第19話
ゲラシーの視点:
ラボ全体へのメッセージと、それに加えて館内放送も利用して、ラボの人々にエントランスホールに集まってもらうよう呼びかけた。エントランスホールを選んだのは、レルマの件で既に人が集まっていたことと、このスキャンダルはレルマを疑っている人間にこそ聞いてほしいと思ったからだった。皆、このスキャンダルに興味があったのか、あるいは今日の事件によって仕事が中止になり、暇を持て余していたからなのか、そのどちらでもないのか、わからないが、とにかく多くの人が集まった。
「エェー、皆さん! 今日はお集まりいただきありがとうございまあす!」
声の大きいトールードが拡声器で呼びかける。元々大きな声がさらに大きくなり、耳がおかしくなりそうだった。
「先ほど送りましたファイル、見ていただけましたでしょうかあ! これこそが、私がヴァーデルラルドのPCをハッキングして見つけた、恐るべき、重大な真実なんでございます」
こういう語り口で陰謀論語る人いるなあ。隣にいたゼゼに話しかけると、「数年前から俺の親はこんな感じだ」と言っていた。
「そう! ヴァーデルラルドは一年前に別の何者かに成り代わっており、今のヴァーデルラルドは偽物なんでございます! 妄言かと思われたシリの言葉、あれは本当のことだったんですねえ!」
トールードは大袈裟な身振り手振りで、日記の内容をかいつまんで話した。あらかた話し終えたところで、最後にトールードはこう付け加えた。
「この真相の発見、実は一人の重大な立役者がいるんです! それがそう、このブルーのツナギを着た清掃員の、レルマさんなんです! 彼はシリの言葉を信じ、独自に調査を進め、危険を顧みず、奴のPCにハッキングの種を蒔いた! それによって私は、この真実に辿り着くことができたわけです! 彼こそが本当のヒーローなんですねえ!」
そこまで言うと、トールードは一瞬間をおいてから、「以上で私からの発表は終わります、ご清聴ありがとうございました」と穏やかに締めた。締め方が雑すぎる。学会か。
会場は静まり返った……かに思えたが、すかさず聴衆の中から、「質問いいですか」と手が上がった。
「ヴァーデルラルドに成り代わっている偽物の人物とは誰だとお考えでしょう?」
ごもっともな質問だ。俺も気になる。
「エェー、それはですねぇ、私は『ジルケ』が怪しいのではないかと考えております。その根拠は……」
そう言って、トールードは自室で語っていた根拠を並べ始めた。しかし、それを受けて質問者が放ったのは、
「つまり根拠は、あなたの感想でしかないというわけですね?」
という一言だけだった。トールードはといえば今までの勢いを失って、「あぁー、まあ、今のところは。それに関しては。そうです」ともぞもぞ言う始末だった。
「質問いいですか」
別のところから手が上がる。
「その文書が本物であるという証拠はあるのですか?」
「はい?」
「つまり、テキストファイルなどいくらでもでっちあげることができてしまうので、それは本当にボスのPCから抜かれたものなのかということが聞きたいのです」
「いや本当ですけど……てかファイルの作成者なんて簡単に見れるでしょうよ」
トールードはあからさまに不機嫌になった。隣でゼゼが言う。
「まずいぞ……トールードは質疑応答に慣れていない……」
「やっぱ助け舟出した方がいいですよね」
別のところでまた手が上がった。
「質問いいですか。あなたがこのような発表をした意図、目的はなんですか?」
「はい?」
「あなたはこのようなことを公表して、何をしたかったのでしょうか? このラボを混乱に陥れることですか? それとも、この青い清掃員の方を助けようとしたのでしょうか? あなたの目的がよくわかりません」
「えぇー……?」
