第14話 俺絶対有名になるから
最初は風呂場で鼻歌を歌う程度だったが、小学校高学年になり、湊の部屋が用意されるようになって、そこから部屋で歌うようになった。
その頃の湊にとって、好きな歌を部屋でこっそり歌うのが日々の楽しみの一つだった。
そしてそのうち歌だけでなく、演奏をしてみたいと考えるようになった。
湊は学校が終わるとすぐに走って帰り、家族が帰ってくるまでの間に春子が触らなくなったピアノを弾くようになった。
素直にやってみたいと言えばいいのに、言うことができず、しばらくそんな日々が続いた。
ある日、いつもように湊がピアノを弾いていると、視線を感じた。
振り返ると、おばさんが立っていた。
まずいと思ってなんと言い訳しようかと混乱していると、おばさんは拍手をした。
「すごい、湊ちゃん上手いじゃないの」
「ほんとに!私とは全然違うわ」
気づいたら、高校生になった春子も珍しく帰ってきていた。
「好きなの?ピアノ」
おばさんが優しく声をかけてくれる。
恥ずかしかったが、湊は小さくうなずいた。
「ピアノ習ってみる?」
おばさんの家にはかなりお世話になっている。
その上にピアノを習うなんてわがまますぎる。
でも、やってみたい・・。
「やりたい・・ピアノ習いたい」
湊がそういうと、おばさんは泣きそうになりながら嬉しそうに「じゃあ習いましょう」といい、春子も「私がいい先生探す」と嬉しそうに声をあげた。
どうして二人がワガママをこんなに喜んで聞いてくれたのか、湊にはわからなかったが、二人の笑顔が嬉しかった。
その日の夜、部屋のドアがノックされて、春子が入ってきた。
「今日、どうしてお母さんが嬉しそうだったかわからなかったでしょ?」
湊は素直に素直にコクンと頷いた。
「ずっと湊は私たち家族に遠慮して、したいことも食べたいものも何も言ってこなかったでしょ?でもね、私たちは湊のことを家族だと思ってる、ワガママも言ってほしいし、したいこととかも言ってほしいの。上手く言えないけど、家族って遠慮したり、無理な我慢はしない関係なのよ。私もお母さんもお父さんも湊とそういう関係になりたいの」
わかる?と聞かれて、なんとなくと答えると、春子は満足そうに頷いた。
「今はなんとなくでよろしい」
そういって湊の頭をぐりぐり撫でた。
「私のことはお姉ちゃんって呼んでいいんだからね。もちろん、嫌じゃなければ」
「・・・いいの?」
「当り前じゃないの、私は湊のこと弟って思ってるし、友達にも言っちゃてるしね」
そういっていたずらっぽく笑った。
「お父さんやお母さんのことも、お父さん、お母さんって呼んでいいんだよ。
そう言われて湊はなぜかわからないが涙が止まらなかった。
春子は、よしよし、と言いながら、湊が泣き止んで眠るまでそばにいてくれた。
次の日から、おばさん、おじさん、春子ちゃんではなく、お母さん、お父さん、お姉ちゃんと呼び名が変わった。
叔母さんはその日も涙交じりに嬉しそうに「ありがとう」と言っていた。
それからは家族の前でピアノを弾いたり歌うことも増えた。
そんな時は、春子がいつも湊には歌の才能があると話し、両親にもし湊がデビューしたらという話をするのが定番になっていた。
湊も歌は好きだし、まんざらでもなく、将来は歌手もいいなと思ったりしていた。
そして穏やかな日常を過ごし、あっという間に高校を卒業し、周りの勧めもあって、歌の専門学校に通うことになった。
この頃には、湊は自分がこの家族とともに住むことになったのか、親はどこにいるのか、そんなこともすっかり忘れていた。
でも過去は湊を忘れてなかった。
専門学校では様々な経歴の人がいて、本当に面白く、楽しく日々を過ごしていた。
仲間には自分が養子であることなども隠すことではないので、気軽に話していた、
そして周りの影響もあって垢抜けるようになり、イケメンで歌が上手いとかなり注目されるようになった。
そこに当然LINEがきた。
そんなに仲良くもない、同じクラスのやつからだった。
ファイルが添付されており、開くとニュースの記事だった。
幼児虐待 母親が男と結婚するために1ヶ月子供を放置!
