イライラ②


 腹立たしいし、恥ずかしいし、イライラは消えてなくならないし。



 用を足し終わったキティは、不安そうな表情でこっち見てるし。



 キティは悪くないのに、可哀想じゃん。



「んー、でも――」


「もういい! 戻って取ってくる! キティ、行くよ!」


 表情も態度も声色も全く変えない彼氏には、これ以上何を言っても無駄どころか言うだけムカつきが増すって分かってるから、キティを連れて来た道を戻り始めた。



 スコップと袋を取りに戻るだけだから、彼氏と一緒にキティも置いていけばいいって分かってるけど、不安そうな表情してるキティを置いて戻る事は出来なかった。



 それに彼氏にはひとりになって、じっくり反省してもらわなきゃならないし。



 つか、猛省しろ。



 一体どんな思考回路してたら、イライラしてる彼女の為にスコップと袋を持って来ないでおこうってなるんだっての。



 この状況でそんな考えにいたる奴なんて、アイツ以外に絶対いない。



 勉強は出来ても常識分かんない奴なんてバカとしか言いようがない。



 ていうか、常識は分かんなくてもいいから、せめてあたしの事くらいは分かれって話。



 何をしたらあたしが怒るかって、七年も付き合ってりゃ分かるのが普通でしょ。



 それなのに何で――。



「何でついてくんのよ!」


「いや、ほら、そんなにカリカリしてたら注意力散漫になって事故とかあるかもだし」


「カリカリしてんのはあんたの所為でしょうが! てか、戻んなさいよ! ウンチ置いたままじゃん!」


「放置する訳じゃなくてまた戻るんだから大丈夫だよ。往復で二十分くらいだし」


「時間の問題じゃないの! 置いたままにしてある事が問題なの! あんた、あっちで待ってなさいよ!」


「まあまあ、そうカリカリしないで」


「誰の所為だと思ってんのよ!」


「ああ、そうだ。気晴らしに『究極の二択』でもする? 昔よくしたよな」


「あんた、あたしの話聞いてる!? 微妙に話が噛み合ってない気がすんのはあたしだけなの!? ついてくんなっての!」


「昔はいつも俺が答える側だったけど、今日は俺が質問する側な。ほら、もうこの時点で今までと違うだろ? 気晴らしになるぞ」


「あたしの話聞けっての! そんな気晴らししたくないし! 気晴らしになる気もしない!」


「じゃあ、一問目」


「話聞けよ!」


「あなたは深い深い海の上でボートに乗っています。ボートには浮輪がひとつあります。ボートの右側の海では俺、左側の海ではキティが溺れています。さて、どっちに浮輪――」


「キティ!」


「答えるの早……」


「当たり前でしょ! キティは小さいんだから!」


「じゃあ、海で溺れてんのが俺と俺の親父だったら?」


「おじさんに決まってんでしょ!」


「俺、泳げないのに?」


「溺れてるって言ってる時点で泳げるかどうかは関係ないっての!」


「溺れてんのに親父なのか?」


「当たり前! あんた、年功序列って言葉知らないの!?」


「じゃあ、俺と何が溺れてたら俺を助ける?」


「知らないわよ! 段ボールか何かじゃないの!?」


「ああ、助ける気はないって事かあ」


「そうよ! 自力で何とかしろ!」


「じゃあ、次の質問」


「もう質問なんていいから、ウンチの所に戻んなさいよ! そもそもあんたの質問って気晴らしどころか余計にイライラすんだっての! 下手なのよ、質問の仕方が! 内容がショボくて究極でも何でもないんだっての!」


