第22話 放課後
――――話は少し遡る。
◇
夕暮れの放課後。
校内での二人の追及をなんとか逃れ、工作棟の裏から剣道場を抜け、テニスコートの裏を通って敷地を出た。
振り返って学校を見るとどうやら二人を振り切れたらしい。
ため息をつく。あらためて、馬鹿正直にあった事を話すわけにもいかず、しばらく追及が続く事に憂鬱になった。
早く冬休み来ないかなぁ、と思っているたとポケットの中が震えた。そこからスマホを取り出した。
「…………。」
画面を見て押し黙る。なにせ画面上部に通知が連続で同一人物からきているからだ。
『裕志、どうします?』
エレナが聞いた。
「…………スルーで」
承知しました、とヘレナが答えた。いや、触れたところで碌なことにはならないからね。
再びため息をこぼす。そんなに気になることか。いや、気になるな。
心配よりも興味の方が間違いなく上回っていて、そりゃ誘拐だFBIだとか話が上がれば何があったか話は聞きたがる。なにせ事件は解決しているからだ。いや、厳密には解決していないのか?
ともあれ、博士たちの行方は今の僕には知りようがない。
「ヘレナ。ハーヴェイ・ロウ博士って分かる?」
ひたすら通知音がなるスマホに向かって言った。
『裕志。ハーヴェイ・ロウという博士は検索にかかりません。他に情報はありますか?』
ヘレナがそう返す。案の定、博士の言った通り彼の情報は一切存在していなかった。
「ないよ。きっと僕の見た夢だ」
そう言って僕は肩を竦めた。
『そうですか。しかし、実際に存在している方でしょうか?』
ヘレナが意外な事を言った。
「なんでそんな事を言うんだい?」
まさか覚えているのだろうか?
『当方を所有して以来、裕志、貴方がそのような事を言うことはありませんでしたので』
「まるで人間なようなことを言う」
『統計的な判断です。間違っていたでしょうか?』
「そうだね。多分違うよ」
言って肩を竦めた。まったく、機械にすら透けて見えるのだから困ったものだ。
『裕志がそういうのでしたら』
ヘレナはそれ以上追及しなかった。
「さ、帰ろう。父さんも心配しているだろうし。つないでくれるかな?」
承知しました、とヘレナ。
無機質なコール音が耳に響く。ブツンと途切れるような音についで父の声が聞こえた。
「あ、父さん。学校終わったよ。そっちはまだ? わかった。待ってるけど、市役所の庁舎ないでいい? いや、問題はないけどちょっと校舎内にいたくなくて…………、」
父との会話の中、不意に聞こえた車のブレーキ音に振り返る。
見れば目の前にトラックが止まって降り、荷台の後部が開いていた。問題はそこから出されたもの。というか、降りてきた人達。
全身黒尽くめのそいつらはこちらが動くよりも早く僕に近づき、有無を言わせずに拘束した。そして、頭に黒い頭巾を被せるとそのままおそらく荷台に詰め込んだ。
荷台の扉が閉まる音、そして壁を叩く音がしたと思うとすぐさまトラックは走り出した。
こうして、僕は拉致されたのだった。
◇
そして僕はトラックに揺られていた。
頭には袋を被せられ、後ろ手に縛られ足も拘束されていた。
椅子に座らされているがそれ以上の事は分からない。揺れる度に左右の人にぶつかっていた。明らかに自分よりガタイがいい。
――――おそらく、CIAかなぁ。
というかそれ以上思いつかない。いや、誘拐犯がCIAってどういうことなんだ?
