Ⅳ.本命の勘違い
目を覚ますと、体中のあちこちが痛んだ。
それもそのはず。床に寝ていたからだ。
今日は飲もうと、お酒を飲んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
結局、床に雑魚寝し、ベッドは全く使われていなくて笑ってしまう。
テーブルを挟んだ向かいに、陽生は眠っていた。
起きているときよりも幼い顔が、可愛いと思える。
もぞもぞと動いたかと思えば、肩や腰を押さえ出す。
それから、目がゆっくりと開いた。
「おはよ」
「……おはよ」
陽生はのそのそと起き上がり、「体痛ぇ……」と呻く。
少し前の自分を見ているようで、めぐみは笑った。
「朝からだっけ?」
「あぁ。大学行かなきゃだ」
「シャワー浴びてって。タオル出すよ」
「助かる。借りるな」
陽生はだるそうにしながらも、立ち上がってしまえば、きびきびと動き出した。
シャワーの音を聞きながら、缶をキッチンに運び、1本ずつ水道水でゆすいでいく。
変な感じだ。
彼氏どころか、友達も自分の家に泊まらせることなんてなかったから、こういう状況に違和感しかなかった。
「どっか出てたの?」
「うん。コンビニ」
陽生がシャワーを浴びているうちに、近くのコンビニに行ってきた。
陽生は、シャワーを浴びる前と同じ服を着ているが、髪が湿っているので、ちゃんと浴びていると分かる。
「朝ごはん、食べるでしょ?」
「わざわざ買ってきてくれたの?」
「だって、はるは朝パン派でしょ? パン切らしてたから」
「そこまでしなくていいのに」
「話聞いてくれたお礼」
「じゃあ、ありがたくいただきます」
手を合わせて、頭を下げた。
「あ」
食べ終えた後、陽生はわざとらしく、声を上げた。
「何?」
「昨日のこと、酒の勢いとかじゃないから」
付き合ってみるかという提案の件だと、ピンと来た。
「……ホントに私でいいの? りつには色々助けてもらってるけど、自分が何かできてる気が全くしないもん」
陽生は勢いよく息を吐いた。
「そんなに俺にメリットないと思うなら、キス、しよっか」
さらりと言うから、違和感を覚えた自分がおかしいのかと思った。
いや、もし付き合ったなら、キスをするのは普通だろう。自分がおかしいのか。
「彼女がいたら、他に女作れないからな」
「浮気するとか、そんなタイプじゃないでしょ」
「まぁ、面倒だからしないね」
付き合っているのに、キスしたり、それ以上のことをしたりしなければ、陽生には酷なことなのではないだろうか。
陽生は優しいから、無理をさせないように、気遣ってくれているのだ。
「私、はるには醜態晒してるし、愚痴もたくさん言うし、そういう……恋愛対象にならないと思ってた」
「キスなんてしたいと思わないって?」
「えっと……うん」
何だこれ。恥ずかしい。
自覚したらどんどん赤くなっていく顔を、陽生から背けた。
赤くなっていることは、今頃背けたところでバレている。
その証拠に、陽生はクックッと笑っている。
自分だけが動揺して、陽生が変わらず大人で、腹立たしい。
「すぐに求めないから。いずれ、してもいいと思ったらしよう」
「……うん」
陽生を恋愛対象として見たことは、微塵もなかった。
ただ今は、少しだけ彼氏としても悪くないかも、と思っていた。
*
めぐみは昼過ぎに陽生と律騎と合流した。
「あれ……昨日と同じ服?」
律騎が陽生の全身を見て、訝しげな眼差しを向ける。
「あー……」
陽生はめぐみを一瞥してから、「昨日、終電逃した」と答えた。
「泊まるとこあった?」
「どこかの誰かさんが飲みでいなかったから、泊めてあげました」
「その節はどうも」
めぐみと陽生はわざと仰々しくやり取りをする。
「めぐん家泊まったの。泊まるとこあってよかったな」
律騎は悲しいくらいあっさりとしていて、陽生がめぐみの家に泊まっても何も思わないようだった。
「服貸そうか?」
「え、におう?」
陽生は自分の肩口に鼻を近づけて、汗のにおいを嗅ごうとする。
「ちょっとな」
律騎はそう言ったが、めぐみにはにおいは気にならなくて、服のシワが気になった。
「貸せる服ある? サイズ合わないんじゃない?」
「それもそうだな」
「小さくて悪かったな」
