第8話 報せは八国を駆ける

 25年前。箱庭。


 常春の日差しの下、一柱の聖霊と一匹の猫が向かい合っている。


「突然呼び出しちゃってごめんね、ノワルちゃん」

「いえ。ベル様のからのお呼び出しでしたら、いかなる時にでも駆けつけるのみでございます」

「それもどうかと思うけど、まぁ、ありがと」

「それよりも、ベル様こそ、こちらに赴いていて支障はないのでございますか?」

「だいじょうぶ。用件を伝えたらすぐ戻るから」

「左様でございますか。して、ご用件とは」

「守ってほしいコがいるの」

「守るとは。特定の一名を、でございますか?」

「うーん。ちょっと違うかな。そのコと、それにかかわる複数名かな?」

「なぜ、疑問形なのかは存じ上げませんが、わたくしに課されているめいは、当代の王のもと、アイゼン王国を守護すること。そちらが疎かになってしまいますが、よろしいので?」

「本来の命を守りながらでも、だいじょうぶよ」

「左様なのでございますか?」

「うん」

「なるほど。では、そのお守りする方とは、どなたなのでございましょう」

「アイゼン王国第一王女、エリーザ・アイゼンよ」

「ほう。エリーザ様でございますか。ならばしばらくは王宮内でお守りできますね」

「そっ」

「なぜ、エリーザ様を?」

「ワタシの≪リーンカーネーション≫が宿ったの」

「まさかっ……。では、もしや――」

「そっ!かえってくるわ」


 花が咲いたかのような笑顔のベルに相反し、ノワルは表情に影を落とす。


「そうですか……」

「どうしたの?浮かない顔をしているわね」

「いえ。まぁ、正直に申し上げますと、あれから千年近くの時が経過しております。数匹のアンシャ以外は、もう、興味を失っているかと存じます」

「そうなの?」

「ええ」

「そっかあ……」


 数秒の沈黙。ベルとノワルの間を、常春の風が通り抜けた。








 現在。


 八英雄の国「マリノン」


 長命種であるセイレーン族が中心に住まうこの国は、水の大聖霊アイルヴィーズを守護する海洋都市国家。


 約千年前の八英雄の一人。海洋都市国家現女王ピア・マリノンが、執務に従事する。執務室の周囲には透明な壁を介して海水が流れ、差し込む光が常に水底の波紋を天井に描いていた。そこへのんびりと1匹のキジ猫が入室した。


 ピアはその艶やかな青色の髪をかき上げ、すぐ傍で呑気にあくびをしているキジ猫に声を掛ける。


「〝フロー〟よ。其方の主があらわれたらしいではないか」

「ファ……、そうなんでありんすか?」


 海を挟んだ隣国。友好国であるオリガタ皇国の文化に嵌まっているキジ猫――フローが、水面に反射する光を見つめたまま、適当なオイラン言葉で応じた。そんなフローの反応にピアは呆れ顔を浮かべる。


「なんだ、知らんのか」

「そういえばさっき、グラシア様が来んしたね」

「そうだ。私のところにも聖獣様が来て、それについて伝えていったぞ」

「あらあら、そうでありんしたか。全然話を訊いてやせんでありんした」

「まったく其方は。千年前の其方の飼い主であろう?」

「そうは言いんすが、アッチはもう、随分と前に興味をなくしんした」

「そうなのか?なら、会わんのか?」

「いえいえ、一応会いんすえ。すぐに帰ってきんすけど」


 そう言うフローの目は、どこか白けている。


「本当に興味ないのだな。まあ、其方らしいといえば其方らしいのだが」

「むしろ、ピア様の方が興味お有りのようにみえんすが。なんででありんすか?」

「そりゃまあ、かつての英雄仲間だからね」

「そういうもんなんでありんすか?」

「そういうもんだよ」






 八英雄の国「バーディア」


 ヒュマーノ族が中心の国で、光の大聖霊ゲレオールを守護する聖王国。


 王都フェザーレから更に北にある、巨大な湖のほとりに、トゥウィンクディーヌ市国といわれている、小さな都市ほどの独立国家が存在する。その場所はベル教の総本山であり、聖女が祈りを捧げるトゥウィンクディーヌ大聖堂がある。


 大聖堂は、大聖霊に認められた者以外、立ち入ることが許されていない。


 その大聖堂の扉が、開かれた。


「〝クラルテ殿〟!!」


 声を張って扉から入ってきたのは、白髪はくはつのロングヘアを後ろで結っている男性。当代のバーディア王、アーヴィン・バーディアである。その声に、祭壇に向かって歩いていた一人の女性と、一匹の白猫が振り返る。


