第十八章 小さなドラゴンはいつもかわいい

 よたよたと小さな翼を広げて飛ぶ姿はまだおぼつかないが、それだけにリヴウェルの言いたいことが強く伝わってきた。

 はじめて小鳥が巣から飛び立つ姿を見たときのような感動に近いものが漂ってすらいた。

 飛んでいる姿もかわいい。

 カトリーヌはきゅんと胸を射貫かれた。


「飛べるようになったの、リヴウェル? その声はやめろという意味であってる?」

 カトリーヌがユージンの口から手を離すと、ユージンはけほけほと咳をしながらバスケットのなかから水筒を取りだして飲んだ。

 カトリーヌはその背中を撫でる。


「リヴウェルの言うとおりだよ、カトリーヌ。念のため、毒に詳しい君にいてもらったほうがいいと思っただけなんだ。これは実験だから」

「ユージン……いくらあなたが研究好きでも、自分の体を実験体にするのはどうかと思う」

 カトリーヌは頭を抱えた。

(万が一、うちの屋敷内で倒れたら、メディシス家がユージン皇子殿下を暗殺したって噂が社交界を駆けめぐるに違いないわ……)

 前世でも、貴族の死者が出るたびにメディシス家が関与したのではという噂が流れた。

 貴族が自殺するときは毒物を使うことが多い。

 その購入先がメディシス家とまったく無関係であったとは言わない。

 この国では薬にまつわる事業は多かれ少なかれメディシス家と関わりがあるからだ。


 メディシスという氏姓自体もともと薬の意味があり、それにまつわる仕事で功を成したため賜った名前である。

 いまでは異国に売る薬そのものが『メディスン』と呼ばれており、元々の語源の薬から広まったのか、メディシス家が扱う薬から発展したのか不明なくらいだ。

 いまではそれらの謂われと毒殺の噂は玉石混淆となっていて、メディシス家というブランドを作り上げた。

 しかし、あからさまに毒殺を疑われる行動は困る。


「でも君だってリヴウェルがなにを吐きだしたのか気になるだろう?」

「それは本当に薬だった場合で、真珠のようになんらかの鉱石の可能性だってあるでしょう」

 正直に言えば、カトリーヌはユージンの探求心を舐めていた。

 三番目とはいえ帝国の皇子なのだし、魔法生物が吐きだしたものを簡単に口にするなんて常識ではありえない。

 しかし、ユージンと言うのはその常識を覆す性格なのだと思い知らされた。


「でも、僕があんまりにも眠たがっていると、リヴウェルがしきりに飲めって言うし……食べ物なのかなって」

「一応、ユージンなりの根拠はあったのね」

 頭は痛いが、ユージンはずっと卵のころからリヴウェルの面倒を見てきたのだ。

言葉にならない鳴き声もカトリーヌより理解しているし、リヴウェルが勧めたと言うのも間違いではないのだろう。


「……………もしかして、ううん。違うかもしれないけど……」

 カトリーヌは先週の自分の行動を思い返して、はっと息を呑んだ。

(眠たがるユージンに飲ませていい薬なら、目が覚める薬のはずだ)

 それはちょうど先週、疲れ切ったユージンを眠らせるためにこっそりとお茶に忍ばせた睡眠薬と正反対の効能にあたる。

 それならもうひとつは、毒を食べるのかもしれないと追加で飲ませたお腹を壊す薬から生まれたものだろう。

 つまり、その逆――胃腸を整える効能がある薬と言うことになる。


「まさか……えーっとユージン、その……調子はどう? 気分は悪くない?」

 誘導質問にならないようにあえて慎重に訊ねた。

「大丈夫。さっきまですごく眠かったけど……目が覚めてきたみたいだ。それにバナナだっけ? あれ食べたらお腹空いてきたみたい」

 胃腸がよくなる薬だとしたら、それはそうだろう。

 バナナをもう一本渡すと、ユージンはうれしそうに自分で皮を剥き、口にしている。


「でもまだ断定はできないわ……そうだ。リヴウェル、おいで」

 カトリーヌはゆっくりと歩いている小さな竜を呼びよせ、その腕に抱いた。

 この温室には薬の材料になる植物がたくさんある。それはつまり、毒草もたくさんあると言うことだった。


「ユージン、その……まずは謝るわ。ごめんなさい。あなたがあまりにもリヴウェルに夢中になって眠らないんで不眠症の人用の……睡眠薬をお茶に混ぜたの……」

 頭を下げ、緊張しながらユージンの答えを待つ。

 公になれば、皇室に薬を盛ったとして死罪になりかねない話だが、意外にもユージンはあっさり許してくれた。


「どうりであのとき眠たくなったんだ……おかしいとは思ったけど、おかげで頭がすっきりした。ありがとう、カトリーヌ」

 拍子抜けして顔を上げたカトリーヌに、綺麗な顔がにっこりと微笑む。

 リヴウェルがなにかを気にしてカリカリと爪でひっかく音だけが辺りに響いていた。


「目が覚めたときに、リヴウェルが僕の手に二つの玉を吐き出したから、きっとこれには意味があると思ってカトリーヌと話したかったんだけど……学校帰りだと忙しいし、具合が悪くなって学校を休むのは困るだろう? だから週末まで待っていたんだ」

 ただの確信犯だった。

 もっとも、先週はユージンの家にカトリーヌが訪問していたのだから、彼としては他意はないのかもしれない。


(いや、万が一わたしが訪れているときにユージンが倒れても怪しいでしょう……)

