世界終末論

茅野うつぎ

本文

「先輩、俺、人類みな死ねばいい、って思ってます」


 文芸部の蛍光灯が、先輩の横顔をこうこうと照らしていた。

 長いまつげが一度だけ上下して、その下の黒曜石が僕を向く。


「だから俺、先輩には感謝してるんです」


 8月31日、世界が終わる。

 そう言い出したのが、先輩だった。


 一般人がとうてい理解できそうにない命題を、「世界が終わる」、という結論とともに、証明した。僕にはよくわからないけれど、地球の自転や公転が関係しているらしい。


 世界が終わる、なんて終末論を、最初は誰も信じようとしなかった。けれど、世界的に有名な物理学者が、先輩の証明を支持したことで、状況は、変わる。


 先輩が、頬杖をついて窓の外を見た。


「……あんなの、証明しないほうがよかったかもしれないけどね」

「なぜです?」

「『世界が終わる』なんて、知らないほうが楽に暮らせるでしょう」


 先輩がちらりと僕を見た。長い黒髪が、揺れる。

 僕が瞬きをするあいだに、黒曜石は、また窓の外を向いた。


「……俺はほっとしましたけど」

「あなたが特別なのよ」


 そんなもんかな、と思った。

 俺は、と声にならない吐息が、文芸部室で霧散した。


「……、世界があと半日で滅びる。なんて、ほんとう、馬鹿げてますよね」

「そうね。もしかしたら、命題が間違っていたのかも」


「そうだったらいいのにね」と先輩は言った。


 窓の奥、小鳥のさえずりが聞こえた。静か、だった。夏休みの最終日、世界が終わる日に、真面目に部活動をする人がどれだけいるだろう。

 先輩を見た。先輩の横で、僕も頬杖をつく。


「先輩」

「……なに?」

「先輩の終末論、さいご地球が砕け散るんでしたっけ」

「そうね。寿命、みたいなものよ」


「だったら」と僕は言って、先輩を見る。

 黒曜石は、興味のなさそうなフリをして僕を向く。――


 ほんとうは、期待が籠もっている、のだと知っている。

 伊達に2年も、いっしょに。文芸部をしてきたワケじゃない。


 先輩は優しすぎるのだ。

 人のため、人のため。人、人、ひと――……。


 先輩の頭のよさに漬け込んだ学者が。

 それを端から見ていただけの僕が。


「死ぬまで俺とデートしません?」


 ぽかん、という表現が正しいだろう。先輩の表情。

 いつもの鉄壁さは完全に崩れ落ちていて、なんだか面白い。


「もしかして、ビビってます?」

「…………なにが」

「世界のさいごを見るのが」


 むぅ、と眉を寄せるのも滑稽で、今なら微笑ましさで死にそうな域にある。


 人のため、先輩は証明した。

 人のため、先輩は批判された。

 人のため、僕は見て見ぬフリをした。

 ――なんて馬鹿らしい。


「ねぇ、先輩」

「なに?」

「世界は、冗談で満ち溢れています」


 僕の母さんがよく言っていた言葉だ。

 ――だから、笑っていなさい。

 そういう人だった。


「……そうかもね。でも」

「『世界が終わるのは嘘ではない』?」


 むむ、とさらに眉を寄せる。くっつきそうだ。


「じゃあ、冗談にしてしまいましょう」


 寄せられた眉が、広がるように。


「俺たちが、世界を壊すんです」


 そうしたら、先輩の終末論は。


「そういうデート。わくわくするでしょう?」


 先輩はしばらく唸って、黒曜石は文芸室を廻る。

 何分か立ったころ、先輩はじっと窓の外を見つめる。それから僕を向いて、


「……いいよ」

「やっりぃ」


 ――――世界が終わる、そのときまで。


「じゃあ手始めに、学校を爆破させましょうか」

「――え……いや、できないでしょう」

「できないじゃなく、やるんです。俺たちはいま、なんでもできる。でしょう?」

「……――」


 妄想が現実になるときなのだ。

 僕たちは、なんでもできる。


「先輩」


 彼女がちらりと僕を向いて、楽しそうに口の端を歪めた。


「世界のさいごを、見届けましょう」


 世界終末論を――。


 どこかでツクツクボウシが鳴いた。

 世界が崩れ落ちる。


 ――


 さいごのそのときまで。

 僕らは――

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世界終末論 茅野うつぎ @gas-station

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