半生のこと

 なぜだか妙に、輪郭のはっきりとした夜だ。眠りは浅かったというのに、私の目は帰り道のそばにある校舎の薄汚れたその一片までもを余さず捉えている。雲の隙間から三日月が覗いていて、その形すらこの目は鋭利に見えているから、これはたぶんあいつの明るさのせいじゃない。ぱきっとした色味の世界は、まるで昨日と地続きではないみたいだ。足元には秋の死骸が落ちていて、そいつを踏むとしゃりしゃりと音がする。聴覚だけが冬を告げていて、指先はまださほど冷えていない。

 それはそうと、昨日の夜中からずっと後悔について考えている。と言っても概念的な話じゃなくて、あくまでも私の人生の話だ。今の私が今のように生きていることをあまり悔いてはいないけれど、むしろ悔いるべきだった瞬間はあるのではないか、なんてことを考えていた。考えても栓のないことではあるけれど、たまには無駄なことを考えたって悪くないだろう。

 悔いるべきだった箇所なんてない、なんてことは口が裂けても言えない。一片も悔いの残らない生涯なんて、あえて言葉を選ばないのであれば、漫然と口を開けて生きる家畜程度の価値しかない。とはいえ明確にこれは失敗だったと呼べるようなものもあまりない。細々とした間違いはあっても、大きく道を踏み外したのは一度か二度ぐらいのものだろうか。それこそ今目の端で積もっている落葉のように、大きく重なって私の人生の負債になっている可能性はあるが。まあ、その山もたった今吹き抜けた風で吹き飛んだから、そんな程度のものなのかもしれない。

 ここで考え方を変えてみた。行動した結果の損失ではなく、行動しなかった場合の損失を後悔として捉えてみる。そう考えると色々ある、気がする。まあ所詮は「動いていれば変わったかもしれない」というだけの希望的観測だから、そうなるのも頷けるところである。

 まあ、後悔というほどではないが、あの日軽やかに私の前を去ったあの人を呼び止めていたならばどうだったろう、と考えることはなくもない。突拍子もないことを話し始めて笑うその流麗な横顔は、三年経ってもまだぼんやりとなら思い出せる。とはいえ、まだ残っているその連絡先に、なにかコンタクトでも取ってやろうという気もない。どうせあのときの煌めきを美化しているだけで、過去なんてのはそんなにいいものではない。

 思えば安牌ばかりを取り続けてきた人生だ。黄色い葉はまだ雪みたいに降り続いていて、街灯がひたすらにそれを照らしていた。時季の割に威厳のない風が吹き抜けるのを見守ってから、私は秋めく並木に今日の日のさよならをした。

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