第二十三章 前々世の記憶を私は忘れない

 覚えているのは、まるで悲鳴のような侍女の叫び声だった。

「カトリーヌお嬢さま、旦那さまと奥さまの乗った馬車が崖崩れに巻きこまれたとの知らせが……!」

 その最悪な知らせは、カトリーヌをもっと最悪な状況に誘うための序章でしかなかった。

 両親を失ったことで、ひとり娘だったカトリーヌの近親者は年老いた祖父しかいなくなってしまった。


 一族を代表する公爵位は基本的に男性しか継ぐことができない。

 皇帝の廷臣として建設大臣を務める父親がいてこそ、カトリーヌの未来も保証されるはずだったのに、突然、婚約者であるアンリにすがるしか、生きる手立てがなくなってしまったのだ。


 同時にそれは皇太子側にとって利がある死となった。

 家門の地盤を固める公爵を失ったことで、形式上はカトリーヌが女公爵となったが、皇太子妃の仕事に忙殺され、外戚としての力をふるいようがない。

 先帝のときには外戚の力が強く、皇帝の力が弱まっていた。だからこそ、皇帝一族はあまり強い外戚が生まれるのを阻止したいという思惑があったようだ。

 皇帝側からするとカトリーヌは、身分、境遇ともにうってつけの人材だった。


「カトリーヌでなければ皇太子妃は務まらない。周囲にそう思わせるように振る舞え」

 祖父からは厳しい教育を受け、泣き言を言う暇すらない日々。


「カトリーヌ、私の代わりにおまえが東部の港と海洋部の税金交渉をまとめておけ」

 そんな無茶を言われても、カトリーヌには結果を出す以外の選択肢がなかった。


 成功すれば手柄はすべて皇太子のもの。

 失敗すれば、カトリーヌの失敗につけられる。


 そんな生活に慣れきったあとで帝国はさらなる悲劇に見舞われた。

 第二皇妃と生まれたばかりの生まれたばかりの子どもが亡くなったのだ。

 産後の回復が悪かったと言われているが、皇帝からの寵愛があった方だけに、暗殺の噂も流れた。

 それがまた、メディシス家という、薬と毒に長じた一門の出であるカトリーヌの立場を危うくした――……。



(――いまでもはっきりと思い出せる……お父さまとお母さまが亡くなったのは、ゴティエ侯爵家からの要請があったからだ。領地の堤防を見に来てほしいと言われ、お出かけになったのだった)


 惑星暦三四六年六月二日――今日この日だ。

 建設大臣をしている父親は職務に忠実だった。

 母親を帯同させたのはゴティエ侯爵家の奥方からの要望で、夫人同士の交流のためという、これもまた不自然なことはなかった。

 でも、いまになってみると、そのゴティエ侯爵家の令嬢がユージンの婚約者だったことが気になってくる。


(今世ではわたしがユージンの婚約者になったから、前世とは違う運命を辿っているはず……それでも用心するに越したことはない)

