Ⅸ.彼女の自覚
今朝は陽生を大学の最寄り駅まで迎えに行き、一緒に大学まで歩いて向かっていた。
暦上は秋なのになかなか残暑が消えずにいたが、さすがに10月に入ると日中も汗ばむことはなくなってきた。
「寒くなってきたね」
「その格好じゃ寒いよ」
めぐみは陽生に指摘され、「失敗した」と苦笑する。
今日着ていたのは、腕がレース素材のシアートップスだった。
「帰ったら衣替えする」
「それがいい」
大学に着き、目的の校舎の前に近づくと、キョロキョロとする。
「あそこじゃない?」
陽生の視線をたどると、待ち合わせをしていた友達がいた。
「ホントだ。ありがと」
「じゃ、また」
「うん。またね」
陽生はまた別の校舎で用事があったので、手を振って別れた。
その様子を合流した友達3人は見ていたらしい。
めぐみが駆け寄るなり、「なんか、雰囲気違わない?」と1人が言い出した。
「え?」
「違うよね?」
周りも同調し出すから、動揺する。
「ち、違うって……何が?」
「前から距離近かったけど、より近いっていうか……」
「そうそう」
「何かあったんじゃない?」
一斉にめぐみへと視線が集まり、怯んだ。
「な、何もないけど……」
「“けど”って怪しい〜!」
こういうときの女子の団結力は凄まじい。
詰め寄られると、逃げられない。
ここで逃げたとしても、きっと追いかけられる。いつかは白状することになる。
「……あー、分かった! 話すから!」
両手を前に突き出して、3人を何とか沈める。
ニヤニヤしている友達に話すのは、気が引けた。
最後までどうにか逃げられないか画策したが、どれも現実的ではなく、諦める外なかった。
めぐみは大きなため息を吐いて、口を開いた。
「……付き合うことになった」
ためにためてもったいぶったようになってしまった。
反応が怖くて目を伏せていたら、反応がすぐになくて、目線を上げる。
「えぇ〜!?」
それはそれは大きな声で、思わず耳を塞いだ。
「そういうんじゃないってあんなに言ってたのに、ここに来てそうなるか〜」
「私もそんなつもりじゃなかったんだけど、なんか成り行きで……」
「何、成り行きってぇ?」
「成り行きで付き合わないでしょ?」
3人は、めぐみをほったらかしにして、キャッキャと興奮している。
他人事だからって、楽しそうにして……。
こっちは色々ついていけていないというのに。
「彼氏と別れたって聞いてたのに、全然ダメージ受けてないみたいだったから心配してたけど、彼氏ができたなら話は別か」
「速瀬くんといるめぐみは、自然体で楽しそうだもんね」
「よかったね」
先程まで茶化してきたとは思えない、穏やかな表情で言うものだから、めぐみも戸惑いながらも穏やかな気持ちになった。
陽生との関係は、周りに祝福されるものなのだ。
気づけば、めぐみは微笑んでいた。
*
めぐみと陽生は、ファミレスで軽食を食べ、店外へと出た。
めぐみはバイトがあるため、コンビニへと行かなければならなかった。陽生は送ると言って、コンビニまで一緒に歩くことになった。
「――それで、付き合ってるって言ったんだ?」
「言わなきゃならない流れだったんだよ……」
本当はまだ言いたくなかった。
陽生が彼氏だと言いたくないわけではないが、自分の心の整理がついてから言いたかったのだ。
「ま、いんじゃない。りつもこれで完全に信じるよ」
陽生の口からたまに律騎の名前が出てきて、ハッとする。
めぐみよりも陽生の方が本来の付き合う理由を芯に持っている。
「元々よく一緒にいたのに、何で何か違うって分かったのかな?」
「キスしたからじゃない?」
「なっ……」
陽生とキスしたことを思い出すと、ぶわっと頬が熱くなる。
陽生はあんな目で彼女を見るのかとか、あんなキスをするのかとか、考えて恥ずかしくなることを、あれから何度も繰り返した。
恥ずかしくなるのは分かっているのに考えてしまい、両頬を両手で押さえて叫びたくなる衝動に駆られる。
それを陽生の前ではしたくなかったのに。
「顔真っ赤」
陽生はクックッと笑う。
「そんなんじゃ、今まで彼氏ができたらすぐにバレてたんじゃない?」
「そういうわけじゃないよ。知り合いだったら、付き合っちゃえばとか唆されて付き合うこともあったから、それはバレたけど、そうじゃなかったらそうでもなかったよ」
「へぇ」
めぐみは深呼吸を繰り返し、冷静になろうと努める。
頬に手を当てても、火照っている感じはしない。
もう大丈夫だ。
「ね。陽生はあんまり彼女のこと教えてくれなかったよね」
「話すことでもないだろ」
「まぁ、そうだけど……」
律騎の彼女の方が詳しく知っている。
しかしそれは、単純に律騎の彼女に興味があって、律騎本人だけでなく、陽生も教えてくれるからだ。
今まで、陽生の恋愛について、深く首を突っ込もうとしたことがなかったというのは明らかだった。