確かに、トールードの演説に「イントロ」は無いに等しかった。しかし、それはあまりに「クソ質問」というものではないか。
「ちょっと待ってくださいよ、このラボで重大な事件があったことが隠されていたんですよ? 不正は暴くべきである。その一点だけで、彼の告発には大きな意味があるでしょう」
「ゲラシーお前……!」
トールードは両手を組んでこちらを見た。聴衆の中から声が続く。
「しかし、検証も済んでいないような不確かな情報を、こんな扇動するような形で発表するのはいかがなものでしょう? こんなのは我々の不安を煽り、混乱に陥れるだけの悪質なやり方だ」
「ですが、発表の仕方はともかく、こういった文書が出てきたのも事実です。我々はこれを重く受け止めて、調査を進めるべきではありませんか?」
「しかし、事実かもわからないような、ただのいたずらである可能性すらある文書を本気にして大掛かりな調査をするなど、いささか思慮に欠けていると考えます」
「ですが……」
周囲を見渡す。聴衆の顔はマスクで隠されて、肯定的なのか否定的なのかすらわからない。発言した聴衆の一人に向き直る。今は彼一人に向き合うべきだ。だとしても、どうすべきか。この目の前の人間を説得するには……
「トールードさんの話は本当です!」
遠くから声が発せられた。
「今のヴァーデルラルドの正体はジルケです!」
レルマだった。
「僕は聞きました! 本人がそう言ったのを! あの人は自分で言ったんです! 自分はジルケだと! ジルケは二つの声を使い分けて、表ではヴァーデルラルドを演じていました! 最初は信じられなかったけれど、僕は一人の人から、ヴァーデルラルドの声とジルケの声、両方が出てくるのを見ました! ジルケの演技は本物です!」
会場がざわつく。
「ジルケが演じていた……? ヴァーデルラルドを……?」
「確かに体格はほぼ同じだから、マスクをかぶってしまえば見た目上は見分けがつかないですね」
「なんだよ! 不思議なトリックでもあるのかと思えば、ただのジルケの力技だったってことかよ! これがミステリー小説ならとんだ駄作だな!」
トールードが悔しそうに地団駄を踏んだ。そこは怒るところではないだろう。
「ですが! 殺人犯のあなたの言うことに、どれだけの説得力があるとお思いですか!」
聴衆の中から声が上がる。
「その発言を録音していたわけでもないのでしょう! 顔を確認しようにも、ヴァーデルラルドはもう溶かされてしまった! 証拠はどこにもないではありませんか!」
「証言だって立派な証拠じゃ……」
「あなたの証言だけでは信頼性に欠けると言っているのです!」
「そ、そんな……でも……」
レルマが勢いを失って、俯いた時だった。
「証拠ならありますよ!」
突然、背後から若い声が飛んできた。その声は、今まで発言した中の誰のものでもなかった。
振り返ると、柔らかいブラウスを着た小柄な研究員が、何かの紙の束を頭上に掲げていた。
「お前、フーレじゃん!」
トールードは知り合いらしく、その人の名前を呼んだ。フーレと呼ばれたその研究員は頭上でひらひらと紙を揺らし、続けた。
「ヴァーデルラルドの部屋にあった使いかけのコップから細胞を採取して、DNAを調べました。これとジルケの遺品である『手袋』から採取されたものを比較したところ、これらのDNAが一致することがわかりました。これではっきりしました。今のヴァーデルラルドはジルケです!」
「手袋……?」
「ある職員が保存していたんですよ、ジルケの手袋を、形見として。幸い、手袋の内部にジルケ以外の人物が触れた形跡はなかった。だから『ジルケの所持品』として解析することができた」
会場がざわつく。
「解析結果見ますか? 見たいですよね。いいですよ、見てください。コピーならたくさんあります。いやはや、『ジルケの遺品』を探すのには骨が折れましたよ」