「あんだぁ、うっせえな」白猫が言った。

「ダメですよ、クラルテ様。そんな乱暴なお言葉をつかっては。お相手は、バーディア王のアーヴィン様なんですから」


 白猫を優しく咎めたのは、当代の美しき聖女、シルビア。プラチナブロンドのミディアムボブの髪が、コルネットの隙間から覗いてみえる。シルビアは、バーディア聖王国の大貴族、スワン侯爵家の三女ということもあり、どこか気品が漂っているのだが。


「ああん?なんだぁ、シルビア。文句あんのか?アーヴィン坊ちゃんがなんだってんだ。ごちゃごちゃ言ってねえで、おめえは黙って祈ってろ、半人前」


 その言葉が聞こえてきたアーヴィンは、35歳なのだが、と力なく苦笑した。


「もうっ!クラルテ様はいつもそうやってわたくしのことを半人前、半人前って。8歳の時に聖女に選ばれてから、もう十年も経っているんですよっ。いい加減認めてほしいですわ!」

「バーカ。たった十年ぽっちで何を言ってやがる。こちとら千年近く聖猫やってんだよ。バーカ」

「ムウううっ。寿命という概念のない聖猫様と一緒にしないでくださいまし!わたくしは普通のヒュマーノ族なんですから!」

「あ、あのぉ……」アーヴィンが口を挟む。

「なんだよ!」「なんですか!」


 聖猫と聖女から迫力のある返しを受けたが、めげないアーヴィンは続ける。


「いや、クラルテ様。先程、私のほうにラエタス様がいらしたんですけど……」

「あー、あのサルか。そういやこっちにも来てたな」

「では……」

「ああ、真の主がどうの、こうのって言ってたな」

「真の主?そんな話、訊いていないんですけど」シルビアが言った。

「おめえにゃ関係ねえよ、シルビア。いいから、お祈りしとけ」

「もうっ!分かりましたよ!でも、あとで教えてくださいね!絶対ですよ!?」


 白猫――クラルテの、やーだね、の言葉を背に受けつつシルビアは、渋々祭壇に向かった。去っていくシルビアを見送ると、アーヴィンが問い掛ける。


「それで、どうなさるのですか?」

「どうもこうも、まったく興味ねえよ」

「では――」

「まあ、顔くらいは拝んでやるがな」


 少しは興味あるんだ、と思ったアーヴィンだった。






 八英雄の国「セルバン」


 霊峰クロロン山。その麓、クロロン大樹海深部に存在し、風の大聖霊ウィンリーフを守護する森林都市国家。


 エルフ族が中心であり、ヒュマーノ族を好ましく思っていない。彼の聖戦も、そもそもはヒュマーノ族の業が招いたものであると考えており、聖戦に参加したのも、自分たちの命が脅かされたからに過ぎない。


「やりましたわ!!」

「どうした、〝リゼ嬢〟。随分とはしゃいでいるな」


 この国の王であり、約千年前の英雄の一人。薄い緑色の長髪をなびかせた、ヴァルグ・セルバンが私室に入り、妙にはしゃいでいる長毛猫――リゼに声を掛けた。


「かえってくるのですわ!」

「何がだ」

「ワタクシのご主人様でございますわ!」

「あー、先程セレーノ様がお伝えに来てくださっていたな。くだらん。訊けばヒュマーノ族なのだろう?」

「そのようでございますけど……。ヴァルグ様は本当にヒュマーノ族がお嫌いですね」

「奴らの自業自得に付き合わされた身になってみろ。いやでも嫌いになる」

「ヒュマーノ族の英雄の方々も、ですの?」

「うーむ。まあ、一人を除いてはそこまでではないがな」

「ひとり……」

「うむ。あのノーマンだけは、好かぬ。奴はいつもエルフ族を、前時代的、だの、時代遅れ、だの、好き勝手抜かしおってからに。あーっ!あの、ヒトをコケにしているかのような顔……。今想い出しただけでもはらわたが煮えくり返るわ!」

