第23話 来訪者
篠塚裕志がまた誘拐されたという通報があったのはその日の夕方だった。
犯行はちょうど父親との電話の最中であったという。会話の途中に突然の物音とスマホが落ちる音。ついで、トラックのような車両が走り去る音。
完全に予想外であった。市役所の駐車場で張っていた俺達はいい恥さらしだった。まさか学校の裏から校内を出るとは。
すぐさま篠塚一家から捜索願いと加鳥市警察に厳重な抗議があった。当然と言えば当然だ。なにせ犯人は野放しであり、被害者保護はされてない。こちらは県警本部から捜査を中止するよう指示されていた事など言い訳にしかならないだろう。
その夜、犯人を名乗る人物から声明があった。自身をハーヴェイ・ロウだと名乗り、身代金を要求してきた。額は1億。一般家庭からとても出せる金額でない。
加鳥市警察署では即日対策本部が設置された。今度こそあのイカれた外人を捕まえてやろう、と。しかし翌日、県警本部から捜査員がゾロゾロとやってきた。何かと思えば篠塚裕志誘拐事件の捜査を引き継ぐのだという。
一瞬面食らったがすぐさま抗議をしたが取り付く島もなし。いつの間にかFBIの連中も県警本部と合流し、共同捜索と相成った。
こうして我々加鳥市警察署職員は当該事件から完全に蚊帳の外に追いやられたのだった。
◇
現在、市警察署内を県警本部の警官が所狭しと埋め尽くしていた。例の篠塚裕志少年の誘拐事件の捜査の為である。そして、出入り口には報道陣が固めその一挙一動を伺っていた。
その様子を俺、横水は田嶋と共に敷地外の喫煙所から遠巻きに見ていた。
「どうなっちゃうんですかね」
座り込んで煙草を咥える田嶋は言った。
「知るか。署長殿からは勝手に動くな、とのご通達だ。静観しかないだろう」
隣で佇み煙草を咥える俺は言った。
「何なんすかね。県警本部が乗り込んできてあっという間にウチのシマを盗ってきましたし、大体こんなことになったのも連中のせいじゃないっすか」
「そうだな」
「おかげで僕らは家族に詰められるわ、無能扱いされるわ、いい迷惑ですよ」
「そうだな」
「ちょっと先輩、真面目に聞いてます?」
生返事をする俺に向かって眉をひそめた田嶋が言った。
「聞いてるよ」
奴の顔を見ずに切り返す。田嶋は半目でこちらを一瞥すると、俺と同様に署の方を向いた。
「あの犯行声明、本当にあのイカれたおっさんが出したと思います?」
面白くなさそうに田嶋が言った。イカれたおっさんとは、ハーヴェイ・ロウのことだろう。
「実際名乗ったんだからそうなんだろう」
「いや、なんかちょっと違和感があるんですよ。なんていうか、こう、あのおっさんに合わない? というか?」
奥歯に物が詰まったような物言いをする田嶋。
「そうか。お前はあのイカれた男と知り合いだったのか?」
「先輩、わかってて言ってますよね?」
「知らないよ」
「いい大人が拗ねてらぁ」
反射的に座り込む田島のケツを蹴飛ばした。
「いったぁ!? ちょっと先輩、パワハラっすよ!」
尻を押さえて跳ね上がった田嶋が振り返って言った。
「スマン。足が滑った」
んな滑り方があるか、と呟いて田島はまた座り込んだ。
「まったく、そんな風に腹が立ってんなら文句いやぁいいじゃないですか」
「その結果がいまだ。忘れたか?」
聞いた田嶋が黙り込む。そのまま会話が途切れた。
寒空のもと、くゆる紫煙が空に昇る。
「このまま俺ら、どうなっちゃうんすかね?」
「俺が知るか」
そう田嶋に返すと、肺に含んでいた煙を吐き出した。
「あー、ちょっと、君達? 前に会った警察官だよね。私のこと、覚えてる?」
そうこうしていると、一体何処の馬鹿なのか、不意に真横からフランクに言葉をかけてきやがった。
