第三十二章 誰にとっての悪役令嬢?②

 金髪赤眼のユージンと黒髪にすみれ色の瞳のアンリは一見すると兄弟には見えない。

 整った顔立ちこそ鼻筋や口元が似通っていたものの、色彩は互いの母親に似ていた。


 もっともユージンの赤い瞳は遺伝によるものじゃないから目が開いたときには驚かれたようだ。

 それはカトリーヌの金色の瞳も同じだったから、彼を取り巻く周囲のざわめきがよく理解できた。

 カトリーヌの場合は両親が、ユージンの場合は第二皇妃が愛を注いでくれたからこそ、「不吉な瞳では……」という周囲の言葉に歪まずに育ったのだ。

 一方で、そんな風変わりな予兆をなにも持たずに生まれたアンリは、皇太子として大事にされ、なににも歪められるものがなかったからこそ、ディアナからの愛に簡単に屈してしまったのだろう。

 いまもユージンの言葉にただ憤慨するばかりだった。


「カトリーヌが私に尽くした? 皇太子妃として当然のことをしただけだろう」

「当然のこと? どこまで周りに気がすむんだ!? それは皇太子だから周囲の人間が勝負に負けたり兄上の手柄に見せかけているだけで、兄上自身の力ではない!」

「彼女はディアナを毒殺しようとしたんだぞ!?」

 ばんと机を叩く皇太子はすでに興奮気味だった。


「彼女がディアナに渡したワインにはアーモンド臭がした……ディアナが気づいてわたしに告げなかったらどうなっていたか……あのワインを水槽に入れたら、魚は死んでしまった……カトリーヌの殺意は明らかだ! あの毒婦め……」

「毒はディアナが入れたかもしれないだろう。兄上こそ落ち着いて広い視野で考えてくれ」

 言い争う兄弟の間に、澄んだ女の声が割って入る。


「おやめください! 私が悪かったのです。私のために皇太子殿下とユージン皇子殿下とが争うことになるなんて……ワインの件も……私が至らないせいです。カトリーヌさまにグラスをお願いするなんて我が儘を言ったから不快に思われたのですわ」

 アンリが聖女だと崇めるディアナだった。

 金髪碧眼の美しい見た目は、確かに聖女と言われたら納得してしまうだろう。

 特別な力があるわけじゃない。しかし、自分をよく見せることには天才的な才能があり、巧みにアンリの心を掴んでいた。

 彼女は時間をかけて、アンリにカトリーヌを捨てるように仕向けたのだ。

 それはある意味で魔法より厄介な能力だった。

 魔法ならば解除する魔法も存在するが、長い時間をかけてとらえたアンリの心は、一瞬にして取り返す方法がない。


「カトリーヌさまの心を傷つけた私が悪かったのです」

 それは結局、婉曲的にカトリーヌが彼女に危害を及ぼしたと言ってるも同然だった。

 そのあとはお決まりの流れだ。

 真実を究明させようと言うこともなく、アンリがカトリーヌに喚きたてる。

 毒の入手経路すら捜査されないまま、メディシス家の人間ならいつでも毒を持ち歩いているだろうと、カトリーヌに聖女殺害未遂の罪を着せられた。


(ことあるごとに小言を言う婚約者と、いつも自分を褒めそやしてくれるやさしいディアナと……アンリにとってどちらに好意を持つかは火を見るより明らかよね)


 ――そうしてカトリーヌは幽閉ののちに断罪された。

 ごくりと生唾を呑みこみ、自分の首に手をやる。

 なにもかもが透けた状態で首があるのかはわからなかったが、冷たい刃の感触を振り切るように首を振ると、場面がまた移り変わった。


「ねぇ、カトリーヌ……君にとっても悪い話じゃないだろう?」

 舞踏会でユージンに誘いかけられる場面だ。


(これは一度死に戻ったあとだ……)

 アンリではなくユージンの姿が映っただけで、どこかほっとしてしまう。しかし、すぐに思い直した。

 このときの彼は自分を殺したのだと、胸の前でぎゅっと手を握りしめる。


「そうね……あなたがもし彼女を排除してくれるって言うなら手を組んでもいいかしら?」

 カトリーヌの手をとり、ユージンがその手の甲に口づけを落とす。

 それがふたりが結託した合図だった。

 場面はまた切り替わり、カトリーヌがアンリを糾弾していた。


「皇太子殿下が婚約前から公然と愛人を囲い、正式な式典や舞踏会の場でも愛人を正式なパートナーとする暴挙を繰り返されました……わたしは正当な権利を持って、皇太子アンリとの婚約破棄を要求します」

 皇帝と皇后がいる前で訴えると、彼らはアンリの振る舞いを知っていて見て見ぬふりをしていたようだ。

 いまさらなにを言い出したのかと呆れた顔をするだけだった。


「私が証人になります。未来の皇太子妃としてカトリーヌがひとりで公務をこなす一方で兄上はずっとディアナと過ごして、公人としての役目を放棄していました」

 ユージンがすっと進みでる。

 彼が皇帝に差しだしたのは、皇太子が本来行うはずだった公務をサボり、カトリーヌがひとりでこなしたリストだった。


「アンリがディアナ嬢を選ぶというならそれでも構いませんが、こんなにもいくつもの式典で正式なパートナーとして扱われなかったのは皇太子の婚約者に対する侮辱罪が成立します。これは皇室典範に記載された正式な侮辱罪です」

