第二十八章 悪役令嬢ルートを外れるカトリーヌとルートを外れない悪役令嬢

「……というわけで、しばらく悪役令嬢会議はお休みする予定なの」

 カトリーヌはモルガンとサロメに北部へ行く話を説明していた。

 皇立幼年学校を卒業したときもしばらく来られなくて、カトリーヌは皇立高等学校のあちこちの扉を開いて閉じるという奇行をする羽目になった。


 結果的に地下にある古い倉庫の扉から悪役令嬢会議に来られることがわかるまでの三ヶ月ほど、来たくても来られない日が続いていたのだった。

 もちろん、一番気になっているのは、例の噂――悪役令嬢の役割をはずれた令嬢が殺されていないかということだった。

 二度も死に戻ったカトリーヌは未来を知っている。それだけに、現在進行系で順調に前世の自分の道を外れているという自覚はある。


(だから、わたしもいつ狙われてもおかしくないはずだ……)

 なのに、カトリーヌが警戒しているからだろうか。

 襲われる様子はなくて、結局ほかの令嬢が亡くなった話を聞くばかりだった。


(それともやっぱり、アンリと婚約したゴティエ侯爵令嬢が悪役令嬢になっているの? そうでなければ、ディアナがまだアンリと出会っていないから悪役令嬢という役割が決定していないのかもしれない……)

 誰が悪役令嬢を殺しているのかわからない以上、こればかりは犯人がなにを基準に悪役令嬢を決めているのかを推察するのも難しい。

 のんびりと愚痴を言い合うだけなら気軽でいいのだが、悪役令嬢会議にいられる時間は当初思っていたよりもずっと短いのだった。


 それに、最初は意味がわからなかったが、彼女たちのなかにはカトリーヌが暮らす世界で物語のなかの登場人物とされている令嬢もいて、ようするに違う世界の人間だという話だった。

 そんな令嬢たちから話を聞き、殺された令嬢の共通点を聞いて回るのは簡単ではなくて、結局、『ルートを外れた悪役令嬢』が殺されたという最初から知らされていた以上の情報が手に入らなかった。


「自分からあえてルートを外れてみせるなんて……カトリーヌは勇敢ね」

 金色の縱ロールを揺らしたモルガンがいつになく厳しい表情で言う。


「モルガンは……悪役令嬢のままでいて断罪されることはないの?」

 カトリーヌはあえて直接的な言葉で訊ねる。それはここにいる悪役令嬢たちにずっと聞きたくて、それでいて、簡単には口に出せない問いだった。

 死にたくないと口にしてしまえば、それは弱みを見せることになる。

 いくら同じ境遇の悪役令嬢同士とはいえ、親しい友だちでさえ言いたくない話に違いない。


(ましてやここにいる令嬢たちはみな高位の貴族や王族ばかり……自分たちの世界では弱みを見せればつけこまれる立場の人間だもの……)

 カトリーヌは十才の時にこの悪役令嬢会議に来たから、モルガンもサロメも警戒心を抱かなかったのだろう。

 いまにしてみれば、その気持ちがよくわかる。


(だって悪役令嬢処される事件が起きているときに、見知らぬ自分と同じ年くらいの令嬢に話しかけられたら、誰だって警戒するわよね)

 案内人だからというだけでなく、なにも知らない子どもが初めて紛れこんだから、やさしくしてくれたのだろう。


 ――子ども相手なら、力で負けて簡単に殺されることはないから。

 しかし、カトリーヌの質問はモルガンにとってなにかの引き金になったのだろう。


「私には……わからない……アーサーはなぜ私を殺そうとするのかしら?」

 両手を震わせ、虚ろな目で呟く言葉はカトリーヌに対する答えというより独り言のようだ。

 彼女は会議場のなかにいるのに、その精神は彼女の世界に囚われているのだ。


「モルガンいいのよ。婚約破棄なんてしないでもいいの……あなたにだって抗う権利はあるんだもの。断罪だけが……悪役令嬢の末路ではないわ、カトリーヌ」

 サロメがモルガンを抱きしめて、愛らしい顔をカトリーヌに向ける。


「ひと思いに断罪されるのと、世界の果てに永遠に幽閉されるのと……あなたならどちらが苦しいかしら……ねぇ、カトリーヌ?」

 その問いに答える術をいまのカトリーヌは持たなかった。

 

         †          †          †

 

 前々世で断罪される瞬間、


 ――死にたくない。まだわたしはわたしを生きてない……!


