第十四章 パパには眠ってもらいます
ふわりと広がる金色の髪からふわりといい香りが漂う。
(ユージンの顔が……髪が……ものすごく近い!)
助けるためにとった行動とはいえ、男子を抱きとめるなんて初めての出来事で、意識したとたん、ぶわっと熱が上がった。
そんなカトリーヌの心情などユージンが知るよしもない。
「ご、ごめん……カトリーヌ……観察日誌をとろうとして……ん? なんだかリヴウェルはよろこんでいるな?」
ソファの上に目を向ければ、きらきらとした瞳を向けているリヴウェルは嬉々とした様子に見えた。
ずっと観察しているだけあって、ユージンはさすがにリヴウェルの感情を読むのがうまい。
「もしかして、パパとママが仲がよくてよろこんでいるとか……まさかね」
自分で言っておきながら乾いた笑いが漏れる。
しかし、リヴウェルは言葉がわかったかのようにこっこくと首肯していた。
「すごい反応がある。これは観察日誌につけなきゃ……」
よろよろとした体で、ユージンはまた観察日誌を書こうとペンを手にした。
その手から無理やりペンをひったくり、手帳もとりあげる。
「ユージン、ちょっとここに座って」
言葉でそう言いながら、カトリーヌの手はユージンの肩を掴み、力任せにソファに座らせた。
「カトリーヌ、僕は日誌を書かないと……」
「ユージン。リヴウェルがこんなに元気なのはユージンが一生懸命世話をしてくれたからだと思う。ありがとう」
話を遮るようにして強めにユージンの名前を呼び、彼の注意を引く。
「伝えたことがあるかわからないけど、わたし、お茶を入れるのが得意なの。一杯あなたにお茶を淹れさせてくれない?」
「え……うん……構わないけど?」
突然なにを言われたのかよくわかっていない様子のユージンから言質をとったカトリーヌは、小さなベルを鳴らした。
使用人を呼んで、お湯を持ってこさせる。
こんなことになるとは思っていなかったが、カトリーヌはいつも、簡単な薬や茶葉を持ち歩いていた。
(安眠に効くと言えば当然、カモミールティーね)
ハーブは薬効が強い。
カモミールだけでも気持ちを落ち着かせる安眠効果があるが、そこに少しだけ睡眠剤を混ぜた。
(不眠症の人向けの薬だから……子どもの体にはほんの少しだけでも効くはず)
興奮しすぎると眠れない子どもがいるとは聞くが、ユージンの執着の度合いは重すぎる。
体の具合を悪くするほどだなんて。
「はい、どうぞ。ユージンのために特別に配合したから飲んでみて」
にっこりとお茶を差しだす。
考えてみると、自分を殺した相手の体を気遣うなんて奇妙な気分だ。
もちろん、カトリーヌが手渡したカップのお茶を疑いもなく飲むユージンもどうかしている。
――いっそここでユージンを殺してしまえるなら、ユージンに殺される未来もないのかもしれない。
そんな危険な考えが一瞬、頭をよぎったせいだろうか、こくり、とユージンがお茶を飲んだとき、カトリーヌは思わず緊張してしまった。
「ん……あれ? なんだかとても……眠、い……」
お茶として飲んだせいだろう。薬効はやけに早く現れ、ユージンの体はソファの上に寝転がってしまった。
「無防備なんだからもう……調子が狂ってしまうわ」
こんな瞬間に出会うまでは、カトリーヌ自身、ユージンに復讐したいのかどうかよくわかっていなかった。
でも、このユージンはカトリーヌを殺したユージンではない。
(自分が殺した相手からのお茶をこんな簡単に飲むわけないものね……)
のちにカトリーヌが毒婦とまで言われたことを考えると、なんだか複雑な気分だ。
ユージンだって、メディシス家が毒薬を扱う家柄だと知っているだろうに。
「毒見もせずにこんなにあっさり信用するなんて……やめたほうがいいわよ、ユージン」
「きゅう?」
眠りこんでしまったユージンを初めて見るのだろう。リヴウェルはぱしぱしとユージンの頭を叩いて起こそうとしている。
その小さな体を抱きあげて、
「だめよリヴウェル。あなたのパパはお疲れなの。少し眠らせてあげて」
