第17話

ゲラシーの視点:


「ですからァ、スーツにはボンテージとしての側面があるんですよ」

「どういうことだ……」

 俺は先ほどから、この目の前の男に「昨今の若者のトレンド」について説明していた。この真向かいに座る男の名はゼゼ。中途採用で今年からこのラボに来た同僚の研究員だ。ゼゼはこの話題になってからずっと、「意味不明だ」「どういうことだ」「意味がわからない」と繰り返すばかりだった。わからないことをわからないと言う姿勢は好ましいが、いいかげん疲れてきた。というか、俺だってそんなに詳しいわけではない。

「スーツって社会的な拘束具じゃないですか。それで、ムチムチの豊満なボディを? お堅いスーツで締め付けるのが? 意味的にもビジュアル的にも二重に倒錯的で? みたいなことらしいっすよ」

「それでスモールサイズのスーツを着るのか……?」

 ゼゼはまだ何か納得がいかないようだった。俺は手元のスナックを食べる。何度も言うが、俺だって詳しいわけではないのだ。これ以上何か聞かれても、困ると言えば困る。

「ま、お前はフツーのスーツでもパツパツだけどな」

 後ろからの声に振り返ると、緑色のモッズコートを来た男が、ココア缶を片手に「よぉ」と手を振っていた。名前はトールード。この男も自分の同僚だが、研究員ではなく、常駐のシステムエンジニアだ。

「うーわ、なんすかその発言。デリカシーないっすね」

「同感だ……品性を疑う……」

「はああ〜〜〜? そんな言う?」

「今の発言はフツーにキモいっすよ。あ、お菓子食べます?」

「食う」

 トールードは差し出したスナックを口に入れながら、隣に座った。

「いやでも、お前の場合はさあ、筋トレの結果パツパツになってるわけじゃん。そーいうのは『自分の選択』で『努力の結果』なんだからいいんじゃねえの?」

「言い方と文脈の問題ですかねー」

「そもそも他人の身体へのコメントは慎重にするべきだ……お前にそんな高度な技が使えるとは思えない……大人しく諦めるんだな……」

 ゼゼは珍しく長めのコメントをしては、後ろを向いて咳き込んだ。普段からハスキーな声が、今日はいつも以上に枯れ果てていて、本当に苦しそうだった。曰く、昨日はライブハウスで政治的メッセージをぶちかましてきたらしい。ご苦労なことだ。今度のど飴をプレゼントしてもいいかもしれない。

 ゼゼが新しくチョコレートのお菓子を開けた。恐らくトールードの買ったものだが、買った当の本人はそれを見ても何も言わなかった。もはや今更なのだろう。ゼゼとトールードと俺の三人は、休憩時間、コンピュータルーム横の休憩室で、トールードの買い溜めたお菓子を食べながら雑談するのが日課になっていた。

 この日課は自分にとってそれなりに大事な時間だった。確かに、優秀で真面目な同僚に囲まれて仕事をするのは刺激的で、日々成長できている実感がある。しかし、いかんせん息が詰まる。そもそも、成長欲のようなものも、だいぶ昔に置いてきてしまった気がする。かといって別に仕事の手を抜くわけではないのだが、こうしてくだらない話をしながら息抜きをするのは、自分なりに質の高い仕事をする上で重要な時間だった。

「ふあー、もうそろそろ仕事戻りますかね」

「この余ったチョコもらってくわ」

「おい待て……チャットを見ろ……全体チャンネルに連絡が来ている……」

「あ? そんなん後でいいだろうが……」

「いや、これ……」

「んあ?」

 三人で端末を覗き込む。それから、顔を見合わせて言った。


「「「このラボで殺人事件が起きた……!?」」」


 エントランスホールに行くと、既に人だかりができていた。その中心では、小柄な青い服の青年が椅子に座らせられている。明らかに、昨日一緒にチーズケーキを食べた清掃員だった。よく見ると、ご丁寧に手錠までかけられている。それは誰かの趣味だろうか。