 カトリーヌは薬剤が入った小瓶を胸の前でぎゅっと握りしめた。


「お父さま、お母さま……ごめんなさい」

 メディシス家の一族は幼いころから毒物の知識とともに、体に毒物への耐性をつける。

 毒は皮膚から接種するものと、経口から接種するものとにわかれるが、皮膚に毒物を塗ると、同じ毒を接種したときにアレルギー反応を起こすことがある。

 そのため、食事に少しずつ毒を混ぜ、耐性を高める方法がとられていた。


 つまり、メディシス家のものたちはほんの少しの毒物では効き目がない。

 それがわかっていたから、カトリーヌは両親が死なないていどに、しかし、確実にお腹を壊すように朝食のありとあらゆるものに少しずつ薬を入れた。


 仕事に出かける両親のために朝食の手伝いをしたいと以前から根回しをしておいたから、カトリーヌが厨房で料理に薬を入れる隙はいくらでもあった。

 遠出をする両親が、馬車には乗れないくらい確実な量を仕込むくらいには。


「悪いが具合が悪くて出かけられそうにない……」

 トイレにこもりっきりの父親と母親がそう判断するのに、そう時間はかからなかった。

 その日の午後、ふたりが通る予定だった道が崖崩れで封鎖されたとの知らせが届いたおかげで、お腹を壊したのは天の助けだったと言うことになり、料理人は罰せられなかった。

 もっとも、カトリーヌは彼が咎められるようだったら毒を入れたのは自分だと名乗り出るつもりでいた。


 父親も母親も半日、お腹を壊してやつれていたものの、体はあたたかい。

 看病をしながら、カトリーヌは母親の手をぎゅっと握りしめた。


「お父さまとお母さまになにもなくてよかった……」

 十二才のカトリーヌは思春期を迎えていても、まだ両親に甘えたい気持ちが残っている。


(だって前世では、このときお父さまとお母さまを失っていたのだから……)

 その絶望は、何度甘えたって簡単には癒やされない。


(本当はリヴウェルの玉を飲めばすぐ治る。でも、毒薬に詳しいふたりだもの。あの玉の出所を聞かれるかも知れないし……)

 なにより、元気になったらすぐ出かけると言われるのが怖くて、カトリーヌは二人に白湯を用意するくらいしかできなかった。 


         †          †          †


 ユージンと婚約したことと、両親が死ななかったことは確実にカトリーヌの運命を変えた。

 皇宮にユージンとともに出向いたときも、目に見えて扱いが違ってきたからだ。

 この日、皇太子の婚約パーティに招待されたときもそうだった。


「ユージン皇子殿下、ならびにメディシス公爵令嬢のご入場です」

 カトリーヌは十三才になっていた。まだデビュタントをすませていないカトリーヌとユージンだったが、子どもながら特別に婚約式への参加を許された。


「兄上、お招きくださってありがとうございます。このたびはご婚約おめでとうございます」

「皇太子殿下にカトリーヌ・ド・メディシスがご挨拶申しあげます。この度はご婚約おめでとうございます」


 ユージンが挨拶したのにつづいて、カトリーヌも皇太子アンリ――つまり前世での元婚約者に挨拶をする。


「ユージンにメディシス公爵令嬢。今日は私とゴティエ侯爵令嬢のためにお祝いに来てくれてうれしい。ゆっくり楽しんでいてくれ」

 皇太子からの言葉に、スカートをつまみ、足を交差させてお辞儀をする。

 めでたい席で、アンリに挨拶したい人々がずらりと並んでいたから、その一言だけですっと下がった。

 煌びやかなシャンデリアに盛装をした人々。

 アンリが皇太子になってから一番大きな式典だった。


「せっかくだから僕とダンスを踊っていただけませんか、カトリーヌ」

 ユージンから持ちかけられ、手袋をした手の甲に口づけられる。

 ダンスなんて興味がないだろうに、さすがは皇子さまだ。

 きっちりと教えこまれたようで、彼のリードは、まだ少年ながら完璧だった。


「ユージンとダンスを踊ることになるなんて……」

 前世ではなかったことだ。

 皇太子妃として、ファーストダンスは必ず婚約者のアンリと決まっていたし、そのあとは外交のためとカトリーヌがダンスをする相手は順番が決められていた。

 そのなかに、ユージンは入っていなかったのだ。

 ダンスをしながらパーティの光景を眺めるうちに、ぼんやりと前世の記憶がよみがえってきた。


(そういえば、婚約式のときも『わたしの失敗』があったわね)