魔が悪いとはまさに今のこと。ただでさえ機嫌が悪いというのに、その上アホの相手までしてはいられなかった。
「そうか。アンタは俺のことを知ってるようだが、御生憎様俺はアンタのことなんぞ知ら…………、」
そう不愉快さを隠しもせずにどこぞの馬鹿にいいながら振り返って、視界に入った人物に度肝を抜かれた。あんまりに想定外なもんだから咥えていた煙草が口から落ちた。
それは田嶋も同様で、奴は短くなった煙草に指を焼かれたまま、馬鹿みたいに口をあんぐりと開けていた。
「ちょっと連れて行って欲しいところがあるんだけど、いいかな?」
突然現れた気さくな男はまるでタクシーの運転手を相手にしているように、俺達にそんな依頼をしてきた。
◇
篠塚宅。利根川に沿うように伸びた堤防沿いに密集する住宅街の一画にそれはあった。
近隣の住宅と似通ったごくありふれた一般家庭だったが、今現在そこには似つかわない様相と化していた。
狭い庭のそこかしこにいる警官の姿。何やら事件でもあった様相だが、実際に誘拐事件について捜査をしているためだからだ。
それは当家の子息である篠塚裕志が誘拐されたためであった。
発覚は昨日夕方。帰宅途中の当該少年が何者かによって拉致されたのだという。そして間もなく犯人と名乗る人物から被害者宅へと連絡があった。
要求は身代金。およそ一般家庭から出すには高額な金額であった。具体的な期日、指定箇所の連絡はなく、また連絡をするとの事だった。
加鳥市警察署はさっそく対策本部を立てた。しかし、この事件に関しつい先日にも同様の犯人によって裕志君は誘拐されていたのだという。
その時は無事保護されたものの犯人は逃走中であり、あろうことか被害者の保護もなく、結果としてこの体たらくだった。
県警本部は加鳥市警察署に事態の収拾能力が無いと判断し、本部より特別捜査チームの派遣を決定した。また、犯人であるハーヴェイ・ロウはアメリカ国内において重大犯罪の被疑者であり現在日本に逃亡しているのだという。その為加鳥市警察署では、
国際捜査協力のもとFBIとの合同捜査にあたっていた。特別捜査チームはその関係も引き継ぎ事態の収拾にあたっていた。
その篠塚宅のリビングを借りて刑事達が陣取っていた。その中に県警本部より出向してきた篠塚裕志誘拐事件の陣頭指揮をとる気難しそうな刑事がいた。
「本真警部」
外より制服の警官が現れ、気難しそうな刑事、本真に話しかけた。
「なんだ?」
警官に本真は返した。正直なところ本真は自分は貧乏くじを引いたと感じていた。何せ国外の捜査機関との合同捜査で自国のシマでこんな失態の尻拭いをさせられる羽目になっているからだ。
むざむざ犯人を逃がし、あまつさえ被害者をまた連れ去られているのだから。しかも犯人に関してはFBIの協力のもと見事に逃がしている。これで、向こうさんから抗議が来ていない事は奇跡に近かった。
そうしてその責任を今自分が取らされる羽目となっている。任命した本部長をこれ程恨んだことがない。こんなもらい事故のような事件で招来の経歴に傷がつこうものなら、それこそ加鳥署の連中全員を豚箱に押し込んでやりたいと思っていた。
「市警察署の横水巡査長が緊急の要件だという事で来ています」
予想外の人物の名だった。この街の警察官で前の担当捜査官だ。誘拐犯を目前にして結局逃げられた無能。挙げ句のこの始末だから捜査自体から外されたはずだが、一体何のようなのか。
「緊急だか何だか知らんが部外者だ、追い返せ。市警察はこの事件には何ら関係がない」
相手をする必要性がないと感じた本真警部は追い返すよう制服の警官に指示した。
「それが急ぎ報告する必要がある案件だそうでして、必ず取り次いで欲しいと」
一体何様なのだ、と本真は思った。
