Ⅱ.2人の幼馴染

9月と言えども、昼間はまだ暑い。

今日の講義は残っていなかったので、めぐみは律騎と陽生とだらだら話しながら暇を持て余していたが、冷たいものが食べたくなって、学食のソフトクリームを食べることにした。


誰からともなく「最初はグー!」と掛け声を出す。じゃんけんだ。


勝負はすぐについた。

めぐみと陽生がパー、律騎がグーだった。


「俺か……」


握った拳を額に当てて悔しそうにしながらも、買ってくることは了承したらしい。


「味は何がいい?」


「俺はバニラ」


陽生は即答した。


「期間限定あったよね? マロンだったっけ?」


「あったな」


「私、それにする」


めぐみの意見も聞いて、律騎は「了解」と一言残して、背を向けて学食の方へと歩き出した。



「めぐはいつも期間限定だな」


「だって、色々食べたいじゃん」


「おいしくないかもよ?」


「いや、おいしいでしょ。おいしくないものは売らない」


陽生はおかしそうにクックッと笑う。


「はるはいつも同じだよね。飽きないの?」


「飽きない。絶対おいしいって分かってる方が後悔がなくていい」


「ふーん」



ソフトクリームを一緒に食べることは、昔からよくあった。

めぐみも定番の味は好きだ。

しかし、陽生は必ず定番の味のものを選び、めぐみが欲しがれば分けてもらえるから、それで期間限定の味を選ぶようになった気がする。

ただ単に欲張りなのだ。



「あ……目にまつげ入ったかも」


めぐみは右目に違和感を覚えて、右目だけを閉じて、「鏡あったかな」と肩にかけていたバッグを手探りする。


「見せてみ」


陽生に言われ、右目をゆっくりと開ける。


陽生は膝を曲げて屈み、めぐみの目を上から覗き込んで見る。指を近づけて、何かを摘むような仕草をした。


「取れた」


瞬きを何度かして、違和感がなくなったことを確認する。


お礼を言おうと口を開いたとき。

「お前ら、遠くから見てるとお似合いだな」

律騎の声に阻まれた。


よく考えれば、かなり近い距離で向かい合っていたように思う。

全く気になっていなかったから、“お似合い”という言葉と、それが律騎から発されたことに戸惑ってしまう。


「溶けるから早く食べよ」


陽生の提案にハッとして、めぐみは律騎の手からマロン味のソフトクリームを取った。


陽生とめぐみの分がなくなって、律騎の手には、バニラとマロンのミックスのソフトクリームが1つだけ残った。

律騎が選んだソフトクリームは、めぐみの想像通りだった。


よく考えれば、3人の中で一番欲張りなのは、律騎だ。

ミックスにして、絶対に誰にも分けようとはしないのだから。



ちょうど空いた、木陰のベンチに3人並んで腰かける。


端から見たら変な組み合わせかもしれないと心配していたのは、大学生になったばかりの頃だけだった。

高校生のときは、3人の関係を型にはめようとされて居心地が悪かったが、大学生になってそこまで浮かないことに気づいた。



ソフトクリームを食べ終えて立ち上がると、言葉にせずとも意思疎通ができた。

ここでもじゃんけんである。


結果は、さっきと同じだった。

律騎は無言で、めぐみと陽生の持つコーンスリーブを集めた。


「ありがとう」


2人で嫌味っぽく言えば、律騎は軽く舌打ちをしてからまた学食へと戻っていった。



「りつはすぐにグー出すからね」


「気づいたらいけないから言わないでね」


「めぐ、悪っ」


「それ、はるが言う?」


陽生は面白そうにクックッと笑う。


「ホント、可愛いよね」


めぐみは小さくなる律騎の背中を見つめ、目を細めた。



「……りつにお似合いって言われちゃったね」


「どこらへんがだろうな」


