第十五章 モルガンは恋話が聞きたい

第十五章 モルガンは恋話が聞きたい



(べ、別に悪いことしていたわけじゃない……わけもないか。いくら不眠症とはいえ処方もなく皇子殿下に薬を盛ったなんて知られたら犯罪者になってしまう!)

 リヴウェルがカップに残っていたお茶を舐めとってくれてよかった。

 ひやひやしながら応答を待っていると、


「失礼します、第二皇妃殿下がお見えです」

「え……」

 侍従の言葉に目が点になった。

 第二皇妃殿下――つまりユージンの母親が帰ってきたということだ。

 大きく広がるドレス姿が二重扉の二つ目の扉をくぐるのを認めて、カトリーヌは急いで身形をただして前に出た。

 ドレスの下で足を交差させ、お辞儀をしてみせる。


「あらまぁ……本当にかわいらしいお客さまがいらしていたのね」

 声をかけられて、頭を一段と低く下げる。

「お久しぶりです、第二皇妃殿下。カトリーヌ・ド・メディシスがご挨拶を申しあげます」

 母親と一緒に何度か顔を合わせたことはあったが、ユージン皇子の部屋で会うのは初めてだ。

 遊びに来たのが初めてなのだから当然だが、つつかれるとやましいところがあるから、なおさら緊張してしまう。


(客観的に見たら、わたし危険な女じゃない?)

 まだ十才とはいえ、メディシス家の一員が第三皇子の私室にいて、しかも、頼みのユージンは眠っている。

(眠らせたのはわたしだし、ユージンに対してなにか企んでいると思われても仕方がない状況でしょう……)

 額からじわりと嫌な汗がにじんできた。

 

         †          †          †

 


「あら、この子ったらお客様の前で眠ってしまったのね?」

 第二皇妃がソファの上で眠るユージンに気づいて近づこうとするのを、カトリーヌは必死に止めた。

「お待ちください! ユージン皇子殿下はこのところ不眠気味だったのが、さっきようやく寝たところなのです!」

 ――正確にはわたしが眠らせました。

 とはもちろん言えなかった。

 ドラゴンの存在を第二皇妃が知っているのかどうかだけでもユージンに聞いておけばよかった。

 念のために、ここはごまかしの一手しかない。


(それに……)

 カトリーヌはちらりとリヴウェルがごそごそと隙間からのぞいているバスケットに目を向けた。

 手のひらに乗るドラゴンは見た目は愛らしいらしいが、生き物には違いない。

 ユージンが執着していたように観察日誌をつけるだけでなくても、小さいうちは目を離さないほうが安全だろう。

 そういう意味では、寝不足になりながらも面倒みてくれて、カトリーヌとしては感謝していた。


「まぁ……カトリーヌ。ユージンとそんなに仲がよかったなんて知らなかったわ。この子ときたら、自分の興味のあることにしか反応を示さないものだから……皇立幼年学校でも浮いているんじゃなくて?」

「そんなことは……ないと思います……多分」

 浮いていないとは言えないが、それは第二皇妃が思うような理由ではなかった。

 自分たちの学友に皇族がいるなんて稀なことだ。それも第三皇子。直系の男子がいるということで、特に女生徒はみなユージンとお近づきになりたがっていた。


 しかし、ユージンはどちらかというと無表情でなにを考えてるのかわからず、近寄りがたいところがある。

 女生徒なりのアプローチをして、ランチに誘おうが、隣の席になって話しかけようが、ユージンから返ってくるのは、『興味を持たない』という婉曲的な拒絶だけだ。

 結果的に、一番親しいのは、級友であり、生徒会でも関係があるカトリーヌということになっていた。


「でも、みんなユージン皇子殿下には興味津々なんです! その……悪い意味ではなくて……いえ、殿下にとっていい意味かどうかわかりませんけども……」

 はっきり言ってしまえば、ユージンは女生徒に興味がないのだろう。

 追いかけまわされていると、どちらかと言うとに不機嫌になっている。

 そんな状態なのに、女性との一人でもある自分が特別にユージンの自室に招かれているという状態は動なのか。

 なにかあらぬ誤解をされやしないかと、冷や汗がだらだらと涌きおこってくる。


(き、気まずい……早く帰りたい!)