めぐみと陽生がそろってからかいのやり取りをすれば、律騎は吐き捨てるように言った。
こういうところが可愛い。いじめたくなる。
「じゃあ、洗濯機借りていい?」
陽生の問いに、律騎は「あぁ」と頷いた。
律騎は講義があるため、帰宅予定はないらしく、好きに使ってくれと陽生に鍵を渡した。
陽生はそのまま律騎の家へと向かったので、めぐみは律騎と2人になる。
珍しくも何ともないが、今日は気まずい。
昨日の律騎とのやり取りも知っていて、付き合うことにもなったというのに、2人きりにするなんて、陽生は冷たいと思う。
しかし、こうでもしてなければ、律騎と話すことも避けていただろう。感謝すべきなのかもしれない。
学食を覗くと、いつもより遅く来たせいで、座る場所がなかなか見つからなかった。
学食ではなく、同じく大学にあるパン屋に行くことにした。それなら、パンを買って、適当なところで食べればいいからだ。
パン屋もそれなりに列をなしていて、しばらく並んでやっとパンの前にたどり着いた。
トレーを持ってパンの前に立つと、どれを買うか、見当をつけていたはずのに、迷ってしまう。
「どっちも食べたいなぁ。迷う……」
期間限定のパンを買うのは決めていた。ただ、魅力的なポップがついていて、それを読むと悩んでしまったのだ。
「どっちも買えばいい」
隣の律騎は迷うことなく、トレーにパンを載せていく。
「でも、こんなに食べられないよ」
「じゃあ、半分ずつにして食べればいい」
めぐみは聞き間違いかと思って、ゆっくりと顔を上げて、律騎を見た。
「……誰と?」
「俺以外に誰がいる」
律騎は眉間にシワが寄り、不機嫌な顔になる。
目をぱちくりとさせながらも、聞き間違いではないことが分かった。
「りつってこういう……半分ことかしないタイプでしょ。……食欲ないとか?」
「そんなことねぇよ」
心配になって聞けば、即答された。
ますます不服そうな顔をする。
「だって、半分に分けるのは、いつもはるとだったから……」
「いつもははるがいるから、俺が分ける必要なかったろ」
「……そういうことかな?」
「そうそう」
律騎はもう面倒になったのか、めぐみを置いてレジの方へ進んでいってしまう。
「あ」
「どうした?」
突然、声を上げためぐみを気にして、律騎は足を止めて顔だけ振り向いた。
「食べられなきゃ、持って帰ればいいのか」
律騎はフッと笑って、「そうだな」と言った。
イートインスペースでは食べられないと思っていたが、タイミングよく席が空いたのを見つけて、滑り込むように座った。
パン屋のパンは、コンビニやスーパーで買うような菓子パンや惣菜パンとは違い、出来立てでおいしい。
ぺろりと食べて、残りの1つは持ち帰ることにした。
律騎はめぐみより先に食べ終え、いつものようにコーラを飲んでいた。
また飲んでいるなと思いながら見ていたら、目が合った。目が合ってしまった。
律騎はペットボトルのキャップを締めて、テーブルの上に置いた。ごとんと重たい音がする。
「……昨日のこと、悪かった」
まさか律騎に謝られるとは思わず、目を見張った。
「今までそういう恋愛話とかしてなかったのに、急に土足で踏み入るような真似して悪かった」
律騎が深く頭を下げている。
気まずいとは思っていたが、謝られるようなことをされたとは思っていなかった。
謝られてしまったら、自分には関係ないと言われているようで、悲しくなった。
「私こそごめん。りつに話すことじゃなかった。聞いて気まずかったでしょ? 女友達のこんな話、聞きたくないじゃん、普通」
「聞きたくないって……そんなことはねぇけど……」
視界に入った律騎の顔が複雑なもので、すぐに感情が読み取れず、急に怖くなって立ち上がった。
「そろそろ行かなくちゃ」
「バイトだっけ?」
「うん」
バッグを手に取り、肩にかける。
「途中まで行くよ」
立ち上がろうとした律騎を、手を挙げて制す。
「いいよ。授業、あるんでしょ?」
「あぁ」
「じゃあね」
軽く手を振って、追いかけられないように、小走りで歩き出した。
*
めぐみがバイトも残り15分ほどになったとき、めぐみと入れ替わりでシフトに入る予定の陽生はやって来た。
めぐみが外で窓拭きをしているところ、「お疲れ」と声をかけてきたのだった。