「……ホントにね」


こういうときに、めぐみは律騎の恋愛対象にはならないのだなと思う。

もしどうにかなりたい相手だったら、そんなことは言わないはずだ。


ただ、めぐみが陽生と“お似合い”と言われるのは、律騎に限らなければ、初めてではなかった。


律騎の身長はいわゆる日本人男性の平均身長をやや下回るくらいだ。一方の陽生は、律騎よりも10cmは高い。


律騎は普段あまり気にしていないようなのに、3人でいるときは自分の身長が高くないことを気にしていて、厚底の靴を履いたりする。

それが可愛いと思う。


めぐみはそれを知って、なるべくヒールを履かないことはしなかった。ヒールを履くことを避けていたら、律騎が余計に気にすると分かっているからだ。


そう。見た目だけで言えば、めぐみは陽生とバランスがいいのだ。

今日は高いヒールのパンプスを履いていて、律騎とはほとんど目線が変わらず、陽生はまだ見上げることになる。

そういう意味では、“お似合い”かもしれない。


足元を見ながら、つま先を上げてかかとをトントンと鳴らしてみたり、暇を持て余す。



「……彼氏と何かあった?」


「何で?」


「服装が変わったから」


ゆっくりと隣の陽生を見上げたら、真面目な顔をしていたので、どきりとした。てっきりからかわれるのかと思って構えたからだ。


陽生の言う“彼氏”とは、夕川ゆうかわ為顕ためあきのことだ。

アクティブな彼氏で、色んなところへと2人で歩いて行くことも多かった。急に誘われることもよくあって、普段から高いヒールは履かなかったし、長くまとわりつくようなスカートもしばらく着ていなかった。

それなのに、今日は高いヒールのパンプスに、ふわふわとしたマキシ丈のスカートを着ている。


「……さすが、はるは目敏いね」


急に、口内に残るソフトクリームの甘ったるさが気になり出した。喉が渇く。


「実はさ、彼氏に振られた」


後ろに手を組み、遠くの空を見つめる。

青く澄んだ空は、見つめていると吸い込まれそうで、ふわふわとする。地に足をついているはずなのに、心許なくなる。


「え、めぐのこと、だいぶ好きそうだったろ?」


「うん。だけど……」


陽生は目を丸くして、めぐみをじっと見つめている。

陽生の促しに応えるべきなのに、次の言葉が紡げない。


めぐみは大きく息を吸って、一気に吐き出す。

陽生を騙すことはできない。


「……嘘吐いた。切り出したのは私」


笑って見せたが、笑みはすぐに引っ込んだ。


「何で?」


「耐え切れなくなっちゃった。相手の気持ちに、自分が応えられないことに」


陽生は真顔で無言のままだった。

呆れているのだろうか。馬鹿なことをしていると。


「……そんなこと、付き合う前から分かってたのにね」


だって、律騎よりも好きになれる人なんて、いないのだから。



視界に律騎の姿が目に入る。

駆け足で近づいてきたので、あっという間に声が聞こえるところまでやって来た。


「ごめん! バイトが急きょ入った」


「居酒屋の?」


「あぁ。シフト入ってた人が体調不良で来られないって」


「大変だね。頑張って」


「気をつけていけよ」


「さんきゅ」


律騎は颯爽と駆けていく。

その背中に、「ごちそうさま〜」と2人で声を投げかけたら、律騎は手を軽く上げて返事をした。


思わず、めぐみは陽生の顔を見上げ、目を合わせて笑った。



残されためぐみと陽生は、自然とまたベンチに座って、話を続けた。


「陽生もいい人だって言ってくれたのに、ごめんね」


今ではもう元カレになった為顕は、陽生も知っている人だった。むしろ、陽生の方がめぐみより先に出会っている。陽生は、短期で家庭教師のバイトをしていて、そこで為顕と出会ったのだ。

