第7話 記憶は魂を越えて

「なあ、ベル」

「なあに、ショウ」

「もし……」

「ん?」

「もし、俺が死んだらさ」

「縁起でもないこと云わないでよ」

「もしも、の話だよ」

「もしも、でも云わないでほしいわ」

「あの子たちを助けてやってほしいんだ」

「云わないでっていったのにぃ!!」

「あはは、ゴメンゴメン」

「……で?あのコたちって?」

「うちの子たちだよ。八匹いるんだ」

「あー、あのコたちね」

「自分勝手なのかもしれないけどさ」

「そうね」

「大切な家族なんだ」

「そう……」





 暗い部屋の中で、目尻から伝う涙のあとを残したまま、レオの瞼がゆっくりと開かれた。













 オスヴァルトの執務室。来客用のテーブルを囲む三人と、テーブルの上に一匹の黒猫がいる。


 黒猫――ノワルの話が、部屋に重苦しい空気を流した。オスヴァルト、エリーザ、マルクス。三人は三者三様に、空腹も忘れるほど思案に暮れている。


「魂の情報を輪廻に還す魔法。≪リーンカーネーション≫ですか……」エリーザが言った。


 ベルの固有魔法オリジン≪リーンカーネーション≫。使用者のマナの大半を利用し、死者の魂を輪廻に送る魔法。そのリーンカーネーションが誰かしらに宿り、還るまで、二度は行使できない魔法だという。しかも、いつ宿るかはわからない。


「ショウ……」

「左様でございます、オスヴァルト様」

「訊いたことないですね」

「ショウ様は生前おっしゃったそうでございます。自身の名を後世に残さないでほしい、と」

「なぜでしょう?自身の命を犠牲にし、世界を救う一手になったのに」

「わたくしも、詳しくは存じ上げませんので、なんとも」

「そうですか。そんな、ショウという者を、甦らせようと思ったのは、その犠牲に報いるためなんですかね」

「さて、どうでしょう。聖霊王とは、ベル様が望んでいなくとも、聖霊以外の全ての者が、こうべを垂れ、傅く存在でございます。ショウ様はそんなベル様に対しても、気さくで、いつも楽しく会話し、気遣ってくれた、とおっしゃっておりました。もちろん、ベル様の御加護をいただいていたこともございますでしょう。ここからは、わたくしの推測でございますが、かまいませんか?」

「ええ、お願いします」


 エリーザの返事に、ノワルが頷く。


「おそらく、そこには、聖霊王と加護をいただきし眷属、という隔たりなど存在しなかったのでは、と存じます。ベル様と共に過ごされた時を経て、おそらくショウ様は、ベル様にとって、ヒト属における唯一の〝友〟のような……そんな存在になっていたのではないのでしょうか?」

「随分と曖昧ですね」エリーザが言った。

「ベル様からは、かいつまんだ話を伺っただけで、詳細には語っていただけませんでしたので」

「ノワル様の主なんですよね?そのショウって方は」

「ええ。ですが、その頃のわたくしは、ただの猫、でございましたし、ショウ様のご自宅にずっとおりましたので。わたくしどもが覚えておりましたのは、ショウ様の優しさとともに過ごした時間。それと、何度も呼び掛けられていた言葉。それ以外のヒト属の言葉は、なんとなく以上には、存じ上げておりませんでしたので」

「何度も呼び掛けられていた言葉とは?」

「ノワル、と」

「なるほど。ノワル様のお名前は、そのショウという方が付けられたのですね」

「おそらくは、でございますが、左様でございますね。エリーザ様」

「それで、ノワル様はどうなさるんですか?」


 エリーザの質問に、ノワルは目を細める。


「我々アンシャは、かつてベル様に告げられました。〝いつか、あなたたちのもとに真なる主が現れたのなら、自身の判断で仕えなさい。選ぶのは自由〟と」

「自由、ですか」

「左様でございます。はじめは……、我々アンシャの誰もが、飼い主であったショウ様が、すぐに戻ってこられることを信じておりました。その時をとても待ち望んでいたのでございます。ですが、十年、百年。待てど暮らせど、一向にショウ様が戻ってくる気配が訪れない。時が経つにつれ……ましてや、国仕えになっていた我々は、さまざまな出来事を通し、次第にショウ様との思い出が風化していった。――やがて、自身の役割、存在意義は、仕えている大聖霊や、国のためにと、意識は変化していったのでございます」