 そう強く思った。

 しかし、処刑される前の一年はずっと塔の最上階に幽閉されていたから、幽閉というのがどれほど辛いのかもわかる。

 明日こそ解放されるかもしれない。明日は無理でも明後日はわからない。一ヶ月後には自由の身となっているかも知れない。

 窓のない塔のなかで希望を抱く日々は、結局むなしく終わった。

 希望というのは生きる力にもなるが、ときには残酷に心を打ち砕く。

 あんなにも尽くしたアンリから断罪されたという事実は、カトリーヌから一切の希望を奪った。


(どうしてわたしはアンリの手をとるしか生きる術がなかったのだろう……)

 両親を失い、老い先短い祖父しかいなかったカトリーヌには婚約を破棄するという手段がなかった。いや、そう思いこまされていた。

 どうせすべてを捨てられるくらいなら、自ら捨てることだってできたはずなのに。


(もしやり直せるなら、アンリとは婚約破棄してやるのに……)

 そう思ったのが最初の転生――四年前への死に戻りだった。

 奇跡だと思った。自由に自分の人生を生きるために、ユージンの手をとり、アンリとは早いうちに婚約破棄を果たした。

 それなのに、自由になったとたん、乗っていた馬車が横転。這いずりだした先で殺されてしまった。


(あのとき、最後に見た青年は間違いなくユージンだった)

 金髪はともかく、あの禍々しいまでの赤い瞳はそうそうある特徴ではない。

 しかし、ディアナに骨抜きにされたアンリがカトリーヌを断罪したのはともかく、ユージンにはカトリーヌを殺す理由がない。

(それとも、一度は彼の手をとったのに自由の身になったのが気にくわなかったのだろうか……)


 ――いまのカトリーヌは考えごとをしながらバスケットを持って皇宮の小径を歩いていた。

 高等学校に入ってからユージンは部活にいそしんでいた。

 部活動というと意外だが、やっていることは実験である。

 もともと興味があることにのめりこみがちなユージンは、ときには寝食を忘れて研究に没頭しているようだ。


 彼はカトリーヌが作る薬にも興味津々だったが、染料の媒介をはじめ、化学反応というものに魅了されてしまったらしい。

 新しい化学式を探したいと言うことでいろんな物体を組み合わせる実験に夢中だった。

 詳しい内容は専門外のカトリーヌにはわからなかったが、新しい物体の発見をして、権威のある学者でもなかなかとれない化学賞までもらっていた。

 十四才では異例の話だ。


 カトリーヌは学校の司書の手伝いをする図書部に入った。空き時間には本が読めるから、魔法に関するおとぎ話や異国の本を調べている。

 ユージンが実験が根を詰めているときは時間に余裕があるカトリーヌが、リヴウェルを預かるようになっていた。


「しばらくはママのおうちにいようね」

 そう言い聞かせると、リヴウェルもメディシス家の温室で遊ぶのを理解している。

 皇立高等学校に入る時期になって、ようやくカトリーヌも屋敷のなかに大人用の部屋をもらうことができた。

 書斎や応接間がついた部屋は広々としており、端から端までリヴウェルが飛ぶと、いい運動になる。


「ほら、ここまでおいでリヴウェル! うまいうまい……上手に飛べたね」

 部屋の隅まで飛んでしたリヴウェルをカトリーヌはぎゅっと抱きしめて褒めてやる。


「きゅううう!」

 この飛行訓練が最近では毎晩の日課になっていた。

 最初はよたよたと飛んでいたリヴウェルは、いまはカトリーヌの部屋ぐらいなら悠々と飛べるようになった。

 もっと広いところで飛行訓練をさせてあげたいと思うくらいだ。


「とはいえ、温室より広い場所で自由に遊ばせられる場所となると難しいわね……」

 カトリーヌは独り言を言うようにしてバスケットのなかのリヴウェルに話しかけていた。

 あまり人目につくと、さすがにリヴウェルが珍しい魔法生物だということに気づく人がいるかもしれない。


(リヴウェルがさらわれたら困るし……それに権力がある人からリヴウェルを譲れと言われたらもっと困る……)

 皇太子や皇后のことを思い浮かべて、やはり皇都ではリヴウェルを好きにさせてあげられないと思うのだった。


 そんなふうに過ごしたあとの休日。

 カトリーヌはリヴウェルを連れて緑影宮に遊びに来た。

 広い皇宮に入ってからは途中で馬車を降りて、緑影宮までの小径を歩いていく。

 バスケットを手に持ち、背後には侍女がついてきていた。

 心地いい天気で、籐製のバスケットのなかにまでさわやかな風が吹きこむのだろう。

 ひらひらとどこかから飛んできた蝶が、バスケットの近くをかすめ飛んだそのときだった。


「あっ」

 と声を出したときには、バスケットの蓋を開けて、リヴウェルがバスケットから飛びだしていた。

 蝶を追いかけ、翼を広げた白い肢体がふわりと飛んでいく。


「ちょっと……リヴウェル!」

 蝶は早さこそドラゴンには及ばないものの、軽いせいで、風圧を受けるとひらひらと動いてしまう。

 それでリヴウェルに簡単に捕まらないまま、小径の向こうまで飛んでいってしまった。


「バスケットを持ってて、モリー!」

 あわてて籐でできたバスケットを侍女に預けると、カトリーヌはリヴウェルを追って走りだした。

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