第3話

「……荷物、持ってきてないんですけど」


「ええ、拐しましたので」


「かどわ……じゃあ服とか、食器とか、枕とか、そういうの全部家に置いてあるんだけど、取りに戻ってくれたりします?」


 攫うというのなら縄で縛って荷台にでも放り込んでくれればよかったのに。

 大きな声を出すのにも疲れて髪が軽くなったころ、不満げな顔をするのに飽きた私は向かいに座る誘拐犯と話をしてみる気になった。嫁入り道具について何も聞かされていなかったことを思い出したのだ。

 ……お父様、ほんとにこれってちゃんとした婚姻なのでしょうか。


「いいえ。道中何度か街に立ち寄りますから、必要なものはそこで用立ててください。伯爵からそれだけの資金もいただいております」


 なるほど我が家からの持参金はすでに渡していると。形式の上では問題ありそうなものだけど、動いている財産だけを見ればれっきとした結婚か、なんだか絶望的な気分。


「じゃあ、なんで攫ったの? そんなに急ぐんでしたっけ?」


「ええ、急ぎます。少なくとも五日はかかりますから。それと、王宮伯が」


「……父が?」


「恥を晒す前にたたき起こして連れて行ってくれと仰せでしたので、やむなく」


「寝ぼけてないです」


「御髪はもう乾いたようですね。ノーラッド嬢」


「ぐ……リタニアでいいです。その名前、たった今愛想が尽きたところだったので」


 完敗だ。ひっくり返ってお腹を見せることしかできそうにない。

 とりあえず父を今度見ることがあれば必ず報復することに決めた。


「光栄です、リタニア様。では私のことはルツィエと。シアーズのお城ではあなたの侍女を務めます。これから、よろしくお願いいたしますね」


「それは……はい。 その、よろしくお願いします」


 微かに笑ってみせたルツィエ、絵になる情景に目を惹かれつつも、ほんの少し気恥ずかしい。きっと制御された微笑みというやつで、たぶんそう訓練されている。辺境伯やその妻に近侍するのだから、彼女はそれに値する家柄の女性に違いなくて、つまりはこれから礼儀作法その他について突っつかれることになるのだろう。


「それと、あんまり見つめられると恥ずかしいっていうか。 そんなに面白いですか? 私の顔」


 自惚れでなければ、ルツィエは向かいの座席からずっと私の表情を伺っている。窓を流れていく平原や木々、馬車を追い越していく鳥たち、その向こうにたなびく雲、すれ違った人々が二頭の狼に驚く様子、そういったものには興味がないらしい。視線を送れば必ず目が合ったから。


「ええ、リタニア様はたくさんの表情をお持ちですから。見ていて飽きません」


 息を飲む音を耳が拾った。それはひどく不細工で、ここからシアーズ領までずっと俯いていようかと思うくらいだ。


「そろそろ休憩にいたしましょう。この先に湖があるんです。狼たちを休ませたくて」


 私が自分の爪先を見ながら頷くと、ルツィエは御者席に合図を送ったらしい。お尻に伝わる振動が変わって、狼に引かれた車体が街道を逸れたのがわかった。




「ノーラッド嬢、ひとまずお疲れ様でした。お手をどうぞ」


「うぉあ、ありがとうございます」


 革の手袋を脱いだ指は温かくて硬い。導かれるまま地面へ靴を乗せる。

 開けた視界には鏡合わせの青。空を映した湖とそれを額装するような緑。澄んだ空気が心地よい。


「深呼吸をするといいですよ。気分が晴れやかになります」


「えと……」


「失礼。申し遅れましたね。御者を務めるアルフレートです。道々ご不便はありませんでしたか?」


 頭上から声を被せられる。見上げると首が痛くなりそうな長身、熱した鉄板でシワを伸ばしたシャツのようにそつのない立ち姿の青年。ケープが縫い留められた厚手のコートは周囲の隊列とそう違わないけど襟は高くないし、帽子も取ってある。はっきりとした目鼻立ちは彫刻のようで、青灰色の髪は同じ色をした瞳にかからないくらいの長さ。実用性一辺倒の服を着せておくにはもったいないくらいの美形……なんて感想を抱くのは失礼だろうか。


「いいえ、アルフレートさん。快適な旅をありがとうございました」


 何よりです。と爽やかな声を右耳に聴きながら息を深く吸い込む。吸い込んで、吐き出す。曰く、息を整えるというのはそれだけで身体と心に良い影響を与えるのだとか。よし、もう一回。


「本職は騎士だ。アルフレート、お前まで身を窶す必要はないよ」


「主の佯狂にはお供するのが筋かと思ったまでです。お許しを……しかし辺境伯、せっかくの変装が台無しですが、もう飽きてしまわれたのですか?」


「……はい?」


 息を詰めながら振り返る。声のする方、さっきまで私を載せていた車がある方を。


「飽きたというか、恥ずかしくなった。下手な演技を立て続けに披露されるとな、まるで風刺されているような気分になる。道化師が常に一人であることの理由がわかったよ。ちょっと傷ついた」


 その唯一の同乗者が歩みでた。

 いつの間にか軛を解かれた狼たちを傍に。傅くように垂れたその頭へと手をおきながら。


「あ……えっと、シアーズ辺境伯?」


「うん。でも、ルツィエでいい。そう伝えたよ」


「じょ、女装ですか?」


 沈黙があった。

 ややあって、騎士と呼ばれた男の高い背丈が折り曲げられる。


「く……ふふっ、いや失礼。しかし……それにしても、女装とは、っ」


 くつくつと、雨漏りのような笑い声。

 その主は対照的に、目を大きく開いて頬をほんのり赤く染めている。

 どこからどう見ても少女の浮かべる表情に違いなかった。


「そうか……もう、仮面はいらないかもしれないな」


「あっ、いや、あのですね。最近女装のせいで酷い目にあった経験があってですね? こう……その、なんていうか今のはそれに対する防衛本能みたいなもので……っじゃなくて」


「ごめんなさい」


 つまるところ辺境伯は女性であったと。

 他の誰が知っているにせよ、この秘密は今度こそ決して口外してはいけないのだと、そう誓うことにした。

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