 天井の、どこともつかない場所を見上げ、ノワルは話を続ける。その瞳には、千年近い時の流れと、その間に失われた記憶の断片が映っているかのようだった。


「我々が聖猫アンシャという存在になってから千年弱でございます。数匹のアンシャはすでに、ショウ様という存在に興味をなくしております」

「ノワル様もそうなんですか?」

「わたくしは……。25年前。リーンカーネーションの種が、エリーザ様に宿ったと、ベル様から伝えられた時、そして、十八年前にレオ様がお生まれになられ、その種がレオ様に移ったあの日から、わたくしの覚悟はそちらへ向かっております。それに――」


 ノワルは、レオの部屋がある方に顔を向け、優しく、フッ、と息を軽く吐いたあと、正面に顔を戻し話し続ける。


「――本日、レオ様がベルコネクトにマナを注ぎ、放った輝きを見て、わたくしはどこか誇らしく感じたのと同時に、懐かしさを覚えましたので」


 ノワルの姿は現在猫。表情など分かりにくい部分はある。だが、3人には、ノワルが優しく微笑んだようにみえた。


「では」エリーザが言った。

「左様でございますね。レオ様の言葉に従おうかと存じます」

「そ、そうですか」


 暫しの沈黙のあと、マルクスが口を開く。


「で、レオはどうなったのでしょうか」

「ショウ様の魂の記憶が、レオ様の魂に刻まれたのではないかと存じます」

「じゃあ、それは……、レオなのですか?レオと呼べるのですか?」

「マルクスっ!」


 焦燥する様にエリーザが叫んだ。


「でも、だってさ、そうだろ?そのショウって人の記憶がレオに刻まれたのなら、レオの記憶が塗り替えられてしまうことだってあるんじゃない?」

「たしかに、マルクスの意見も一理あるな」

「あなた……」

「わかっているさ、エル」


 やるせない気持ちを隠しきれず、無意識にエリーザを愛称で呼ぶオスヴァルト。


「それで、どうなんですか?ノワル様」エリーザが言った。

「ふむ。レオ様の成人まで、ベルコネクトを渡すのを待たれた理由が、もしかしたら、そこにあるのかもしれませんね。ですが、流石にこればかりは、レオ様に伺ってみないと、なんとも――」