フーレは得意げに紙を配って回った。コピーをもらったが、あいにく専門家ではないのでよくわからなかった。それはゼゼも同じようだった。しかしわかる人には「わかる」ようで、その事実を認めるような反応が散見された。
「ま、こんな面倒なことしなくても、どうやら昨日スプラッタ大惨事があったみたいですし、血液の色でも照合すればわかったかもしれませんね! 健康診断の時に血くらい抜いているでしょう? 『ヴァーデルラルドの血は何色でしたか?』って、担当職員にインタビューするだけでもわかるんじゃあないですかね。有象無象ならともかく、ヴァーデルラルドのことなら覚えてるでしょうから!」
フーレはそう言うと、依然としてざわつく人混みをかき分けて輪の中心に向かっていく。そしてレルマの前まで来ると、腰に手を当てて言った。
「お前なに捕まってんだよ!」
「うえぇ〜だってぇ〜」
「ま、あの部屋から生きて帰ってきたのは、お手柄だと思わないこともないけどな。あのコップも使えないことはなかったし」
使えないことはなかったしというか、使っていただろう、思っきし。
「でもフーレくん、あんなことして、立場は大丈夫なの?」
「別にいい。昨日『なんで助けてくれなかったの』ってお前に言われて、考えたんだ。こんな事件を隠蔽する組織なんて守りたいのか、一部の研究員以外を無碍にする組織なんて守りたいのか、そんな組織のために守る立場って何かって。で、最終的には、腐った組織で得た立場なんてクソだと思った。だからやった」
「フーレくん……!」
「フーレくぅん……!」
いつの間にかトールードがそこに混じって、両手を組みながらフーレを見上げていた。若者のエモに混じるんじゃない。トールードを回収しに行こうとした、その時だった。
「フーレ貴様ッ!」
明らかに怒りの感情のこもった声がホールに響いた。
「どうしてもジルケの手袋が欲しいというから貸してやったというのに、貴様一体どういうつもりだ!」
「どういうつもりって……」
怒声の主は大股でフーレに近づくと、勢いよく胸ぐらを掴んだ。
「貴様ッ……!」
「僕はただ、真相を明らかにしただけですが?」
「なッ……!」
すごむ時にああも顔面を近づけるとは、もしかして彼はヤンキー上がりだろうか。怒りで体を震わせている男に対して、フーレは平然としていた。正しいことをしたと確信している人間の余裕だ。
「貴様は、ジルケが自らを犠牲にして守ってきたこのラボを、台無しにするつもりか!? ジルケが自らの名誉を手放してまで守り抜いた、このラボの平和と存続の運命を!」
「あなたは知ってたんですか? ヴァーデルラルドがジルケだったっていうこと」
「ああそうだ。あの人は、俺たちを信頼して、俺たちだけには教えてくれたのだ……他のラボメンバーでは混乱してパニックになってしまうからお前たちだけに教えると……ラボの存続にはこれが必要なのだと……それを、何も知らない貴様が、外から荒らすなんて……!」
「それはラボメンバーのこと舐めすぎでしょう」
「貴様は新人だから何もわからないのだろうな。ヴァーデルラルドを失ったこの組織の脆さを。このラボはヴァーデルラルドという一つの恒星により形を保ってきた。人的資材も、資金も、すべてあの男によってもたらされたものだ。その男が消えたとなれば、このラボは一体どうなると思っている! このラボを崩壊させるということは、ここにいる全ての人間から、高度で安定した研究環境を失わせることになるのだぞ! それだけじゃない、積み上げてきたこのラボのレガシーさえも消え失せるのだぞ! それがどれだけの損失になると思っているのだ貴様は!」
「知りませんよそんなこと」
「だろうな! 貴様はあまりに短絡的にしかものを考えられない、愚かな若者そのものだ!」
男はフーレを突き飛ばした。トールードがそれを受け止める。ナイスキャッチ!