「即答してもいいからな?」


「聞けよ、話を!」


「すぐに答えるの難しかったら数日考えてもいいし」


「だから話を――」


「俺と結婚するか、別れるか。どっちにする?」


 それまでキティが小走りになるくらい足早に歩いてた足がピタリと止まった。



 気持ちとしては、「は?」とか「え?」って感じだったけど、口から言葉は出ていかなかった。



 少し後ろをついて来てた彼氏に無言で振り返ったら、そこにあるのはいつもと変わらない表情。



 あたしは一体どんな表情してるんだろう。



 自分で分かるのは、



「何で別れるって選択肢が出てくんのよ!」


 声が裏返ってる事くらい。



 バカみたいに動揺してる。



 だから顔が熱いんだ。



「え? そっち? そっちに引っ掛かるのか? まあ、別にいいけど」


「何よ!」


「別れるって選択肢があるのは、プロポーズを断られたのに一緒にいるのは流石に俺も辛いし、お前にとって俺が結婚したくない相手なんだったら付き合い続けたって最終的には別れる事になるんだろうから、いっそどっちかの選択でいいんじゃないかなって」


「何よ! その適当な感じ!」


「全然適当じゃないよ。指輪も買ってあるし」


「ゆ、指輪って……」


「俺と結婚するならあげる」


「ふ、普通は指輪を見せながらプロポーズするもんでしょ!」


「見せるのは渡す時だけ。心配しなくていいよ。絶対気に入るから。俺、ちゃんとお前の事分かってるから」


「分かってるようには思えないけど!?」


「全部分かってるよ。飽き症だって事も、突拍子もない事は苦手なのに、刺激を求める性格も。それでいて自分からは動こうとしないところも。自分からする突拍子もない事って言ったら犬に子猫キティって名前を付けるくらいで、いつも安全圏にいる。安全圏の中でイライラを募らせてる」


「そ、それ聞いてたら、あたし最悪な人間みたいじゃん!」


「そう? だからこそ俺は愛を感じるんだけど」


「あ――い?」


「うん。飽き症なのに俺と別れようとした事、一度もないだろ? 毎日同じ事の繰り返しだって愚痴っても俺以外の誰かを求めようとしないだろ? それって愛を感じるね」


 いつも通り飄々と言葉を続ける彼氏の口許は微かに笑ってる。



 勝ち誇ってる感じが憎らしい。



 けど、何も間違ってない。



 ちゃんとあたしの事を分かってる。



 だからこそ、いつも定期的に刺激をくれる。



 友達だったあたしたちの間柄を「付き合おう」って言葉で変えてくれたのは彼だった。



 社会人になって落ち着いて何の刺激もなくなった頃、「同棲しようか」って言ってくれた。



 同棲に慣れて同じ事を繰り返す日常に飽き始めた頃、「犬でも飼おうか」って提案してくれた。



 いつもいつも、飽き症のあたしが退屈な日常に不満を抱くと、人生に心地の好い刺激を与えてくれる。



 いつもいつも、同じ事の繰り返し。



 それが、肌触りのいい毛布に包まれてるみたいに、温かくて凄く気持ちいい。



「指輪、見たい?」


 彼の、何があっても表情を変えないところに安心する。



 取り乱したり動揺したりしなくていいんだって、その表情は教えてくれるから。



「そんなに泣くなよ。嬉しいのは分かったからさ。じゃあ、スコップと袋取ってきてキティのウンチの後始末して家に帰ったら指輪渡すな」


「こ、この状況でウンチとか色気も何もないんだけど! ていうか、プロポーズが二択問題って感動も何もないんだけど! 普通は高級レストラン行って、シャンパンとか飲んで、いいムードになってからするもんじゃないの!?」


「でもまあ、そういうのは刺激がありすぎるから」


「はい!?」


「そうやって畏まった感じでやったら、お前パニクっちゃうだろ? それにこういうのはシチュエーションより気持ちの問題だから」


「そ、そうだろうけど……」


「好きだよ」


 はっきりと笑みをつくった彼が、「行こうか」と手を差し伸べてくる。



 その手を掴んだあたしの表情がどんななのかは分からない。



 でも、ずっと感じてたイライラは消えてなくなってた。



 いつもこんな感じ。



 あたしは彼の掌の上でコロコロと転がってる。



 掌の上からは絶対に落ちないっていう安心感の中で、いつもいつも――。





 イライラ 完

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イライラ ユウ @wildbeast_yuu

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