本記者が幼い命を救った。
と書かれている。
汚い部屋の中で虚な目をしたあどけない顔の男の子は、まさに自分だった。
その瞬間、湊は世界が反転するような、頭の中がぐわんぐわん揺れるような感覚なった。
楽しかった思い出や嬉しかった思い出、初めて弾いたピアノの感覚、過去の全ての良い出来事が夢だったような感じた。
そうだ、俺は母親に捨てられたんだ。
その日はどうやって帰ったのか何まで覚えてはいない。
ただ叔母さんに泣きついて、春子と叔父さんに背中を撫でてもらってた気がする。
翌日、落ち着いたところで、叔母さんが教えてくれた。
湊の母親は、学生の頃から素行が良かったとは言えず、夜遊びを繰り返していた。
そして18歳で祖父に注意されたことをきっかけに大げんかとなり家を飛び出した。
そこから母がどう過ごしていたのか、叔母さんは知らないと言っていた。
叔母さんは大学を卒業して、就職して結婚し、妹である母のことを思い出してはどこで何をしているのかと心配していた。
そしてそれから何年も経って、事件が起きて妹が何をしていたかを知ることになった。
警察がやってきて、妹が子供を産んでいること、そしてその子を餓死させようとしたこと、そして今も男と逃げていることなど気絶しそうな内容だった。
落ち着きを取り戻した時、妹より何より妹の子供のことが気がかりで、すぐに会いに来てくれたそうだ。
ただその頃は精神が不安定で、精神科に入院していて、遠くから少し見ることしか叶わなかった。
すぐにでも引き取りたかったが、引き取れなかったのは精神的なこともあったが、大々的に報道されてしまったからだ。
たまたま近所に住む記者が、湊を見つけて撮影し、その写真が載った記事はかなりセンセーショナルであり、こぞってテレビも取り上げていた。
娘をもつ叔母にとって、今引き取れば家がどうなるか想像がついたので、落ち着くまで、待つことにした。
そしてやっと湊の意識がハッキリとしたものになり、報道されることもなくなった時には2年という月日が経っていた。
「ごめんね、ずっと黙ってて。妹が本当にごめんなさい」
叔母さんは泣きながら頭を下げている。
話を聞いても自分のことだと思えない。
でも叔母さんが必死に謝っているのをみて、気づいたら涙を流していた。
それから少しずつ元の生活に戻ったころ、叔母さんが病で倒れた。
「母さん、今日は雨だよ」
湊が、たくさんの管がついて眠っているおばに声をかけている。
「この雨が止んだら、きっと一気に暑くなって、母さんの好きなスイカの季節になるよ」
そう湊が話しかけても、何の反応もない。
ただ心臓の鼓動を図る機械の音がするだけだ。
がらがらと扉が開いて、お腹の大きな春子が入ってきた。
「湊、きてたのね」
「おぅ。姉ちゃん、腹デカくなったね」
「もう臨月だもの。母さん、もう少しで孫産まれるわよ」
そう言いながら、母の髪を整える。
「姉ちゃん、母さんの入院費の件なんだけど」
母さんの前の前でその話はやめて、と春子に促され、院内のカフェに入った。
「で、入院費がどうしたの?」
「お父さんももう定年になるし、今からでも俺が働いて稼いだらどうかなって思った」
「専門学校はどうすんの?」
「それはやめる」
春子はため息をついて、バカなんだからと呟いた。
「母さんが病気で倒れる前に、湊のことを話しててね。あの子はすごく音楽の才能に溢れてるからきっと有名になるから、その時は私の自慢の息子ですって言いふらすのが夢だって嬉しそうに話してた」
「息子…」
「湊が歌手として活躍することを1番願ってるのは母さんよ。絶対諦めるなんて言わないで」
春子の瞳に涙が浮かんだ。
「…わかった」
「わかったならよろしい」
春子が湊の頭をぐりぐり撫でた。
自分をここまで育ててくれた母は穏やかに眠っている。
「俺絶対有名になるから」
母が微笑んだような気がした。
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