第三十四章 好奇心の代償①
断罪された最初の人生と、自由になったあとで殺された人生と。
その二つの記憶を持つ自分は、公爵家という恵まれた環境に生まれ、まだ十三才という若さに似合わないところがあった。
――他人を信じきれない。
だから、アンリをはじめたとした皇室の人々やディアナ、そしてゴティエ侯爵令嬢ももちろん、今世で婚約者に選んだユージンさえ自分を裏切る可能性をつねに頭の片隅においていた。
誰も信じられないからこそ、最終的にすべてを捨てることにためらいはなかった。
――だってあんなに尽くしたアンリに簡単に裏切られたんだもの……。
その負の感情はいまもカトリーヌの考え方に強く影響を与えている。
でも、リヴウェルが生まれて、ユージンと一緒に育てているうちに、迷いのようなものが生まれていた。
(ユージンがわたしを裏切っていなかったのだったら……わたしは彼を捨てて……この国でのすべてを捨てて、自由の身になれるだろうか)
どこかにあるという魔法学校に行くこと、それ自体、彼を裏切る行為になる。
これまで彼を警戒したことを反省するように、少年の骨張った体を抱きしめた。
「ごめんね……」
「なにか悪い夢でも見たの? カトリーヌ……大丈夫だよ」
わけがわからないだろうに、ユージンはたどたどしい手つきでカトリーヌの涙を不器用な指先で拭ってくれる。
その指先がかすかな記憶と重なった。
(そういえば、似たようなことが前にもあった……)
似たような体験をすることで、完全に忘れてしまって記憶がフラッシュバックするように脳裏に閃いた。
――遠い遠い昔。
二度の死に戻りで薄れてしまった幼いころの記憶。
物心がついてばかりのころはユージンとはよく遊んでいた。
正確にはカトリーヌの母親とユージンの母親がお茶をしていて、おしゃべりしている間、ふたりで遊んでいたのだった。
おそらく、第二皇妃としては皇宮よりメディシス邸のほうが安全に遊べる場所だという意識があったのだろう。
屋敷は広いし、同じ年頃のカトリーヌがいて、ユージンの遊び相手としてちょうどいい。
皇太子がいる皇宮では皇子の誕生はよろこばれておらず、つねに暗殺される危険があった。
「カトリーヌ、第三皇子のユージン皇子殿下よ。同じ年だから仲よくなさい」
母親からそう紹介されたものの、最初から仲よくなれるほど、お互いに人慣れしていなかった。
カトリーヌは一人娘だったし、ユージンは異母兄弟ばかりで、仲があまりよくない。
そんな状態で出会ったから、お互いに人見知りで警戒したのも当然だった。
しかし、うまく話しかけられないにしても、少年の容貌は幼い少女を魅了するだけのことはあった。
(金色の髪に赤い瞳って、すごく綺麗……)
わずかに癖毛なのだろう。波打つ金髪はやわらかそうで、宝石のように可愛瞳は珍しく、妖しい魅力を放っていた。
無表情であっても、いやだからこそ、その整った容貌は一線を画していた。
滅多に見ない美少年を前にして、どう話しかけたものかカトリーヌがとまどうくらいだ。
すると、カトリーヌの様子を悟ったかのように、整った顔の少年が言う。
「ユージンと呼んでもいい。許す」
その上から目線の物言いは、カトリーヌとユージンの間に戦いの火蓋が切って落とされたかのようだった。
「こ、ここはメディシス公爵の邸宅なんだから! ここではわたしの言うことが上なのよ!」
躍起になってカトリーヌが言い返すと、そこは皇宮で異母兄弟に揉まれているユージンのほうが一枚上手だった。
「へぇ、じゃあカトリーヌはこの邸宅に詳しいんだから僕を楽しませてくれる遊びを知っているんだろう?」
いままで無表情だった皇子が、にこっと微笑んだだけで、カトリーヌはその顔にほだされてしまった。
「も、もちろんよ……こっちに来て!」
カトリーヌはユージンの手をとり、邸宅のなかを案内しはじめた。
仲よく遊びはじめた子どもたちを母親ふたりが微笑ましそうに眺める。
ふたりの背後には当然のように使用人がついてきていた。
ユージンの赤い瞳は初めて見る邸宅を興味深そうに眺めている。
「豪華な部屋はいい。メディシス家ならではの、皇宮にはないものが見たい」
そう言われて、カトリーヌはうーんと考えた。
小さなカトリーヌがひとりで行ける場所はまだかぎられていて、大人と一緒でないと入ってはいけない場所がたくさんあった。
「それなら、ひとつずつね。遊びに来たときに新しい場所をひとつずつ教えてあげる。今日はまだ初めてだから、客室から遠くまで離れられないわ」
「それもそうか……カトリーヌは賢いな」
素直に褒められると、単純だが、カトリーヌはうれしくなった。
ユージンに対して好感を抱いてしまく。
(自動演奏のオルガンもいいし、からくり仕掛けの人形もいいわよね……)
またユージンの笑顔が見たくて、なにを見せようかとカトリーヌが悩んでいると、
「カトリーヌ、ユージンは本が好きだから、図書館に案内してあげて」
第二皇妃殿下から助けの声が入る。
(そうか、絵本!)
メディシス家の図書館は薬草の知識が主になっていたが、カトリーヌが生まれたことで、南方の風変わりな絵本もたくさん集めていた。
絵本といっても子ども向けのものばかりではない。
美術書としての美しい挿画や金の飾り文字を施した絵本もあった。
大人びたユージンにはそちらのほうが興味があるかもしれない。
もてなそうと一生懸命なカトリーヌは考えた。
「じゃあ今日は図書館に行くわね。本を借りてきて、客間で読みましょう」
母親たち二人と使用人に見守られてながら、カトリーヌとユージンは本を読んだり、からくりの玩具を動かしたり、子どもなりの遊びに興じていた。
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