなかったってこと」


即答した声は力強く、めぐみの胸をトクンと跳ねさせた。

友達としてだと分かっているのに、ときめくのを止められない。


陽生という彼氏がいるではないか。

落ち着くように、自分自身に言い聞かせる。


「めぐの言う通り、俺の見る目がなかったんだな」


律騎は聞き流してはくれなかったらしい。

めぐみは何とか苦笑いした。


「そもそも何ではると付き合い始めたわけ? どっちかが好きって言ったの?」


律騎は軽い調子で訊いてきたが、めぐみは同じ調子で返せなかった。

律騎が理由だなんて、当の本人に言えるはずもないから。


「……りつには話さないよ」


なるべく明るく冗談のように言ったつもりだが、上手くできただろうか。


「俺には話してくれてもいいだろ。……まぁ、いいけど」


後頭部に両手を添えて、背中を反らせる。

強がっている律騎は可愛いと思う。


「……寂しい?」


「そりゃあそうだよ。除け者みたいだろ。俺だけ」


完全に拗ねている。面白いくらいに。


「そんなことないよ。私たちはずっと幼馴染として変わらない」


「なら、何ではると付き合ったんだよ? ずっと3人、幼馴染でいたらよかっただろ」


語気を強めた責めるような口調に、胸が痛む。


しかし、何も言えない。

律騎と幼馴染でいるために選んだというのに、律騎にそんなことを言われている。なんて皮肉だ。


何だか泣きそうになりながらも、微笑を浮かべた。


「……悪かった。別れろって言ってるわけじゃねぇから。めぐとはるはお似合いだと思ってるのはマジだから」


少し気まずそうに視線を逸しながら、律騎は言い切る。

言い切られると、複雑な気持ちになる。


陽生に無性に会いたくなった。

陽生なら、律騎によって生じた心の痛みが和らぐ言葉を紡いでくれるはずだから。



律騎がめぐみといると、必ずといっていいほど、陽生の話題が会話に出てくる。


めぐみと陽生が付き合い出して、今まで気にならなかったことが気になるようになってきた。

めぐみの自分と陽生への接し方の違いだ。


付き合っているのだから、違いが生まれるのは当たり前だ。そう思う反面、付き合う前から違いがあったように思うのだ。


同じ幼馴染であるはずなのに、どうしてそうなったのだろう。



陽生としばらく会えなくなる前、久しぶりに学食で3人になった。


前と変わらず話せていることが嬉しかった。

それなのに、ふとめぐみと陽生を客観的に見て、自分は邪魔者ではないかと思わされた。


めぐみは陽生の左手に触れて、陽生の腕時計を覗き見る。陽生も嫌がる素振りを見せない。全てが自然だった。


2人がお似合いだと思うことは度々あったはずなのに、付き合っていると知って見ると、途端に居心地が悪くなった。


陽生は言った。

“俺は、りつとは変わらず仲良くしたいと思ってるよ”と。


めぐみも言った。

“私たちはずっと幼馴染として変わらない”と。


変わらないと言いながら、変わったのは2人だ。

それならせめて、2人が付き合うことになった経緯くらい、幼馴染として聞かせてほしい。


知りたいと思うのは、いけないことだろうか。


それなのに、めぐみは口をつぐんだ。


やはり除け者だった。

実際に、除け者みたいだと、弱音も吐いた。


だから、陽生のように対等に接してもらえず、子ども扱いされるのだ。

自分で分かってはいるのだ。でも、やめられない。


めぐみは言えないことに対して、ひどく傷ついた顔をした。

こっちの方が傷ついているのに。


何とかめぐみと陽生の交際を正当化させようと、“お似合い”だと口にすれば、その度にめぐみの目は揺らぐ。


それを見る度に、本当は付き合っていないのではないか、と思う。

それは、付き合っていなければいいという願望が見せる幻覚だろうか。


陽生と付き合った理由が、陽生が好きでたまらなかったからと言ってほしかった。

そうと分かれば、きっと踏ん切りがつく。


しかし、理由もはっきりと言わず、自分の一挙手一投足で顔を赤くしたり、傷ついた顔をしたりして見せるのは、やめてほしい。

そのせいで、めぐみと付き合うのがは自分でもよかったのではないか、と思ってしまうから。


勝手だとは分かっている。

だって、2人はお似合いなのだし、めぐみは陽生のことばかり訊いてくる。律騎の入る隙などない。


それに、そもそも自分はめぐみに恋愛感情は持っていないはずなのだから。


めぐみは律騎の自分勝手な発言に呆れたのか、子どもを諭すように語り出した。


「はるだったから、何となく嫌なんでしょ? 私のことが好きとか、そう言うんじゃなくて。……私だったからでもあるのかな。はるを奪われた気になったから」


こういうのも、子ども扱いされていると感じる。


陽生にはこんなことも言わないし、こんなふうにも言わないだろう。

どうしたって自分は対等に見られないらしい。


律騎は苛立ちを覚える。

めぐみの言うことが、しっくりときたから。


悔しい。俺は何もしていないのに。


突然、おもちゃを取り上げられて、わけがわからず、拗ねる子どものようだ。


周りは何故取り上げたか分かる。

でも、自分には分からない。


「多分、はるがいなかったら、私、りつとはこんなふうにずっといられなかったと思うの」


陽生の方が特別だと、暗に言いたいのか。


昔からずっと3人一緒だったではないか。

どうして陽生の方が特別なのだ。


隣にいたはずの陽生に、めぐみの特別を取られるのが、嫌だった。


“お前らが一番に決まってるだろ。めぐとはると遊ぶ方を優先する”


中学生のときに、めぐみと陽生に向かって告げた言葉だ。

高校生のとき、当時付き合っていた彼女に別れを切り出すときに、“めぐは特別なんだ”と言い放ったこともあった。

大学生になって、彼女やバイトの方が優先順位が高くなることもあったかもしれない。けれど、特別なのは変わらなかった。


律騎にとって、めぐみと陽生は、ずっと代わりがいない友達だった。これからもそうであると、信じて疑いもしなかった。


「…………めぐはいなくなる?」


「え?」


「卒業したら、はるは実家から通勤するようになる。多分、今ほど会えなくなる。めぐはきっと引っ越すだろ? めぐも気軽に会えないほど遠くに……」


腹に力が入らず、出てくる声は弱々しかった。

めぐみに弱音を吐くほど、思い詰めていたとは思わなかった。


「はるとめぐは一緒にいて、俺だけ離れ離れにするのか?」


めぐみは目を丸くして、律騎をじっと見つめていた。


見返すことができなくて、俯いて自分の手を見つめる。手持ち無沙汰で、両手の指を絡める。その指は冷たい。


「……りつ?」


名前を呼ばれても顔を上げられない。

可哀想とでも思われているのだろうか。


「はるとだって、卒業したらどうなるか分からないよ?」


「は? そんな気持ちで付き合ってんのかよ」


「そういうわけじゃなくて……何があるか分からないってことだよ」


何だよ。はっきりしろよ。

何でそんなあやふやな気持ちで付き合ってんだよ。


うろたえるめぐみを尻目に律騎は立ち上がる。


「りつ!」


制止の声も無視して、脇目も振らずに玄関まで一直線で向かった。


ドアが閉まる直前、「待ってってば!」と言われたが、拒否するように力強くドアを締めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る