 その時、執務室の扉が開いた。話題の中心人物が、顔を覗かせたのだ。まだ頭が痛むのか、若干顔をしかめながらも、笑顔を作っている。


「大丈夫だよ。みんな」

「「「レオっ!!」」」


 家族三人が揃って叫ぶ。エリーザは慌てて席から立ち上がり、少しふらついているレオに駆け寄って、肩を支えるように掴んだ。


「レオ、起きてたの!?」

「ああ、ついさっきね。みんなを探していたら、ここから話が聴こえてきたからさ」

「まだ寝てなくて大丈夫なの?」

「ああ、うん。まだちょっと頭が痛むけど、大丈夫だよ、母さん」

「そう。よかったわ。でも、無理しちゃダメよ?」


 安堵するエリーザとは相反し、オスヴァルトが真剣な眼差しをレオに向ける。


「ところで、レオ。お前はレオで合っているのか?」

「ん?ああ、親父。さっき入ってくるときにも言ったけど、大丈夫。俺はレオだよ」

「本当か?」

「ひでぇな、親父。息子を疑うとは」

「返しがレオだね」マルクスが言った。

「たしかに」

「それで、わかんの!?なんで!?」

「やっぱり、レオだね」

「たしかに」

「だから、なんでだよっ!」


 我が家のツッコミ担当、レオ。マルクスとオスヴァルトが確信に至った理由である。


「あなたたち、いい加減にしなさいよ?レオはさっきまで倒れていたんだから」

「あ、いや、すまん。レオが、いつものキレできてくれたもんだから、つい」

「そうだね、父さん。流石だよ、レオ」

「嬉しくないんだけど!?」

「もう、ほんとに……」


 二人に呆れているエリーザの表情も、どことなく綻んでいた。


「でも、レオ。本当に大丈夫なの?ノワル様から訊いたけど、ショウってヒトの記憶がレオに刻まれたんじゃないかって」

「あ、うん。って、そういや、ノワル……。って母さん今、ノワル様って言った?」

「そうよ。わたしは昔からノワル様のことを知っていたの」

「ほぇー。でも、なんで様付け?」

「ノワル様は、聖霊の遣いでしょ?訊いていないの?」

「ん?え?あ、ああ。たしかに、聖霊魔法を使ってたもんなあ。そういうことかあ」

「なによ。何も知らずにあなたはベルコネクトにマナを込めたの?」

「ベルコネクト?ああ、あの鍵の魔道具か。へー、あれ、ベルコネクトっていうんだな」

「レオ……。あなたは……」

「い、いや、待ってくれ母さん。たしかに何も知らずにノワルに従ったけど、俺はあの時感じたんだ」

「なにを感じたのよ」

「この黒猫とは、付き合いが長くなる?」

「なんで疑問形なの?勘じゃない、もうっ!まあ、いいわ」

「えっ、いいの?」

「相手がノワル様じゃなかったら、お仕置きですけどね!」

「あ、はい。すいません」


 母親譲りのツッコミと、父親譲りの勘。やはり、ちゃんとレオだ、と思ったマルクスだった。


「それで?本当に大丈夫なの?記憶が混濁して倒れたんじゃないか、ってノワル様がおっしゃってたから」

「たしかにショウの記憶が一気に流れ込んできてさ。びっくりしたよ」


 死ぬかとおもった、と笑いながらいうレオに、エリーザが更に気遣わしげな表情を向ける。


「それで?今はどんな感じなの?」

「うん。なんていうかさ、ショウの記憶が、俺の知識として加わった、って感覚かな?たしかに、ショウの思い出も増えたけど、自我はレオのままって感じだ」

「そう。じゃあ、あなたはレオで良いのね」

「だから、さっきからそう言ってるんだけどね」

「あっ、そうだったわね」


 エリーザとレオが笑い合う。やり取りを見ていたオスヴァルトとマルクスからも笑みが零れた。


「ところでさ、母さん」

「なあに?」

「腹減った」

「「「あっ」」」」


 レオの言葉に、そういえば、と三人は声を重ね、思い出す。想像していたことよりも深刻な状態ではなかったレオを見て、三人も安心したのか、一気に空腹が襲って来た。


「そうね。レオも大丈夫そうだし、話はあとでもゆっくり訊けるわね。早速用意するから、みんな、食卓へ行くわよ」


 エリーザが執務室のドアを開き、先頭で出ようとして、それと、と言いながら振り返る。


「ノワル様も召し上がってくださいね」

「ええ。よろこんでご相伴にあずかります」


 ノワルの返事に、笑顔でエリーザが執務室を出て行くと、それに続いてオスヴァルトとマルクスが出て行った。


 残ったレオが、まだテーブルの上に佇むノワルに顔を向け、泣き笑いの表情を浮かべる。


「ノワル。期待に応えられなかったみたいで、ごめんな。俺はショウじゃないや」

「左様でございますか……」

「でも、ノワルたちと過ごしたショウの記憶はしっかりとあるよ」


 レオがノワルのもとまで歩んでいき、続ける。


「愛されていたんだな。ノワルたちは」


 そう言って、レオはノワルの頭を撫でる。


 頭を撫でられるその感覚に、ノワルは目を見開いた。


 ノワルの遠い記憶に残る、その感覚は、たしかにショウのものだった。

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