第三十五章 好奇心の代償② 

 そうして最初は室内で遊んでいたが、あたたかい季節になると、母親たちはテラスでお茶をするようになった。

 当然のように、カトリーヌとユージンの遊びの場も庭に移っていき、好きなように走り回っていた。

 使用人はついていたけれど、小さな子どもの姿を見失うことも多い。

 それがまた隠れんぼのようで面白くて、カトリーヌもユージンもことさら使用人の目を逃れようとしていた。


「お嬢さまー! ユージン皇子殿下! あまり遠くへ行かないでください」

 庭の植えこみの陰に隠れて、使用人を巻くのはすでに定番の遊びとなっていた。

 ユージンはよく喋るほうではなかったが、子どものころから頭の回転が早かった。

 何度か来ただけでメディシス家の迷路庭園を完全に把握していたようだ。

 遊びに来るたびに使用人からうまく逃げられるようになっていった。

 どちらかというと室内での遊びを好むユージンでさえ、メディシス邸ではよく走り回るようだ。

 それだけ、皇宮での暮らしが大変だということなのだろう。カトリーヌも子どもながらに察していた。


 そんなある日のことだ。

 ユージンは仔犬を連れて遊びにきた。

「カトリーヌに見せてあげようと思って」

 どうやら緑影宮で飼うことになった仔犬をわざわざ連れて来てくれたようだった。

 いつも大人ばかりの世界にいるカトリーヌにとって、ユージンが来ると自分の世界が少しだけ広くなる。

 それがうれしくて、カトリーヌはユージンが来るのを楽しみにしていた。


「ユージンったらカトリーヌも犬が好きかな? ってとても気にしていたの。遊びに来た日の夜はずっとカトリーヌの話ばかりして……ユージンはとてもカトリーヌのことが好きみたい」

 金色の髪を陽光に輝かせた第二皇妃が、その目映さに負けないくらい美しい笑みを浮かべる。


「お母さま! 僕そんなこと言ってない!」

 第二皇妃の膝をぽかぽかと叩くユージンの顔は真っ赤で、言葉とは裏腹にカトリーヌを好きだと告白しているかのようだった。

 とはいえ、子どものころの『好き』という感情は、家族が好きとか、ペットが好きという気持ちの延長線上にあるのだろう。

 カトリーヌ自身も、ユージンのことが嫌いではなかったから、素直にうれしかった。


「ありがとうユージン……仔犬とってもかわいい! 触っても大丈夫? 庭で遊べるかな?」

 カトリーヌがテラスから離れて庭へ向かうと、仔犬も追いかけてくる。

 自分についてくる小さな存在はかわいい。まだ走り方もおぼつかない仔犬は、ときには自分の尻尾を追いかけてぐるぐると回ってしまう。

 そんなところも愛おしくて、ユージンと笑いながら、庭園の四阿へと向かった。


「ユージンがとっておきの仔犬を見せてくれたから、わたしもとっておきの秘密を見せてあげる。ここでちょっと待っててね」

 そう言うとカトリーヌは屋敷のなかに駆けていき、小さな箱を手にして戻ってきた。


「ほら、見て……これはね。メディシス家の一員だけが食べられるのよ。わたしもようやく薬の作り方を教えてもらってるの」

 カトリーヌが箱を開くと、ふんわりとバターの香りが漂う。薬という言葉に似合わない香ばしい香りが不思議だったのだろう。

 ユージンが興味深そうに覗きこんだ。


「これが薬なの?」

「薬というより毒よ。でもお菓子でもあるの」

 ほろほろと口のなかで溶けていくやわらかいクッキーだ。しかし、ただのお菓子じゃない。

 毒入りのクッキーで、メディシス家では幼いころから毒を少しずつ口にして、体に毒への耐性をつける習慣があった。


 ――カトリーヌのとっておきの秘密。

 薬と毒に長けたメディシス公爵家は自分が継ぐのだという自負でもあった。


「わたしももうメディシス家の一員として認められたということなの」

 それが幼いカトリーヌには誇らしく、小さいお友だちにも自慢したいことだった。

 ユージンにしてみれば、お菓子を見せてくれたのは『食べていい』と勧める意味だと思ったのだろう。


 大人になってみれば、自分がどれだけ危険な行為をしたかよくわかる。しかし、幼いカトリーヌは友だちとの意思疎通までは先読みできていなかった。

 ただでさえユージンは見知らぬものに対して好奇心が旺盛だった。

 ひょいとひとつを抓んだユージンはクッキーをそのまま口にしてしまったのだ。


「なんだ……本当にただのお菓子じゃないか」

 甘さを感じたとたん、金髪の皇子さまは花が綻ぶように笑った。

 その瞬間、カトリーヌは驚くあまり、とっさに動けなかった。

 小箱がカトリーヌの手から落ちて、石畳にクッキーが散ってしまったことも、仔犬が近寄ってきてそれを口にしたことも気づく余裕はなかった。


「すぐに吐きだしてユージン!」

 カトリーヌは叫んだ。

 無理やりユージンの口に手を入れて、食べたものを出そうとしたけれど、一足遅かった。

 小さなクッキーは少年の体のなかに入ってしまったのだ。

 少量の毒だから効き目はすぐには現れなかった。

 しかし、実際に調合したカトリーヌは、それが子どもが口にするには十分危険なものだということはわかっていた。


「あれ……なんだか……手が痺れて……僕の、仔犬……」

 仔犬が泡を吹いて倒れたそばに、少年の体も転がる。


「ユージン……ユージン……いやぁぁぁっ」

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