ラピと鴉と娘

 ラピの耳に乾いた破裂音が響いた。


 鴉に連れられ町の中心部の方へ来たが、そこは寂れた酒場の付近とは打って変わって所狭しと建物がひしめき合っている。路地裏の一角、それは圧迫感のあるベランダを廂代わりにした部屋のドアを開けた矢先の出来事。中から出てきた若い娘がラピの姿に気付くと、切迫した表情で鴉の頬を強くひっぱたいたのだ。


「子供がいたなんて、信じられない!」


 ラピはいかにも不健康そうな青白い肌に浮かび上がる鮮やかなもみじ模様に感動すら覚えて、当の鴉は事態を処理しきれていないのか呆然としている。そしてこの混乱の担い手である娘は張り裂ける心中を吐露する様に目一杯の涙をその瞳に溜めていた。


「傭兵さんにとって私がただの遊びの女だなんて、分かっていたことです。でも子供や奥さんを放ったらかしにするのは違うんじゃないんですか」


 娘が潤んだ声で必死に訴えかけると、そこで漸く冷や水を被せられたままの鴉は表情を取り戻す。ラピにはやはり事態が飲み込めていなかったが、鴉のほっぺたを見るとどうにも愉快なので特にはそれで構わなかった。


「待て待て、コイツは俺の子供じゃないんだ」


「む、私が鴉の娘だと思ったのか。全然似ていないだろう」


 ラピはフードを外していたから髪色で分かるだろう、と自分の前髪をぴょこぴょこさせた。


「へ、そうなんですか。本当にごめんなさい!」


 力が抜けたように事態を受け止めるとさあっと血の気が引き、娘は慌てて頭を下げた。ラピは忙しい人だなと思い少し笑みを浮かべる。鴉もそうだが自分が知らないだけで人間というやつは本来〝感情〟がコロコロと変わる生き物なのかも知れない。


「いやぁ、誤解がとけたならそれでいいんだ」


 鴉は頬を掻きながら照れ笑いを返す。ラピはなんだかその様子が癪に障った。


「お名前はなんて言うの?」


 娘はラピの目線まで腰を屈めると柔和な表情でそう訊ねた。


「ラピだ。いい名前だろう」


「ええ、とっても。素敵な名前を頂いたのね」


「あぁ、この男につけて貰った。気に入っている」


 ぴしゃりと空気が固まった。ラピは自分の発言の何が悪いか分かっていないが、鴉の顔が先ほど必死に弁明していたときのものだと気づいた。


 もう一度乾いた音が響く。




「本当にごめんなさい」


 娘は自室に案内すると、謝罪と共に水の入ったコップを差し出す。涙を出したり引っ込めたりしたせいで少し目の下が赤らんでいた。


「いやいいんだ、こいつとは本当にさっき会ったばかりで。自分でも変な状況だと思ってるよ」


 酒場の裏で自分にしていたそれと違って話す様子がたどたどしい。とラピは思っていたがそれを上回るくらい両頬のくっきりとした手形の痕が面白く、笑いを堪えるのに必死だった。


「それでな、こいつに合う服とかがあるなら見繕ってもらおうと思って。髪とかも幾分か整えてやってくれないか」


「何故だ、私はこのままでも構わないぞ」


「いつからその状態なのか知らねぇけど結構汚れてるぞ。それにその外套も厚手だ、この時期だともう暑苦しい」


 鴉も大概だろう、酒臭いし。とラピは抗議しようとしたが自分と娘を見比べてシュンとなって縮こまった。娘もこの部屋も華やかさはないが素朴で、小綺麗な感じがする。


「構わないですが何故私に」


「女の子の勝手は俺には分からないから頼むなら女の人の方がいいだろうって、ただ頼める相手が他にいなくてな」


 娘はお盆を口元に寄せて鴉と見つめ合っていた視線を下に向けた。ラピにもなんとなく、その仕草から嬉しいの気持ちが伝わってきた。


「じゃあ、行きましょうか」


 娘の伸ばした手に引かれて、ラピは奥の扉をくぐった。




 ラピは娘にタオルでわしゃわしゃと髪を拭かれながら非常に上機嫌だった。桶に溜めた水を汲んで体を洗う簡単な沐浴だったが季節がら水もそこまでの冷たさはなく、むしろ外気の暑さが相まってその水温が心地いい。あまりの清涼感に翼を出して飛び回るところだった。


 それからハサミで不自然に伸びたところを軽く切ってもらって、渡された服に袖を通した。


「私が小さい頃に使っていたものだから、あまり綺麗ではないかもしれないけれど」


 娘はそう言うがラピにはそうは思えず、見た目も気にいっていた。細やかではあるがリボンやフリルが所々にあしらわれていて中々可愛らしい。頻りにポーズを変えて舞い上がっている様子をみて娘も優しく微笑んだ。


「サイズもいいみたいね。傭兵さんにも見せてあげて」


 娘の言葉を聞き届けるや否や鴉のいる部屋へ飛び出した。


「おぉ、似合ってるじゃねぇか」


 どうだ、と言わんばかりのラピの振る舞いに噴き出すと、鴉は素直に褒めた。髪色は少々目立つだろうが町を歩いていてもおかしくない、可愛らしいただの子供だった。


「そうだろうそうだろう、鴉も着替えたらどうだ。髪も格好も真っ黒で陰気臭いぞ」

「お前なぁ、人が褒めてやってるのにこのやろう」


 鴉がまだ乾ききっていないラピの髪を乱暴に掻く。口ではラピの悪態に文句――まったく正当なものだが――を溢すが顔は無邪気で、すっかりと気の知れた関係のようだった。


「傭兵さんはそのままでもカッコイイですよ」


 娘がにっこりとしながら言うとラピは首を傾げた。


「鴉の呼び方は鴉だろう。それとも本当の名前がヨーヘーなのか?」


「鴉は呼び方で合ってる。傭兵ってのは職業の一つで俺以外にも何人もいるんだよ。職業って分かるか?パンを売るのがパン屋さんで服を売るのが服屋さんだ」


 揶揄うように鴉が説明する。


「ほう。で、傭兵は何を売る人なんだ」


「血だ」


 軽快な調子で喋っていた鴉が不意に真顔になる。ラピが不安がって娘の方へ目をやると先ほどまで明るくニコニコしていた顔に影が差している。流石にラピも、血を抜いて売るなんて、貧血にならないのだろうか――とは思っていなかった。


「戦争で喜ぶ馬鹿がいる」鴉は机に肘をついたまま話す。「自家製の騎士だけじゃ飽き足らず兵隊を余所から買って、無駄に大掛かりにやりたがる。そういう意味じゃ商品は俺だ」


 ラピは黙りこくって、今日初めて不快感で顔を歪めた。直接見たことはないが、戦争――その言葉をよく聞いていたから。


「パン屋さんはパンが好きなのだろうな。お前は戦争が好きか」


「戦争も血も好きじゃない、それが普通だ。物好きは戦地の方が少ないんだ」


 その時の鴉の表情は今迄のどれよりもつまらなくて、ラピは呆れた想いだった。


「最近は忙しかったのでしょう。無事で嬉しいですよ、私は」


 話を逸らす意図もあったがそれは本心で、しかと人に向けられたものだった。ちょっと驚いたように娘を見つめる鴉に彼女は照れ笑いを返す。ラピは二人を見ていて形容し難い感覚に上書きされたが、先程のそれよりは幾分マシに思えた。


「俺が何かした訳じゃない」特に悔しい様子もなく鴉は続ける。「いいところは騎士様が持ってったよ。まぁおかげ様で、しばらくは暇にはなったな」


「ラピちゃんはどうなさるんです?」


 本人の前で聞くのははばかられるが、娘はそんな風に眉尻が下がっていた。


「しばらくは面倒を見るかな。一人には出来ないし、この町の勝手もしっておいた方がいい」


「面倒だと言うなら無理にそうしなくてもいい。元々一人だ」


 本当は鴉の言葉が嬉しかったがラピは鴉と目を合わさずにそう呟いた。


「拗ねるなよ。とにかく行くぞ」


鴉は砕けた表情でラピの腕を引いた。

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