第18話
ゲラシーの視点:
「うわ、えっぐいですねこれ」
「これがアネメラ毒で溶かされた人間か……」
開け放されたヴァーデルラルドの部屋からは、それなりに遠くからでもわかる異臭が漂っていた。現場には数人の研究員がいただけで、立ち入り禁止の黄色いテープなどは特に貼られていない。警察が来ていないのだから当たり前か。
「ゲラシー見てくれよ! これ、ボスのコアだ!」
知り合いの研究員が、トレーに乗せたコアを見せてくる。それはコアというより、毛の長いまりも……? いや、まりもにしては一本一本の草が長くて太すぎるか……? というような見た目だった。
加えて、そのコアは少し歪な形をしていた。
「胎児のような見た目だな……」
ゼゼが呟く。確かに、そう言われれば、そう見えないこともなかった。草でできた胎児。どことなく不気味だった。
「どうするんすかこれ」
「こっからボスが復元できないか頑張ってみようって話になってる。こんなことにはなってるけど、まだ死んだわけじゃないんだ。そしたら最善を尽くすしかないだろ。ボスが喋れたら、きっとおんなじことを言うぜ」
「そうですかね?」
「そうだ! じゃ、俺はもう行くからな! 俺は忙しいんだ!」
「そうですか、頑張ってくださいね〜」
どこかへ去っていく研究員を、俺は手を振って見送った。
「で、あれはなんだ……?」
ゼゼが指差す方向を見る。そこには、胸の辺りが切り開かれた男性が、解剖台の上で横になっていた。
「あれこそ放っておいたらまずいだろう……」
「ちょ、待ってくださいよ」
ゼゼは一人で中に入っていく。
「彼は生きているのか……?」
ゼゼが中にいた職員に聞くと、職員は興味があるのかないのかよくわからないような声で「さあ?」と言った。
「肉体の生命活動は停止しているように見えます。ですがコアは生きています。これは、生きていると言えるのでしょうか?」
「哲学的問いだな……」
ゼゼは男性の体を覗き込む。それから、「見ろ、ゲラシー……」と手招きした。
「なんすか」
「『芽』が生えている……」
「ほんとっすね」
コアには小さな植物の芽が生えていた。先ほどの、草で覆われたヴァーデルラルドのコア。なにか、同じ「現象」が起こっているような気がした。
「明らかに、さっきのヴァーデルラルドのコアと関係がある……」
「あ、やっぱゼゼもそう思いますか」
「ああ……ところでこれを調べる予定は……?」
「ないですね」
職員は答えた。
「現場保存とか、色々あるじゃないですか。上からの指示がないのに、勝手にいじっていいのか」
「だがヴァーデルラルドのコアは持ち出されていたぞ……」
「まあ確かに」
「今の指揮系統はどうやら崩壊しているらしい……ならば今から、お前が『上』だ……」
「何めちゃくちゃ言ってんすか」
その職員も、納得いかなそうに首を傾げていた。しかし、ゼゼが見つめ続けていたからか、やがて諦めたように、「そうですね、ほっとくのもアレですし、なんかやってみます」と言って、何かの器具をいじり出した。
「アンタ個人的に気になっただけでしょう」
「その通りだ……」
トールードから連絡が来ているのに気が付く。
「俺の部屋に来い! すげえことがわかった!」
メッセージは、俺とゼゼとトールードの三人のグループに来ていた。それを見て、ゼゼと顔を見合わせる。
「トールードがテキストでびっくりマーク使うの珍しいですね」
「よほど嬉しかったのだろうな……」
それ以上の詳細はない。殺人現場を見終え、暇を持て余していた俺たちは、素直にトールードの部屋へ向かった。
トールードの部屋をノックすると、勢いよくドアが開けられ、開口一番「おっせえよ馬鹿!」と罵られた。ゼゼは悲しそうに「俺たちは精一杯急いで来たのだがな……」と言う。だが俺たちは、別に急いで来たりなどはしなかった。
「まあいいぜ、入れよ。すげえもんがあるんだ」
「そんなすげえすげえって、ハードル上げて大丈夫ですか?」
「ぜんぜん余裕だが?」
トールードはドアと鍵を閉めると、「座れよ」と、床に直に座るよう促した。そこにはクッションもなければカーペットも敷かれていなかった。
床に座ると、トールードは俺たち二人の間に割って入り、背の低いテーブルの上に自分のPCを開いた。トールードはPCのロックを解除しながら喋り出す。
「昨日ヴァーデルラルドのPCにウイルスを仕込んだんだがな」
「はい?」
「それでデータをぶっこ抜いて、色々中身を見てやったんだけど……」
「はいぃ?」
何を言っているんだこの男は。わけがわからない。ので、よく聞くと、どうやら昨日、俺とゼゼが仕事でいなくなっていた間に色々と事件が起こったようで、青い服の清掃員(レルマという名前らしい)に頼んでウイルスを仕込んでもらったらしい。この男は自分の私欲のために若い職員を利用したというのか。少し許せない気持ちが湧き上がってくる。