やさしく諭すように言うと、「きゅーん」と切なそうな声を上げたものの、理解してくれたようだった。生まれたばかりなのに変なところで言葉が通じる。
(パパとか言ってしまった……)
ユージンがパパでカトリーヌがママ。
リヴウェルにとっての認識はそんな感じらしい。
近くにあったストールを上にかけると、ユージンはわずかに身じろぎしたものの起きる様子はなかった。
眠っているユージンの顔は穏やかで、その顔立ちは綺麗で、金色の髪はさらさらしており、
――不意に触ってみたくなる。
そっと髪を梳かすように触れると、思っていた以上に髪はやわらかい。
(少し猫っ毛なのかな? 癖があるし……)
カトリーヌの髪とは違う感触が指先に楽しい。
「うわぁ、睫毛、長い……」
目を閉じたユージンをじっくりと眺めていると、リヴウェルはしきりになにかを気にかけている。
なんだろうと思うまもなく、カトリーヌの腕からするりと抜けだした小さなドラゴンはローテーブルの上にある、ユージンが飲み残したお茶に鼻を寄せる。
「待って、リヴウェル。そのお茶は……!」
カトリーヌが止めるより早く、リヴウェルはカップに鼻先を突っこみ、睡眠薬入りのお茶を飲んでしまった。
「うわぁ……証拠隠滅になってよかったけど、ドラゴンに睡眠薬と言うのは効かないのかしら……」
もしユージンが起きていたら、それこそ観察日誌をつけると大騒ぎするところだ。
リヴウェルまで眠ってしまったら、寝床にしているバスケットに入れて、人を呼ぼうと思ったが、小さなドラゴンが眠くなる様子はない。
それどころか、もっと欲しいとねだるように「きゅうきゅう」とカトリーヌの手に小さな手を伸ばしてくる。
「もしかして、ドラゴンだから……毒薬を食べるの?」
突拍子もない考えだったが、魔法生物だからありえないわけではない。
(ユージンはリヴウェルがマカロンを好きだと言っていたけど、甘いお菓子だって、ある意味では体に害があるわけで……)
ごくりとカトリーヌは生唾を飲みこんだ。
「一度だけ試してみよう」
ユージンがカトリーヌが出したお茶を躊躇なく飲んでしまったことが信じられないほど、カトリーヌは毒薬を持ち歩いていた。
毒と薬は紙一重で、量によっては薬になるものもあり、種類はたくさんある。
スカートの裏側に隠し持った小袋だから、小さなカトリーヌに持ち歩ける量など、たかが知れていた。
「これなら毒が効いてもお腹を壊すくらいだから……」
水仙から抽出した毒薬の雫を一垂らし、カップのなかに落とすと、やはりリブウェルはうれしそうな声をあげて、カップのなかに鼻を突っこむ。
「きゅう!」
もっとと言わんばかりの声を上げたリヴウェルはお腹を壊すという様子ではない。
「そもそもドラゴンの食餌は魔力が主だったわけだし、排泄物はどうなっているの?」
カトリーヌはユージンがつけていた観察日誌を手にとり、開いた。
「……どうやら普通の動物と同じで排泄物はあるのね。えーとトイレ用のお皿は……」
ユージンが寝ているのだから、カトリーヌが世話をしなければと思って部屋の隅を探すと、寝床となっているバスケットの側にすぐに見つかった。
「でも、お腹を壊したという感じじゃないわね……」
「きゅう……きゅうう!」
催促するように鳴いている。
「ごめん、リヴウェル。ユージンも寝ているし、今日はこの辺にしておきましょう。今度また持ってくるからね」
頭を撫でながら言い聞かせると、悲しそうな声を上げながらも納得してくれたらしい。
「きゅうううう」
不承不承といった鳴き声を漏らした。
こういうところはまだ子どもなのだろう。我が儘を言われているのに、むしろかわいらしい。
カトリーヌがほんわかとした気分で笑みを浮かべているところに、こんこんという控えめなノックの音が響いた。
「は、はい! どうぞ!」
びくっと脅えながらも、あわててリヴウェルをバスケットのなかに隠した。
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