第三十章 リヴウェルはぬいぐるみじゃありません!

 ――いったいどうしてこんなことになってしまったのだろう。

 リヴウェルを腕に抱いたカトリーヌは、開かれた扉の向こうに広がる光景を見て、その場で固まってしまった。

 北部のノーベリィ公国の城に遊びに来ているはずなのに、扉の向こうには悪役令嬢会議の会議場が広がっていたのだ。


「あら、カトリーヌ。こんにちはですわ」

 めざとく気づいて話しかけてきたのは水色の髪の美少女――サロメだった。

 一歩足を踏み出して会議場のなかに入ると、背後で扉が閉じる。


「しばらく来られないかもと言ってたのに、旅行はなくなったんですの? その……ぬいぐるみですか、は」

「ぎゅうううう!」

 首をかしげるサロメに強く反論するように、リヴウェルが唸り声をあげる。


「まぁ……鳴きましたわ!」

 いつもおっとりしたサロメはこれでも驚いているのだろう。カトリーヌはリヴウェルの頭を押さえて軽く叱った。


「めっ、でしょ。ぬいぐるみって言われたからって人を威嚇しないの。ごめんね、サロメ。他人に見られるとぬいぐるみの真似をさんざんさせたせいでだんだん過剰に反応するようになって……リヴウェルも反抗期かしら」

 それはそれで成長に必要なことかもしれないが親のひとりとしては少し淋しい気もする。

 カトリーヌがサロメの隣に座り、悪役令嬢会議の使用人にお茶をお願いすると、サロメはようやくカトリーヌが腕に抱いている白い生き物がぬいぐるみではないと気づいたらしい。


「まぁ……まぁ! もしかしてこの子が噂のドラゴン? わが国の水龍とは全然違いますわね! 触っても大丈夫ですの?」

「どうかしら……リヴウェル。お友だちのサロメよ。ご挨拶して」

 うれしそうな声を上げるサロメにリヴウェルは、「きゅう!」と歓迎するような声を出した。

 サロメの世界の神さまとは違うかもしれないが、体の小ささに似合わずリヴウェルもプライドが高いところがある。

 まだ子ども扱いするにしても、話しかけ方を選ぶようになっていた。あごをつきだしているところを見て、カトリーヌはくすりと笑いを零した。


「撫でてもいいみたい。あごのところを人差し指でくすぐるようにして撫でてあげて……そうそう。サロメうまい」

 撫でられて満足そうにしているリヴウェルをよそに、周囲の悪役令嬢たちは突然現れた『悪役令嬢以外のもの』にざわついていた。


「あれは小さいけど竜じゃない?」

「どうして、竜が悪役令嬢会議に入ってこられたの?」

 サロメは一向に気にしていないようだが、カトリーヌは無視できない。

 なみいる悪役令嬢たちの視線を集めて、いますぐ逃げだしたいくらいだった。

 特徴的な赤い髪の令嬢がほかの令嬢より一歩近づいてきて、リヴウェルを指さした。


「ちょっと、そこの君……それはぬいぐるみじゃないのだろう? この会議場はペット持ち込み禁止のはず……」

「ぎゅううう!」

 またしてもぬいぐるみ扱いされたことに憤慨するように、小さなドラゴンは唸り声を上げた。

 唸り声といってもまだ子どもだから慣れているカトリーヌにしてみれば子犬がきゃんきゃん鳴いているようなものだ。しかし、初めてドラゴンの子を見た令嬢にしてみれば、魔物の叫び声のように聞こえたようだ。

 びくり、とその場にいた令嬢たちが凍りついた。


「ぬいぐるみが唸った!?」

「い、生き霊が取り憑いたぬいぐるみじゃないの?」

 どうやら世界によってはドラゴンという概念そのものがないのだろうか。

 見知らぬなにかはぬいぐるみだと思いこみたいらしい。

 それがまたリヴウェルのプライドを刺激したようで、小さなドラゴンは翼を広げて「きゅうう!」と甲高い声で鳴く。

 まるで自分は『誇り高き竜だ』と宣言するかのようだった。

 

         †          †          †

 

 話は数日前に戻る。

 カトリーヌは学校の夏休みの終わりにユージンが治める北部のノーベリィ公国へと遊びに来ていた。

 冬場には多くが雪に閉ざされる地域だが、その分、水源が豊富で鉱脈もある。治め方次第では利益が見込める領地ではあった。

 とはいえ、領主であるユージンはまだ皇都の学校にいることが多い。

 いまは領主代理のリヒトが主に切り盛りしていて、難しい判断が遅れがちだという話を聞かされたばかりだった。


「外部の人にはわからないかもしれませんが……ユージンさまは卓越した領地を治めるセンスをお持ちなのです。なにもない雪原から鉱脈を探し当てたのもユージンさまですし、山脈の向こうの隊商と取引をはじめたのもそうです。定期的な取引で珍しい鉱物や異国の知識をわが領地にもたらしてくださっているんです」

 リヒトはユージンに心酔してるらしく、カトリーヌが訊ねるまでもなくユージンの素晴らしさをとうとうと語ってくれた。


「そんなユージンさまが婚約者に選ばれたのですから、カトリーヌさまはきっと素晴らしい方に違いありません。ノーベリィ公国へようこそ……ここの夏はさわやかで快適ですよ」

 彼の言うとおり、ユージンの居城・ナトボーンは皇都よりも涼しく快適だった。日陰に入ると夏でも半袖では寒いくらいだ。

 ユージンはカトリーヌとのデビュタントのあと、領地でも舞踏会を開きたいという話をして、リヒトに来年の準備をするように指示した。


「ノーベリィ公国は冬場はほかの地域とは連絡がとりにくいからね。秋までにいろいろなことを準備しておかないと、春も遅いから……皇都のデビュタントのあとすぐにというのは難しいかもしれない」