エンジン音とたまに聞こえる金属音だけが耳に響く。
「…………もしかして、この前パチンコ屋にいませんでした?」
沈黙に耐えかねて声を出す。しかし、反応はなし。
「僕の友達にあった人もいる?」
これまた反応なし。冷静に考えればそもそも日本語は通じるのだろうか。
そんな事を思っていると通知音。僕のスマホは落としてきたからこの車内の誰かのだろう。
動きがあった。通知音が聞こえたのちしばらくして何やら車内で動く様子があった。カチャカチャと何かを設置しているようで、まもなくその音もやんだ。
『まずは手荒な真似をした事を謝罪しよう』
そして聞こえてきた声は合成音声の日本語だった。
「あ、いえ」
反射的に答える。声の主は誰だろうか。
『申し訳ないがとある理由から名乗れない。理解してほしい』
「はぁ」
生返事で返す。まぁ、想像通りの人達なら名乗るわけにはいかないだろう。かといってまったく分からないっていうのもどうかな、と思って少し考え適当に浮かんだ単語を口にした。
「cold、input、amazon?」
どうやら彼らは僕の想像通りのようで、その言葉を聞いて合成音声の相手はため息をこぼした。
『君はそれをどういう意味で言った?』
合成音声は無機質であったが、どこか疲れた様子に聞こえた。
「いえ、なんとなく浮かんだ単語を喋っただけですけど。それで、その要件とは?」
そうか、と合成音声は言った。
『なら単刀直入に言おう。我々に協力してほしい』
合成音声の相手はそんな事を言った。
「素直にわかりました、と言える状況ではないのですが」
『言わんとすることはわかるが、何用デリケートな問題だ』
でしょうね、と僕は返した。
「それにどう見積もってただの中学生の僕にできることは何も出来ないですけど?」
『そこについては問題ない。君には我々についてきて欲しいだけだ』
「それは車に乗せる前に言って欲しいな」
まさしく、有無を言わせず、という状況で今更お願いもないだろう。
『重ね重ね、それについては申し訳ないと思っている。しかし、事態は急を有するのだ』
でしょうね、と再び僕は返した。
「なら貴方達の誠意を見せるということで、この頭に被っている布と拘束を外してもらえないでしょうか?」
『申し訳ないがそれは出来ない』
即答に僕は肩を竦めた。
「じゃあ親に連絡を。おそらく死ぬほど心配しているだろうから」
『先ほどの提案が不可能で何故それが可能と?』
「とりあえず言ってみただけです」
どうやら彼らは僕のことをすぐに開放する気はまったくないらしい。予想通りといえば予想通りで僕は再び肩を竦めた。
『ご家族については問題ない。我々が最大限フォローしている』
「そうですか。それで、貴方達は問題が解決したら無事に返してくれるんですよね」
『勿論だとも』
実にスムーズな会話が白々しい。お願いの手段に誘拐を選ぶ連中を信用するにはいささか無理があった。
「ニコラス・ケイジとショーン・コネリーとジョン・スペンサーみたいな事になりません?」
途端、車内の誰かが吹き出した。どうやらその人には僕が何を言ったのか理解してもらえたらしい。
すぐさま布が擦れる音がし、咳払いが聞こえた。
『君が何を言ってるのか良くわからないが心配することはない』
合成音声の人物には通じなかったのかそんな事を言う。心配するな、とかちょっと信じられない。
「良くてジャック・ニコルソンとウィル・サンプソンかなぁ、これ」
『…………先ほどの話はそういうことか。君はよく物をしっている。不安なのはわかるが我々もそこまで悪辣でない』
今度は合成音声の人物にも意味が通じたようだ。しかし、どうだか。
「偶々学校の授業で見ただけですよ」
そう言い返した。
「まぁ、協力するしないはさておき、それはそれとして本気で来ると思っています?」
言った途端、明らかに周りの空気の質が変わった。なんだ、日本語わかるじゃないか。
『君は物を知っていて理知的でもある。その発言は我々の目的が何か、という点を理解して話しているのかい?』
相変わらず単調で無機質な合成音声だったが、どこか先ほどとは雰囲気が変わったように思えた。
「まぁ、おおよそは。と、言いますか、直近自分の身に降りかかった事を考えれば嫌でも想像出来ますよ」
『違いはない。が、世にはそれを理解できない者が多くてね。懇切丁寧にこちらがお願いしても意味を理解してくれない』
「それはご苦労なお話で」
僕が想像するよりはるかに色んな人と話をしているのだろう。で、懇切丁寧なお願いというのがどういうことなのかはあんまり想像したくない。
そして今相手のいうお願いはというと。
「それで僕に"餌"になれと?」
つまり僕は博士たちを誘う生贄だという事だ。
『それを今君に頼んでいるんだ』
具体的な目標は挙げていないものの、合成音声の相手も僕が博士を想定して話をしている事を理解しているような口ぶりだった。しかし、だ。
「選択肢が、イエス、オア、ハイしかないのはお願いとは言わないと思うんですが。ああ、今のは"高い"の意味の"high"じゃなくて日本語の"イエス"つまり肯定という意味の"ハイ"でして」
『ああ、心配しなくても優秀な翻訳機がある』
「"魔法使い"って翻訳もできるんです?」
あの男は…………、合成音声の人物は苦虫を噛み潰したようにいった。
『という訳で我々としてはこうして君に紳士的にお願いをしている』
「これが紳士的でしたら通常外交は国賓級になりそうだ」
『皮肉を言ってくれるな、少年』
言われて肩を竦めた。
「返事をする前に1つ質問を。もっとも、現状じゃあまり意味のないんですが」
『どうぞ、少年』
「これ、僕が拒否した場合はどうなりますか?」
合成音声の主が言った通り、意味が理解出来ない場合の話だ。
『そうだね。魚が釣れやすくなるように"撒き餌"でも撒くかな』
聞いて流石に眉を顰める。餌は1つしかないというのに一体何を撒くやら。
『期待通りの答えは聞けたかな?』
「希望通り以上の答えが帰ってきましたよ」
そう僕は合成音声の相手に返すと、一際深いため息をついた。
「どの道僕に選ぶ権利はないでしょう。従わざる負えない」
『君の心からの協力、感謝するよ』
そいつはどうも、と見えぬ姿の相手の皮肉にぼくは言ったのだった。
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