 思い返すだけで胸がむかむかしてくる。

 カトリーヌはちらりと大広間の一角に集まっている異国情緒溢れる装束を着た人々に目を向けた。


 アンリが治めている帝国東部には主要な港があり、海洋国家シーエンとの貿易で栄えている。

 彼らはそのシーエンから親善大使としてやってきた人々だ。

 文化や慣習が違う海洋国家の親善大使は貴族ではなく、アンリは商人だと侮って酷い目に遭ったのだ。


 シーエンでは商人の立場が帝国よりも高く、王族の権力と強く結びついている。

 お金と交渉に長けた商人を敵に回すだけでも厄介だが、あのなかにはひとりだけ王族が混じっているのも問題だった。 

 貶すような言葉を吐けば、ほかの国よりも不利な条件を提示されることもある。

 そんなことも知らずにアンリが彼の機嫌を損ねたため、しばらくは香辛料の高騰がつづき、それらの失態はカトリーヌのせいということにされたのだった。

 国の財政を傾けかねない失態はカトリーヌが分を弁えず、シーエンの王族に誘いかけたためなどという酷い噂まで流れた。


(わたしがいくら大人びて見えるとはいえ、十三才の子どもにそんなことができるわけないでしょう?)

 カトリーヌとしてはどう考えてもおかしいと思うが、貴族も民衆もゴシップが好きなだけで真実はどうだっていい。

 極端な話、子どものくせに大人を誘惑したという噂でさえ面白おかしく語られるのだ。

 その裏でカトリーヌがどんなに傷ついていようと、していない失敗をしたと言われて名誉を毀損されていようと、自分たちの生活とは関係ない。

 高価な香辛料はおもに貴族たちが独占しており、庶民は手にすることが滅多にない。

 ただゴシップを消費して楽しむだけだった。


(でも、今回はそれを逆手にとってやるわ……ゴティエ侯爵令嬢にわたしからささやかな置き土産を残してあげる)

 ダンスの終わりの挨拶をしたところで、扇を広げたカトリーヌはユージンに誘いをかける。


「ねぇ、ユージン……海洋国家の人々に興味はない?」

 カトリーヌの視線の先に気づいていたのだろう。ユージンは打って響くように返事をくれる。


「奇遇だね、カトリーヌ。僕も彼らと一度は話してみたかったんだ」

 好奇心旺盛なユージンならそう言うと思っていた。

 彼のそういうところがカトリーヌは好きだ。

 興味ないことにはまったく労力を割かないくせに、変なところでカトリーヌとは気が合う。


 長年付き合っていて、どんなことに興味があるのか予測しやすいから、一緒にいて気楽な相手でもあった。

 ちなみに今日はさすがにリヴウェルはユージンの部屋でお留守番をしている。

 淋しそうな声で鳴いて部屋のなかを飛び回る姿が目に見えるようだ。


(ごめんね、リヴウェル……そろそろ大人になって)

 心のなかだけでドラゴンに向かって呟くと、ユージンのエスコートでカトリーヌは目当ての人々に近づいていく。


「ごきげんよう、シーエンの方々。遠いところから足をお運びいただき、感謝しております。婚約式のパーティを楽しんでいただけてますでしょうか」

 カトリーヌは真っ先に、一団のなかに紛れこんでいた王子に話しかけた。

 青い髪に浅黒い肌をした青年だ。黒い瞳は鋭く、カトリーヌを値踏みするように眺めていた。


「ごきげんよう……帝国のお嬢さん。貴族の方がわざわざ商人に話しかけていただけるとは……光栄に存じます」

 へりくだって頭を下げる様子はどこか芝居がかってもいる。カトリーヌがユージンと視線を合わせると、


「もちろん、違う文化には興味があるので話しかけたのです。僕はユージン。クー・ルーイン帝国の第三皇子だ。僕が治める北部は海洋王国からは離れているけど、僕の婚約者はいろんな薬を作っていてね……南でしかとれない調味料だけでなく、珍しい植物にも興味があるんだ」


 ユージンがカトリーヌをエスコートしながら話す。

 すっと一団から一歩踏み出してきたのは、青い髪の青年だ。


「へぇ……お嬢さんが」

 は興味を持ってくれたようだった。


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