第二十四章 今世の補佐役はあなたに譲ります

「カトリーヌ・ド・メディシスです。メディシス公爵家の名前がシーエン王国にまで届いていればいいのですが……」

 もちろん、これは謙遜して言った言葉だった。

 メディシス公爵家は手広く薬の商売をしており、海洋国家シーエンともつきあいがある。

 カトリーヌの予想どおり、青い髪の青年はぱっと表情を明るくした。


「こんな可愛らしいレディがメディシス公爵家の……シーエンからも求婚しておくべきでしたね。ユージン皇子殿下にとられてしまったのは惜しいことをしました」

 商人のふりをした王子は、よく回る舌でカトリーヌを褒めそやしてくれる。

 精悍な顔つきと整った顔立ちの甘さがまじった外観は、たいていの女性に好感を与えるに足るものだった。

 穏やかな話しぶりも商人として交渉に慣れていることをうかがわせる。

 カトリーヌが彼を観察する一方、ユージンの好奇心は自然とこの場にふさわしい振る舞いを引きだしていた。


「カトリーヌの婚約者の座は譲れませんが、いい友人になることはできるでしょう。僕とも交流を持っていただけるとうれしいです。シーエンでは日差しが強すぎて、建物を二重にして、奥まった場所で暮らしていると言うのは本当ですか? 北部は雪深い地なので、いつか行ってみたいんです」

「ユージンはバナナが食べたいんじゃないの?」

 カトリーヌがすかさず合いの手を入れると、場が和やかになってきた。

 商人のなかでも王子の次に権威を持っていそうな年長者が話に入ってくる。


「ユージン皇子殿下はバナナがお好きなんですか? シーエンには色とりどりの果物がありますよ。帝都まで運んでくるには日持ちしないものが多いので、直接来てくれたらごちそういたしますよ」

「それならわたしも行ってみたいわ! 薬の材料になる珍しい植物も見たいし……温室に新しい植物を迎えたいと思っていたの」

 皇子であるユージンが話のきっかけを作り、カトリーヌが話を広げながら賛同する。

 カトリーヌとユージンの息はぴったりだった。


(数年後、シーエンに蔓延した病に支援してほしいと帝国に使者を送ってくるのに、アンリは帰してしまったのよね……ここで個人的な繋がりを作って、商売の販路を確保したいところだわ)

 病を治す薬を作れば助けることができたかもしれない。

 なのに、皇太子妃という立場で身動きがとれなかったカトリーヌは、彼らを助けることが許されなかった。

 でも、両親が生きていて、ユージンの婚約者となったいまなら状況は違う。

 皇后教育に時間をとられないし、メディシス家の領地運営までカトリーヌがひとりで切り盛りする必要はない。

 カトリーヌは自由に薬の開発をする時間があった。


「それはそれは……正式にユージン皇子殿下とメディシス公爵令嬢を我が国に招待しないといけないみたいですね」

 にっこりと青い髪の王子さまが微笑む。


(あとで個人的な手紙を出しておこう……)

 カトリーヌがそんな算段していると、


「そこはみな、なにを盛りあがって話しているんだ?」

 話のなかに入ってきたのは皇太子だった。

 カトリーヌとユージンが視線を交わすと、ユージンがすかさずシーエンの人々と皇太子の間をとりもつ。


「海洋国家シーエンの方々です、兄上。シーエンには珍しい果物がたくさんあるとのことで、カトリーヌと行ってみたいねと話していたところです」

「そうなんです。珍しい香辛料を我が国とも取引しておりますが、こちらまで持ってこられない果物もあるそうで……とても興味がありますわ」

 いつも以上に声を弾ませて、シーエンには価値があるのだとアンリに訴える。


「海洋国家の商人たちか……」

 アンリの視線には蔑みが混じっていた。

 ぎくりとよくない予兆を感じたカトリーヌが身を強張らせる。

 扇を広げたカトリーヌはさっとアンリに近寄ると、とりなすようにひそひそと言葉を添える。


「畏れながら、皇太子殿下。国によって商人の地位が違うということを念頭に置いても話しいただいたほうがよろしいかと……彼らのなかにはシーエンで高い地位についているものが混じっているかもしれませんよ?」

 言いながら、ちらりと青い髪の青年へと視線を向ける。

 彼がわずかに瞳を鋭くしたところを見ると、カトリーヌの視線の意味がわかっているらしい。


(もちろんわたしは彼が誰なのか知っている……ここでシーエンの王子を貶す真似をアンリにさせるわけにはいかない)