 カトリーヌが言葉を補足すると、皇帝は困ったとばかりに視線をさまよわせる。


「う、うむ……確かに……」

「でも、カトリーヌ……あなたは未来の皇后になれるのですよ。あなたのお祖父さまのメディシス公爵だって、それを望んでいるでしょう。メディシス家の未来のために愛人くらいは我慢すべきでは?」


 皇太子を嗜めるでもなく、あくまでカトリーヌに公務を任せようとするだけの皇后。

 カトリーヌを馬鹿にしながらも、仕事を満足にこなせない皇太子。

「カトリーヌはディアナの持つ能力に嫉妬してるんだ。彼女と話すだけで人はみなディアナを好きになるから!」


 みんなみんな――もううんざりだ。

 その感情は死に戻ったカトリーヌの心のなかにも消えない種火のように残っていた。


「侮辱罪で皇太子殿下が訴えられるのか、わたしとの婚約破棄を認めてくださるか、どちらがよろしいでしょう?」

 カトリーヌの意志が固いことを皇后が悟るのに時間はかからなかった。


「わかった……アンリとの婚約破棄を認めよう」

 皇帝がそう言った瞬間のアンリはこんな表情をしていたのかと、いま初めて知った。

 絶望したように引きつった顔は、どんな心情を表しているのだろう。


(ディアナと一緒にいたいなら、わたしと婚約破棄しても構わないだろうに。わたしを侮辱してもなお公務や尻ぬぐいを終生やると信じていたのかしら……信じられないほどの愚か者ね)

 こうして、カトリーヌはようやく自分の自由を手に入れた。そのはずだった。

 しかし、自分が去ったあとのことまでは知らなかった。


 ――数日後の皇宮でのこと。

 ユージンがディアナの失態を非難していたときだ。

「やめて、ユージンさま……きゃあああっ」

 突然、ディアナがナイフを使って自分で自分を傷つけ、つんざくような悲鳴をあげたのだ。


 ――最初の人生ではカトリーヌが罪を着せられた役割を、一度目に死に戻ったあとではユージンが担っていた。

 カトリーヌはいまになってその事実を知った。


(この瞬間、ユージンはわたしが担っていた悪役をやらされてしまったのか)

 申し訳ない気持ちになりながらも、それもまた違うと思った。

(本当に悪いのは誰なのだろう……誰かは悪役にしようとしたディアナ? 皇太子のくせに周りが見えていないだけのアンリ? それともそのすべてを見通している運命の神?)

 ユージンの名前を出していたもの、カトリーヌのときと違う。

 毒杯を渡したわけでもなけれユージンは彼女に触れてもいなかった。

 幽体のカトリーヌのいる場所からはユージンの無実がよくわかったが反対側にいる皇太子にはディアナの体で隠れて詳細がよくわからなかったはずだ。


「いったいおまえはなにを言いだしたんだ!?」

 困惑するユージンをよそに、皇太子は弟の腕をひねりあげた。


「ユージンおまえ、気でも狂ったのか」

 カランと乾いた音を立てて、都合よく血まみれのナイフが床に落ちる。

 ディアナが仕掛けた罠のタイミングは絶妙だった。


「私の目の前でディアナに襲いかかるなんて……弟といえども許すわけにいかない!」

「違う、この女が自分で自分を傷つけたんだ!」

 ――ああ、配役が変わっても、アンリとディアナをめぐるこの劇の内容は変わらないんだ。

 この光景をまのあたりにして、カトリーヌはようやく二度目の死に戻りが十才の自分になったことに感謝した。


(アンリの婚約者から逃れたように、いまから準備すれば運命と戦うことができるかもしれない……)

 このときのカトリーヌは自分の代わりにユージンが悪役になっていたことを知らなかった。皇都を出る手はずが整い、身支度に追われていたからだ。


「ユージン皇子殿下はカトリーヌさまのことでご乱心なさったのですね……お気持ちは分かりますわ。アンリさま、わたしの怪我は大したことありません。ユージン皇子殿下をあまりお咎めにならないでください」

 自分でこの罠を仕向けておきながらディアナはユージンをかばうように言う。

 怒りに震える皇太子を引き留める姿に心を打たれたのだろう。

 アンリは潤んだ瞳で彼女を見つめ、ひたすらディアナの台詞に感動していた。


「ああ、ディアナはなんてやさしいんだ……カトリーヌやユージンとは大違いだ」

 ――なんでこんな茶番にアンリは騙されているのかしら。

 カトリーヌは目の前に繰り広げられている光景が過去のものだとわかっていても、心が冷えていくのがわかった。

 アンリをもっと早く見限るべきだったのだ。

 帝国の皇太子だからと周りが甘やかしたせいで、なにをしても上手くいくことがが当然だと思って育ってしまった。

 自分の失敗から学ぶことなく育ってしまった。


(ゴティエ侯爵令嬢のように彼の失敗を受け入れない婚約者のほうがいいのかもしれない……そう思うと、皇后陛下がアンリをかわいがるあまり、ダメにしたんだわ)


「でも、カトリーヌさまは……いなくなるべきですわ……」

 ぽつりと呟かれたディアナの不吉な言葉を最後に、また水面に波紋が広がるようにして場面が移り変わった。

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