時速三六○米を叫べ

 暗闇の折、無限にも思える遙か三米先の君に告ぐ。つもりで息を吸う。ひゅうと漏れた喉笛を君は聞いていたろうか。それでも止まれぬ魂を縛るは他でもない自分で、強ばる表情滴る汗握り抜いてしまいそうな掌を透かし見た先の君は終ぞ私を見ない。掴めてしまう程近い三米先の君に触れることすら敵わない。声は漏れない。情けなく惨めな私すらを君は見ない。それで良いか。否、良い筈が無い。何れ程如何程に情け無く砕け去り塵芥に満たない矜恃だろうと、どうにも泥に塗れ恥以外に呼べぬ薄汚れた魂であろうと、その眼に映す所こそ本望。唯だ小奇麗に生き透明な儘生涯を閉じるより余程良いと見える。ならばこそ、今、此処で、叫べ。その心中に抱うる情熱の一切を、腹の中に巣食う思案の合切を、唯叫べ。叫べど呟けどその波の速度は三六○米毎時。血流迸る眼球己の血滲む爪乾ききった喉のその全てを忘れ、暗闇の折、無限にも思える遙か三米先の君に告ぐ。力みとは裏腹に弱々しいその心根の揺らす音を君はどう聞いていたろうか。溢れる街灯の下眩暈を抑え焦点を合わせた先の君が笑みを浮かべている。かと思えば嫋やかな髪を揺らし灯りを灯した深い夜の色の眼で此方を見詰めている。息を飲めぬ儘、私はそれを見ていた。無限とも思える一瞬のうちに視界を奪った閃光の、その残像が焼き付いて離れないでいる。

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