 たとえそれが傍目にはアンリとゴティエ侯爵令嬢を助けるように見えたとしても、巡り巡ってはカトリーヌの得になって還ってくるはずだ。


「そうです。ここでシーエンの機嫌を損ねて、僕とカトリーヌの新婚旅行を邪魔したら、いくら兄上と言えども許しませんよ……」

 カトリーヌがとりついているのとは反対側の腕を掴み、ユージンは皇太子を半ば脅迫する。


(新婚旅行までシーエンへの滞在を延ばす気はないし、そもそもユージンと結婚する予定もないけど……)

 ここはユージンの言葉に黙ってうなずいておく。

 五才も年が違うとはいえ、ユージンの奇才ぶりはアンリもわかっているのだろう。

 カトリーヌとユージンからの言葉にならない圧力を感じたようで、


「別に私はおまえの新婚旅行を邪魔をする気はない……シーエンの友好には感謝している」

 穏便な言葉を吐くだけで退散してくれた。


(助かった……これで、香辛料の価格高騰は免れたようね……)

 未来を知っているカトリーヌだけが、帝国の危機をひそかに回避できたことにほっと胸をなでおろしたのだった。


 アンリとゴティエ侯爵令嬢へのフォローはシーエン王国だけにとどまらなかった。

 ソフィーは皇后教育を受けてまだ日が浅いせいか、各国の大使の特徴までは覚えていないらしい。


「失礼、そこの方……グラスをとってくださる?」

 すぐ側で、他国の大使にまで上から目線の態度をとるのを見て、カトリーヌのほうが心臓を飛びあがらせた。

 大使は右肩に民族模様が描かれた布をかけた独特の衣装を纏っていた。

 その模様やマント止めの紋章を見れば、西ジャミル帝国からの特使だとすぐにわかる。


(身分は皇太子妃のほうが上だとしても軽々しく扱っていい相手じゃないとわかるはずなのに……)


「失礼いたしました。特使……ゴティエ侯爵令嬢はわたしに言ったのですわ。はじめまして……カトリーヌ・ド・メディシスです」

 まだ結婚をしていない婚約者の間は、ユージンの婚約者である公爵令嬢のカトリーヌと皇太子の婚約者である侯爵令嬢のソフィーはほぼ対等な身分になる。

 あまりへりくだりすぎると言いように使われてしまうが、他国との軋轢はさすがに見過ごせなかった。


「これはこれは……メディシス家のご令嬢でしたか。そして、こちらが皇太子殿下の婚約者でいらっしゃいますね。お会いできて光栄です。私が西ジャミル帝国の特使だとご存知だったのですか」

 カトリーヌが従者から果汁を搾っただけのグラスをとってソフィーに渡す。

 ソフィーはカトリーヌと同じでまだ未成年で、お酒は飲まないのだった。


「もちろんです。その布地に描かれた獅子と星の模様は西ジャミル帝国の象徴……そして星形のマント留めのエメラルドは特使だけが身につけることが許されていると聞きます」

 カトリーヌはあえて事細かにソフィーに説明した。

(こんなお節介は一度で十分だもの)


「え……これはこれは……西ジャミル帝国の特使でしたか。ソフィー・エリス・ド・ゴティエです。このたびは私と皇太子の婚約式にお越しいただき、光栄です。楽しんでいただいてますか」

 もてなす側ホストとしての挨拶はぎりぎり及第点というところだろうか。

 未来の皇太子妃――ひいては皇后となる身で競合する国の特使にへりくだりすぎてもいけないが、寛容さをみせる余裕くらいは欲しい。


 相手の服装や髪の色、話し相手などから人物を特定するだけでなく、自分との身分の違い、どういう言葉遣いで話しかけるべきかを瞬時に察して会話をする。

 アンリと一緒にいるときは、彼の補佐も求められる。

 それが社交界における皇太子の婚約者の役割だ。

 前世ではカトリーヌが重要な人物の特徴を覚えていたから起きなかった問題だった。

 茶色の髪に緑色の瞳をした令嬢に心のなかだけで話しかける。


(ソフィー、今世ではあなたがアンリのフォロー役をやることになるんだから……これはそのささやかなお詫びよ)

 特使が機嫌よく話をするのを横目に見ながら、カトリーヌはそっとその場を離れた。

 そんなカトリーヌの振る舞いをじっと眺めている視線が合ったことに気づく由もなかった。

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