 ユージンのなかでそのあたりはどういう考えで行動しているのだろう。

 彼の基準はいまいちカトリーヌにはよくわからない。


「それで、そのう……リヴウェルがカップのなかに残っていた睡眠剤入りのお茶にとても反応して……飲んじゃったの」

 ついでに、ドラゴンは毒を飲むのかもしれないと思い、お腹を壊す薬を飲ませたことも説明した。


「だからもしかすると、リヴウェルは毒を飲むと、その毒を中和する玉を吐きだすのかもしれないと思って……」

 推論にすぎないが、ユージンの様子を見たかぎりでは、それが一番正解に近い考えに見える。


「もっともサンプルが少ないから、ただの偶然ということもありえるし、もう少し観察してみたほうがいいかも……って言ってるそばから、リヴウェルなにを食べてるの!?」

 さっきからなにかに反応していると思っていたが、温室の植物を爪で引き倒して、がじがじと食べていた。


「待って、リヴウェル。そのイヌサフランは有毒なの!」

 カトリーヌが慌ててリヴウェルを草むらから引き離したときはもう遅かった。小さなドラゴンは十分食べたと言わんばかりにげっぷをしている。


「……ユージン。先週、リヴウェルが玉を吐き出したのはわたしが帰ってからどのくらい経ってからだった?」

「そうだなぁ……あれは夕飯を過ぎてからだったから……五時間ぐらい? 正確には……」

 ユージンはそこで持ち歩いている観察日誌をとりだして、ぺらぺらとページをめくった。


「五時間半くらいかな? ちょうどリヴウェルの翼の稼働域を確かめていたときに、急にうずくまって……少し光ったみたいだった」

「少し光った……」

 その言葉に反射的に浮かんで来たのは、まだリヴウェルが卵のときになんの魔力を与えたらいいのか考えていたときのことだった。


(あのときわたしは、地水風火の四大魔法のほかに、補助魔法について考えていたのではなかった?)

 相手を毒状態にすると言うのは、物語によく出てくる魔法のひとつだった。

 主に敵を弱らせる目的で使われ、攻撃魔法と組み合わせる補助魔法に分類されている。

 攻撃魔法のように派手な見た目ではないけれど、毒状態にするというのはときに人間相手には致命的な一撃を与えることがある。


「もしかして毒状態にする魔法をわたしが使えるとか?」

 自分に所縁があるものが魔法として使えるなら、ありそうな話だ。

 しかも魔法だから、毒を盛るところを見られない。


(この国では完全犯罪が成立しそう……)

 一瞬そんな邪悪な考えが浮かんだ。

 しかしすぐそばにいるユージンの顔を見て、前世で亡くなった彼の母親と赤子のことが頭をよぎる。

 その瞬間のひらめきは、自分が死に戻った理由を悟ったかのような衝撃だった。


(そうか……むしろこれはリヴウェルの吐きだす玉のほうが価値があるかも?)

 ユージンが飲み残した睡眠剤入りのお茶からひとつの玉を吐きだしたことを考えると、ほんのわずかでもリヴウェルが舐めとれればいい。


(最悪、毒物を飲んですぐの口元に触れるだけでも解毒剤が作れるのなら……!)

 生き残るために未来を変える覚悟はしていたものの、ここまで大きく未来を変えられるのだろうかと期待する気持ちと、不安な気持ちが交錯する。

 不安のうちもっとも大きな理由は、悪役令嬢会議で聞かされたことだった。


 ――悪役令嬢の役割をはずれた悪役令嬢が殺される。

 ルートを外れるとしたら、慎重に動かなくては。

 しかし、考えごとをしてカトリーヌの注意がそれたのをこれさいわいと思ったのだろう。

 リヴウェルは新たな宝物を探すのに夢中だった――つまり、新たな毒物を。


「その植物は有毒だからダメだって……わーリヴウェル!」

 カトリーヌが止めるままなく、リヴウェルはぱくりと掘り当てた宝物に――球根に齧りついてしまった。

 小さな子どもなら死ぬこともある危険な植物だ。

 ましてやリヴウェルはまだ手乗りサイズ。

 体重に対して食べた量が多ければ、死ぬこともあると思ったのに、小さなドラゴンは元気いっぱいのままだった。


「それは球根が有毒なの!」

 カトリーヌが残った球根をとりあげれば、

「ぎゅう……」

 といつになく不満そうな声を漏らす。

 あまりにも切ない声で鳴くので、まるでカトリーヌが悪者みたいだ。

 それでいて、球根にだけ執着する必要はないと思ったらしい。すぐに鼻をひくつかせ、別の植物に反応している。

 どうやら、リヴウェルはこの温室にある無数の毒を持つ植物を感じとっているらしい。

 カトリーヌはやむなくリヴウェルを抱きあげた。


「勝手に植物を食べると危ないでしょう。なんでもかんでも口に入れてはダメです」

 やっとバスケットのなかから外に出たのだから、リヴウェルを好きにさせてやりたかったが、手当たり次第に毒植物を食べるとなれば、抱っこしているしかない。

 鼻をつんつんとつついてカトリーヌが言い聞かせているのを聞き、ユージンが目を瞠った。


「もしかして……有毒物に反応しているのかな?」

 ユージンの言葉にカトリーヌのほうがぎくりと身をすくめてしまった。

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