抑揚の無い暮し

 かび臭い部屋の空気に慣れているとはいえ、ずっとこれでは気が参る。隣が小火ぼやだと騒いでいるうちに出ていくよう云われ、どうせ補助の出るまでの仮住いだと安値に負けたのがいけなかった。とはいえ数えてきっかり三週間の辛抱だからと、割り切りをつけたのが今朝未明の話だ。

 しかしながら、変った環境に身を置くというのもなかなか悪くないもので、昨日は商店街を見て回るうちに余計な物を幾つか買い込んでしまった。昼間だって、この人は何を買っていそうだとか、この子供はどこの子であろうだとか、足元を駆け抜けた猫はどんな貴婦人に飼われているのだろうだとか、そんなふうな具合に好奇の目をどこかしこに向けていた。ところで本日は篭城戦をと考えていたが、よく考えなくとも飯がない。出不精でぶしょうの私とて兵糧ひょうろう尽きては闘えないので、本日も髭を剃るだけの簡単な支度をして渋々出掛ける。昨日歩いて買ったのは、思い返せば書籍を幾つかと筆を一本である。生憎あいにく筆から出る日銭で飯は食えても、腹は満たせない。

 ふと、灯りを求めて飛ぶ蛾が目の前を通り過ぎ、街灯に近付き、気に入らなかったのか結局別の方へと羽を向けてしまった。道沿いには春目前、時期相応の風が吹いている。先週に私に風邪を引かせた冷酷たる北風殿にも、屹度きっと反省だとかの思う所があったに違いない。時を同じくして降った雪の影は最早見えず、そのまま幾つか立ち竦んでいれば蝶でもそこの花壇から這い出して来るのではないかといった程である。されどもなお名残惜しそうに此方を見遣る冬の陰を、羽織の余った布で払ってやる。こうして気が付くと季節が巡っている。

 やがて家から掴んで出た袋を膨らませてから、元来た道を引き返す。少し前まで居たよく知る道ならばこう独りで退屈することもなかったのだが、今更それをかく言ったとて詮無い話である。まあ、あれ程までに事を広げておいて、五体満足で生きているのだから運が良い。そう、運が良いのだ。私はかれこれ四半の世を生きて、そのうちに幸運の真の髄を知ったと豪語する。運が良いとは、損をしないことである。とまあ、とうに落陽した家路にて孤独なる演説をどれほど饒舌じょうぜつに語り上げたとて、拍手をするのも精々木枯しに吹き上げられた落葉位なものである。とぼとぼと街灯を背に歩く男の影は、それはそれは惨めに見えるやも知らない。

 というふうなことをうそぶきながら扉を開き、夕餉ゆうげの支度をしているときにふと卵を買いそびれたことに気が付いた。気付いていたなら誰か教えてくれよと頭を掻きながら独りごちる、私は例によっていつもこんな生活を繰り返している。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る