「俺の過去の恋愛に興味が出てくるのは、いいことかな」
気になるということは、彼女の自覚が出てきたということで、陽生の言う通りかもしれない。
「でも、俺の話はつまらないと思うよ。今まで付き合った人は、向こうから告白されて、嫌いじゃないから付き合って、そのうち情も湧いて、好きかなって思ってくる。その繰り返しだった」
まるで自分の話を聞いているようだった。
こういうところは、本当に似ていると思う。
「あ、めぐのことは元々好きだし、情なんてありまくりだから、今までの彼女とは違うかな」
めぐみはフリーズした。
めぐみが特別であることを暗に意味していて、動揺した。
「……あれ、めぐも同じかと思ってたんだけど、違う?」
陽生に顔を覗き込まれ、ハッとし、覚束ない足取りを立て直す。
「違わないよ。確かに、はるのことは元々好き」
「恋愛感情じゃないけど?」
「……うん」
ここで、恋愛感情だと言い切るのは、違うだろう。
そう思って頷いたが、変な間が空いてしまった。
「何その間」
陽生はおかしそうに言う。
自分だけが考えすぎなのだろうか。
そう思うといたたまれなくなる。
「……だって、もう友達同士じゃないじゃん。恋愛感情がないって言うのは違うかなと思って」
「一応彼女の自覚はあるんだな」
「そりゃああるよ」
ムッとして陽生に言い返せば、陽生は柔らかく微笑んだ。
「よかった」
「え?」
「俺、ちゃんとめぐと向き合いたいんだよ。めぐのことは大切だから、生半可な気持ちで付き合いたくはない。付き合うなら、ちゃんと付き合いたいと思ってる。たとえ、別れることになっても、付き合ったこと、めぐに後悔してほしくない」
清々しいくらいの笑みに、めぐみの心は揺れた。
自分だけじゃなかった。
むしろ、陽生の方がよく考えているかもしれないくらいだった。
「……別れること、今考えないでよ」
「それはそうだな」
陽生はクックッと笑った。
コンビニが見えてきたところで、陽生は足を止めた。
めぐみも足を止めて、陽生に向き合った。
「しばらく会えないけど、何かあったら連絡して」
「ううん。忙しいだろうから遠慮しとく」
「連絡してよ。付き合ってるんだから」
陽生にぽんぽんと頭を撫でられた。
上目遣いに陽生の顔を窺うと、甘くとろけるような笑みを湛えていて、心臓が止まるかと思った。
*
「聞いたよ、めぐちゃん」
珍しく17時からのバイトで一緒になった唯衣が、うふふと笑いながら横に立ち、めぐみを肘で小突いてきた。
「何をですか?」
「はるくん、しばらくいないんだって?」
陽生の名前が出てどきりとしたが、次に続く言葉で想像通りの質問ではなかったので、ホッとした。
「はい。内定者懇親会とか、色々あるみたいで」
「そっかぁ。そんな時期かぁ」
唯衣は上の方を見ながら、懐かしそうに微笑んでいる。
「はるくんは地元に就職するんだっけ?」
「はい」
陽生は将来設計もしっかりとしていて、早い段階から計画的に公務員になるための努力をしていて、実際に公務員の内定を勝ち取っていた。
「めぐちゃんはこっちでしょ?」
「そうですね」
卒業と同時に、付き合っている人と別れる。
そんな人なんて、ごまんといるだろう。
めぐみと陽生はどの道を選択するのだろう。
律騎とも離れ離れになるのであれば、陽生と付き合う必要もなくなるかもしれない。
「そう言えば、唯衣さんは、旦那さんとはいつからの付き合いなんですか?」
「入社した会社で出会って、それからの付き合いだね」
「すぐに付き合ったんですか?」
「すぐじゃないかな。でも、初めて会ったときに、この人だって思ったの」
まるでフィクションのようだ。
自分には程遠い話のように思えて、現実味がない。
「大学生までに付き合った人は、もちろん好きだったけど、夫に会うために別れたのかもって思えたのよ」
「唯衣さんからアプローチしたんですか?」
「初めてのデートは私から誘った。でも、告白はあっちから。後で聞いたら、夫も同じだったの。一目惚れだって」
唯衣の幸せそうな笑顔に、きゅんとする。
羨ましいと思う。
好きな人に好きと言ってもらえるのは、どんなに幸せなことだろう。
「素敵ですね」
長年の想い人とは思いが通じ合うことはないかもしれないけれど、新たに人を好きになって、好きだと言ってもらうことは、これからあるかもしれない。
今付き合っている陽生が、まさにその人の可能性だってある。
「私も、この人だって思える人に出会えるのかな……」
「会えるわよ、きっと」
唯衣はまたうふふと笑う。
「あ」
唯衣は突然小さく声を上げたかと思うと、何かひらめいた顔をしてめぐみを見る。
「もしかしたら、もう出会ってるかもしれないしね」
唯衣が悪戯な笑みを浮かべ、ウインクするものだから、めぐみは唖然として固まった。
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