第6話 無力感

 スパイ映画を観終わると、眞奈は両手いっぱい伸ばし軽く嬌声に近い呻きを上げた。


「あのさ、もう1本観てもいい? 恋愛のやつ」

「全然いいよ。その前にジュース取りに行ってくるよ」


 1階に下りて、キッチンにある冷蔵庫を開けた。

 中は今日の夕飯と麦茶、調味料と残った食材でジュースはなさそう。

 仕方ない、店のジュースを少し貰おう。

 裏口の扉を開けたのと同時に、


『あぁ大竹さん、どうしたんです急に』


 店から聞こえた父さんの間の抜けた声に、途中で手が止まった。

 あいつが――大竹さんが来ている。


『娘のことに決まってるだろう、それ以外でこんなところに用はない』


 低く鋭い口調は聞いているだけでちくちく刺された気分になる。


『まだ営業中ですし、それにもう少ししたら――』

『営業中? 客なんて誰も来てないじゃないか。いいかい三崎さん、娘にはもう十分時間をあげた。こんな体裁の悪いことをいつまで続けるんだ』


 大竹さんの高圧的な言葉が続き、ドアノブを掴む手に力が入る。


『大竹さん、心配するのは良いんですが、あの時眞奈ちゃんも交えて話をしましたよね? 「もう大竹家には戻りたくない」って本人から直接聞いたはずです』

『あんなのちょっとした子供の気まぐれだ。もう高校2年生、考えも変わっている。これからちゃんと私たち家族で話していけば問題ないことだ。そもそもアンタらは無関係のくせにしゃしゃり出て、これ以上勝手なことをするようなら警察や弁護士に相談させてもらうぞ』


 なんでこの人は眞奈が望んだことを否定するんだ。

 追い出してやりたいのに、何もできない苛立ちが吐き気のように胃を気持ち悪くさせる。


『はぁ、大竹さん――』

「あっ」


 父さんが言いかけたところで、半開きの扉を押してしまう。

 いつの間にか体重をかけてしまったようだ。

 ふらつきながらキッチンに入ると、視線が俺に集まった。


「あぁ大河、どうした?」


 父さんの声はいたって落ち着いている。ただ、穏やかな表情は硬い。

 喫茶店のホールにはメガネをかけた細い背の高い男性――大竹さん。

 眉間に皴を寄せ、険しく俺たちを睨んでいる。


「あーえと、ジュースが欲しくて」

「冷蔵庫にある。開封したやつを先に使ってくれ」


 父さんの釣り上げた眉が「早く戻れ」と訴えているように見えた。

 店内は息を吸うのも慎重になるぐらい重い空気が充満している。

 肌がビリビリと振動するなか、冷蔵庫から紙パックのフルーツジュースを掴んだ。


「全く、空気が読めない奴だ」


 大竹さんは腕を組んで大きく息を吐き出し、俺に対して明らかな唸り声をあげている。

 眞奈が家を飛び出す原因をつくった張本人のくせに。指先に力が入って、紙パックがミシミシとめり込んでいく。 

 

「眞奈の父親なら、もうちょっと話ぐらい聞いてあげたらどうですか?」

「なんだと?」

「大河」


 どうしてもこのまま黙って戻るのが嫌で、大竹さんに向かって喉を震わせながら吐き出した。

 大竹さんの顔はみるみる真っ赤になり、父さんを睨みつけた。


「三崎さん、アンタの息子は大人に対して随分舐めたことを言うじゃないか。こんなことを言わせる教育をしてるなんてね。もう我慢ならない! さっさと眞奈を――」


 入り口の鈴がカランカランと強く鳴り響く。

 爽やかな風と一緒に笑顔で入ってきたお客さん。


「やぁまさしくん! 経営の方は順調かな――おや、お取込み中?」


 どこかで見たことがある太陽のように眩しい笑顔で店中を照らす男性。

 父さんは眉を下げて小さく笑う。


大義まさよしさん、どうも」


 スーツの上からでも分かる、腕や胸がパンパンに盛り上がる筋肉。清潔感ある刈り上げた短い髪と笑顔でできた皴。

 大竹さんは突然の来訪者に、真っ赤だった顔を青ざめていく。

 さっきまでの偉そうな態度が微塵に消えてなくなった。

 大義さんと呼ばれた男性は、大竹さんをジッと見つめる。


「あれ……貴方は確かそう、○○県立高校数学教諭の大竹さんだね。うーん、これから僕と雅くんでとっても大事な話があるんだ。予定というのはちゃんとアポを取って行わないとね、大竹先生」


 圧を感じる力強い笑顔だ。


「い、い、いえ、少し挨拶をしただけですので、し、失礼します!」


 大竹さんは息苦しそうに声を詰まらせ、外に飛び出していく。

 鈴の音が鳴り揺れて、少しの間だけ店に響き続けた。


「教委の知り合いに相談してみようかな。ねっ、雅くん」

「いえ、ただ熱心が過ぎる先生ってだけですから」

「おやや! もしかして君、雅くんの自慢の息子さんだね」


 笑顔が俺に向けられた。

 際限ない太陽のような笑顔に後ずさる。


「は、はい」


 つい最近同じ笑顔をした奴を見たが、まさかこの人――。


「はじめまして、僕は有坂大義。息子から聞いたよ、同じクラスなんだってね。あの子は明るく真っ直ぐだけど、人の話を聞かない頑固さが玉に瑕なんだ。そういう時は容赦なく言ってやって。よろしくね、大河くん」


 やっぱり有坂家だ。

 紙パックが指先から滑りそうになる。


「眞奈ちゃんを待たせてるんだろ? 早く行っておいで」


 裏口を指す父さんに従い、急いで戻る。

 あの大竹さんを、有坂家はいとも簡単に追い払った――。




「何してたの?」


 コップにジュースを注いで部屋に戻ると、眞奈は不機嫌な表情でリモコンを握りしめていた。


「ごめんごめん、店でジュース貰ってたらえーと、遅くなって」

「どうせあいつが来てたんでしょ」


 なんで分かるんだろう。俺って顔に出やすいのか?

 

「まぁうん、すぐに帰ったけどな」

「はぁ最悪、あんなに話し合ったのに……本当、ごめん」


 眞奈はリモコンを軋ませ、苦しそうに弱音を吐き出す。


「何言ってんだよ、父さんも俺もずっと眞奈の味方だ。それに眞奈が店の手伝いを始めてからリピートが増えたって父さん喜んでたよ。ほら、映画観よう」


 笑いはしないが、眞奈は不機嫌を緩めて頷いた。

 気を取り直して次の恋愛映画を観る。

 しかし冒頭は、男女が激しく求め合ってるシーンから始まった。

 男が服をどんどん引き剥がし、女を裸にして野外やバス停で求め合っている。

 恋愛映画ではなさそうだ。

 2時間ほど前と言っていることが違うな。俺は軽く何度か頷いた。

 俺はゆっくり手を伸ばし、スカートの内側に向かって太ももを沿わせてみる。


「んっ……」


 擽ったい感触に漏れた吐息が聞こえたけど、物は飛んでこないし、手を弾くこともしなかった。

 合図じゃなくてもっと素直に強請ってくれてもいいのに。俺が眞奈のためにできることって意外と無いんだから。

 眞奈にとって苦痛になるもの全てを追い払える力が、俺にもあればよかった。


「眞奈」


 こっちを向いてくれたが、伏し目になる。

 鼻先で触れ合い、唇を近づけると、ゆっくり顔を上げる。

 軽いリップ音を立てて、しばらく触れ合った。

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