第十三章 ドラゴンの子育てはじめました
――皇立図書館に出かけた翌日のことだ。
ユージンから呼びだされた緑影宮で、カトリーヌはこう切りだした。
「まず、この子に名前をつけましょう」
やりとりをするたびに「うちのドラゴンが」なんて言うより、名前のほうが他人に聞かれても問題が少ない。
それであれやこれや考え、自分たちの知識で覚えている古語から、ユージンが提案した単語とカトリーヌが提案した単語をくっつけて、リヴウェル――生命の泉という意味の名前になった。
リヴウェルは名前をもらえたことがわかったのだろう。
とてもよろこんでユージンの部屋をはねまわり、ユージンとカトリーヌにすっかり懐いていた。
もともと大きな卵を一か月も育てていたのだから、当然ではあったか、緑影宮の侍従や使用人たちは、あの卵が帰ってドラゴンが生まれたことを驚きながらも、よろこんでいた。
どうやらユージンが興味のある動物を拾ってきては騒動を起こすのはよくあることのようで、当たり前のように受け入れている。
「ユージン皇子殿下は好奇心が旺盛でいらっしゃいますので……」
侍従のノアはそんなユージンの奇才ぶりを誇りに思っているらしい。
困っているというより、自慢げに話していた。
(確かに前世でもユージンは一風変わった研究に没頭していたけど……)
皇太子妃として忙しかったカトリーヌは、ユージンと深く関わることはなかった。
彼が一体どんな研究をしていて、なににもっとも興味があったのか、実はよく知らない。
舞踏会などで顔を合わせるときのユージンは、誰とも如才なく話し、誰と話すときも笑みを浮かべていた。
その彼といまの彼とがどうにも結びつかない。
(あれはもしかすると、第二皇妃殿下とその子どもが亡くなったことがきっかけだったのかもしれない……)
過去の記憶を探るうちに、連鎖するように思い出してきた。
第二皇妃殿下が亡くなったころ、毒殺の噂があったせいで、メディシス家はユージンと緑影宮にできるだけ近寄らないようにしていた。
だから、ひとりになったユージンがどれだけ悲しみ、その悲しみにどう耐えてきたのか、カトリーヌは知らない。
(だって十才のユージンはこんなにも傍若無人なんですもの……!)
ユージンの部屋の客間でソファに座り、カトリーヌは頭を抱えた。
その膝の上で、リヴウェルが心配そうに身じろぎする。
「きゅう……?」
「違うの。リヴウェルのせいじゃないのよ……ちょっと自分の……なんだろう自分の心の弱さについて考えていたの」
結局のところ問題は、カトリーヌもリヴウェルをかわいがりたいという気持ちに負けてしまったということにある。
ぎゅうっと抱きしめると、リヴウェルがうれしそうに「ぴゅあっ」と高い声で鳴く。
「やっぱりカトリーヌがいっしょにいると、リヴウェルは一段と機嫌がいいみたいだな」
リヴウェルの観察日誌をつけながら、ユージンが興味深そうにカトリーヌとリヴウェルを眺めている。
「それはそうね……魔力の質が違うだろうし……」
卵から孵って以来、リヴウェルは普通の食べ物も食べるようになったらしい。
ユージンが大発見だと意気ごんで教えてくれた。
それでもやっぱり魔力が主食なのだろう。カトリーヌの手を甘噛みして、魔力をねだってくるのだった。
頭を撫でてやりながら魔力を与えていると、やわらかな鼻筋をカトリーヌの手になすりつけてくる。
(本っ当にかわいい……!)
それにしても、リヴウェルがカトリーヌから吸いとっている魔力はなんの属性なのだろう。
カトリーヌ自身は魔法が使えなくてわからないし、言葉がしゃべれないリヴウェルに訊ねるわけにもいかない。
簡単なやりとりには応じているからリヴウェルに知性があることはわかる。
しかし、ドラゴンの感覚は人間と違うためか、あるいはまだ幼いからだろう。
基本的に自分自身の欲求が優先で、理性に訴えかけて言い聞かせることは難しい。
「ねぇ、ユージンはわたしが帰ったあとリヴウェルの世話で疲れていない? ちゃんと寝ているの?」
こんなに食欲旺盛なドラゴンの世話は大変だろうと思っていたら、
「寝てない」
「はい?」
あっさりと言われて、そういえば赤い瞳の下に隈ができていると気づいた。
「こんな珍しい生物が自分の部屋にいるのに観察しないで眠れるわけがない。なにを食べるのかどうかの記録もつけたいし、どのくらい歩けるのかもチェック中だ。翼は乾いてきたものの、いまのところ飛んでいるところは見ていない。一番好きな食べ物はマカロンだ」
「……マカロン? リヴウェルはマカロンを食べるの?」
(生まれたばかりなのに、甘いものなんて食べさせて消化不良にならないのかな?)
疑問には思ったが、目の前の小さなドラゴンは元気そうだ。
そもそも魔法生物の食餌はなにをどのくらい必要としているのかわからない。
「でも、ユージンも寝てよ……その顔!」
ぐいっと両手で方法を掴んでのぞきこむと、透きとおるような赤い瞳と視線が絡む。
ユージンはさすがに驚いて硬直していた。
「酷いわよ。綺麗な顔立ちが台なしじゃないの」
母親譲りの光に溶ける金髪と美貌はカトリーヌにしてみれば羨ましいかぎりだ。
金融の瞳で、まだ幼いながらも整った顔立ちの片鱗を見せるユージンの顔を、まじまじと見つめる。
(なんで前世のユージンはわたしを殺したのかしら……)
殺されるほど憎まれていたとは思えない。
皇太子の断罪から逃げるために一時的に手を組んで、彼の企みから外れたにしても、前世のユージンとカトリーヌの間には憎しみが生まれるほどの感情もなかったはずだ。
――幼いころにはよく遊んでいた、皇立幼年学校の級友だったというだけ。
いまがその、幼いころだからだろうか。
皇太子よりもずっとユージンのほうが親しかったのに、なぜ皇太子と婚約したのだろうという気持ちが涌きおこる。
「わたしがいる間はリヴウェルと遊んでるから、少し寝てきたらどう?」
「寝ようと思ったんだ。でも、リヴウェルのことが気になって眠れなくて……一度起きて観察日誌をつけるだろ? そうなると今度は目が冴えてしまって……」
――それはもう子育て不眠症じゃないだろうか。
一カ月も卵の世話をしていただけあって、ユージンのリヴウェルに関する思い入れは並々ならぬものを感じる。
「そうだ、観察日誌! カトリーヌといっしょにいるときのリヴウェルは僕だけといるときより、活発に動くから……あっ」
手帳をとろうとしたユージンが身を翻したときだ。体のバランスを崩して倒れそうになった。
「危ない、ユージン!」
とっさに手を伸ばしたカトリーヌは、よろけたユージンを抱きとめる格好になった。
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