「なあ、おい、一体何があるっていうんだよ」

 平均的な身長のトールードとゼゼがぴょこぴょこと跳ねる。見たものをそのまま伝えると、トールードは頭を抱えて、床にうずくまってしまった。

「ちょっと、どうしたんですか」

「やっべェ……俺、殺人のお手伝いしちゃったかもしれねえ……」

「ええ?」

「大丈夫だ……お前に意思がなければ幇助罪には問われない……」

 それでもトールードは、「でもよぉ……」とうずくまったままだった。

「てか殺人のお手伝いしたかもって、アンタ何したんですか」

「ヴァーデルラルドの部屋の鍵をハッキングして開けた……で、あの清掃員の子が中に入れるようにした」

「あちゃちゃー」

「それはまた別の罪に問われそうだな……」

 あーうーと頭を抱えるトールードを、他の職員が邪魔そうに一瞥していく。このまま人混みにいても仕方がないので、トールードを引っ張り、一旦そこから離れることにした。

「そもそも本当に、あの清掃員が殺したのか……?」

 ゼゼが顎に手を当てて言う。

「まあそっすね。確かに、俺らが状況から勝手に判断しただけ……」

「それもそうじゃん!」

 トールードが勢いよく立ち上がった。

「うわっ」

「一次ソース見に行こうぜ一次ソース!」

「ちょっとちょっとぉ」

 トールードは乱暴に人混みを掻き分けて、人だかりの中心に進んでいった。俺は「すいませェん」と周りに謝罪しながら、ゼゼは黙って、それについて行く。

 辿り着くと、遠くから見た通り、昨日の清掃員が項垂れて座っていた。その清掃員はこちらに気がつくと、「チーズケーキのおじさんたち!」と顔を上げた。なんだその呼び方は。

「なんだその呼び方はァ!?」

「なんだその呼び方は……」

 気になったのは自分だけではなかったらしい。ゼゼだけは「悪くない……」と満更でもなさそうだった。

 トールードはまあいいやと首を捻ると、単刀直入に聞いた。

「アンタがヴァーデルラルドを殺したのか」

 すると清掃員は、悲しそうに顔を歪めて、「うん……殺したのはそう……かも」と歯切れ悪く言った。トールードは「なんてこったい!」と頭を抱えた。この男はいちいちオーバーだ。

「でもその、正当防衛なんです! 正当防衛! 本当はミィニャちゃんを取り返すだけのつもりで、でも見つかっちゃって、変な液体飲まされそうになったから、抵抗したら……」

 そう言うとその清掃員はまた俯いてしまった。

「そもそもなぜ彼が捕まっているんだ……自首でもしたのか……?」

 ゼゼが聞くと、すぐそばにいた別の職員が「廊下の監視カメラに映ってたんです」と答えた。

「今朝別の職員が、自室でボスが死んでいるのを発見しまして。それで監視カメラを確認したらこの清掃員が最後に出入りしてたってことがわかったんです。だから医務室で寝てたところを起こして、ここに来てもらったんです」

「なるほどな……ところで警察は?」

「呼んでません。上からの指示で」

「呼んでいないだと……?」

 ゼゼは驚いていたが、俺は納得した。まあこの組織なら、まずは呼ばないよなと。長年同じところで働いていると、なんとなくわかってくるのだ。そういう空気感が。きっと、自分たちのことは自分で解決しようとする、しょうもないプライドが働いているのだろう。

「なぜ警察を呼ばない……」

 ゼゼが聞く。

「現場を見たら、ボスが生きてる可能性があったんです」

「何……?」

 思っていた理由とやや違った。

「そう、妙なんですよ、今回の現場。ボスの肉体はアネメラ毒で溶かされているのに、そのコアはまだ生きてるんです。しかもボスのコア、ボーボーに草が生えていて。とにかく普通の状態じゃないんです。奇妙でしょう?」