「時期なんていつでもいいから大丈夫。できれば、面倒な行事と重なっているといいわね。皇都から遠く離れていたら、それを口実に断れるでしょう?」

 アンリの婚約者だったときは皇都にとどまることしかなかったから、遠いノーベリィ公国まで来たのは前世も含めて初めてだ。


(それにユージンはさらに北方と取引をしていたなんて……)

 普段はそんな話をしないから、それだけでもここに来た甲斐がある。


「わたし、ノーベリィ公国のことをもっと知りたいわ」

 見知らぬ地域との交流を探って、さらに北方にあるという魔法学校について知りたいという気持ちもあったが、純粋に知らない地域のことに興味があった。

 前世のカトリーヌも公務以外で帝国内を旅をした記憶はない。

 こんなふうに見知らぬ土地でゆっくりできる時間を持つことにわくわくしていた。


「それに、ノーベリィ公国の図書館も見てみたい……お願いしても構わないかしら?」

「もちろん、カトリーヌが望むのなら」

 領主であるユージンの許可さえもらえばあとは簡単だった。

 久しぶりにノーベリィ公国に戻ってきたユージンが領主の仕事をしている間、カトリーヌは自由に図書館を見ていいということになった。

 ユージンが連れてきたリヴウェルを見て、リヒトをはじめとした使用人たちは最初は驚いていた。

 しかし侍従のノアから小さなドラゴンは卵からユージンが大切に育てたことや、賢くて、小さな子どもぐらいには話が通じること。そして、排泄は決まったところでやるという話をされると、主のペットということもあって、リヒトも自由に遊んでいいという許可を出してくれた。


「きゅうう……きゅう!」

 リヴウェルとしてはぬいぐるみも嫌だがペットと言われるのも本当は嫌がっている。


(本当にわたしとユージンの子どものつもりなのかしら?)

 そこまで細かい概念をやりとりできなくて、確認したことはないが、少々気になる。

 カトリーヌとしては、リヴウェルはお守りみたいなものだ。

(わたしとユージンを引き合わせてくれて、運命を変えてくれたきっかけ……)


「ドラゴンなんてわたしも本当にいるとは思っていなかったけど……そういえばおまえをどうやって手に入れたのかユージンに聞いたことはなかったわね」

 リヴウェルが卵から孵って以来、育てることに夢中でその入手先を気にする余裕もなかった。


(うっかり毒を口にしたり、それからリヴウェルが吐きだした玉をユージンが説明もなしに口にしたり……)

 実際の子育てと変わらないくらい、予期せぬできごとの連続だった。


「思えば順調に大きくなってくれてよかった」

 本当の子どもではないとはいえ、前世ではうまく孵らなかったことを考えると、元気に飛び回る姿がしみじみとうれしい。先日の皇后との遭遇のように、少々困った事態になってもかわいさと元気な姿のとうとさにすべてを許してしまう。

 すべての人が小さなドラゴンを受け入れてくれるわけじゃないだろうが、その分カトリーヌとユージンで守ってあげなくてはと思うのだった。

 いくら外を出歩いてもいいという許可をもらっても、そんなハプニングの根源であるリヴウェルを、領地の見回りに行くユージンに同行させるわけにはいかない。


 そんなわけで、今日はカトリーヌと一緒に図書館にリヴウェルを連れていくことになった。

 バスケットのなかには排泄用のお皿や布、リヴウェルが飲むための水を入れたボトルなどを用意していたが、先に言い聞かせておけば、リヴウェルはほとんど面倒をかけない。

 カトリーヌが本を読むのに手伝ってくれるくらいだ。

 温室のなかで毒植物を探す嗅覚もそうだが、リヴウェルには独特の探し物に対する直感があった。


「魔法や魔法学校に関する本を探したいの」

 そういうとリヴウェルはまかせろとばかりに「きゅう」と鳴いて、もうだいぶ大きくなった翼を広げて広い図書館のなかから、手近な本を選んでくれる。

 その能力は疑う余地もなく、手にした本はおとぎ話ではあったものの、魔法に関する本だった。


「おとぎ話も馬鹿にできないのよね……たとえ話に見せかけて真実が隠されていることもあるし……」


 ――魔法は世界に隠された贈り物だった。

 もともとはその贈り物を見つけた人に連なる治すに受け継がれたが、魔法を使わないうちに、魔法の存在が失われていった。

 魔力を持っていても使わないでいると、魔力がその主の体をむしばみ、早世してしまうこともある。

 だから、魔法使いたちは考えた。

 魔法学校があれば、魔法使いに魔法の使い方を教えられるのではないかと。


 そこまで読んでカトリーヌは自分が探していた内容かもしれないと考えた。

「これはじっくり読む必要がありそう……」

 机と椅子があるところへ持っていき、しばし集中して読んでいると、魔法そのもののあり方と魔法学校ができた理由がひとりの少年の視点で語られていた。


「魔法学校ができた理由はさておき……場所は隠されているようね……」

 

 ――真に魔法使いとなるものには魔法学校の扉はいつでも開かれている。

 求めるならば、探してみるがいい。


「求めるならば……探しているんだけどなぁ……」

 それとも、この国を離れて旅をするという意味かもしれない。


「問題はどっちの方向に言ったらいいのかわからないことなのよね……北方にあるという話を信じていいのかどうか」

(山脈の向こうと繋がっているという隊商の話をユージンから聞いてみよう。直接、話ができるようにとりはからってもらえるかもしれない……)


「あれ……リヴウェル?」

 カトリーヌが本に夢中になっているうちに、気づけばドラゴンは近くからいなくなっていた。

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