ガラスは割れた
「すごい数の人だったな。あんなの始めてだ」
頬を紅潮させたラピは浮足立った様子で、貰い物を籠一杯に抱えていた。夏場といえど夜は涼しく、ラピにはそれが心地いい。
「良かったな、気に入られたみたいで。階段は流石に持つぞ」
最初、鴉は重たそうな籠を持とうとしたが、ラピは舞い上がっていて、その重さを感じることに拘った。ただ、細い道に入り、建物の壁に這うように伸びる木製の階段に差し掛かると、今度こそ鴉が預かった。ラピはただついてきたが鴉がどこに向かっているのか、そういえば分からなかった。
「階段、抜けないように気をつけろよ」
そういわれて足元に目を凝らす。段々に貼られた木の板は新しさが疎らで、踏むと軋むものからしっかりとしたものまでまちまちだった。長い間人に利用されていることが見てとれる。
鴉は階段を上がった先の通路の一番手前のドアから中に入り、ラピもそれに倣う。
「まぁちょっと狭いけどよ、しばらくここで生活することになるから」
「光が白いな」
鴉が入室と同時に灯りをつけると、ラピはその光景が気にかかった。ランタンや蝋燭のような暖かい光ではなく、雰囲気や物の配置も娘の部屋と比べて生活感が見られない。壁にかけられた武器の類がよりそんな感覚を引き立てた。
「魔法灯だよ。魔力を込めると明かりがついて、魔法陣が擦り切れない限りは使えるから結構長持ちする。俺はあんまり家にいないから、価格が不安定な油よりこっちの方がいいんだ」
ラピはこの光が魔法灯であることを知っていた。逃げ出す前の記憶がフラッシュバックして、すっと気落ちしてしまう。
「ランタンの方がいいな」
「そうか?たしか古い油がどっかにあったかな」
鴉は籠を端に置くと戸棚に手をかけ探し始める。ラピは自分の我儘に着き合わせたことを申し訳なく思ったが、鴉がすんなりそれを受け入れてくれたことで少しだけ気が晴れた。
ベットに腰を掛け、横たわる。体がどこまでも沈んで行くような気さえした。鼻に掠めるシーツからなんだか覚えのある匂いがしてラピはむくりと起き上がる。腰を屈めて棚を漁っている鴉に駆け寄ると服に顔を押し付けた。
「なんだよ」
「なんでもない」
酒だのなんだので分かり辛かったがシーツと同じ匂いがして、鴉がちゃんとここで暮らしているのだなと思うとラピはなんだか安心した。
ドン、ドン。鈍い音が二度、ラピの鼓膜を揺らす。扉をノックする音だと遅れて気付いたが、招かれざる客であることを自分から伝えるような無遠慮で乱暴なやり方だった。鴉も緊張した様子で、ラピを引きはがすとドアノブに手をかける。ラピは一人で部屋の奥に引っ込んでいるのもなんだか不安で、鴉の後ろにぴったりくっついた。
「夜分遅くになんの御用で」
鴉が扉を開けると中年の男がこちらを険しい顔で見つめていた。前髪が若干後退していて、体はだらしないとは言わないが中々な肉付きをしている。
「私はアウフィエル宰相閣下直属の特任憲兵である。先日逃げ出したわが機関の『備品』がこの町に逃げ込んだため…」
そこまで言ってギロリと鴉の後ろから顔をだしていたラピに視線を向けた。ラピはアウフィエルという言葉に反応し、すっかり萎縮している。鴉は男を見据えたまま右手でラピを自身の真後ろに行くよう促した。
「アウフィエル宰相って言ったらこの国で国王に次ぐお方じゃあないですか。それで、情報収集ですかい?手伝えることがあるなら喜んで手伝いますよ」
鴉は不器用な笑顔で応対を試みるが男はピクリとも笑わない。眼球だけが動く石像の様だ。
「発言を訂正しろ。閣下はこの国の繁栄を第一に考え、重要な役割を担う崇高な御方だが国王の御子であらせられる皇太子殿下の方が立場は上にあたる。それから情報は必要ない、『備品』の所在は熱心な臣民の協力により先刻明らかになった。貴様はただそこにいればいい」
微動だにしていなかった男が急に手を伸ばしラピの右腕を捕らえた。ラピはあなや体が引きずられそうになるが鴉の太ももに縋り付き抵抗する。
「2029番、貴様が機関から逃亡することを許可した覚えはない。通常であれば発見の時点で即刻処分だ。だが安心しろ、閣下は寛大なお方。貴重な成功例である貴様には普段の
「嫌だ!誰があんなところへ戻るか。死んで地獄に落ちた方がよっぽどマシだ」
ラピが今までに無いほど必死な形相で叫び声をあげる。瞳孔が淡く発光し、
「待て待て、落ち着けって。あんたもこんな小さい女の子にそりゃないって」
急な展開に鴉は動揺した様子だがともかく男の手を振り解こうとした。しかし、人に対して行使する範疇をこえた加減のないそれに手をこまねく。
「邪魔だ。この件に関して干渉する権限は貴様には与えられていない。憲兵の公務を妨害することはこの国に対する
呆れてため息をつき、それから侮蔑する様な表情を浮かべて。
「それにこれが何の変哲もない少女、ましてや人間に見えているのか?化け物だろう。自由の権益も庇護の精神もこれには不要だ」と続けた。
ラピは一層怒りを色濃く浮かべ、歯をむいて男を睨みつけた。だが男が言葉を切った途端自らの腕を握る手が解かれ、手の主は仰向けに倒れた。ラピは理解が追い付かず怯んでしまう。
鴉が殴ったのだ。拳は綺麗に顔の中心を捉え、男は鼻から血を噴き出し白目を剥いている。ラピが目の前の事態を
「次から次へと」
男はラピを捕縛しようとした動きを阻まれ即座に鴉に刃を向けたが、お互いの腕を交差させるように鴉が腕をぶつけると軌道を逸らされて男は完全な無防備となる。鴉は鳩尾に一発お見舞いすると前髪を鷲掴みにし顔面に膝を叩き込んだ。
鴉の家の内観は最低限取り揃えた家具と壁にかけられた仕事用の武器、それから二人の気絶したおじさんで構成されていた。
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