第2話

「なんと初代さまは男の人だったのです!」


 聖剣の間から転がり出てきて開口一番、高らかに宣言する私。

 瞬間、おめでとうを言うために集まってくれていた修道院のみんな達の表情が引きつって、すーっと温度が下がっていく。ようやく自分が何をのたまったのか理解した頬を冷たい汗が伝って、落ちた。


 ……それはとんでもない失言で、これがどれほどの舌禍かと言えば、私ことリタニア・ノーラッドが六歳から十年かけてせこせこ積み上げようやく届いた次期聖女への階段を丸ごと焼却し、余燼が家名まで焦がしかけたくらいの大やらかしである。


 逃げ出すように追い出され、青春を過ごした修道院からまるで馴染みのない実家に戻ってきての一か月、このときのことを、お目通りの儀式の夢を見なかったことは一日としてない。後悔の念がそうさせるのか友人知人お世話になった皆々様に大声で叫んだと脚色されているけど、ほんとのところは「たはは~それにしても初代聖女さまってほんとは男の人だったんですね~わたしびっくりしちゃいました~」みたいな感じで、それを聞いたのも枢機卿猊下ただ一人のはずで……まぁ、それで何かが変わることもないか。


 目を覚ました自室で息を整えながら冷たくなった手のひらを擦り合わせる。

 夢と現に線を引くように。時間の経過を思い出せるように。

 そもそも性別を偽っていた女装聖剣さまの方にも責任はないだろうかとか思うけれど、ああして真実を知った人は口を閉ざして立場とか歴史とか、あるいはもっと大きなもの、そういうものを守ることにしたのだろう……私以外は全員。だからどうやっても取り返しがつかない。


 春も盛りというのに冷える朝。これも私のせいな気がして憂鬱だ。

 だけど毛布にくるまっている時間はない。慈しみ深き次期聖女さまをたった一度の失言で放り出した教会へのお祈りはさておいてもだ、沐浴をして着替えを済ませておかないと。

 今日はお迎えがやってくる日なのだから。




 いっそ憂鬱を通り越して沈痛な面持ちが浴槽に張った水面に映し出されている。腰まで伸びた蜂蜜色も、今にも涙を溢しそうな翠色でさえ。うむ、なんとも絵になる淑女だぞリタニア。この美貌ならきっと辺境伯も気に入ってくれるに違いない。いったん勘違いしておくことで元気を出そう。


 温かい湯に浸かるなんて贅沢をしながら、遥か北東のシアーズ領へと思いを馳せる。そう、青春を棒に振って出戻ってきた元修道女にだって一応の使い道はある。還俗した今、こんなんでも歴史あるノーラッド家の一員なのだから、王宮伯の末娘として他所の家に嫁ぐという用途が残っていた。


「……結婚、かぁ」


 まったく考えもしなかった。いや、ほんとに。

 貴族としての礼儀作法をしっかり学んだ覚えはない。詩作の才能に恵まれたわけでもない。男の人の手をとり踊ったことだって一度もない。代わりに頭に詰め込んだものと言えば使い道のある草の見分け方に育て方、魔物の分類と対策……それから剣の振り方を少々? がはは、六つで修道院に入るとはこういうことである。


「それにしても、辺境伯とは」


 ユリウス・ヴァルツァレフ・シアーズ辺境伯。あと何日かしたら夫となる人。

 人狼の異名を取る若き辺境伯……もちろん悪口。というか、ちょっとした恐怖の象徴? 継承のために父に毒薬を呷らせたとか、血を分けた妹さえ手にかけたとか、たがために呪いを受けてその顔貌は醜く歪み、寝所にあっても決して仮面を手放さず所領から出ることもない……だとか。

 お湯を張ってくれたメイドさんなんかはこの与太話を完全に信じてしまっていて、そのせいか私のことを大変に甘やかしてくれている。


 血筋に対する恐れと蔑視が先に立っているのだと思う。辺境の人々はかつて高原の狼と絆を結んだという部族の末裔で、もともとは私たちと神様を異にする一族だとか。けれどだからこそ、噂通りの無体を働くようであればすぐに討伐の対象に転じてしまう。


 父さまも頑張ってくれたものだ。不肖の娘が帰りの馬車に揺られている間にはもう縁談が決まっていたとのことだから、誰が私を還俗させたのかをごまかす魂胆だったに違いない。そしてそれはとても上手くいった。

 だって彼は辺境伯なのだ。王家の剣であり信仰の盾、言うまでもなく大貴族で、言ってしまえばつり合いが取れているとは思えない。


「いや、逆によかったり……?」


 こう、ちゃんとした令嬢を娶ると田舎育ちなことを意識させられて辛いとか?

