第2話 外科


 日曜日の夕方。

 それは世の中の多くの病院様が休業している時間帯である。


 そんな時こそ気をつけなければならないのに、わたしは今、外科で診てもらえると聞いて、爆速とは程遠い法定内速度で夫が運転する車の助手席に座っている。


 片側2車線の、割と整備されている国道を走る僅かな振動でガーゼの上から握っている左手親指が鼓動のリズムに合わせて痛む。


 日が暮れ始めた国道を走る車のライトがちらほらと点灯し始め、わたしに夜の訪れを知らせていた。


 ◇


 2022年味覚の秋。

 今日は、栗ご飯の予定。


 毎年1kgほどの栗を頂くので、この時も毎年と同じように下茹でしたものを冷凍し、必要な分だけ皮を剥くようにしている。

 最近は便利なもので、包丁を使わなくてもいいように、栗の皮むき専用器具が売っている。

 専用器具はニッパみたいに柄を握ることで、先の刃物が動く。ギザギザになっている刃で栗の皮を捉え、お向かいにあるカッターのような刃でそぐように剥くことができる、超便利な代物だ。


 あと数個で皮を剥き終える時、玄関の扉がガチャリドスンと音を立て、愛犬が帰宅した夫と娘におかえりなさいの号令(吠え)をする。


 そして、わたしの手が滑り、あろうことか皮むき専用器具のカッターのような刃が左手親指に刺さった。


 あまりにも一瞬の出来事で、気が付いたら親指から勢いよく血が粒になって流れ落ちたのを見て、怪我をしたことを理解したくらい。


 そんなわけで、傷口を慌てて水でさっと流し、新品のガーゼを大量に掴んだその勢いのまま親指を握り、肩より上の位置にした。

 少しばかり違和感のある忍者ポーズを決め込みながら、わたしは外科の時間外診療先を探して欲しいと夫に伝え、娘を姑に預け、夫と出発したのだった。


 ちなみに後日談では、怪我をしたわたしを心配する周囲の気持ちを明るくするために「マーライオンの水のごとく、ピャーって噴き出たんですよ。漫画みたいに」と盛りに盛った内容で語り続けることとなった事案である。


 ◇


 あぁ、久しぶりにこのクリニックにお世話になるのか。

 改築して新しくなってから来たことがないから新鮮。

 そんなことを考えながら、明かりの点いてない暗い院内が見える正規の入り口を通り過ぎ、看護師さんが立っている時間外専用と書かれた扉に入る。


 病院で処置してもらえば、もう大丈夫でしょ!

 そんな安易な考えで、わたしは診察室に入っていったのである。


 診察室に待ちたるは、白衣姿の海坊主先生。

 シティー○ンターの海坊主さんよりは筋骨隆々としていない小柄の、サングラスではないメガネの先生で、知る人ぞ知るクニリックの副医院長(院長の息子さん)だった。


 彼には夫もお世話になっていたこともあって、妙なシンパシーを感じて安心しまくった。


 わたしは淡々と事の次第を海坊主先生に伝えたところ、「縫合する? それとも自然にくっつくの待つ?」と、海坊主先生。


 親指は動かしたりして傷口開きそうだし、お風呂入るたびに沁みるの嫌すぎる。

 あ、ちょっと待って。1か月後に海外出張あるじゃん、それまでに治るかな。

 うーん、動かすたびにパカパカ開くの嫌だなあ……。

 そんなことばかりが頭を駆け巡った。


「先生、縫合してください。あと、1か月程度で治りますか?」

「治るよ、治る。それとね、麻酔することになるけど、いいよね? 親指にする麻酔は痛いよ?」


 予防注射とか麻酔とか針が刺さることにそれほど恐怖も痛みも感じたことが無かったので、先生に二つ返事で了承した。

 横になったわたしは海坊主先生に親指を預ける。よろしく頼むよ、先生。


「では麻酔しまーす」

 ぷちっ


 これでもう本当の大丈夫にな……ってないっ!!

 先生! 親指が何か尖ったものに押されてて、ピンポイントでめちゃくちゃ痛いですよ!

 いっっったっい! 痛すぎるって!


 出産時以来の激痛に耐えかねて、わたしは呼吸で痛みを逃す。


「ふーっ……」


 こうやって炭○郎も呼吸で痛みを逃がして鬼と戦ったのかもしれない。


 脳内ではふざけたことばかりが思いついては消えていくも、呼吸法は全く効果が無く、あっけなく残される痛みに笑いが込み上げてきて、「ふふふっ」と吹き出してしまった。


「先生、めちゃくちゃ痛いですね」

「でしょ? 大人でも泣く人いるよー」


 うん、泣く人いると思う。

 こんなに痛い麻酔は初めてだよ、海坊主。

 もっとちゃんと「物凄く痛い」とか言ってくれよ。


「ほら、もっと痛がれ~!! うりゃあぁぁぁぁあああ! 痛がるんだぁぁぁああ」

 そう叫びながら海坊主先生は、わたしの親指に刺さる注射針をぐりぐりと、これでもかっ! というくらい押し付け、そのふざけた調子の声と悪い笑顔の先生が今でも忘れられない。


 痛みにより冷静を取り戻したわたしは、

「……先生、麻酔が効いてきたみたいで、ちっとも痛くありません!」

 と、終わりを告げた。


「もっと痛がればいいのに」と口を尖らせて言う海坊主は手際よく針と糸を用意し、再度、わたしの親指が感覚を失っていることを確認し、あっけなく縫合は終了した。



 今となっては、せっかくの機会だったので、もっと痛がる演技をしてあげればよかったと後悔している。


 ◇


(追伸)

 2025年秋、義理の叔母から皮を剥いた茹で栗(山で採れる)を分けていただき、その優しさに感極まって涙目で厚く御礼を申し上げたところ、追加の栗をいただきました。


 義理の叔母からいただいた皮付き栗の調理中に怪我をしたなんて本当のことは言えねえや。



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