第二十一章 悪役皇子 VS 元婚約者

 その日の昼間、皇宮の大広間には盛装した大人たちが集まっていた。

 ユージンから結婚話を持ちかけられてから一カ月が経ち、皇子の婚約式としては異例の早さで式が設けられた。

 その間に、カトリーヌはユージンと内密に契約内容を決め、公にも婚約契約書に署名していたが、貴族というのは形式を重んじる。

 書面上はすでに婚約した身であっても、大勢の前で婚約を披露する場を迎えてこそ、婚約が成立したと見なされる風潮があった。

 今日がその婚約パーティの日である。


(とうとう悪役皇子だったユージンと婚約してしまった……!)

 皇太子アンリと聖女ディアナと対立し、悪役令嬢のカトリーヌと手を組もうと企むユージン。

 いまのところ、皇帝になるつもりはないと本人の口から聞いていたが、将来はわからない。

 カトリーヌの選択が未来にいい影響を与えていると信じるしかなかった。


 婚約パーティというと舞踏会の印象があるが、なにせ主役は十才の子どもだ。

 日中のガーデンパーティの形式をとり、テラスに面した大広間の窓は開かれて、明るい雰囲気を漂わせていた。


「このたびはわたしどもの婚約パーティにお越しいただきありがとうございます。皇太子殿下にカトリーヌ・ド・メディシスがご挨拶申しあげます」

 壇上へやってきた五才年上の少年にカトリーヌは頭を下げた。

 ユージンは第二皇妃と話しており、先にカトリーヌがアンリを出迎える羽目になったせいだ。

 アンリはすみれ色の瞳をじっとカトリーヌに向けて、無愛想に言う。


「おまえは私の婚約者候補だったと聞いたが、なぜ突然、ユージンと婚約した?」

 じろじろと不躾にカトリーヌを眺める様子からは、けしてカトリーヌへの好意は感じられない。

 それでいて、言葉では不満を露わにされ、なんて返事をしたものか迷った。


(ここで返事を間違えたら、アンリの婚約者候補に逆戻り……なんてことはないわよね?)

 言葉に詰まったカトリーヌの腰にすっと手袋をした手が回される。


「おそれながら、兄上。僕のカトリーヌをとろうとしても無駄ですよ。兄上は皇太子ですから、メディシス家に婿養子には入れないでしょう」

 いつ背後に立っていたのだろう。

 すっとユージンがカトリーヌをエスコートし、皇太子を牽制していた。


「当然だ。なぜ私がメディシス家に婿養子に入らなければいけない?」

「だってカトリーヌはメディシス家のひとり娘ですから、当然、婿養子をとるでしょう。僕なら第三皇子ですから、臣籍降婿-しんせきこうせい-してもなんの問題もないでしょう。特段の失態もないのに、公爵家を断絶させるわけにもいきませんし……」

 ユージンの言うとおりだ。

 爵位はカトリーヌが持ったまま皇后となり、子どものひとりに公爵家を継がせることにしたとしても、爵位の継承は家にとって重要な問題だ。

 いま考えてみると、カトリーヌが皇太子の婚約者候補になったのは、公爵家に不利な点が多い。


(もしかして、お父さまとお母さまが亡くなったのは……)

 ――メディシス家を弱体化させようと動いている勢力があるのでは。

 前世と違う道を選んだことで、違う視点からものを考えられるようになった。

 その一方で、未来を知らないことが怖くもなってきた。


(怖い……皇太子と婚約なんて嫌……)

 カトリーヌはまだ幼いユージンを頼りにするように、その腕をぎゅっと掴んだ。


「兄上の婚約者候補でしたら、たくさんいるとうかがってますので、僕も義理の姉上に会える日を楽しみにしてます……ね、カトリーヌ?」

 一見、天真爛漫に見えるが、ユージンの言葉の端々には皇太子を牽制する棘がちりばめられている。

 天才というのはこういうところが怖ろしい。

 もしユージンが全力を出して皇帝になろうと考えたら、皇太子は敵わないのではないだろうか。

 そんなふうにも思えるやりとりだった。


(前世でわたしがアンリの婚約者候補になったいきさつをいま考えても仕方ない。でも、もしお父さまとお母さまが亡くなったのが、事故に見せかけた殺人だったとしたら……)

 ――それは防げるのかもしれない。

 かすかな希望がカトリーヌのなかに生まれていた。

 しかし、婚約パーティでの問題は皇太子との会話だけで終わらなかった。


「なんで皇太子妃候補のあなたがユージン皇子殿下の婚約者なのよ! 私が彼の婚約者になるはずだったのに……皇太子殿下だけじゃ満足できなかったの!?」

 同じ年頃の令嬢に絡まれ、黒髪を突然掴まれた。


「ゴティエ侯爵令嬢……なにをするんですか。離してください」

 彼女が巧妙だったのは、カトリーヌがユージンと離れた隙を狙い、まずは級友として庭に誘いだしたことだ。

 顔見知りが相手だし、しかも、自分と同じ十才の女の子だ。

 カトリーヌとしても、婚約式の日に級友が問題を起こすなんて、さすがに想定外だった。


「うるさい! ユージン皇子殿下がやさしくしてくれるからってつけあがっていたかと思えば……婚約!? いったいどんな汚い手を使ったの?」

 自分で名前を口にしておきながら、ようやく前世のことを思いだした。


(そうだ……ゴティエ侯爵令嬢! 彼女は前世でユージンの婚約者だった令嬢だ)

 皇立幼年学校ではあまり目立たない少女だったから、将来の姿とうまく結びつかなかった。

 彼女はユージンがカトリーヌと組もうとしてもなおユージンに尽くしていたが、ふたりの仲がよかったかどうかは覚えていない。


(ユージンもわたしと同じだ……母親を亡くし、皇宮での後ろ盾をなくしていたから、ゴティエ侯爵家の支援を断れなかったのだろう)

 そういう意味では、悪役令嬢となったカトリーヌと悪役皇子となったユージンの境遇は似ている。

 本心から相手を好きなわけでもなければ、その家の権力すら望んでいないまま、相手の家の思うままにされざるをえなかった。

 ――でも今世は違う。


「残念だけど、ユージンはもうわたしの婚約者だし、わたしは皇太子殿下の婚約者候補からも外れたはずです。変な言いがかりはやめてください」

「言いがかりですって? メディシス家なんて皇族を降嫁させるために公爵家をたまわっただけの暗殺一家のくせに!」


 いくら奥まった庭とはいえ、ここは皇宮のなかだ。

 その一角で言いがかりをつけられるにしても、彼女の言い分は聞き捨てならない。


「その台詞……ユージンの婚約者であるわたしの前で言うからには、ユージンの前でも同じことを言えるのでしょうね?」

 カトリーヌは彼女の腕を掴んであくまでも穏便に問いかける。


「う……離しなさい! 私を誰だと思っているの! ゴティエ侯爵家は代々皇帝陛下に仕えてきた名門なんだから!」

「あら、ゴティエ侯爵令嬢。こんな奥まった場所にわたしを連れてきたのはあなたでしょう? わたしはてっきりメディシス家の力を知りたくてこんなひと気のないところに連れてきたのだと思いましたわ」

 カトリーヌはスカートのなかから小さな薬袋を出し、丸薬を手のひらに転がしてみせる。


「あなたがのぞんだことですものね」

「ひぃっ」

 脅える彼女の手を強く握り、自分の側に引き寄せたときだ。

 がさり、と物音が近くで響いた。

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