「ちげぇーって! 私欲のためじゃねえよ! いいからこれ見ろ!」
そう言ってトールードが開いたのは、なんの変哲もないテキストファイルだった。
「妙に厳重にロックされたファイルがあったから、もしやと思ったんだがな。ビンゴだったぜ」
「え?」
二⚪︎XX年⚪︎月⚪︎日。ヴァーデルラルドが殺された。
ゼゼと顔を見合わせる。思わず画面とトールードの顔とゼゼの顔を何度も繰り返し見てしまった。
「いいから続き読めって」
言われた通りに続きを読み進める。それは、数週間にも及ぶ長い日記だった。日記の内容をかいつまんでいくと、こうだった。
ヴァーデルラルドがアネメラ毒にやられた。目撃者は私とイェレイのみ。奇妙なことに、肉体は溶けたにも関わらずコアは生きていた。このラボからヴァーデルラルドが消えるのは甚だ不都合であるため、今日からこの「私」がヴァーデルラルドとして振る舞う。ヴァーデルラルドのコアは引き続き観察を続ける。
「……ですってェ?」
「なあまだ続きはあるんだぜ」
彼のコアは通常のコアに比べはるかに頑強になっていた。このような現象には前例がない。加えて、彼のコアからは「芽」が生えていた。コアの組成を調べた結果、人間のコアと植物、両方の特徴を示した。植物という性質上、シリとの関連を疑う。
「……」
予想通り、シリの体液によってコアは変質した。人体実験により、シリから採取した体液を摂取することでコアが変化すると判明。この現象は、コアを宿主として何かが寄生したものと解釈するのが妥当か。あるいはあれは、受精した卵のようなものだろうか。コアが変質し強度が増したのは、生存戦略として、植物側による何らかの操作が行われた結果だろうか。私もシリの元へ行った際に飲まされた。自分の肉体含め、引き続き観察を続ける。
「……」
コアを肉体に戻す。溶けたはずのヴァーデルラルドの肉体が徐々に再生し始めた。コアの変質に伴い、肉体も変質するらしい。さらに観察を続けると、溶けたヴァーデルラルドの肉体は、非常に緩慢だが、自力で動くようになった。再びコアを取り出そうとするも、メスを入れた瞬間肉体が再生する。さらに、イェレイが自室でそれを保護し始めた。おかげで手が出せない。
ちなみにだが、それには「ミィニャ」という名前がつけられたらしい。
「……ミィニャ?」
「そう! そうなんだよ!」
「マジ? マジっすかぁ!?」
「そう! マジなんだよ!」
トールードと俺は顔を見合わせる。
「「ミィニャがヴァーデルラルドなんだあ!」」
「ええ! なんですかそれ! 意味わかんない!」
「意味わかんなすぎて笑けてくるよなぁ!?」
「え、だって、ミィニャが? ヴァーデルラルド?」
「そう! あのモニャモニャしてるちっこいのが、かの偉大なヴァーデルラルド様なんだってよ!」
「そゆことですよねえ? ええ? えええええ?」
「イェレイの奴は知っててあれを『自分のペット』って言ってるわけだろ!? 自分の憧れの上司をペットって、やばすぎじゃねえ!?」
「いや、それは何か事情があったんでしょう。知らない俺らがとやかく言うべきじゃないですよ」
「え、ごめん……」
沈黙。トールードと俺が落ち着くのを見計らったように、ゼゼが「もういいか……?」と口を開いた。
「それよりも気になるのが……この『私』とは誰なんだ……」
「ああー、確かに気になりますよね。トールードはなんかわかります?」
「いや、俺もわからねえ。日記の主の情報はどこにもなかった」
「そりゃそうですよねぇ。日記で自己紹介する人なんてどこにもいませんよ」
「俺はするぞ……俺という人間は日々刻々と変化してゆくからな……」
「そうですか」
トールードは腕を組んで言う。
「ま? 今パッと思いつくのは? ジルケの野郎だよな。ジルケは怪しいよ」
「ジルケ死んでるじゃないですか」
「本当はまだ死んでいないということか……?」
「そうそう! で、裏でなんかやってんだよ!」
「でもジルケが怪しいのって、レルマさんとの話に出たからですよね」
「明らかにバイアスがかかっているな……」
「いや、でもさあ、ジルケとヴァーデルラルドって似てるし、この日記の内容も、すげえジルケ的だぜ? ヴァーデルラルドの不在が不都合とか考えちゃう謎の経営者目線とか、自分の上司に平気でメス入れちゃうとことか、ヴァーデルラルドが死んだのに悲しむ様子がまるでないどころか手が出せないって悔しがっちゃうとことか、自分もシリの体液飲んだくだりの、自分のことまで実験台にしそうな勢いなとことか……」
「詳しいですね。ジルケのこと好きなんですか?」
「ちっげえよ!」
「冗談です。とりあえず、これ公表しますか?」
「するに決まってんだろ!」
「大スキャンダルだからな……盛大にやろう……」
「イエーッ!」
「いえ〜!」
「いえぃ……」
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