「そりゃ警察に渡さないで、自分らで調査したいっすよね」

「そういうことです」

 ゼゼはまだ納得がいかないように頭を捻っていた。いずれ彼も、このラボに飲み込まれる日が来るだろう。それはそれとして。

「この清掃員さんの処遇はどうするんですか。正当防衛なんでしょう?」

「詳しいことは上に任せます。が、まあなんらかの罰は下るんじゃないですかね。正当防衛だろうがなんだろうが、ボスを殺したことには変わらないですし、そもそも『ボスの部屋に勝手に忍び込む』なんて、許されることじゃあありませんからね。正当防衛以前に罪を犯してますよ、この人は!」

 トールードが気まずそうに顔を背ける。この職員は純粋に、起こった不正に対して怒りを感じているようだった。

「でもよぉ、先に手ェ出してきたのはヴァーデルラルドの方だぜぇ? 知らねえのか? ヴァーデルラルドは無理やりミィニャを連れ去って、実験に使おうとしたんだ。この清掃員さんも言ってるけど、清掃員さんが忍び込んだのはただミィニャを取り返そうとしただけだし、そのためにわざわざ忍び込んだんだよ。断罪するのは待って、もうちっとこの人の正当性みたいなのを認めるべきじゃねえの?」

 トールードは、自分が鍵を開けたという点は巧妙に隠して、清掃員の弁護をした。しかしこの職員は、「その行為に正当性などありません。ボスのやることに異議があるなら、言葉でそう伝えればいいのです」とバッサリ切り捨てた。なかなかの無茶を言う。

「でもよぉ」

 しかしトールードは諦めない。

「一説によりゃあ、この清掃員さんは、このラボの陰謀を暴こうともしていた……かもしれないんだぜぇ?」

「というと?」

「昨日の大喧嘩見てねえのか? この清掃員さん言ってたんだぜ、今のヴァーデルラルドは偽物だって……」

「あなたもそんな謂れのない中傷を信じるというんですか!?」

 突然、職員の怒りが爆発した。職員は続ける。

「ええそれなら知っていますよ。シリがそう言って回っていますからね。一体何が気に食わないのか知りませんが、本人に不満を伝えず、周りに偽物だと言って回っているのです。まったく、下劣な野郎ですよ。ボスが偽物なわけありますか! ボスは昔から何も変わってなどいない! 私はボスを何年も前から見ているので分かるんですよ! ボスは何も変わっていない! ボスはずっと同じボスのままだ! 大体、偽物になったとして、一体誰がボスになり変わることができるでしょう! ボスは唯一無二なのですよ!」

 そこまで言い終えた職員は息切れしていた。トールードとゼゼは引いたようにそれを見ていた。俺も少し引いていた。

「とにかく、もう二度とそんなことは口にしないでください! 用事がないのなら、さあ、向こうへ行って!」

 そんなこんなで俺たちは追い出されてしまった。

「うへぇ、なんかすごかったですね」

「そうだな……しかしヴァーデルラルドが偽物だというのは……お前は本当だと思うか……?」

「どうでしょうね。少なくとも今のヴァーデルラルドに違和感はないと思います。偽物が成り代わってるとして、どうやって実現してるのかも疑問です。消去法的に『信じられない』って感じですね」

「緑の巨人は受け入れるのにか……?」

「まあ、そうですね。緑の巨人は現にいるので」

「なあお前ら」

 腕組みして黙り込んでいたトールードが、突然口を開いた。

「俺、ちょっとやりたいことあるわ」

 そう言うとトールードはどこかへ行ってしまった。

「……」

「……」

「暇になっちゃいましたね」

「そうだな……」

 ゼゼと二人でぽつんと立ち尽くす。

「殺人現場でも見に行くか……?」

「それ超いいアイデアっすね」

 俺たちはヴァーデルラルドの部屋に向かった。

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