第二十七章 今世は毒を薬にしてみせる
「カトリーヌは僕がエスコートするから、当然、僕の瞳の色をドレスにとりいれるだろう? 僕はカトリーヌの髪と瞳の色に合わせるよ」
リヴウェルにマカロンを食べさせているときに、ユージンがデビュタントの話を持ちだした。
メディシス家の温室のなかは夏の終わりの陽気で暑いくらいだ。
カトリーヌはもうじき十四才になる。
貴族の子女は十三才から十五才ぐらいの間にデビュタントとなり、社交界デビューするという慣例があった。
同級生だったゴティエ侯爵令嬢は皇太子の婚約者となるため、十三才で早めの社交界デビューをすませていたが、カトリーヌとユージンは十才のときに婚約をしてしまい、わざわざ婚約者探しをする必要がなかった。
それで社交界デビューは一般的な十四才でと言う話になった。
もちろん社交界デビューは、貴族の子女として生きていくために必要な行事だ。
豪華なデビュタントのために一年前から準備をすることも珍しくない。
カトリーヌがのんびりしているのはもうユージンという婚約者がいるからだが、それでもドレスの発注だけは早めにすませないと、人気店の予約が埋まってしまうだろう。
来年の四月にデビュタントになると言っても、今期の社交界が終わる前にドレスの発注をするのが通例だ。
そうすれば、次の社交界シーズンに新しいドレスが用意されている。それが社交界をうまく世渡りするコツだった。
「そうね……瞳の色……」
以前は皇太子のすみれ色の瞳に合わせたドレスを纏った。
後見人となる両親はいなかったし、皇太子妃、ひいては皇后になるための教育で忙しく、それでいてアンリの役に立つために必死だった。
(過去の教育のおかげでいま楽をできているんだから、あれも無駄ではなかったと思いたいわね)
今回はユージンの金色の髪と赤い瞳に合わせることになる。金色はカトリーヌ自身の瞳の色でもあるから、きっと色を合わせやすいはずだ。
(この長い黒髪に赤と金を配色したドレス……とても毒婦っぽいわね)
メディシス家の令嬢として、デビュタントとは違う意味で周囲の注目を集めてしまいそうだ。
四月ごろからはじまる社交界シーズンの先駆けとして、皇宮が高位貴族のためのデビュタントの舞踏会を開く。
今回は皇子であるユージンとその婚約者であるカトリーヌが参加するから、皇帝一家も参加するだろう。
(当然、アンリとゴティエ侯爵令嬢もいるわよね……あまり関わらないようにしよう)
今世ではカトリーヌとゴティエ侯爵令嬢の役割が入れ替わるように交差している。
当然のように、アンリの婚約者となった彼女が悪役令嬢となるのかと思っていたが、高等学校とは違い、皇宮の空気がそれを許していない気がする。
「カトリーヌ・ド・メディシスよ……ユージン皇子殿下のために敵対勢力を始末しているんだとか……」
「あの若さで、おそろしい毒婦という噂よ」
緑影宮を訪れるたびに、そんな囁きを何度聞かされたことか。
カトリーヌとしてはユージンと婚約して以来、別に浮気もしていないし、男をとっかえひっかえして誑かしてもいない。
真面目に
そもそも皇帝のための毒殺でさえカトリーヌの父親の代ではやっていないと言うのに、なぜそんな噂を流されなくてはならないのか。
(簡単には悪役令嬢という役割から逃げられないということだろうか……)
毒薬を扱うだけで悪役令嬢になると言うなら、それもいい。
自分が生き抜くために、その知識を存分にふるう。リヴウェルがいることで、毒薬を使うことにためらいはなくなっていた。
そもそも毒と薬は同じものだ。
人を殺す毒でもが成分を調整すれば、誰かの命を救うこともある。
(だから、前世で知った未来の記憶をもとに運命を大きく変えることも……)
――わたしは迷わない。
カトリーヌは赤い瞳の少年に抱きあげられたリヴウェルのあごを撫でてやると、にっこりとユージンに微笑みかけた。
「話は変わるけど……ユージン、学校の休みには北方の領地には行かないの? 普通は領地でも舞踏会を開くから準備があるでしょう?」
ただでさえ、北方は夏場でないと行き来がしにくい。
交易用の港を持つ東部や南部と違い、北部には漁船用の小さな港町しかないから、船で向かうのも難しかった。
「そうだね……リヴウェルも北部の領地で遊ばせてやりたいけど……カトリーヌのデビュタントの準備もあるだろう? もしよければ、君も一度、北部に遊びに来ないか?」
ユージンの言葉にカトリーヌはきらりと瞳を鋭くした。
「わぁ、本当……行きたいわ! 北の広い大地でならリヴウェルもたくさん飛ぶ練習ができるわね」
カトリーヌはドラゴンの小さな翼を広げてやりながらはしゃいだ。
緑影宮では小さなドラゴンは珍しい動物だと思われているが、ほかの人に見られたらどんな危険があるかわからない。
それでリヴウェルは皇宮のなかでは人に見られないように、あまり外で遊ばせられないのだ。
メディシス家でも温室以外では好きにさせてあげられなかったから、北部に旅すればまだ幼いリヴウェルにとっていい効果があるだろう。
「でも……北部ではたまに激しい寒波があり、食べ物にも事欠くと聞くわ。わたしが訪ねていって歓迎されるかしら」
「寒波か……カトリーヌが北部のことをそんなに知っていてくれたなんてうれしいな」
ユージンはにこにこと笑顔で言うが、本心ではなにを考えているのか読めない笑顔だった。
カトリーヌがユージンの治めるクー・ルーイン帝国の北部地域――ノーベリィ公国について調べたのは、実際には前世の話になる。
メディシス公爵家の領地は帝国のなかでは港に近い東南部にあり、北部とのつながりは弱い。薬になるものと特産品以外の知識はもともとなかった。
(いま思えば……第二皇妃の事件があったあと、重なるように北部で大寒波があったんだわ。ユージンはゴティエ侯爵家の支援を受けざるをえなかった……)
アンリの婚約者はすでに決まったけれど、聖女ディアナが現れるまではユージンの力が必要だ。
うっかり、アンリから敵視されて断罪に追い込まれないためには、できるだけのことは用意しておきたい。
(そのついでにというのもなんだけど……ユージンの所領なんだもの。北部の人もできることなら見捨てたくない)
「じゃあ、今度の休みに招待して……わたし、楽しみにしているから」
カトリーヌの頭のなかでノーベリィ公国とゴティエ侯爵の領地、それに帝国島南部のメディシス公爵家の領地を地図に思いえがく。
(北部から遠いメディシス公爵家とは、これまで家門同士の繋がりがあまりなかった。だから地域的には近いゴティエ侯爵家に頼ったんだわ……でも今世では)
「ねぇ、ユージン。もしなにか困ったことがあったら遠慮なくわが家を頼ってね。ユージンにはいつもお世話になっているんだから」
――そう、わたしが生き残るためにユージンを助ける。
誰も知らなくても、これは悪役令嬢と悪役皇子の正当な取引なんだから。
カトリーヌの頭のなかで南部に流通する繁殖力が強い食料が浮かんでいた。
(今度、北部に遊びに行くときには種芋を持っていこう)
「いまからノーベリィ公国に行くのが楽しみだわ」
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