「なら要件を言えばいい話だろう。それが出来ない理由がどこにある。それに、この誘拐事件に関連する事項というなら独断で動いている方が問題だろうが」
いちいち付き合っている部下にも呆れつつ彼は言った。
そうこうしていると何やら現場が騒がしくなった。ちょっと、だとか勝手に入るな、だとか捜査員の声が聞こえ、どうにも静止を振り切った様子の横水巡査長がやってきた。
「これは本真警部。どうも」
やって来た横水巡査長がわざとらしく挨拶をした。
「お前、今自分が何をしているかわかっているんだろうな? これは明らかな命令違反だぞ」
「それは申し訳ない。しかし、お宅の捜査員にも伝えた通り緊急の案件でしたので。ああ、後合同捜査をしているFBIの皆々様方にもご連絡する必要性があるとも判断した次第でして」
これまたわざとらしく丁寧に話す横水巡査長。テメェの様でいきなり現れて、FBIにも面通ししろと一方的に告げるこいつは厚顔無恥にも程がある、と本真警部は眉を顰めた。
「そんな緊急な案件であればテメェの部署でもこっちにでも事前に連絡すれば済む話だろうが。それが何の連絡もよこさず急に現れてその態度だ、何考えてんだ」
「重ね重ね失礼を。ただ、どうしても真っ先にこちらにお伺いする必要性がありましたから」
どうにも埒が明かなかった。
「わかんねぇか? 俺は勝手をするんじゃねぇ、と言ってんだ。テメェは何様だ? 超法規存在だとでもいいてぇのか?」
そんな自分と横水巡査長のやりとりを合同捜査中のFBIの捜査官も気にかけている様子に本真は気づいた。
近くの捜査員を手招きし、問題ないと伝えておけ、と耳打ちした。
「兎に角、テメェのお遊びに付き合ってる暇はねぇんだよ。こっちは捜査で忙しいんだ。今なら見逃してやるからとっとと帰れっつってんだ」
「話がわかんねぇな。その捜査とやらの情報をくれてやるって言ってんだよ」
向こうもこちらと同様に思ったのか、途端にその口調は荒くなった。その態度に、本真の神経が逆なでされた。
「なんだテメェその態度は? 俺に喧嘩売ってんのか、えぇ?」
警部は横水巡査長の胸元に指を押しつけ睨みつける。
「誰のおかげでこんな状況になってんのかわかって言ってんだろうな、えぇ?」
「はなから喧嘩腰なのはそっちだろうが。だからこっちは最初かアンタに協力してやるって言ってんだ」
「笑かすな。犯人様でも連れてきたとでも言うのか?」
本真がそういうと、横水巡査長は口元をつり上げた。そして、上着のポケットからスマホを取り出すと、連れてこい、と誰かに指示をした。
まもなく現場が再びまた騒がしくなる。一方的にまくし立てるような声と共に、横水巡査長とセットの刑事が見知らぬ白人を連れてきた。
「なんだそいつは? そいつが緊急な案件だっていいてぇのか? 重要参考人とでもいいてぇのかよ」
「今アンタが自分で言ったろ」
「テメェ、何言って…………、」
そこで背後から、シット、と小声の呟きが聞こえた。
本真が反射的に振り返ると、その場に居合わせたFBIの捜査官が現れた白人を見て全員驚いていた。中には頭を抱えている者もいる。
「こちら。今回の篠原裕志君誘拐事件の犯人であるハーヴェイ・ロウさんだ」
目を白黒させて本真が向き直ると、横水は口元を釣り上げていた。
それより、この男は今なんて言った?
「やぁ、ご紹介に預かりましたハーヴェイ・ロウです。どうぞよろしく。この度、篠原裕志君を誘拐した事になっているので自首しに来ました。彼はおそらく無事だよ、多分」
ね、と沈痛な面持ちのFBIに向かってウインクをし、ハーヴェイ・ロウを名乗る男は流暢な日本語で言った。
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