「ちょっと何やってるんすか! 暴力はなしですよ!」
俺は抗議に前に出た。しかし男も止まらない。
「黙れ三下! そんな生っちょろいことを言っているから、大した成果も上げられないのだ!」
「今のは傷つきました」
反射的に男の胸ぐらを掴もうとした。が、寸前で止めた。今はもう多分、そういう時代じゃない。
「はっ、何も言い返せないか、情けない奴め。まあこの世界では成果がすべてだからな、例え何か言えたとして、若さも成果もないお前の言葉にはなんの説得力もないだろう」
「テメェこいつに成果がないって、なんでそう言い切れるんだよ?」
「驚くべき成果を上げているのなら、俺の耳にも自然と入ってくるだろう?」
「はぁ? それだけ? そんなん……」
「トールードいいですそれは。俺その土俵では戦わないです」
どこまでも噛みつこうとするトールードを制止して、端末を取り出す。
「上はなんか渋ってるみたいですが、事件は事件です、警察に通報します」
「なっ、貴様、このラボを崩壊させるというのか!?」
「一年前のことも含めて、公的機関にちゃんと検証してもらいましょう」
「やめろッ!」
通報しようと端末のロックを外した瞬間、男はそれを弾き飛ばした。
「ちょっ、故障したらどうするんですか!」
「貴様このラボがどうなってもいいのか!?」
「さっきからそればっかですね!」
端末を拾おうとする。が、ぞろぞろと現れた他の男三人に組み敷かれてしまった。なんなんだ。レルマは「昨日の怖い人たち!」と言った。
男は聴衆に向かって呼びかける。
「貴様は、貴様たちはいいのか! このラボが終われば貴様らは全員失業だ! 仮に他の研究所に拾ってもらえたとして、今以上の環境が整っているところなどどこにもないぞ! わかっているだろう!?」
「ジルケもいなくなっちゃったんだから、どっちにしろヴァーデルラルドありきの存続は無理でしょうよ!」
俺は下から反論した。しかし、それでも男は止まらない。
「そんなもの役者を雇えばどうとでもなる! それよりも事件を明るみに出さないことの方が重要だ! 事件が皆に知られればこのラボの評判は失墜する! それで割を食うのは我々なのだぞ! これまで通りの研究などできなくなるのだぞ!」
「だとしても事件が隠蔽されてるのを知りながら働くなんて、気持ち悪くてやってられませんよ!」
「ラボが終わるのだぞ! 貴様にはラボの維持に興味がないのか! 愛着がないのか! 誇りはないのか! このラボの遺産に、伝統に、仲間に、敬意はないのか!」
「このラボに大した伝統なんかありませんって! 俺創設した時からいましたけど!」
「貴様は」
「もうやめて」
場がシンと静まり返る。レルマでもフーレでもない、切実な、だがこの場ではやや浮いた感じのする、爽やかな風のような声が響く。それは、自分にとってはそれなりに聞き慣れた、イェレイの声だった。
皆が一斉にイェレイを見る。皆が注目し切るのを待ってから、イェレイは続けた。
「大体は部下から聞いた。レルマくんの言うこともトールードの言うことも本当。本物のヴァーデルラルドはアネメラに溶かされてミィニャになったし、今のヴァーデルラルドは、ジルケが成り代わったもの。もう死んだみたいだけどね。ヴァーデルラルドの事件について、僕はその現場に立ち会った。事件のことを知りながら、それを隠していた。悪意があって隠していたわけじゃない。むしろ隠すのはラボのためだと思っていた。けれど、今ならわかる。それは誠実じゃなかった。何もかもに対して」
それから一呼吸おいて言った。
「隠していて、申し訳ありませんでした」
イェレイは頭を下げた。
どよめきは、意外にも起こらなかった。皆、黙っていた。沈黙が場を支配する。イェレイは長いこと、頭を上げなかった。
「どういうつもりだ、イェレイ」
沈黙を破ったのは、俺と口論していたあの男だった。
「どういうつもりで白状した。元凶の、貴様が」
「最初からこうするべきだったんだ。僕は間違っていた。君にも面倒をかけたね、ごめんなさい」
「そんなことはどうでもいい! まさか貴様、警察なんぞにバラすんじゃあ……」
「うん、言うよ。全部」
今度こそ、会場がざわつく。
「イェレイ貴様それは認めない! 一体ジルケがどれだけの思いでラボの存続を図ってきたのか……」
「ジルケもヴァーデルラルドもいなくなった今、ラボのトップは僕だよ。僕に従って」
「ッ……!」
「レルマくん、フーレ、トールード、ゲラシー。踏み出すきっかけをくれてありがとう。特にレルマくん、君には本当に助けられたね。正当防衛の件だけど、悪くならないように取り計らっておくよ。他のみんなも、こんなことになってしまってごめんなさい。このラボがどうなろうと、これからのみんなの研究環境は保証するから安心して欲しいな」
「保証するって言ったって……」
「どうにかする」
イェレイは強く言い切った。
「じゃあ今から、警察を呼ぶ……」
「待って!」
皆が声の方向を向く。待ったをかけたのは、レルマだった。
「その前に、ミィニャちゃんをおしりちゃ……シリのところに連れていってあげて欲しいな。シリ、ずっとヴァーデルラルドのことを探してたから」
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