「ワタクシのご主人様はいかがでしたの?」

「ん?ショウか……。そうだな。奴は優しく、そして、気高い男だった」


 約千年前の英雄の一人を想い出し、しかめっ面だったヴァルグの顔も少し綻んだ。


「ヴァルグ様もお認めになられていますのね!やっぱり、ご主人様は素晴らしい方なのですわ!」

「いや、待て。ショウのことは気に入っていた。だが、さきほど聖獣様が云っていたその者は、ノーマンの末裔なのであろう?」

「えーっと、そうでございますわね。たしかクロース家の次男だとお伺いいたしましたわ」

「まったく……。なぜ、よりにもよってクロース家なのだ。嘆かわしい」

「ですが、当代のクロース家のご家族は、随分とお優しい方々だと伺っておりますわよ?」

「む。……まあ、実際にその次男坊とやらに会ってみないとわからんか……」

「そのとおりでございますわ!今度お連れいたしますね!」

「あ、ああ。わかったわかった。わかったからそれ以上、はしゃがないでくれ」


 ぴょんぴょん、と跳ね回るリゼを見て、僅かな頭痛を覚えるヴァルグだった。






 八英雄の国「ティアゾン」


 クガンダ大雪山の麓に広がる、イェンイェルトゥーバ大平原の一角にあり、氷の大聖霊グラエイスを守護する獣人国家。


 獣人には幾つかの種族が存在しているのだが、対外的に面倒くさいという理由があった。そこで、初代ティアゾン王の命により、全ての獣人種族の総称として、ビスト族と呼ぶことになっている。


 ティアゾン獣人国、第42代国王、獅子のビストであるングヴ・ティアゾンが、謁見の間で玉座に座っている。先程まで、氷の大聖霊グラエイスの眷属聖獣、ヒエロ・マムートのマグナスが訪れていたのだ。


