Ⅴ.本命か当て馬か
陽生は自覚があった。
自分は、少女漫画ではヒロインといい感じにはなっても、最終的にはくっつかない脇役だ、と。
だがしかし、それは少女漫画の世界で現実は違う。
むしろ、自分みたいな方が選ばれる、とも思っている。
ただそれは、一般論だ。
必ずしもそうだとは言い切れない。
めぐみは陽生に訊いた。
“好きな人と付き合えるのと、好いてくれる人と付き合えるのは、どっちが幸せなのかな?”と。
当たり前じゃないか。好き同士が付き合うのが一番だ、と思った。
でも、好きの種類や度合いが違えば、きっと上手くいかない。
好きな度合いが同じ、そんなカップルなんて、まずいないだろう。奇跡のようなものだ。
それとも、自分が知らないだけで、そんなカップルが世間には溢れているのだろうか。
めぐみは律騎に「はるが本命だったのか?」と言われ、挙句の果てに陽生と付き合ったことに対して、「よかったな」とのたまわれていた。
そのときのめぐみの顔は、目も当てられなかった。
だから、好きな人と付き合える方が幸せなのかもしれないと、そのときは思った。
律騎は馬鹿だ。
こんなにも分かりやすく好意を向けられているのに、平然としている。
律騎は自分の誰かへの好意には敏感だが、誰から向けられる自分への好意には鈍感なのだ。
昔からそうだった。
めぐみも陽生も、自分から告白して付き合ったことはない。しかし、律騎は自分が少しでも好きだと思ったら、猪突猛進するタイプだ。
だから、きっと、律騎は幸せだ。
めぐみはいつも律騎を見つめていた。
あんなことを言われた後も、律騎がコンビニを出ていくまで、律騎のことを目で追っていた。
律騎の言動に一喜一憂して、律騎と付き合うことを諦めるよりも、付き合うために何かした方が、めぐみのためのような気がするのに、めぐみはそうしようとはしない。
仮にも付き合うことになった女に対して抱く感情ではないだろう。
彼女よりも幼馴染の友達としての期間が長すぎて、接し方が定まらないでいる。
コンビニでのバイトを終えた陽生は、めぐみの家に寄った。2日連続である。
ただし、今夜はバイトを定時に上がり、事前にめぐみの許可も得ていた。
めぐみは陽生のために料理をしてくれた。大したものは作れないと言いながら、親子丼を作ってくれている。
炊飯器からどんぶりにごはんをよそうめぐみの背中を見ていると、込み上げるものがあった。
「本当に俺でよかったのか?」
だから、つい油断して、こぼれた。
「今さら何言ってるの? 自分が提案してきたのに。怖気づいた?」
振り向かずに発される強めの口調を聞いて、めぐみは本気で捉えていないと分かり、安堵する。まだ踏みとどまれる。
「今までりつの近くの人とは付き合ってなかっただろ?」
「それは意図的にそうしてたから。都合の悪い話、りつの耳に入れたくなかったから」
「だったら何で?」
「はるなら私が嫌がること、しないでしょ? わざわざりつに話すとは思えない」
「じゃあ、俺のこと見てよ」
踏みとどまれると思っていたのに、反射的にそう言っていた。
めぐみが律騎に向ける視線を、自分が受けてみたくなった。
律騎は平然としているが、自分はどうなるのだろう。
めぐみはおもむろに陽生の方を振り向いた。
その手にはどんぶりとしゃもじがある。
見たけどそれでどうした、とでも言わん顔で、じっと陽生を見つめる。
何だか笑えてきた。どうやったって、めぐみとの関係は幼馴染から抜け出せないのかもしれない。
「一緒に食べよう」
「私はもう食べたから」
めぐみは1つのどんぶりだけテーブルに運ぶ。
「何飲む? 麦茶でいい?」
「自分でいれる」
冷蔵庫を開けば、コーラがあった。
ペットボトルの3分の1しか入っていない。
めぐみは好んでコーラは選ばない。
律騎は自宅にストックをしているくらいコーラが好きだ。きっと、律騎が来たときに置いていったのだろう。
「このコーラ、いつの? 炭酸抜けてない?」
少なくとも、自分が2日連続で来ているわけだから、その間、律騎が来たとも思えない。
「……抜けてるかもね」
親子丼を食べ終えて、テレビを見ながらだらだら過ごしているうちに、眠くなってくる。
今夜は泊まるつもりはなかった。終電までには帰るつもりだったのに、帰るのが面倒で、何より居心地がよくて、立ち上がれずにいた。
めぐみも無理やり帰そうともしないから、陽生は甘えてている。
「眠いの?」
「ちょっと」
「今日も泊まる?」
さすがに、付き合っていることになっているとは言え、連泊はためらわれる。しかも、今夜はしらふである。
仮にも付き合っている男に泊まるか問うめぐみの真意が読めない。
部屋着でノーメイクのめぐみは、いつもよりも隙だらけだった。ただでさえ、普段から警戒されていないと感じているが、今は殊更無防備に思える。
隣に座るめぐみの肩を軽く押せば、簡単に後ろに倒れた。陽生は一瞬でめぐみを押し倒していた。
めぐみの顔の横に片手をつき、もう一方の手はめぐみの頬を撫でる。
女を組み敷けば、艶っぽい表情を見せるのが常だったのに、初めてこうして見下ろすめぐみの顔にはそれがなかった。それに、焦りもないし、驚きもない。
それが、少し気に入らなかった。
「……こんなふうに押し倒してるのに、抵抗しなきゃ駄目だよ。いつもそうなの?」
歴代の彼氏との付き合い方も見え隠れして、気恥ずかしい。
めぐみは、律騎ではない男には皆、こういう顔をして、向き合ってきたのかもしれない。めぐみを知る陽生だからこそ、余計に取り繕わなかったのだろう。
「いつもっていうか……。だって、別にはるのことは嫌じゃないから」
