◆8◆離さないと

計良さんから学校に電話があり、呼び出された。


仕事に関することだろうかと、いくつか見当をつけて、学校の玄関先へと出ていくと、計良さんはきょろきょろと周りを見渡して、人目を避けているようだった。


こそこそして何の話だろうと身構えれば、飛んできたのは「車に忘れ物しませんでしたか?」という拍子抜けの質問だった。


「何か最近なくしたものとかありません?」


「なくしたもの……?」


「はい」


「あー……もしかして、花柄のハンドタオルですか?」


「そうです」


フラワーモチーフの柄のタオルをバッグに入れていた覚えがあったが見当たらなくなっていた。バッグに入れたことが勘違いで、クローゼットの中にあるものだと思っていた。

でも、そうではなかったようだ。


「今手元になくて、車の中に置いてあるんですよ。成海に持ってきてもらいますね」


「いいです! また別の機会で!」


面前で両手を全力で振り、断る。


担当俳優に足を運ばせるマネージャーがいるのだと驚きつつ、それだけ二人は気の置けない関係なのだろうとも察する。


「そうですか……」


「わざわざありがとうございました。仕事もあるので、そろそろ戻りますね」


計良さんに頭を下げて、職員室へと引き返そうと歩き出す。


「――和木さんって、成海と元々知り合いですか?」


ドキッとしたのを隠すためにはどんな表情が正解なのだろう。

歩きを止めて、なるべく無表情になるように顔に力を入れて、ゆっくりと計良さんの方を振り向く。


「……何でですか?」


「こないだ、車の中で全く話してませんでしたけど、二人きりのときは話してましたよね?」


会話は聞かれていなかったか。

見られていなかったか。


頭の中をぐるぐると考えを巡らせる。


「……さすがに何か話した方がいいかと思っただけです」


「そうですか……」


知り合いだと知ったら、計良さんはどうするのだろう。


「成海って結構愛想がいいんですよ。初対面の人には特に。でも、和木さんへの態度は妙だったって思うんです」


近くにいるマネージャーはよく見ている。

違和感を覚えたなら、これ以上、隠し通すのは難しい。


計良さんは怒っているようでもなかったから、私は覚悟を決めた。


「……宍戸さんに何か聞きましたか?」


「いえ」


「宍戸さんに聞いてみてください。私は宍戸さんが話したなら話します」


ここまで言えば、計良さんは私たちに何かしらの関係があることが分かるだろう。


そうしたら、私と成海が会わないように配慮するかもしれない。


そうしたら、成海とはもう会えなくなるかもしれない――。


「……ただ、今、私たちは全く何の関係ないので、だからどうこうといったことはないです」


私はきっぱりと言い切った。



職員室を出て玄関へと向かう途中、待ち構えていたように成海の姿を見つけて引き返す。


早足で進むが、逃げ場はない。

あっという間に追いつかれるのは、目に見えていた。


いっそのこと、職員室に戻ろうと思ったが、万が一、成海が職員室に入るという選択を取ってしまった場合、言い訳が思いつかない。

最善の方法を考えているうちに、足を延ばして、校舎の端にある調理室の前まで来てしまった。


また今回も、簡単に追い詰められてしまった。


「誰かに見られたらどうするの」


生徒は春休みだ。いるとすれば、部活動を行う生徒だが、この校舎には基本いない。


とは言え、姿が見なくても誰に聞かれている可能性がある。

意識は四方八方に巡らせながら、小声で凄む。


成海は怯むことなく、後ろの調理室の扉を開けて、私の肩を抱えるように押して、調理室へと入ると、後ろ手で扉を閉めてしまった。


「勝手に入ったら駄目だって」


成海は聞く耳を持たず、調理室から出ようとする気配はない。


「何で避けるの?」


その代わり、質問が返ってきた。

答えないでいると、成海は近くにあったフライパンを手で持ち出す。


「勝手に触らないでよ」


フライパンを裏返したりして見たり、購入するときに吟味するように持ち心地を試している。


「そんなに俺を意識してるの?」


「してないよ」


打たれたら打ち返すというように、ついつい意地になり、言い返してしまう。

意識しているのがバレバレだと自分でも感じて、ばつが悪い。


「――物を粗末に扱うなよ」


成海は私の手を取って、フライパンを私の手の平の上に置いた。


「え?」


手の平に置くだけではバランスが悪い。反対の手でフライパンの柄を持ち、落とさないようにバランスを取る。


何がしたいか分からず、成海を見つめる。

それでも何も分かりそうはなかった。


そんなとき、成海の顔が急に近づいてきた。

そう気づいた瞬間には、チュッとリップ音がした。


状況を呑み込めないうちに、成海の手が私の後頭部に支えるように触れ、再び唇を塞がれた。


一気に昔の記憶、感覚がよみがえる。

鼻同士を軽く触れさせてから、唇を重ねる癖が、昔のままだった。


「……これで意識してくれる?」


同意なしにキスするような成海の大胆さを、私は知らない。


――信じられない……。

言葉が全く出てこなかった。


成海は私の手からフライパンを取り上げ、元に戻す。とても冷静に見えた。


このまま離してくれないつもりなのか。

これでは一生忘れられそうもないじゃないか――。


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