「このところ、生徒会の関係で調べものがあり、ユージン皇子殿下も一生懸命手伝ってくださいまして……そのせいでお疲れになったみたいで寝てしまわれたのです。ですので、そろそろわたしもお暇申しあげようと思っていたところです」

 胸に手を当て、第二皇妃相手に丁寧に申しあげると、


「カトリーヌ。ユージン皇子殿下なんて……ここではそんなに堅苦しくしなくていいのよ? 私とカトリーヌの仲じゃない。また遊びに来てほしいわ」

 生きて声を発する第二皇妃に会うのは久しぶりだから、ユージンの心情を思うと、カトリーヌまで鼻がつんとしてくる。

 しかし、子どもとともに亡くなってしまうから泣きそうになっているなんて言えるわけもない。

 その間に、第二皇妃は侍従を呼んで、ユージンをベッドに運ぶように指示している。

 抱きあげられて連れて行かれるユージンをほっとした気持ちで眺めたカトリーヌは、お別れのお辞儀をした。


「また緑影宮に呼んでいただければ光栄です。ユージン皇子……いえ、ユージンにもよろしくお伝えください」

 そう言って、日曜日はどうにか帰ったのだった。



 ――そして月曜日。

 ユージンを見たカトリーヌを開いた口が塞がらなかった。

 学校がはじまったというのに、ユージンはバスケットを持って登校してきたのだ。

「ユージン、どうしてこの子を連れてきたの!?」

「だってリヴウェルがカトリーヌに会いたがるんだ。かわいそうだろう?」

 ユージンがあまりにも平然と言うから、カトリーヌは言い返す言葉が見つからなかった。


(まったくもう……ユージンにとっては常識よりもリヴウェルが大事なのね!)

 どんなにリヴウェルがカトリーヌに会いたがったとしても、学校はペットの持ち込み禁止である。

 魔法生物がペットかどうかはさておき、誰かに見つかったら大変なことになる。

 カトリーヌはユージンを説得して、バスケットを生徒会室に隠しておくことにした。

 休み時間ごとに二人で会いに行き、おとなしく待ってるようにと、どうにか説得するしかなかった。

 一方で、生徒会をやっている最中は二人の声が聞こえているからだろう。基本的にドラゴンは安心して、うとうとと眠っているようだった。


 魔法生物を育てるのは初めてだから、それが正しいのかわからないが、まだ生まれたての赤ちゃんなのだ。一日の大半は眠っている。

 生徒会室のほかの役員を送り出したあとで、


「カトリーヌ、このあと時間はある? リヴウェルがカトリーヌと遊びたがってるんだ」

 あまりにも切実な様子で訴えられて、カトリーヌは断れなかった。

 どのみち、この時期のカトリーヌはまだ皇太子の婚約者になっていないから、家に帰ったところで学校の予習くらいしかやることがない。

 そんなわけで金曜日の午後まで、生徒会室の扉を何回も開け閉めするという怪しい行動を繰り返しながら、帰りには緑影宮に寄ってお茶をする羽目になっていた。



「――……というわけなの」

 先週からのことの次第を長々と告げたカトリーヌに対して、サロメが言った言葉はあいかわらずどこか的外れだった。

「まぁ……そんなに何回も扉の開け閉めをしてしまったら、扉が壊れてしまいますわカトリーヌ」

「それで、カトリーヌは婚約していた皇太子殿下とそのユージン皇子殿下とどちらが好みのタイプなのです?」

「モルガン、突然なにを……」

「実は私、恋話こいばなが大好きなんですの!」


 一見冷静沈着に見えるモルガンが、いつもサロメと一緒にいる理由が初めて理解できた瞬間だった。

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