「窓拭き、今してんだ?」
「うん。ちょっと汚れてるのが気になってね」
「手伝うよ」
「まだ早いでしょ」
「いいよ。やる」
陽生は店内に入り、バックヤードで準備を終えると、5分ほどで出てきた。
2人並んでワイパーをかける。
何となく雑談が始まった。
陽生は律騎の家から直接ここまで来たらしく、講義の出席を終えて帰ってきた律騎と、家を出るギリギリまで話してきたのだと言う。
「りつ、彼女と別れたらしいよ」
「……ふーん」
「それだけ?」
本当は動揺した。
よく知らない彼女だが、最近も彼女に会いに行っていたし、別れるなんて想像もしていなかった。
陽生にからかわれているのではと思うくらいには、受け入れがたかった。
だって、律騎に彼女がいないと困るから。
「……もう、変に期待したくないの。期待したって頑張ったって、無理だから」
「エントリーもしないわけだ?」
「……何とでも言ってよ」
手を上げっぱなしで、腕と肩が疲れている。一旦手を下ろして、肩を回したりしてみる。
ガラスに映る自分の顔を見たくなくて、俯いたり、横を見たりしながらだ。
「まさかこの短期間で2人に別れたって報告受けるとは思わなかったわ」
こんなに別れのタイミングが合ったことは、過去一度もない気がする。
「初めてじゃない?」
「何が?」
「りつとめぐが付き合ってる人がいないのは」
別れのタイミングが合わないから、どちらかが別れたタイミングには片方は付き合っている人がいる状態だった。
それで、何となく、上手くいっていた。
いや、これからも上手くいかないことはない。
だって、正確には、めぐみが付き合っている人がいないわけではないのだから。
「さっきから何言ってるの?」
「ん?」
「私たち、付き合ってるんでしょ?」
「……そうだな」
陽生はクックッと笑った。
「――お前ら、付き合ってるのか?」
会話に集中していて、後ろに立つ人に気づかなかった。
しかも、その主が律騎で、驚かないはずがなかった。めぐみだけでなく、陽生も同じような表情をしていた。
「付き合ってるのか?」
もう一度、質問は繰り返された。
来客もあるかもしれないのに、意識が薄くていけなかった。
陽生はめぐみを窺うように見る。
めぐみも陽生を見つめ返すから、ただ見つめ合う時間になってしまう。
その間に、律騎が痺れを切らしてしまったら大変だ。
お互いに予想ができたので、律騎に向き直る。口を開いたのは、陽生だった。
「俺ら、付き合うことにしたんだ」
「マジか……」
「いいだろ。付き合ってる人、いない同士なんだから」
陽生はめぐみから、ワイパーを奪うように取る。
戸惑うめぐみに、陽生は「もうバイトの時間、終わりだから」と微笑む。
「あ、そうだった」
めぐみも微笑み返す。
「……変な感じになるなよ」
律騎はただただめぐみと陽生を見つめて、ボソッと言った。
「ならないよ。りつがそんなこと言うとは思わなかった」
めぐみは陽生がテキパキと片付けをしている横で、律騎を見ていた。
変な感じになるなと言いながら、変な感じになっているのは、むしろ律騎のように見えて、動揺した。
しかも、急に律騎がめぐみへと大きな歩幅で詰め寄ってくるから、頭が真っ白になった。
棒立ちのまま、無防備で、律騎を迎えてしまう。
そして、律騎の顔が近づいてくる。
後ろにはガラスがあり、退けもしなくて、どうしようもなかった。
焦っているうちに、律騎はめぐみの耳元で息を吸った。
「はるが本命だったのか?」
間近で目が合い、心が揺さぶられる。
やっぱり、あれは律騎に聞かれるべき話ではなかったし、律騎に話す話ではなかった。
否定しないことを肯定と取ったのか、あろうことか、「よかったな」と続ける。
めぐみは目頭が熱くなり、息が上がる。
不幸中の幸い、律騎はすぐにめぐみから離れて、コンビニへと入っていったから、めぐみの手に取るように分かる動揺は、見られずに済んだ。
陽生にも律騎の言葉が聞こえていたらしい。
「……りつって馬鹿だな」
「……ホントに」
陽生と目を合わせられなかった。
ただしばらく、磨いたガラス越しに律騎の姿を見つめていた。
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