 聞くところによれば田舎の男性は女性に家柄を求めつつもある種の素朴さを好む傾向にあるらしい。

 そんな貴方に私の娘なんかどうでしょう! 修道院に預けて清貧の美徳を骨の髄まで叩き込みましたので、きっとお気に召すかと思います! とかなんとかで売り込んだのだろうか父上。 ちょっと腹立ってきたな。


 わざわざ王都の方のお屋敷に私を戻しておいて一度も姿を見せない当主とまだ見ぬ未来の旦那様。その両方に悪態を吐こうと唇を動かしかけて、止めた。

 物音のせい。部屋の外がばたばたと騒がしい。たぶん名前を呼ばれている。


 代わりにため息を一つ。名残惜しかったけど仕方ない。浴室を出ることにした。




 洗い髪をほつれさせながら正門前へ。髪を乾かすくらいの時間はあると見積もっていたし、出ていく場所は当家の応接室だとも思っていた。メイドさんによると屋敷に上がるのを拒否されたらしい。見るからに慌てていた。すごく珍しいことが起きたのだろう。


「リタニア・ノーラッド様とお見受けします。 シアーズ家のルツィエがお迎えに上がりました」


 で、私より一足先にお客さんのところへ戻ったそのメイドさんが担架で屋敷の奥へ運ばれていくのと入れ違いになったのだけど、そのわけはたった今一目で理解できた。


「ああ、妖精狼をご覧になるのは初めてでしょうか? 人は食べませんので、どうぞご安心ください」


 辺境伯の紋章が刻まれた屋根付き二頭立ての四輪車を引くのは、その家紋と瓜二つの狼たちだった。


 体躯は馬と同じくらい。脚の一本だけで私の胴体より太い。

 身のぎゅっとつまった筋肉質なそれはいかにも硬そうな体毛で覆われている。

 ピンと立った耳に、はっきりと知性の光を宿した金色の瞳、鼻筋の通った精悍な顔立ちの獣が二頭……ルツィエと名乗った辺境伯の使いが発した声によれば、人は食べないらしい。人以外ならなんでも食べそうだ。大きな口から短剣ほどもある牙が覗いた。


 加えて、隊列を作ってこちらを見下ろす黒い人影が十名程度。

 馬車を引くことのできる狼というのがあまりに衝撃的で見落としそうになったけど、紋章付きの四輪車の周りに並ぶ人たちの雰囲気だって狼に引けを取らない迫力がある。

 この人たちは狼でなく馬上にいるのが唯一の救いと言っていい。統一された衣装は旅装には違いないのだけど、口元を覆うほど高い襟のついたコートと反り返ったつばの帽子は個々の人相や人数をぼかす意図が見て取れる。御者や護衛には似つかわしくない恰好だ。間違っても花嫁行列の一団とは思えないし、いっそ追い剥ぎと言われたほうがしっくりくる。


 お屋敷勤めの女の人が失神してしまうのも無理もないけれど、これは当家の不始末。見なかったことにしてくれた厚意に甘えておくとして……。

 引きつった頬に手を当てながら、慎重に言葉を選ぶよう背筋に力を入れて視線を戻す。


 灰銀色の髪、黒の使用人服に身を包んだ少女へ目を合わせてから、一礼。どうか貴族らしくなっていてくれという祈りをこめて。


「リタニア・ノーラッドと申します。ルツィエさん、それから皆様方、遠いところからご足労をおかけしました」


 やらかした。遠いところから、は絶対に余計。

 事実としても目の前にいる人たちとその主人を田舎者と誹ったように聞こえる。慎重に言葉を選んだつもりでこれだ。失言が癖になるなんてことはないと思いたいけど……。


「もったいないお言葉です、奥様」


 顔を上げる。お目こぼしをいただけたらしい。


「やーあの……まだ奥様、じゃないです、よね?」


 不貞腐れて予習も想像さえしていなかったけれど、仮にそれが万全だったとしてもこうなったに違いない。しどろもどろに意味のない言葉が漏れていく。どこを見ても圧のある情景のせいだ。


「これは失礼を。さぁノーラッド様、馬車にお乗りくださいますか」


 そこは馬車なんだーという声は今度こそ喉までで留めることに成功した。

 たぶんちょっとだけ怒らせてしまったと思う。部品とか機能に徹していた声色に少し温度が滲んでいる。なんだかとても申し訳ない。


「えーっと、いまから、ですか? その、父が家を開けておりまして、別れの挨拶がまだと言いますか、せっかくお越しいただいたのですから、お茶でも……」


 言葉を切ったのは背中に非難の視線を感じたからだ。振り返らなくてもわかる。ノーラッド家使用人の皆さまから正気を疑われている気がする。心細い。


 しかし、なんでこんなときまで当主は不在にしているのだろう。

 礼節もなにもあったものじゃないというか……あれ、正式なお輿入れってそもそもこっちの家が車を出すのが慣わしじゃなかったっけ?


「ふむ……でしたら、攫っていくこととします。 失礼」


「え、うわ……っと」


 思考の空隙を突いて少女に手を取られる。ひんやりと冷たい。無理やりのはずなのに、身体は助け起こされるように動いて車体のステップへ脚をかけた。


 丸くなった瞳にルツィエの姿が映る。灰色に輝く髪が緩やかなウェーブを描いて肩をくすぐる様子が愛らしい。初雪のように白い顔と、そこに浮かんだ涼やかな表情。だけど活動的な印象が先行するのはきっと、この赤く大きな瞳のせい。どうしてか、宝石よりも火に例えるのが相応しいと思った。


「……色気のない悲鳴」


 前髪を絡ませる距離。囁く声を聞いたのは私だけ。


「かわいく叫べって言われたらそうしましたけど!」


「アルフレート、出してください」


 車内へと放り込まれた私の抗議をまるっきり無視して、御者席の黒い背中へ声をかけるルツィエ。やがて音もなく窓の外の景色が動き出す。そのすぐあとを蹄の音が追従した。


 攫われたと、どうやらそういうことらしい。

 廃材置き場から拾ってくっつけたような伯爵令嬢の面は欠片も残さず剥がれ落ちてしまっていて、だから私は叫ぶことしかできなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る