◆2◆馬鹿みたいに②


正面玄関から入って、少し進んだ先の1階に職員室はある。

そのため、玄関付近での撮影は、職員室から見ようと思えば見える状態だった。

休憩時間を見計らい、ミーハーな先生たちが窓から覗き見れば、手を振る役者さんもいたようで、応えてもらえて嬉しそうにしていた。


あの窓から覗けば、彼もいるのだろうか。

気づけば、彼で頭の中がいっぱいになり、仕事にならない。


とにかく頭から消え去ってほしくて、私は黙々と支出を確認していた。


「あの……」


職員室に見慣れない大人がノックして入ってきた。撮影のスタッフの一人だろうとすぐに分かった。


「はい」


立ち上がり、応える。


「少し鉢を動かしても大丈夫ですか?」


「構いませんよ。移動、手伝いましょうか?」


「移動は自分たちでします。ただ、何かあったら怖いので、見ててもらってもいいですか?」


「あ、はい。もちろんです」


玄関に向かいながら、誰か他の人に頼むべきだったかもしれないと思う。


……いや、先生に頼むわけにはいかない。

先生たちは生徒の授業という仕事がある。私がすべき仕事だ。



外に出ると、たくさんの人に圧倒された。


コートを羽織り、撮影を待つ人が演者さんだと分かった。一人は女性で、もう一人は男性だ。


監督だろうか。台本のようなものを持って、彼らに話しかけている人がいる。次の撮影に向けて、話し合っているようだった。


鉢を動かし終えたスタッフは、少し離れて見守っていた私の元へと駆け寄ってきた。


「また元に戻すときにはお願いします。よかったら、そちらで撮影を見てていただけたら」


きっと喜ぶだろうと思って言われたのだろう。

私は「はい」とにこやかに頷き、言われた通り、指示された場所へと向かった。


そこは全体を見渡せる場所で、たくさんの人が働いていると分かった。それぞれ異なる役割があり、誰が欠けてもいけない。


その中心にいるのが、演者であるあの男女2人なのだ。


テレビという一枚のフィルターを通して見ている彼らは、何も遮るものがない状態だと、輝きが抑えられないようだ。


自分とは別世界の人だ。

眩しくて、直視するのも憚られた。



「――学校の方ですか?」


撮影が一段落ついたとき、中心にいた俳優さんに声をかけられた。私でも名前を知っている人だ。


目の前に立つと、小さい顔とスタイルの良さに驚く。テレビで見るよりずっと魅力的に見えた。


「はい」


彼女はプランターに視線をやり、「綺麗ですね」と言った。


プランターには色とりどりのパンジーが植えられていた。


「生徒たちと一緒に植えたものです」


「そうなんですね。大切に育てられてるから、綺麗なんでしょうね」


彼女が笑う度に、キラキラと効果音が聞こえるようだった。顔だけでなく、心まで美しいようだ。


「そうかもしれません。生徒たちの愛情がたくさん詰まっていますから」


花を見つめていた彼女は、マネージャーらしき人に呼ばれてその場を去った。



周囲を眺めるが、この場に私を呼んだスタッフが見当たらない。

自分はもう用はなさそうだが、勝手にいなくなるのも気が引ける。


キョロキョロとしていると、「誰かお探しですか?」と後ろから男性に声をかけられた。


話しかけた相手も誰だか分からないし、探しているのも誰だか分からない。

どう伝えたらいいのか……。


「私、宍戸成海のマネージャーです」


だったら話してもいいのかもしれない。


「えっと……先ほど鉢を動かすからとこちらのスタッフの方に呼ばれまして、鉢を戻すときもいてほしいと言われていたので、この場にいました。ただ、時間がかかるのであれば仕事に戻りたいので、鉢はそのままでよいとお伝えしたいのですが、その方がいらっしゃらなくて……」


「なるほど。お仕事がありますもんね。私から伝えておきますよ」


「……いいんですか?」


「はい、もちろん」


「ありがとうございます。お言葉に甘えて、お願いします」


仕事なんて方便だ。

この場を早く去りたかった。


彼と関わるべきではないと思いつつ、彼の姿を見たいとどこかで思っている。

この思いを断ち切るには、彼に会うべきではない。



「珍しい方ですね」


「……はい?」


「こういう場だと、ずっと残って見ていたい人の方が多いかと思って」


「あぁ……」


伊川いがわさんとも物怖じせずに話してましたし」


伊川さんとは、さっきの俳優――伊川いがわあおいさんのことだ。同世代で、10代の頃に見ていた学園ドラマに出ていた記憶もある。長い間、第一線で活躍している人だ。


「それは伊川さんが感じがいいからですよ」


「それもあるでしょうけど……。そういう仕事、されてたことあるんですか?」


「“そういう仕事”……ですか?」


「芸能活動とか」


「まさか! ありませんよ!」


思わず大きな声が出た。


「びっくりしました。そんなこと言われたの、初めてですよ」


「お綺麗だから、そうかもしれないと思ったんです」


「やめてくださいよ……」


あんなに綺麗な俳優さんを身近に見られる状況にあって、ただの一般人にそんなことを言うなんて、どう考えても言葉通りには受け取れない。


「それでは、先ほどの件、お願いします。お疲れ様です」


私は丁重に頭を下げて、校内へと歩き出す。



こんなに長く撮影現場にいたのに、彼からは全く話しかけられなかった。


自分だけだったのだ。

――馬鹿みたいに意識しているのは。


息を思い切り吐き出すと、緊張の糸がほどけて、少し楽になった。

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