「りつがこうしても、流された?」
めぐみの瞬きが増えた。
めぐみは、律騎のことを考えると、多少なりとも動揺する。
「……分からない」
本当に答えが出てこないらしい。
めぐみは気難しい顔をして、固まってしまう。
本当に律騎を諦めさせてあげたいのなら、律騎の名前など出すべきではないはずだ。
それでも出してしまうのは、あくまでこのめぐみと陽生の関係が、律騎の気持ちの隠れ蓑に過ぎないと分かっているからだ。諦めさせるような力が自分にあるとは思っていないし、必ずそうしようとは思っていないのだ。
それに、めぐみにとっても律騎が特別であるように、陽生にとっても律騎は特別だった。めぐみといて、これから名前を全く出さないということはあり得ない。
「そうならないと分からないんだろうね……」
めぐみは本当に律騎と付き合えるとは考えていないのだなと、思い知る。
本当にこのままでいいのだろうか。
律騎と向き合って、陽生とも向き合う。
それは、めぐみには不可能なのだろうか。
「めぐが、いずれりつと付き合えたとして、俺と寝た過去が、邪魔にならない?」
「そもそもりつとは付き合えないって。前提がおかしいよ。りつは私をそういう目で見てない。はるもずっと傍で見てきたから分かるでしょ」
これだけ傍にいて、律騎がめぐみに何のモーションもかけていないということは、めぐみを恋愛対象として見ていないと言える。律騎は、好意を隠しはしないタイプなのだから。
「幼馴染は結ばれない。これはセオリーなの」
めぐみは陽生の目を見て言った。
揺るぎない眼差しと、鋭い言葉に、律騎は息を呑んだ。
いつもそう自分に言い聞かせてきたのだろうか。
めぐみの心が垣間見れたような気がする。
「……じゃあ、俺たちが付き合ってるのは何なの?」
「そう言われたらそうだ」
組み敷かれているというのに、めぐみはアハハと声を上げて笑っている。チャームポイントのえくぼが目を引いた。
久しぶりに心から笑うめぐみを見た気がする。
陽生はホッとした。
あくまで、めぐみは律騎を前にしたら制御できないほどどうしようもなくなるだけで、名前を出すだけならどうとでも繕えるのだ。
「――で、いつまでこのままでいるの?」
気づいたら、めぐみが射るような目で陽生を見つめていた。
試されているのだろうか。
彼氏になったのだから、やることはやってもいいはずだ。許可さえ得られたら。
幼馴染という居心地のよい場所から、恋人という不安定な場所に、飛び込むのだ。無傷ではいられない。
それでも、大学を卒業して、いつの間にか消えてなくなる関係になるのなら、今、何かを動かしたかった。
それで、たとえ、自分が傷つくことになろうとも。
陽生はめぐみの顔に顔を寄せていく。
めぐみはギュッと目を閉じる。
シャワーを浴びたときにかいだボディソープの香りが、鼻をかすめる。
陽生の喉が鳴った。
息が触れそうなほど近づいて、躊躇する。
ここまできて躊躇するなんて、男としてどうなのか。
覚悟ができていないのに、押し倒すべきではなかった。
無意識に試そうとして、試されている。
陽生は目を閉じためぐみの額に、チュッと唇を落とした。
めぐみの目がゆっくりと開いた。
その目が、どうしてと訊いていた。
「こういうののために付き合い始めたんじゃないから」
額に触れるだけのキスをしただけなのに、めぐみの頬は少しずつ赤みを帯びてくる。
それ以上のことを受け止める気でいたはずなのに、額にキスするだけで、これだ。ずるい。
幼馴染だからと言って、恋愛対象になりにくいだけで、ならないことはない。何事にも絶対はないのだ。
陽生は「終電、間に合わなくなるから、そろそろ帰る」と言って、起き上がる。
「う、うん」
めぐみも遅れて起き上がり、乱れた髪を手櫛で整えている。
「親子丼、ありがとな」
陽生は微笑んで、めぐみの頭をぽんぽんと撫でた。
*
――はるのくせに。
平然を装って陽生を見送って、めぐみはその場にへたり込んだ。
無駄に整った顔を最大限に活用されると、さすがにめぐみも動揺した。
あんな距離で、あんなに長く、陽生と見つめ合ったのは初めてだった。
キスされてもいい。
そう思う一方で、されたくないと、同じくらい思っていた。
一度でも交わってしまうと、途端に相手のことを全部分かった気になってしまう。それだけのことで、他人を掌握なんてできるはずがないのに。
抱き合う時間、会話に充てた方が絶対にお互いのことを知れるはずだ。
しかし、めぐみと陽生は友達としては深く知り合っている。だから、後は男女の関係になれば、多分、知らなかったところまで知ることができる。
……でも、もったいな。
この特別な関係が、男女の関係に変わってしまうなんて。
そう思ったから、先に進まなくてホッとした。
安堵していたところで、額にキスされて、どきりとした。完全に油断していた。
ノーメイクだから、顔の赤さはバレバレだっただろう。
帰ると言って、覆い被さっていた体はすぐに離れて、軽くなった。
少し寂しく思いながらも、体を起こして、髪を手櫛で整えた。すいてもすいても整わないような気がした。
頭を撫でた大きな手は、明らかに男のものだった。
微笑んだその顔も、よく見る悪戯な笑みではなく、穏やかで、心を揺さぶる。
陽生ならいずれは心も体も許してもいいのかもしれないとも思う自分がいる。
「……はるのくせに」
めぐみはゆっくりと立ち上がり、ベッドへと潜り込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます