夜に焼かれた星
宮崎満月
凱旋、それから傭兵との出会い
町を南北に縦断する幅広の街路には多くの群衆が押し寄せ、熱気に満ちていた。その数の多さに構わず兵士たちが端へ追いやり通り道を確保する。普段不均一に踏みつけられる石畳も顔を覗かせていた。
ギィィ。
大衆が一様に視線を向ける先――この町の正面玄関である門扉が地面を擦り、重厚な唸り声を上げた。示し合わせたかの様に空風が吹き込み、三階建ての煉瓦造りから垂れるタペストリーがはためく。開門に当たっていた兵が脇へ避け、一頭の馬に跨る騎士が城壁の落とす影から現れた。身を包む夜のような黒い鎧は欠損や変色が目立ち、対照的な色の髪にも砂埃や汚れの類が散見される。激戦であったことは傍目にも明らかだった。
火にかけた鍋の蓋を開けて、湯気が立ち込めるかの如く歓声が沸いた。羨望の渦中にあって件の騎士は一定のリズムで馬を歩かせる。それに追従して一軍が列を成し悠々と軍靴を鳴らすが、大衆の注意はやはり先頭の騎士に向けられていた。
英雄の凱旋。吟遊詩人の謳う叙事詩の一幕のような場面に当事者達は高揚の色を浮かべている。ただ一人、その騎士を除いて。煌々と輝く宝石のような瞳はどこか昏く、足元へ伏せられている。だがその零度の心に気付く者はいない。希望の星はただ、孤独だった。
昼間の酒場は人も疎らで、席に着く人間たちもどこか覇気がない。国境の要所といえど王都ほど人の往来がある訳でもなく、宿場から外れた場末の酒場の客は大概が常連だった。
店の隅、オーバーサイズの外套にすっぽり身を包んだ子供がいた。夜になればもう少し人で賑わい、酒の席に似つかわしくない珍客を誰かが訝しんだかもしれない。
だが一番近くに座る黒髪の男はこんな時間から深酒に浸っているのかテーブルに顔を伏せており、入口側の二人組は気だるげな顔を突き合わせていた。店主にいたっては姿が見当たらない。
「そういや昨日の凱旋、凄い賑わいだったな。いいよな、騎士様ってのは。俺も町中の娘たちからキャーキャー言われてぇもんだよ」
「今頃はべっぴんさん両脇に抱えてちぎっては投げ、ちぎっては投げだろうな」
「こんな昼間からか?」
「こんな昼間から酒を飲んでるやつがいるんだ。なにもおかしくはないな」
「違いねぇ」
男たちが談笑に興じる脇で、外套の子供は黒髪の席に近づいていた。卓上には料理がいくつか並んでいて、手はつけられているが満足に食べられるだけの量が残っている。明らかに他人のものであるというのに恐る恐るといった仕草もなく堂々と料理に手を伸ばした。
一口、冷えていて少し肉が固いが味がそこそこに染みていて美味い。しばらく飲まず食わずだった身には十分満足なもので二口目に手を伸ばす。
「うわっ」
黒髪の男がその腕を掴み立ち上がった。突っ伏したままでは分からなかったが中々背丈が高く、子供は宙吊りの状態になってしまう。重力のままに外套のフードが外れると顔が露わになった。手入れがされていない傷んだ白髪、その間から透き通った赤い瞳が覗いている。
「人様の飯に手を出すなんざ教育がなってねぇな」
「何を言うか。食べ物の目の前で眠りこける貴様より私が食べるべきだろう」
子供特有の甲高い声が店中に届く。発言した当人は大の大人に掴まれているのに一切怖気づく様子を見せず、何を言っているんだ?といった表情で男を見つめ返す。まだ酒気が抜けず意識が漫然としていた男は予想外の発言によほど衝撃を受けたのか、目を丸くした。
「おい鴉、どうかしたか」
二人組も異変に気付き男に声をかける。鴉とは黒髪の男の通称だが、いつからか大概の人間にはそう呼ばれるようになり、本来の名前を聞く機会は男自身あまりなかった。
「いや、大したことじゃねぇ。ちょっと手癖の悪いガキが出ただけだ」
鴉は腕を掴んだまま裏口のドアを開け店を後にした。
「見たことないガキだな。あんな髪色なら目立ちそうなもんなのに」
「しかし大丈夫かねぇ、鴉のヤツ結構酒入ってたみたいだが」
「まぁ流石に子供に手を挙げるような事はないだろうよ」
それもそうかと納得すると、男たちの会話は日常へ戻っていった。
「はなせ、いつまでそうしているつもりだ」
相変わらず不遜な態度で随分な物言いだが鴉は構わず少し歩くと小さな盗人を放す。酒場の裏側、町の外れは木も店も疎らに並んでおり人の姿はもっと珍しい場所だった。
「お前、どっから来たガキだ」
「知らん。とにかく山から逃げて、気づいたらここだ」
男は呆れた様にため息を吐いた。
「貴様、酒臭いぞ」
「そりゃ悪かったなぁ!だけど言わせて貰うぞ、目上の相手に貴様なんて言うんじゃねぇ」
「?、何故貴様が私より目上なんだ。第一貴様もお前と言ってるじゃないか」
子供はあくまで本気であり、目の前の男が何故面食らった表情なのか理解できなかった。
「いいか、お前は子供で俺は年上だ。普通自分より年齢が上の相手には敬語を使うの」
「年齢とはなんだ」
「…年齢ってのはなぁ、自分が生まれてから何年経ってるかっていう数字でな」
再度訊ねると鴉は一瞬閉口したあと落ち着いた口調で話しはじめた。鴉が今自分に向けている表情を見たことがなかった。
「そんなもの一々数えているのか。律儀なやつだな」
鴉が次に浮かべた顔は子供にとっても身近な〝怒り〟だった。自分がなにか言う度に二転三転する姿を少し面白がり始めていた。
「まったく。まぁいいや、俺のことは鴉と呼べ。で、お前の名前はなんだ?」
人間なのに鴉なのか、目の前にいる男の正気を疑ったが、周りもそう呼んでいたし、一旦気にすることをやめる。とにかくされた質問に答えることにした。
「名前とは呼ばれ方のことだな、だとすれば私の名前は2029番。うん、それが適当だ」
別に自分の発言がおかしいとは露程も思っていなかったが、次もなにか反応を見せてくれるだろうと思っていた。だが鴉は固まっている。
「どうした」
「いや、それは名前じゃないだろ。普通は人間のことを番号で呼んだりしない。俺だって本当の名前はちゃんと名前だ」
動揺しているのか、要領を得ない口ぶりになっていた。
「そうなのか?なら私に名前を付けてくれ」
「名前つってもなぁ」
鴉はすっかりペースに乗せられたのか律儀に考え始めた。
「仕組みはしらないが、そうだな。それで言うと鴉は良い呼び名だな。カラスは賢いし、見た目も中々イカしている」
きっとお前もそうなのだろう、そんな風に期待の眼差しを鴉に向ける。腕を組んで俯いていた鴉はその言葉に反応して少し笑って見せ、それからどこか遠くの方を見る目になった。
「本物のカラスの方がよっぽどいい。俺には羽がないから、自由に飛んだりは出来ないんだ」
「飛べないのか?」
「そりゃそうだ。おれは人間だからな」
2029番はおもむろに外套を脱ぐ。体の大部分を隠す格好で分かり辛かったがどうやら彼、いや彼女は少女だったらしい。鴉も今気づいたのか目を丸くしている。
格好は首と胸が布で覆われていて、それ以外の上半身は殆ど肌を露出していた。下に履いているショートパンツも不自然に丈が短いがそれ以上に裸足なことが目を引く。山から逃げてきたという主張が不可解なことは確かにしても、何某かから逃げてきたのが事実なら素足なのに汚れや傷がないことは変だった。
「飛ばしてやろうか」
腰の僅かに上、簡単に折れてしまいそうな細いくびれはつるつると子供特有のきめ細かい質感をしている。だが不意にその肌の下から何かが隆起し、ボコボコと蠢き始める。鴉は狼狽えて一歩下がるも子供はすぐにその距離を詰めた。
「お前、それ…」
歪な動きが一度止まるとそこの部分の皮膚に亀裂が走り、隙間からこぶし大の白い塊が顔を出す。数度震えた後、体内から這い出る様に横に広がって、少女の身長を僅かに上回るだけのサイズに変容する。それは明らかに鳥類や宗教画の天使に描かれる羽といった類のものだった。
「ハーピィなのか?」
「なんだそれは。鴉は私の知らない事ばかり言うな」
「羽が生えてて鳥と人間の中間みたいなやつだ」
鴉は声を尻すぼみにしながらそう言った。一般的な認識としてハーピィや魔物なんていうものは寓話や神話に出てくる架空の生き物であり、鴉が自信を無くすのも無理はない。
「まぁいい、舌を噛むなよ」
少女は軽く飛び上がると、鴉の肩に足を掛ける――本人は軽くのつもりだが一息で鴉の頭上より高い位置まで飛び上がったことになる。羽だけでなく、足も鶏のようゴツゴツとしたものに変化しており、その鉤爪で肩を鷲掴みにしていた。
「うわぁ」
鴉の困惑した声を意に介さず羽を一振り。周囲の砂や枯れ葉が巻き上がり、大柄の成人男性をぶら下げたまま悠々と離陸した。建物の屋根と同じだけの高さで一度旋回して見せると鴉を乱暴に投げ、自身もゆっくりと降り立った。
「何すんだてめぇ」
「悪い悪い、意外と重くてな」
口で言う程悪びれていないが少女は改めて鴉に感心した。それなりの高さから落ちても綺麗に着地出来ているし、見かけの体格以上に筋肉を搭載している。
「まぁそれはどうでもいいから。名前だ、名前」
「どうでもいいって。謝る気ないだろ」
鴉は手に着いた砂を払いながら冷ややかな視線を少女に向ける。
「白くてハーピィだから…、ホッピーでどうだ?」
「嫌だ。響きが間抜けに聞こえる」
「え、あぁそうか」鴉は顎に手を当てて続ける。「ラッピー、いや違うな。…ラピだ。ラピってことでどうよ」
2029番、いや、ラピは自分に与えられた名前を
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