 傍らで共に聖獣の話を訊いていた、切れ長で、どこか冷めた瞳をしている灰猫に、ングヴは瞳を左右に動かしながら話し掛ける。


「よお、〝シャルル〟」

「なによ」

「さっきのはなしは本当か?」

「なにがよ」

「おめえの主のはなしだよ。訊いてただろ」

「そうね」

「興味あるんだろ?」

「さあ、どうかしら」

「俺は興味あるね」

「あらそう。よかったわね」

「ちゃんと連れて来いよ、ここに」

「アイゼンにいるんでしょ。自分で会いに行きなさいよ」

「なんで俺が行くんだよ。王だぞ?」

「あら、残念。じゃあ、一生会えないわね」

「相変わらず冷てえなあ。氷属性だけに、ってかあ」

「なにくだらないこと言ってんのよ。バカじゃない?」

「ホントに冷たいねえ」


 謁見の間に冷えた空気と、沈黙が流れる。


「ところでングヴ」

「なんだ?」

「さっきからずっと気になってたんだけど」

「ん?なにがだ?」

「あなた、ずっと目を動かしているけど、なんなの?」


 話している間も、そして現在も、シャルルを見て、ずっと瞳を左右に動かしているングヴに、シャルルは怪訝な表情を向ける。


「気付いてたか」

「気付くに決まってるじゃない。凍らすわよ?」

「おー、こえーこえー」

「ほんっとに、凍らすわよ?」

「あーっ、ごめん、ごめんて」

「それで?いったいなんなのよ」

「ああ――、シャルル」

「なによ」

「お前ずっと、しっぽが振れてるぞ」

「え?」

「じゃあな、シャルル。気を付けて行くんだぞー」


 そう言ってングヴは玉座から立ち上がり、片腕を振って謁見の間から出て行った。それを呆然と見送るシャルル。


 シャルルは昔から、嬉しいことがあるとしっぽを振る癖がある、というのはングヴだけではなく仲間の聖猫たちにも知られているのだが。


「え?」






 八英雄の国「リオルト」


 セムフィン大空洞に存在し、地の大聖霊タナテーレを守護する地中都市国家。


 ココピット族というヒュマーノ族の三分の一ほどの小さな身の丈の種族が治める、八英雄の国随一の芸術国である。


 約千年前の英雄の一人。女王キャンディ・リオルトが、ちっちゃな体を目一杯つかって、目の前にいる、小さな体に短い足のチビ猫に話し掛ける。


「ジョイア様が云ってましたが、〝マロンちゃん〟はどうするの?」

「エっちゃん次第なのです!」

「エっちゃん……?あーっ、フロワールのコのこと?」

「そうなのです!」

「じゃあ、そのエっちゃんが行くと言ったら行くの?」

「エっちゃんが1人で動くのは危険なのです!心配なのです!」

「あらあら。そうなの?」

「そうなのです!だから、エっちゃんがいくならマロンも同行してお世話するのです!」

「あらあら。マロンちゃんは真の主のことよりも、エっちゃんのことのほうが気になるのね」

「真の主?」

「えっ?さっきからその話をしているんじゃなかったっけ?」

「エっちゃんの話しかしてないのです!」

「あらあら。じゃあ、エっちゃんがどこに行くかわかってるの?」

「わからないのです!」

「あらあら。そう。マロンちゃんのことも心配だわ」






 八英雄の国「ゲンマ」


 ヒュマーノ族中心で、火の大聖霊イグフォイアを守護する八英雄の国随一の魔法国家。


「行くのか?」


 厳かで通りの良い声が、豪奢な部屋の室内を、静かに駆け抜ける。


 月明りのみが差し込む薄暗い部屋の中に響いたその声の主は、この国、魔法国ゲンマの第34代国王であるグスタウス・ルビー・ゲンマその人だ。


 少し長めの紅い髪を後ろに撫で付け、精悍な顔立ちに、赤黒い瞳を持つこの偉丈夫は、ベッドの上で横になったまま、顔のみを夜の闇が窺える私室の窓に向け、そう問い掛けた。


 声を掛けた先にいるのは、国王の私室の窓枠に飛び乗り、肉球を器用に使ってその窓を開け、今にも外に飛び出そうという姿勢を取っている三毛猫だ。


「そうなんスよー。遂にマスターが現れたんスよねー。箱庭にくると思うんで先に行って待ってようかと思うっス」


 三毛猫はグスタウスの声に気付き、振り返りながら、声量は抑えられてはいるが、随分と軽い感じで宣った。


「今までお世話になったっス。ホント感謝っス」


 深紅の瞳の三毛猫は、グスタウスに向かって、これまた軽薄に感謝の言葉を述べた。


「ははっ。実に軽いな、〝ルジュ殿〟は。イグフォイア様の御加護を賜っているとは思えんよ」


 歳の頃は五十を超えているが、非常に若々しく見えるグスタウス。そのグスタウスが苦笑を浮かべ、体を起こしながら、やや皮肉じみた言葉を漏らした。


「しかし、そうだな。初代より代々受け継がれてきた言葉もある。それを受け入れるしかないのであろうな」

「マスターが待っているっスからね」


 やはり言葉が軽い。だがそのじつ、この三毛猫はなかなかに優秀だ。その行動力はずば抜けていて、幾度もこの国の窮地を未然に防いできたのである。


 ヒト化の魔法によるヒュマーノ族の姿で、火属性を纏わせた身の丈以上の大きなサイスを振るう。大胆にも関わらず、狡猾に立ち回り、相手に気取らせないしたたかさもある。なので、こう見えて頭の回転も速いのだ。それに加え、初代の時代より当代まで、この国を守ってきたという実績もある。


 幾年も立ち塞がるその姿をみて、敵対組織よりつけられた異名は〝ゲンマの死神リーパー〟。


 かつて、神教という宗教が栄えていた時代の言葉になぞらえたものだ。


 グスタウスは、ベッドから立ち上がり、ルジュがいる窓の近くに歩み寄った。


「それにしても、その話し方はなんとかならんのか。其方は〝雌〟なのだろう?」


 グスタウスは窓枠にいるルジュに顔を向け、残念な表情で言った。


「そうっスけど、無理っスよ。千年近くこの喋り方っスからね。今更変える気もないっス」

「その〝マスター〟とやらがその喋り方を気に入らなければどうするのだ」

「マスターがそんな狭量だと思いたくないっスけど。そうっスね。その時は考えてみるっス」


 ルジュは夜空に顔を向けながら遠い目をして、まだ見ぬ〝マスター〟に想いを馳せた。

 何故かは分からないが、ルジュにとってそのマスターは、何よりも優先されるのだ。マスターが止めろというのであれば、止める覚悟を持ち合わせているのもまた、ルジュの度量でもあるのだが。


「そのマスターとやらが羨ましいな」


 王に即位して早二十余年。その時を共に過ごしてきたグスタウスだからこそ分かる、ルジュの機微に、そのマスターとやらを少し妬ましく思う。


「まぁ、あれっスよ!マスターに会ったらすぐに戻って来るッスから」

「ははっ。そうだな。まぁ、いずれそのマスターとやらとも会うことになるのであろう。仕様もない者だったら、余が説法をくれてやる」

「まぁ、そん時は頼むっス」


 グスタウスとルジュは笑い合い、その後、ルジュは窓枠から一閃。空に溶けるように夜闇へ消えた。






 八英雄の国「フロワール」


 花の都とも呼ばれるその国は、ヒュマーノ族が中心で、雷の大聖霊グロムティルを守護する、八英雄の国随一の騎士国家。


 金の髪を短く整えた、第37代国王アントニオ・ロサ・フロワールが厳かな声で、小さな体の耳折れ猫に声を掛ける。


「真の主が現れたという報せがきたが、まことか?」

「ん」

「会うのか?」

「ん」

「そうか。気を付けて行くのだぞ、〝エクレア殿〟」

「ん」


 雷の如く、会話は終了した。

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