陽生と仲良くしている人は、自然とめぐみも会うことになり、そのうち、為顕がめぐみに好意を寄せてくれるようになった。

それから、陽生が背中を押してくれ、付き合うことになったのだった。


「俺のことは気にすることない。めぐの話、することなかったし」


「男の人ってそういうものだったね」



為顕は、陽生の言う通り、めぐみのことを本当に好きでいてくれた。

とにかく感情表現がストレートで、“可愛い”とか“好き”とかを、照れずにいつでも言ってくれた。


ただ、それは、めぐみにとっては重すぎた。



「ためくんと同じくらいの熱量で、ためくんのこと、好きにはなれない」


「それでもいい。別れないでくれ……っ!」


すがるように懇願され、嬉しさよりも、困惑が勝った。


「……ごめんなさい」


頭を深く下げる。

為顕の顔を見られなくて、顔が上げられないまま、俯いていた。


「…………分かった」


めぐみが顔を上げると、為顕と目が合った。


「でも、気が変わったら言って。いつでも待ってる」


「待たないで。そういうところが……重いんだって。ためくんには私よりいい人がいるよ」


為顕の傷ついた顔から目を離したいが、離すべきでないと思い、何とか為顕の目を見続けた。


「……めぐみは残酷だな。それなら付き合って、期待させないでくれてもよかったのに」


為顕の表情がかげり、吐かれた言葉は、チクチクとめぐみの心にダメージを与える。

その通りで、何も言い返せない。


「……いや」


為顕の顔にいつもの明るさが戻る。

正しく言えば、戻ってはいない。戻ろうとして、引きつっていた。


「俺が、絶対付き合えるまで粘ったよな。それに、俺が、めぐみを俺の方に向かせられなかっただけだな」


為顕が別れを受け入れてくれることに、安堵している自分に、嫌気が差す。

こんなときまで、自分のことを考えているなんて、最悪だ。


私、ためくんのこと、好きだったよ。

そう言いかけて、そんなことを言う資格は自分にはないと、呑み込んだ。


「付き合ってくれてありがとう」


どこまでも優しい人だった。

何より、ここまでめぐみを好きになってくれる人は現れないかもしれないと思うほど、愛の深い人だった。


「好きじゃなかったら付き合わなかったんだよ」


「そうだろうな」


「でも……駄目だった」


いつだってそうだった。

高校生のとき、初めて付き合ったときからだ。


彼氏である先輩とは、部活終わりに一緒に下校することから始まり、休日にデートに出かけるようになって、彼氏とのデートだと言うのに、律騎と陽生の3人で来たら楽しいだろうなと考えてしまうことに気づいた。


律騎が好きだと完全に自覚してからも、無意識に律騎と比較して、律騎が好きだと確認するだけ。


「彼氏に合わせて服装も変えてたけど、正直、自分の好きな服がもう分からなくなってるからなのかも」


何でも律騎が基準になっている。


律騎は嫌がるかもしれない。

律騎は喜ぶかもしれない。

それを考えた上で、嫌がりそうなことをしたり、喜ばないことをしたりしていた。


「服には流行もあるしな。TPOさえ守れば、何着てもいいよ」


「ありがと。そう思うことにする」




少しずつ日が暮れるのが早まってきて、秋の訪れを感じるようになっていた。


陽生は実家暮らしなので、だらだらと長話をして引き留めるのは悪い。

陽生とともに最寄りの駅まで歩くことにした。


「好きな人と付き合えるのと、好いてくれる人と付き合えるのは、どっちが幸せなのかな?」


「めぐはどっちも選ぼうとしてないだろ」


やはり陽生はめぐみのことをよく分かっている。


めぐみは、大好き律騎と付き合おうとしていない。

それなのに、好きだと言ってくれる人と付き合い続けようとしていない。


思わず笑ってしまいそうになった。


「付き合わなくていいからずっと傍にいたいって、ある意味一番強欲じゃないか?」


「……そうかもね」


強欲なのは悪いことなのだろうか。

欲を向けた相手が傷ついていなければ悪くないと、そう思いたい。


陽生と歩いていると、チラチラと視線を感じる。


正確に言うと、隣と陽生が注目を集める。

さっき横を通り過ぎた女子大生と思しき2人組が、「今の人、スタイルよくてイケメンだったね」と言って、キャッキャッと騒いでいた。


昔から、律騎と2人でいるときよりも、陽生と2人でいるときの方が、羨望と嫉妬の目は多かった。

しかし、陽生の彼女に何かされた覚えはなく、陽生が大人な付き合いをしているのだろうと思う。


「何ではるじゃなくて、りつだったんだろう」


めぐみはぽつりと呟いた。


「……俺ら、似てるからじゃない?」


陽生に聞こえているとは思わず、返答があって驚いた。


「俺もりつのこと好きだから分かるよ。流されないとこ、かっこいいから」


陽生はそう言って笑みを浮かべたかと思うと、「りつの前では絶対に言ってやらないけど」と付け加えた。


「言っちゃ駄目。絶対調子乗る」


めぐみは笑ってしまった。


陽生は「めぐはたまにりつのこと好きか分からないこと言うよな」とクックッと笑った。


とにかく、律騎は色んな意味でめぐみを動揺させる。

ここまで心を揺さぶる人は律騎以外はいない。


陽生はどちらかと言うと、めぐみを冷静でいさせてくれる人だった。

陽生の言うように、めぐみと陽生は雰囲気や温度が似ていると思う。だから、友達として続いているのだ。


そうであるならば、律騎の存在は何なのだろう。


もしかしたら、陽生の存在がなければ、律騎との関係は、早々に途切れていたのかもしれない。


周りでも、男女の幼馴染とここまで長く一緒にいる人たちを聞いたことがない。3人の関係は特別だった。


そして、この関係が今のままでは永遠ではないのだと、この秋、めぐみは初めて気づくことになる。

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